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響子とデリバティブ

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 4月中旬の土曜日。
 今日は久しぶりに響子を家に来させる。
 最近、響子とあまりベッタリとしていない。
 先月末に沼津の寿司屋に連れて行ったが、あれは御堂と正巳さんの当選祝いであって、響子を特別に扱うことも無かった。
 病院ではもちろんベタベタしている。

 「響子、焼き鳥のタレがほっぺに付いてるぞ」
 「とってー」
 「おし!」
 
 指で拡げてやった。

 「やだぁ! なんで拡げるのよ!」
 「拭いて欲しけりゃパンツを脱げ!」
 「なんでよ!」
 「焼き鳥のタレとパンツと、どっちが大事なんだ!」
 「パンツだよ!」

 六花が笑ってウェットティッシュで響子の頬を拭いた。

 「まだベタベタする」

 俺たちはベタベタだ。

 「石神先生。私もベタベタするんですが」
 「……」

 近くの倉庫で、六花のベタベタをよく確認し、舌で丁寧に拭ってやった。

 「あれ? タカトラの顔、ちょっとヘンな匂いがするよ?」

 六花が笑ってウェットティッシュで俺の頬を拭いた。
 俺と六花もベタベタだ。



 
 六花が響子を10時に連れて来た。
 いつもは夕方に来させることが多いが、今日はいつもより長く一緒にいようと思っていた。
 俺も御堂の衆院選やその後の様々な調整を手伝って、少し疲れていた。
 響子と六花とのんびり過ごすつもりだった。

 響子は薄手のビロードの白のジャケットとスカートを履いて来た。
 少し燻んで深みのある白だ。
 真っ白の海島綿のシャツに、細い無地の水色のネクタイを締めている。

 「おお、清楚でいいな!」
 「そう?」

 俺が褒めると嬉しそうに笑った。
 六花はベージュのコーデュロイのパンツに薄手の黒の革のジャケット、それに真っ白のシャツに響子と同じネクタイを締めている。
 胸の膨らみが何とも言えない。
 まだお腹はそれほど出てきていない。

 「相変わらず綺麗だな!」
 「はい!」

 玄関でロボが二人を熱烈歓迎し、一緒にリヴィングに上がった。
 上で子どもたちも大歓迎する。

 「「「「「いらっしゃーい!」」」」」

 柳がミルクティーを淹れて、二人の前に置いた。

 「ありがとう、リュー!」
 「今日はのんびりしてね」
 「うん!」

 柳は響子の護衛を今後頼んでいくことになっている。
 学業もあるので常にということではないが、時間があれば響子の部屋に顔を出し、世話もしていく。
 響子の本格的なガードは、別な方法を考えている。
 妖魔のガーディアンだ。
 早乙女にモハメドを付けたように、御堂にはアザゼルを付けた。
 響子にも見合った妖魔をガーディアンとして付けようと思っている。

 将来的に、響子はアラスカで生活し、《マザー・キョウコ・シティ》を管理することになる。
 その時は六花が傍にいるはずだが、六花がいない場合には柳を配する。
 そういうことを考えていた。
 柳にも話している。

 柳は六花と一緒に響子に話し掛けていた。
 
 「響子ちゃん、最近熱いアニメはある?」
 「うん! 『アキバ冥途戦争』だよ! あれはアツイよ!」
 「そうなんだ!」

 深夜枠のアニメだ。

 「ちゃんと録画で観てるだろうな!」

 俺が声を掛けた。

 「大丈夫です。テレビは11時から6時は観れないようになってます」
 「そうか」

 六花が言った。

 「リューも観て!」
 「うん、見る見る! どんな話なの?」
 「あのね、アキバってメイドさんが多いじゃない」
 「うんうん」
 「みんなカワイイメイド服を着てるじゃない」
 「うんうん」

 「それでね、みんなぶっ殺し合うの!」
 「……」

 柳が呆然とした。
 俺は大笑いした。

 「嵐子って綺麗でクールなメイドさんがね、物凄く強くて! ちょっと六花に似てるの!」
 「そ、そうなんだ」
 「二丁拳銃で、バンバンぶっ殺すんだよ!」
 「へ、へぇー」

 六花が立ち上がって嵐子の戦闘を再現した。
 ヲタ芸を元にしたものだ。
 みんなで拍手した。

 六花は響子に寄り添い、響子と一緒に何でも楽しむ。
 もちろん合わせていることもあるだろう。
 柳は違う。
 寄り添うやり方ではなく、自分を摺合わせながら傍にいようとする。
 どちらが良いということではない。
 それぞれのやり方で、響子に接して欲しい。

 「響子ちゃんは、最近どんな勉強をしているの?」
 「タカトラに言われて都市運営のことが多いんだけど、ちょっと趣味で「デリバティブ」も勉強してる」
 「「デリバティブ」って?」
 「「金融派生商品」って言うのね。ほら、先物取引とかスワップ、オプション取引のことだよ」
 「あ、ああ」

 話題を変えようとした柳が、また窮している。
 六花は両手を組んで目を閉じて頷いている。

 「前にね、タカトラからデリバティブ取引は崩壊させたいって言われてたの」
 「そうなんだ」
 「お金を儲けるためにお金を運用するのは間違っているって。オランダのチューリップ投機以来、ろくなことはないってさ」
 「あ、ああ」
 「タカトラが脚本を書いた『マリーゴールドの女』でも、花の投機で自滅する人間が描かれていたでしょ?」
 「そうだ!」
 「あれはね、タカトラがああいうデリバティブ取引が人間をダメにしちゃうんだって意味も込めてあったんだよ!」
 「凄いね、響子ちゃん!」

 六花はまた頷いていた。

 「六花は分かってたもんね!」
 「もちろんです」

 「スゴイですね!」
 「ウフフフ」

 双子が響子の近くへ行った。

 「ルーちゃんとハーちゃんに頼んで、世界中のデリバティブ取引のデータを集めてもらったの。もちろん現時点での取引もね。それを見ながら、私が戦略を立ててみたの」
 「へ、へぇー」
 「響子ちゃん、凄かったよね!」
 「大体8割くらいの市場資金を回収しちゃったもんね!」
 「ゲェ!」

 柳が驚く。

 「あ、もちろんコンピューターのシミュレーションでだよ? 実際に投入したのは1割程度だから、8%?」
 「……」

 「今度はもっとぶっ込もうよ!」
 「そうだよ! 資金は幾らでも流すよ!」
 「ありがとう!」

 柳がフラフラと俺の方へ来た。

 「石神さん、ちょっとお酒飲んでいいですか?」
 「昼間から辞めとけ!」
 「はい」

 響子はボードゲームから社会ゲームに興味を移した。
 双子は数学の超天才だ。
 その双子に指導されて、響子も高等数学をものにしていっている。
 双子も驚く程の吸収の早さだと言う。
 そのことを響子に聞いてみた。

 「うーん」
 「だって、あの双子が信じられない早さだって言ってるぞ?」
 「それはねー」
 「おう」
 「数式って、言葉じゃん」
 「あ? ああ」
 「だから覚えるのって簡単じゃん」
 「そうか」

 響子には語学に関する物凄い才能がある。
 ロックハート一族はみなそうだが、響子の場合、それが一段と凄い。
 恐らくそれは、現代の「言語学」が到達していない、《人間の言葉》という共通の構造を直感的に理解していると考えられる。
 例えばソシュールは「シニフィアン」と「シニフィエ」の概念で説明しようとしている。
 例えば、「海」(シニフィアン)という存在を《うみ》(シニフィエ)という音声、また《海》という文字で表現する。
 しかし英語では「海」という存在は《Sea》だ。
 つまり、シニフィアンとシニフィエとの間には必然性が無い、とソシュールは言っている。
 それが「了解される体系」の中でだけ必然性があるのだと。

 ロックハート一族は、このシニフィアンとシニフィエとの関係を、何らかの能力で自在に関連付けることが出来るのではないのか。

 俺も外国語は、話すのはともかく読むのは多く出来る。
 一江などは英語に関しては話す方も大丈夫だ。
 しかし、ネイティブの人間とはやはり違う。
 微妙な発音の違いだったり、微妙なニュアンスや概念の違いだったりがある。
 十分に会話は成立するが、やはり外国人であることが分かる。
 ロックハート一族には、それが無い。
 アビゲイルもアルも、日本人と話しているかのように、何ら違和感は無い。
 響子となれば、もう日本人以上に日本語が操られている。
 
 「お前、英語も喋れんの?」
 「当たり前だよ!」

 響子が英語を喋っている時に、よくそんな冗談を言う。
 それくらい、日本語が自然なのだ。

 その響子が数学は言語だと言っている。
 双子のそれとは違った才能で、響子は数学をマスターしつつある。
 双子は「三体問題」によって数学を驚異的なレベルでマスターした。
 響子は「人類の文化」的な側面で理解しようとしているのではないか。
 全ての人類の文化は、響子が言語化し、深層構造まで把握される。

 俺はそんなことを考えていた。





 「響子、昼食までちょっと横になるか」
 「うん!」
 「一緒に休もう」
 「うん。だけどパンツは脱がないよ?」
 「なんでだよ!」
 「なんでよ!」

 みんなが笑った。
 響子が才能のお化けだとしても、響子はカワイイ。

 「ニャンコ柄のパジャマを持って来たか?」
 「うん! タカトラと一緒だよね!」
 「そうだよな!」

 ロボも一緒に付いて来る。
 三人でパジャマに着替えて横になった。

 六花は、腕を組んで目を閉じている間に、いつの間にか眠っていた。
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