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雨の日に Ⅱ
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ヨシさんと知り合ってから、新宿に行くと毎回会うようになった。
どうも、ヨシさんの下の人たちが私を見掛けると連絡しているようだった。
挨拶程度で最初は済んでいたが、そのうちに何かご馳走されるようになった。
買い物の荷物を持ってタクシーを捕まえてくれることも多い。
真夜と一緒に買い物に出た時には、牛タンで有名な「根岸」に誘われた。
「あの、ああいうお店は」
「あ、牛タンは御嫌いですか?」
「いえ、大好きなんですが」
「良かった! 自分も好きなんですよ! 是非!」
真夜は分かっていたが、私はどうもお肉を食べると自分でも制御できなくなってしまう。
もう既に、食べたい自分を止められなくなっている。
靖国通り沿いのお店に入った。
「どんどん食べて下さいね!」
「川尻さん、ちょっと辞めた方が」
真夜が止めてくれる。
「大丈夫ですよ、遠慮なくどうぞ」
私が冷静さを取り戻した時、ヨシさんの顔が青ざめていた。
「あの、自分で払いますから」
「な、何言ってんですか! 自分が誘ったんですからね!」
ヨシさんが明るく笑ってカードで会計した。
60万円以上だった。
それからは、肉関係の食事は頑張ってお断りするようにした。
真夏の8月。
ヨシさんがまた私を見つけて声を掛けて来た。
「暑いですね! 冷たいものでも飲みませんか?」
「喜んで!」
ヨシさんは私が抱えていた荷物を持ってくれ、一緒に喫茶店に入った。
本格的なコーヒーを飲ませてくれる店だ。
タカさんと何度か入った。
ヨシさんは白の麻のスーツに白の火炎の柄のあるネクタイを締めていた。
「ヨシさんはお洒落ですよね」
「そんな! 石神さんには遠く及びませんよ」
「でも、カッコイイですよ?」
「とんでもない。実を言うと、石神さんに憧れて、石神さんの使うお店に出入りしているうちに、何となく。全部石神さんのお陰です」
「そうなんですか!」
他の人がタカさんの真似をしていると聞いたら、気分は良くなかっただろう。
でも、ヨシさんなら、逆に嬉しかった。
自分でも、どうしてそんな気持ちになるのかは分からなかった。
私はアイスコーヒーを注文した。
ヨシさんはかき氷にした。
「あ」
「?」
私も食べたかった。
でもヨシさんにご馳走になるのに、幾つも注文するのは気が退けた。
ヨシさんはそれに気付いたようだった。
「すいません、アイスコーヒーとかき氷の練乳と、亜紀さんは何にします?」
「え! あ、あの、私も練乳で」
「じゃあ、練乳を二つで」
ヨシさんが笑顔で注文した。
私は恥ずかしくなって下を向いた。
「子どもの頃からかき氷が大好きでしてね。特に練乳が好物で」
「私もです!」
二人で笑った。
「ヨシさんは結婚してないんですか?」
「え? ああ、自分なんてこんな男ですから。女性なんてとても」
「そんな! ヨシさんはカッコイイし、優しいし!」
「ありがとうございます。でもダメな男なんですよ。大体、ヤクザなんてね」
「そんなことありません! 少なくとも、私はヨシさんが大好きですよ!」
「はぁ、ありがとうございます」
まるでタカさんみたいだ。
でも、後から自分が言ってしまったことに気付いて、赤くなった。
「亜紀さんこそ、そんなにお綺麗なんだ。男たちが放っておかないでしょう」
「そんなこと。ほら、私ってこんなじゃないですか」
「こんな?」
「そう、辰巳組を皆殺しにしたり」
「ああ!」
「でも! ちょっとは違うって言って下さいよ!」
「ワハハハハハハ!」
ヨシさんが大笑いし、店の人がみんな見た。
「ちょっと、ヨシさん!」
「すいませんでした。そうです、亜紀さんは暴力的な人じゃありません」
「もう!」
私は自分の気持ちに気付いてしまった。
ヨシさんが好きだ。
でも、私はタカさんのものだ。
タカさんの方が好きだ。
それでも、ヨシさんも好きだった。
その日、自分でも動揺してしまい、タカさんに思い切り甘えた。
「なんだよ、今日はウゼぇな」
「タカさーん」
お風呂に一緒に入り、湯船でタカさんにいつも以上にくっついた。
「タカさん、私を貰って下さい」
タカさんが大きなオナラをした。
信じられないくらいに大きな泡が水面で弾け、臭かった。
「次は固体を出すからな」
「すいません」
9月。
そろそろ冬物が出揃うので、また伊勢丹へ行った。
ヨシさんがニコニコして出口で待っていた。
「ヨシさん!」
「亜紀さん、偶然ですね」
二人で笑った。
ヨシさんは、最近自分で開いたというカフェバーに連れて行ってくれた。
そんなに広くは無いが、お洒落なお店だった。
ヨシさんが鍵を開けた。
「あれ?」
「すいません、夕方からのオープンなので、今は誰もいなくて」
「え?」
「自分は何も作れませんが、お酒でしたら何とか。亜紀さんはイケる口でしょ?」
「まあ」
ヨシさんは笑って灯を付けて、カウンターに入ってジャックダニエルのロックを作ってくれた。
二人でカウンターに並んで座った。
いつもと雰囲気が違う。
誰もいない空間で、二人きりでお酒を飲んでいる。
「自分には弟がいましてね」
「そうなんですか!」
「結構年が離れてます。自分以上に気の弱い奴でして、まあ、それで余計に可愛くて」
「へぇー!」
まだ気温が高い。
店内はもちろん冷房が入っているが、運転を始めたばかりでまだ暑い。
氷で冷やされたバーボンが、また喉を通ると焼けるようだった。
「母親が違うんですよ。でも、気の弱さは親父の質なんですかね。もう二人とも」
「それは優しいってことですよ!」
「そう言ってもらえると」
「だって、あの時だって、ヨシさんは全然ビビってなかったですよ! 私、見てましたもん!」
「ああ、そうでしたね」
ヨシさんが嬉しそうに笑った。
「弟には真っ当な道を歩かせたかったんですけど。でも、何がどうなったか、あいつも極道になりやがって」
「そうなんですか」
「千万組ですから、まだ良かったんですが。どうも自分を追い掛けて来たようで、それがどうにも」
「いいじゃないですか。タカさんだって千万組のみなさんは大好きですよ」
「はぁ」
私も両親を喪った話をした。
話しているうちに、涙が零れて来た。
そんなに話すつもりは無かったのに、話し出すともう止まらなくなっていた。
ヨシさんは黙って聞いてくれ、私の涙を拭ってくれた。
二人で見詰め合った。
私はヨシさんに顔を近づけた。
「いけません。さあ、もう出ましょうか。自分も少し酔ってしまった」
「……」
ヨシさんは片づけもしないで私を外へ連れ出し、鍵だけかけてタクシーを捕まえてくれた。
「ヨシさん……」
「じゃあ、また。石神さんに宜しく御伝え下さい」
私は自分がしそうになったことに驚いていた。
私はタカさんが好きなのだ。
でも、だったらどうして。
それから、ヨシさんは絶対にお酒の店には誘わず、また二人きりの空間になるようなことも無かった。
私もあの日のことは表に出さず、ヨシさんと食事をし、喫茶店に入り、楽しく話した。
そして12月中旬。
大雨が降っていた。
私は学校から帰る途中でタカさんから連絡を受けた。
「亜紀ちゃん、ヨシが死んだそうだ」
「え!」
「交通事故だよ。あいつ、信号無視をして来たトラックに轢かれそうになった人を助けて死んだ」
「そんな! タカさん!」
「即死だったそうだ。伊勢丹の前だったらしいよ」
「タカさん! 「Ω」を使わせて下さい!」
「亜紀ちゃん、落ち着け! もう無理だ。ヨシは死んだんだ」
私はその場に泣き崩れた。
傘を放り出し、私はすぐにずぶ濡れになった。
落とした電話から、タカさんの叫ぶ声が聞こえた。
数分後、私はルーとハーに抱き着かれていた。
その後もしばらく泣いた。
タカさんはオペの寸前で来られなかったので、ルーとハーに連絡してくれたようだった。
ルーもハーも、一緒にずぶ濡れになってくれた。
その晩、帰って来たタカさんが話してくれた。
タカさんの部屋に呼ばれた。
「早乙女が詳しく聞いてくれたんだ。ヨシはな、横断歩道を渡っていた女子高生を突き飛ばして自分が轢かれたそうだよ」
「……」
「あいつは伊勢丹から出て来た所だったようだ。買い物の帰りだったらしいよ。クリスマスの包みを持ってた。その包は女子高生と一緒に前に投げてな。潰されたくなかったんだろう」
「……」
「遺留品だからまだ警察が保管しているけどな。女性ものの綺麗なマフラーだったそうだ」
「……」
タカさんが私を抱き締めてくれた。
助かった女の子は、私と同じ長い黒髪の子だったそうだ。
「カードがあった。亜紀ちゃんの名前が書いてあった」
「!」
私は大泣きしてタカさんに抱き着いた。
自分でもどうしようもなく、泣いた。
外の雨は一層強くなった。
滝のように降り注ぐ雨の音が、そのうち私には聞こえなくなった。
ただ、自分の泣き喚く声だけになった。
タカさんはずっと、私を抱き締めてくれた。
私はタカさんに頼んで、ヨシさんが死んだ場所へ連れて行ってもらった。
車を通りに止め、私だけ外に出た。
しばらく、一人で横断歩道を見詰めていた。
傘を差すことも忘れていた。
「亜紀ちゃん、帰ろう」
タカさんが私に傘を差し出して言った。
「はい。でも、タカさん、もうちょっとだけ」
「ああ、分かった。じゃあ車で待ってるから。早く来いよ」
「はい、すみません」
タカさんは傘を私に手渡して、離れて行った。
タカさんは激しい雨の中ですぐにずぶ濡れになった。
でも、私は動けないでいた。
タカさんはずっと私を待っていてくれた。
「もういいか?」
「はい」
「じゃあ、帰ろう」
「はい」
タカさんは明治通りを右折した。
「タカさん」
「ああ」
「私、ヨシさんが好きでした」
「いい男だったよな」
「はい」
タカさんが右手で私を抱き寄せてくれた。
そして、八木重吉の詩を教えてくれた。
《雨の音がきこえる 雨が降っていたのだ あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう 雨があがるようにしずかに死んでいこう》
どうも、ヨシさんの下の人たちが私を見掛けると連絡しているようだった。
挨拶程度で最初は済んでいたが、そのうちに何かご馳走されるようになった。
買い物の荷物を持ってタクシーを捕まえてくれることも多い。
真夜と一緒に買い物に出た時には、牛タンで有名な「根岸」に誘われた。
「あの、ああいうお店は」
「あ、牛タンは御嫌いですか?」
「いえ、大好きなんですが」
「良かった! 自分も好きなんですよ! 是非!」
真夜は分かっていたが、私はどうもお肉を食べると自分でも制御できなくなってしまう。
もう既に、食べたい自分を止められなくなっている。
靖国通り沿いのお店に入った。
「どんどん食べて下さいね!」
「川尻さん、ちょっと辞めた方が」
真夜が止めてくれる。
「大丈夫ですよ、遠慮なくどうぞ」
私が冷静さを取り戻した時、ヨシさんの顔が青ざめていた。
「あの、自分で払いますから」
「な、何言ってんですか! 自分が誘ったんですからね!」
ヨシさんが明るく笑ってカードで会計した。
60万円以上だった。
それからは、肉関係の食事は頑張ってお断りするようにした。
真夏の8月。
ヨシさんがまた私を見つけて声を掛けて来た。
「暑いですね! 冷たいものでも飲みませんか?」
「喜んで!」
ヨシさんは私が抱えていた荷物を持ってくれ、一緒に喫茶店に入った。
本格的なコーヒーを飲ませてくれる店だ。
タカさんと何度か入った。
ヨシさんは白の麻のスーツに白の火炎の柄のあるネクタイを締めていた。
「ヨシさんはお洒落ですよね」
「そんな! 石神さんには遠く及びませんよ」
「でも、カッコイイですよ?」
「とんでもない。実を言うと、石神さんに憧れて、石神さんの使うお店に出入りしているうちに、何となく。全部石神さんのお陰です」
「そうなんですか!」
他の人がタカさんの真似をしていると聞いたら、気分は良くなかっただろう。
でも、ヨシさんなら、逆に嬉しかった。
自分でも、どうしてそんな気持ちになるのかは分からなかった。
私はアイスコーヒーを注文した。
ヨシさんはかき氷にした。
「あ」
「?」
私も食べたかった。
でもヨシさんにご馳走になるのに、幾つも注文するのは気が退けた。
ヨシさんはそれに気付いたようだった。
「すいません、アイスコーヒーとかき氷の練乳と、亜紀さんは何にします?」
「え! あ、あの、私も練乳で」
「じゃあ、練乳を二つで」
ヨシさんが笑顔で注文した。
私は恥ずかしくなって下を向いた。
「子どもの頃からかき氷が大好きでしてね。特に練乳が好物で」
「私もです!」
二人で笑った。
「ヨシさんは結婚してないんですか?」
「え? ああ、自分なんてこんな男ですから。女性なんてとても」
「そんな! ヨシさんはカッコイイし、優しいし!」
「ありがとうございます。でもダメな男なんですよ。大体、ヤクザなんてね」
「そんなことありません! 少なくとも、私はヨシさんが大好きですよ!」
「はぁ、ありがとうございます」
まるでタカさんみたいだ。
でも、後から自分が言ってしまったことに気付いて、赤くなった。
「亜紀さんこそ、そんなにお綺麗なんだ。男たちが放っておかないでしょう」
「そんなこと。ほら、私ってこんなじゃないですか」
「こんな?」
「そう、辰巳組を皆殺しにしたり」
「ああ!」
「でも! ちょっとは違うって言って下さいよ!」
「ワハハハハハハ!」
ヨシさんが大笑いし、店の人がみんな見た。
「ちょっと、ヨシさん!」
「すいませんでした。そうです、亜紀さんは暴力的な人じゃありません」
「もう!」
私は自分の気持ちに気付いてしまった。
ヨシさんが好きだ。
でも、私はタカさんのものだ。
タカさんの方が好きだ。
それでも、ヨシさんも好きだった。
その日、自分でも動揺してしまい、タカさんに思い切り甘えた。
「なんだよ、今日はウゼぇな」
「タカさーん」
お風呂に一緒に入り、湯船でタカさんにいつも以上にくっついた。
「タカさん、私を貰って下さい」
タカさんが大きなオナラをした。
信じられないくらいに大きな泡が水面で弾け、臭かった。
「次は固体を出すからな」
「すいません」
9月。
そろそろ冬物が出揃うので、また伊勢丹へ行った。
ヨシさんがニコニコして出口で待っていた。
「ヨシさん!」
「亜紀さん、偶然ですね」
二人で笑った。
ヨシさんは、最近自分で開いたというカフェバーに連れて行ってくれた。
そんなに広くは無いが、お洒落なお店だった。
ヨシさんが鍵を開けた。
「あれ?」
「すいません、夕方からのオープンなので、今は誰もいなくて」
「え?」
「自分は何も作れませんが、お酒でしたら何とか。亜紀さんはイケる口でしょ?」
「まあ」
ヨシさんは笑って灯を付けて、カウンターに入ってジャックダニエルのロックを作ってくれた。
二人でカウンターに並んで座った。
いつもと雰囲気が違う。
誰もいない空間で、二人きりでお酒を飲んでいる。
「自分には弟がいましてね」
「そうなんですか!」
「結構年が離れてます。自分以上に気の弱い奴でして、まあ、それで余計に可愛くて」
「へぇー!」
まだ気温が高い。
店内はもちろん冷房が入っているが、運転を始めたばかりでまだ暑い。
氷で冷やされたバーボンが、また喉を通ると焼けるようだった。
「母親が違うんですよ。でも、気の弱さは親父の質なんですかね。もう二人とも」
「それは優しいってことですよ!」
「そう言ってもらえると」
「だって、あの時だって、ヨシさんは全然ビビってなかったですよ! 私、見てましたもん!」
「ああ、そうでしたね」
ヨシさんが嬉しそうに笑った。
「弟には真っ当な道を歩かせたかったんですけど。でも、何がどうなったか、あいつも極道になりやがって」
「そうなんですか」
「千万組ですから、まだ良かったんですが。どうも自分を追い掛けて来たようで、それがどうにも」
「いいじゃないですか。タカさんだって千万組のみなさんは大好きですよ」
「はぁ」
私も両親を喪った話をした。
話しているうちに、涙が零れて来た。
そんなに話すつもりは無かったのに、話し出すともう止まらなくなっていた。
ヨシさんは黙って聞いてくれ、私の涙を拭ってくれた。
二人で見詰め合った。
私はヨシさんに顔を近づけた。
「いけません。さあ、もう出ましょうか。自分も少し酔ってしまった」
「……」
ヨシさんは片づけもしないで私を外へ連れ出し、鍵だけかけてタクシーを捕まえてくれた。
「ヨシさん……」
「じゃあ、また。石神さんに宜しく御伝え下さい」
私は自分がしそうになったことに驚いていた。
私はタカさんが好きなのだ。
でも、だったらどうして。
それから、ヨシさんは絶対にお酒の店には誘わず、また二人きりの空間になるようなことも無かった。
私もあの日のことは表に出さず、ヨシさんと食事をし、喫茶店に入り、楽しく話した。
そして12月中旬。
大雨が降っていた。
私は学校から帰る途中でタカさんから連絡を受けた。
「亜紀ちゃん、ヨシが死んだそうだ」
「え!」
「交通事故だよ。あいつ、信号無視をして来たトラックに轢かれそうになった人を助けて死んだ」
「そんな! タカさん!」
「即死だったそうだ。伊勢丹の前だったらしいよ」
「タカさん! 「Ω」を使わせて下さい!」
「亜紀ちゃん、落ち着け! もう無理だ。ヨシは死んだんだ」
私はその場に泣き崩れた。
傘を放り出し、私はすぐにずぶ濡れになった。
落とした電話から、タカさんの叫ぶ声が聞こえた。
数分後、私はルーとハーに抱き着かれていた。
その後もしばらく泣いた。
タカさんはオペの寸前で来られなかったので、ルーとハーに連絡してくれたようだった。
ルーもハーも、一緒にずぶ濡れになってくれた。
その晩、帰って来たタカさんが話してくれた。
タカさんの部屋に呼ばれた。
「早乙女が詳しく聞いてくれたんだ。ヨシはな、横断歩道を渡っていた女子高生を突き飛ばして自分が轢かれたそうだよ」
「……」
「あいつは伊勢丹から出て来た所だったようだ。買い物の帰りだったらしいよ。クリスマスの包みを持ってた。その包は女子高生と一緒に前に投げてな。潰されたくなかったんだろう」
「……」
「遺留品だからまだ警察が保管しているけどな。女性ものの綺麗なマフラーだったそうだ」
「……」
タカさんが私を抱き締めてくれた。
助かった女の子は、私と同じ長い黒髪の子だったそうだ。
「カードがあった。亜紀ちゃんの名前が書いてあった」
「!」
私は大泣きしてタカさんに抱き着いた。
自分でもどうしようもなく、泣いた。
外の雨は一層強くなった。
滝のように降り注ぐ雨の音が、そのうち私には聞こえなくなった。
ただ、自分の泣き喚く声だけになった。
タカさんはずっと、私を抱き締めてくれた。
私はタカさんに頼んで、ヨシさんが死んだ場所へ連れて行ってもらった。
車を通りに止め、私だけ外に出た。
しばらく、一人で横断歩道を見詰めていた。
傘を差すことも忘れていた。
「亜紀ちゃん、帰ろう」
タカさんが私に傘を差し出して言った。
「はい。でも、タカさん、もうちょっとだけ」
「ああ、分かった。じゃあ車で待ってるから。早く来いよ」
「はい、すみません」
タカさんは傘を私に手渡して、離れて行った。
タカさんは激しい雨の中ですぐにずぶ濡れになった。
でも、私は動けないでいた。
タカさんはずっと私を待っていてくれた。
「もういいか?」
「はい」
「じゃあ、帰ろう」
「はい」
タカさんは明治通りを右折した。
「タカさん」
「ああ」
「私、ヨシさんが好きでした」
「いい男だったよな」
「はい」
タカさんが右手で私を抱き寄せてくれた。
そして、八木重吉の詩を教えてくれた。
《雨の音がきこえる 雨が降っていたのだ あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう 雨があがるようにしずかに死んでいこう》
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