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青森 ねぶた祭 Ⅱ

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 奈津江が死んだ一年後の夏。
 俺は卒業した弓道部の佐藤先輩から電話を受けた。

 「石神!」
 「佐藤先輩ですか! 驚いたな!」
 「お前、体調を壊したんだってな」
 「ああ、はい。もう大丈夫なんですけどね」
 
 佐藤先輩は二つ上の学年で、弓道部では俺たちを指導する年代だった。
 四年生は自由にやり、三年生は一年生の指導、二年生は一年生をしごきながら主に体育会的な「教育」を行なう。
 要はしごきだ。

 佐藤先輩は厳しく、そして何よりも優しい人で、俺の班の班長だった。
 各学年が10人ほどの班に分かれ、俺は佐藤先輩にとても可愛がっていただいた。
 奈津江とは別な班だったが、俺と奈津江は一緒に佐藤先輩にご馳走になったり、アパートに呼んでもらったこともある。
 俺たちが付き合っているのは、全員が知っていた。

 「紺野は亡くなったそうだな」

 電話でそう言われ、俺は返事が出来なかった。
 込み上げて来るものを抑えるのに必死だった。

 「おい、石神! 聞いているのか?」

 しばらく嗚咽を抑えながら、やっと返事をした。

 「佐藤先輩」
 「……」

 奈津江の話はもう出ず、佐藤先輩は自分のことを話された。
 今は郷里の県立高校で古典を教えているとのことだった。
 もうクラスの担任を任されており、毎日大変なのだと言った。

 「そうですか! 流石佐藤先輩ですね!」
 「いや、俺なんて何でもないよ。でもクラスの子どもたちが可愛くてなぁ」
 「へぇー!」

 今は夏休みで、時間が余っていると言う。
 俺に遊びに来ないかと言った。
 8月の初旬の週末に来いと。

 「分かりました。じゃあ、伺わせて頂きます」
 「おお! 楽しみだなぁ!」
 「はい!」

 俺は奈津江のことで鬱屈していた。
 それでいいとも思っていた。
 この苦しみを抱き続けることが、俺の唯一の慰めなのだと考えていた。

 その一方で、何とかしなければいけないと思う俺もいた。
 奈津江が俺に命をくれたのだ。
 俺がいつまでもウジウジしているわけには行かないと。

 だから佐藤先輩の誘いを有難く頂戴した。
 遠い青森に行き、懐かしい佐藤先輩とお会いしたかった。
 青森には木村もいる。
 久し振りに会えるかもしれない。




 青森空港に着くと、佐藤先輩が車で迎えに来てくれていた。

 「石神!」
 「佐藤先輩!」

 佐藤先輩に肩を叩かれた。
 身長は170センチほどで、横幅が凄い。
 逞しい身体に、太い眉。
 目は大きく、眉と相まって迫力のある顔だ。
 少し怖いが、綺麗な顔立ちだった。
 髪は角刈りで、昔のスター俳優のようなイケメンだった。

 「なんだ、大分痩せたな」
 「いえ、元気ですよ。佐藤先輩もお元気そうですね!」
 「まあな!」

 俺たちは車の中で懐かしく話し、佐藤先輩の家のある青森市内へ行った。
 ご両親に挨拶し、佐藤先輩の部屋へ伺った。
 大きなステレオ装置と数十枚のLPレコードが目に付く。
 それに古典の資料だろう本が沢山あった。 

 昼食にそうめんを頂き、佐藤先輩が市内を案内してくれた。
 知り合いが多く、いろいろな所で親しまれている佐藤先輩を見て、嬉しかった。
 やはり、優しい人なのだ。

 みんなに俺のことを「一番大事な後輩だ」と紹介してくれた。

 家に戻り、夕飯を頂いた。
 青森は魚介類が抜群に美味い。
 木村が卒業してすぐに結婚し、招待されたので知っている。
 刺身が山ほど出て、ご家族の方が俺にどんどん喰えと言ってくれた。

 風呂から上がると、佐藤先輩の部屋へ呼ばれた。
 覚悟は出来ている。
 佐藤先輩は大変な酒豪だ。
 俺も強い方だが、佐藤先輩が俺より先に潰れたことはない。
 酔い方は、明るくなり、豪快になり、最後は大笑いされる。
 楽しい酒だ。
 しかし、ほとんどの人間が付いて行けず、結局俺が最後まで付き合う羽目になった。
 だから、俺のことを可愛がってもくれたのだろう。

 日本酒の一升瓶がドンと置かれ、二人で畳の上に座る。
 足を崩せと言われるまでは正座だ。
 佐藤先輩はすぐに「足を崩せ! もう弓道部じゃねぇ」と言った。

 つまみは、夕飯の残り物を適当に大皿に盛っただけだ。
 先輩に勧められるまでは、手を付けてはいけない。

 「おい、石神もどんどん喰え」
 「はい!」

 佐藤先輩は苦笑いしていた。

 最初からコップに酒を注がれる。
 乾杯も無い。
 すぐにお互いに口を付け、飲み始める。

 「明日は木村も呼んでいるんだ」
 「本当ですか! 会いたかったんですよ!」
 「そうか。俺たちは地元が同じだから、時々会ってるんだよ」
 「先輩の酒に付き合うんじゃ、木村も大変でしょうね」
 「そんなことはねぇよ!」

 俺たちは笑った。

 「明日は、ねぶた祭の本祭なんだ」
 「そうなんですか!」
 「お前は見たこともないだろう?」
 「はい! でも勇壮でいい祭りですよね」
 「その通りだ」

 一升瓶がたちまち空き、佐藤先輩がまた一本抱えて戻って来た。
 最初に自分のグラスに注ぎ、俺に注いでくれる。
 そして、おもむろにステレオの電源を入れ、レコードを掛けた。
 「ジャズ・バー佐藤」の始まりだ。

 佐藤先輩はジャズが大好きだった。
 コルトレーンやハービーハンコックなどの古いジャズが特に好きで、俺もよく一緒に聴いた。
 酒を飲みながらになると、レコードが一枚終わるまでに、一升瓶を空けなければならない。
 朝方までに、10本を二人で空けたこともある。
 始発で帰ろうとし、そのまま佐藤先輩のアパートの階段下で潰れたこともある。
 昼過ぎに揺り起こされて、大笑いされた。

 佐藤先輩と、学生時代のいろいろな楽しい思い出を話した。
 二人でずっと、大笑いしていた。
 佐藤先輩の部屋は防音設備が万全で、だから騒いでも大丈夫だと言われた。

 4時間も一緒に楽しく飲んでいると、佐藤先輩が唐突に言った。

 「紺野のことは俺もショックだった」
 「!」

 泣き出しそうな俺は、佐藤先輩に叩かれる背中で、何とか耐えた。

 「お前と紺野は、本当にいいカップルだった。最高だった」

 佐藤先輩は俺の背中を叩きながら言った。

 「だけど、紺野は死に、お前はこうして生きている。それを忘れるな!」

 返事の出来ない俺に、佐藤先輩は「飲め」と言った。
 後輩に強制的に飲ませる、昔の佐藤先輩がそこにいた。
 俺は言われるままに、酒を煽った。

 奇しくもレコードから、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』が流れ出した。
 二人で目を合わせた。
 俺はもう泣くことは出来なかった。
 佐藤先輩の豪壮で温かい優しさに支えられた。

 「今日は徹底的に飲むぞ!」
 「はい!」






 明け方に俺は潰れた。
 何もかもが洗い流され、俺の中にはすっかり、何も残っていなかった。
 酒と笑い声で、俺は全てを喪い、そして何かが入って来た。
 
 佐藤先輩は俺を自分のベッドに横たえてくれた。
 薄目を開けて礼を言おうとしたが、何も出なかった。

 佐藤先輩はまた独りで飲み始めた。
 笑い声が俺の中に込み上げたが、やはり出て来なかった。

 まったく凄すぎる人だった。
 一升瓶が13本転がっていた。
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