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南原陽子 Ⅵ

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 翌朝、俺が陽子さんの朝食を作った。

 鰆の西京焼き。
 三つ葉入りの出汁巻き卵。
 シラスと豆腐のサラダ。
 ハマグリの吸い物。
 漬物。

 子どもたちはいつものようにウインナーなどを自分で焼く。

 陽子さんが起きて来た。
 着替えて化粧もしている。

 「わー、美味しそう!」
 「よく眠れましたか?」
 「うん! トラちゃんの家だからね」
 「そうですか」
 「うちもトラちゃんの家だからね!」
 「アハハハハハ!」

 陽子さんを席につかせた。

 「美味しー!」
 「ありがとうございます」
 「何日かいたら、太っちゃうね」
 「いいじゃないですか」
 
 「なんでみんな太らないの?」
 「ああ、こいつらは普段はふりかけだけですから」
 「えぇー!」
 
 「タカさん、今晩のお味噌汁は何か具を入れてもいいですか?」
 「ばかやろう! いつそんな贅沢を覚えた!」

 みんなが笑っている。

 「お前ら早く喰って、また空き缶拾いをして来い!」
 「「「「はーい!」」」」
 「早く行かなきゃ無くなっちゃうだろう!」
 「「「「アハハハハハハハ!」」」」

 陽子さんも笑った。
 



 食事を終え、コーヒーを飲んでいると左門が陽子さんを迎えに来た。

 「じゃあ、帰るね」
 「はい、また来て下さいね」
 「うん。トラちゃんも山口に来てね」
 「はい。奴隷たちも一緒でいいですか?」
 「もちろん!」
 「山口って、空き缶一杯落ちてます?」
 「アハハハハハ!」

 俺は門まで送った。
 リーが車の中で待っていた。
 俺は車が見えなくなるまで門の前で見送った。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 「お姉ちゃん、トラ兄さんに旦那さんのことは話したの?」
 「ううん。話さなかったよ」
 「そうか」
 「もう諦めてるから」
 「でも、そうしたら工場は……」
 「今働いてくれてる人たちで大丈夫だよ。何とかなるって」
 「トラ兄さんなら、何とかしてくれると思うんだけどな」
 
 陽子は微笑んだ。

 「トラちゃんに迷惑は掛けられないよ」
 「孝子さんと同じことを言うね」
 「そりゃね。トラちゃんが大好きだもの」

 「しかし義兄さんも白血病だなんて」
 「うん、仕方ないよ」
 「僕もいるからね!」
 「ありがとう」
 「陽子さん、僕も!」
 「ありがとう、リーちゃん」

 車は羽田に向かっている。

 「トラちゃんに会えて良かった」
 「そう」
 「うん。トラちゃん幸せそうだった」
 「そうだね」
 「あんなに子どもたちに慕われて。本当に楽しそうに笑うようになったね」
 「奈津江さんが亡くなって、孝子さんまで亡くなって。トラ兄さん辛そうだったもんね」
 「うん」

 左門はこれから夫を喪おうとしている姉を思った。

 「夕べね、トラちゃんが羽田空港までドライブに連れてってくれたの」
 「そうなんだ」
 「綺麗だった。奈津江さんとの思い出の場所なんだって」
 「そうかー」
 「あの二人の間には、ちょっと入れなかったな」
 「そうだね。本当にお互いに大好きだったもんね」
 「みんないなくなっちゃうんだね」
 「お姉ちゃんには僕たちがいるし、トラ兄さんだって」
 「ウフフフ、そうね」





  ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■





 その夜、左門が一人で俺を訪ねて来た。

 「トラ兄さん、ちょっと話しておきたいことがあるんだ」
 「ああ、上がれよ」

 俺は地下へ案内した。
 亜紀ちゃんにコーヒーを持って来てもらう。
 左門はいつになく緊張していた。

 「お姉ちゃんの旦那さんさ」
 「ああ」
 「白血病なんだ」
 「なんだって!」

 「あと1年くらいらしいよ。今も治療は続けているけど、あまり効果はない」

 左門は旦那さんが長崎の出身だと言った。
 恐らく、原爆の影響がある。
 今でも、長崎で多くの人を苦しめている。

 「なんでもっと早く俺に言わない!」
 「ごめん。だけど、お姉ちゃんがトラ兄さんには黙っていて欲しいって」
 「お前ぇ!」

 俺は左門の胸倉を掴んだ。
 左門は何も抵抗しなかった。

 「トラ兄さんに迷惑を掛けたくないって言ってたよ、さっきもさ。でも、僕は話すべきだと思って」
 「当たり前だぁ!」
 
 俺は左門を突き飛ばして座らせた。

 「トラ兄さんが知ったら、絶対にお姉ちゃんたちの世話をするに決まってる。だからだよ。でもさ」
 「当たり前だ、左門! 俺は陽子さんとお前には一生掛かっても返し切れない恩義がある。そう言っているだろう!」
 「うん、分かってるよ」
 
 俺は自分の部屋に戻り、「α」の粉末を袱紗に入れた。
 左門に渡す。

 「効くかどうかは分からん。でももしかしたら、と思う」
 「これは何なの?」
 「話せない。特別な薬だと思ってくれ」
 「それって……」

 「もちろん毒性はない。それは俺自身でも確かめている」
 「それはもちろん信用してるよ」
 「陽子さんの旦那に飲ませてくれ。お前が行ってくれるか?」
 「分かった。必ず飲ませるよ」
 「説明できなくて申し訳ないけどな。お前が何とか説得してくれ」
 「大丈夫だよ。お姉ちゃんも旦那さんも、トラ兄さんのことは信じているから」
 「治るかどうかも分からん。でも希望はある」
 「うん、分かった!」
 
 俺は左門の手を握った。

 「もしもだ。もしも旦那さんが亡くなったら、絶対に俺が何とかする」
 「それは、トラ兄さん……」
 「覚悟しろ。陽子さんもお前も、俺の兄弟なんだ。どんなに嫌がってもやるからな!」
 「アハハハ、分かったよ。ありがとう、トラ兄さん」




 翌日に、左門は山口に行ってくれた。
 その翌週、陽子さんから電話が来た。

 「トラちゃん! ありがとう! あの人が助かるって!」
 「それは良かった! 良かったですね!」
 「うん!」

 陽子さんはしばらく泣いて、何も話せなくなった。
 俺は黙って電話を耳に宛てて待った。

 「病院でね! 奇跡だって! もう血液状態は完全に普通になってるって! ねぇ、あの薬って何なの?」
 「それは左門にも言いましたが、お話し出来ないんですよ。副作用もないはずですが、何かあったら言って下さい」
 「うん! でも、私、トラちゃんにどうやって感謝すればいいのか」
 「そんなこと! 俺の方が感謝で一杯なんですから。俺のお袋を幸せにしてくれた陽子さんたちには、俺は何でもしますよ」
 「ダメよ! 私の方が感謝したいんだから!」
 「じゃあ、旦那さんが亡くなったら、俺と結婚して下さい」
 「アハハハハ! 分かった。絶対だよ!」
 「俺もまた絶対に助けますけどね!」
 「え! そうしたら私たち結婚出来ないじゃない!」
 「アハハハハハ!」

 陽子さんが絶対に山口に来てくれと言った。
 俺も必ず行くと約束した。

 「本当に待ってるから」
 「はい」
 「来なかったら家族全員で押し掛けるからね!」
 「それもいいですね!」
 「バカ!」

 俺たちは笑って電話を切った。




 「タカさん、誰からでした?」
 
 取り込んだ洗濯物を抱えた亜紀ちゃんが聞いて来た。

 「ああ、陽子さんだよ」
 「へー! なんですか?」
 「俺と結婚しようってさ」
 「なんだとー!」

 亜紀ちゃんが笑って言った。

 「あの人だけは油断がなりませんね!」
 「アハハハハハ!」

 俺は子どもたちには陽子さんの旦那さんの病気は話していない。

 「今度、山口に行こう。猛獣も連れてっていいらしいからな」
 「行きましょう!」
 「お袋の墓参りも随分と行ってないしな」
 「あー! 私たちも絶対に行きたいですー!」
 「そうか」

 亜紀ちゃんが洗濯物の束を俺の足の上に置く。

 「ほーら、これが亜紀ちゃんのパンツですよー!」
 「なんか色気がねぇな」
 「ハゥ!」

 伊勢丹に買い物に行くと言った。
 俺は、「じゃあ一緒に買いに行こう」と言った。

 亜紀ちゃんは、物凄いのを買うんだと燃えていた。
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