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「紅六花ビル」、再び Ⅳ

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 午前1時を回り、六花を寝かせて俺は一階に戻った。
 まだ飲んでいる連中がいる。

 「おい、お前らまだ飲んでんのか」
 「石神さん!」
 
 前と同じ、カフェバーをしているヒロミと店員のミカ、キッチ、ラク、それにハーという女だった。

 「ハーっていうのかよ!」
 「はい! お嬢さんと同じですみません」
 「いいよ! なんか親しみが湧くな!」
 「ありがとうございます!」
 「じゃあ、特別に明日、うちのハーとタイマンさせてやるよ」
 「死んじゃいますってぇ!」

 みんなで笑った。
 他の連中は潰れたか、帰ったようだ。

 「よしこはいつもよりも早かったな」
 「嬉しかったんですよ。総長と石神さんが来るっていうんで、もう前から楽しみでしょうがなかったみたいで」
 ヒロミが言った。

 「そうか」
 「よしこは、特に石神さんに感謝してて。ほら、「暁園」でいろいろして下さったじゃないですか」
 「ああ」
 「よしこは前からあそこに一生懸命だったんです。あんな可愛い子らを、絶対に幸せにするんだって」
 「いい奴だよな」
 「はい! でも、あたしら学がないから、どうやってあの子らをっていつも考えてました」
 「そうか」
 「石神さんをご案内しようって、よしこが言い出したんですよ。みんなご迷惑だって言ったんですけどね」

 俺にはその光景が目に浮かぶようだった。
 優しいよしこが、子どもたちのために、なりふり構わず何でもしようと思ったのだろう。

 「そうしたら、石神さんが子どもらをすぐに夢中にさせてくれて。あの子らがあんなに明るく笑うのは初めてでした」
 「何言ってる。お前らもいろいろやったんだろうよ」
 「まあ、やりはしましたけどね。でも、石神さんがいらしてくれてから、子どもたちが本当に元気で。勉強もどんどんやるし、手伝いなんかも」

 ヒロミが夢中で話す。



 「こないだよしこに聞いたんだけどよ。ああ、あいつしょっちゅう俺に電話してきて、「暁園」がどうなってるって報告してくんだよ。まったくなぁ」
 みんなが笑った。

 「それでさ。竹流が何か手伝いたいと言って来たと相談されたんだよな。何をさせたらいいかってさ。俺はお前らが何をやってるのかと聞いたんだ。まあ、本当にいろいろやってるよなぁ!」
 「アハハハハ」

 「その中で、「紫苑六花公園」の掃除はお前らがやってると聞いてな。そこをやらせたらどうかって言ったんだ」
 「はい」

 「よしこは、あそこは広いからと言ったんだけどよ。じゃあ、お前らも一緒にやればいいじゃないかってな」
 「なるほど!」
 「なんか、お前らは竹流一人にやらせてやろうと思ってるみたいだけどな。別にいいじゃねぇか。お前らの仲間として、堂々と一緒にやればいいと、俺は思うぞ?」
 「ハッ! そうですね! あたしらは、竹流に独りでやった達成感みたいなのを上げたかったんですけど。でも言われてみりゃそうか。仲間ですよね!」
 「そうだろうよ」
 
 「明日、よしこに話してみます」
 「そうか」

 「みんなは分かってるみたいだけどな。掃除っていうのはいいものだ。心が鬱屈している人間の多くは、部屋が汚れている。だから、部屋の掃除をやらせると、心が大変化するっていうのがあるんだよ」
 「へぇー、そうなんですか。でも、あたしらも掃除をするのは気持ちいですね」
 「そうだろ?」

 俺は中学の時にロケットを自作した話をした。
 それは大失敗どころか、危うく若い女性を殺してしまうところだった。

 ヒロミたちは大爆笑で俺の話を聞いた。

 「それでな。そのあとで、砂田さんの家の庭を掃除させてもらうように頼んだんだ」
 「へぇー!」

 「毎週土曜日の午後にな。学校が午前中に終わるから。ああ、その当時は日曜だけが休みだったからな」
 「そうなんですね」



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 「石神くん、別にもういいから」
 「いいえ! 窓ガラスは割っちゃったし、柱だって傷つけたし。すいません、うちって貧乏で弁償ができなくって」
 「いいのよ。別にそんな高いものじゃないんだから」
 「でも、お袋にそう言っちゃったんですよー」
 「え?」
 「俺が毎週掃除することで、弁償はナシにしてもらったって」
 「そうなの?」

 嘘だった。

 「そうなんです! もしもそうじゃなきゃ、お袋はどんな無理したって弁償します! でも、そうしたらうちは……」
 「分かったよ、石神くん! じゃあ、しばらく掃除してもらおうかな」
 「ありがとう! 小百合さん!」
 「ウフフフ、よろしくね」
 「やっぱ、小百合さんって吉永小百合みたいだ!」
 「え?」
 「ほら、美人で、それでいてすごく優しい!」
 「何言ってるの!」

 まあ、嘘ではなく、本当に小百合さんは綺麗な人だった。
 それに上品で優しい。




 毎週箒と塵取りをお借りして、庭の掃除を始めた。
 俺と矢田が作ったロケットは、小百合さんの頭上の柱に突き刺さった。 
 もうちょっと下だったら、ピアノを弾いていた小百合さんの頭部にめり込んでいただろう。
 俺も考えただけで恐ろしくなった。
 本当に申し訳ないと思った。

 掃除は、いつまでと決めていなかった。
 俺はずっとやらなければ申し訳ないと思っていた。

 

 最初は挨拶して道具を借りて、ゴミを捨ててまた声を掛けて帰る。
 大体30分くらいのことだった。
 庭の落ち葉を掃いて捨て、玄関の砂埃などを掃いて捨てる。
 その程度のこと。

 でも、そのうちに自分が綺麗にした庭が気になって来る。
 雑草を抜き始め、玄関の戸を拭くようになった。
 1時間くらいになった。

 綺麗になっていき、俺は縁側のガラス戸も拭こうと思った。
 バケツと雑巾を抱えて拭き始めた。
 小百合さんが縁側を通りかかり、びっくりされた。

 「トラちゃん、こっちもやってるの?」
 
 小百合さんは俺のことを「トラちゃん」と呼ぶようになっていた。

 「はい! なんか綺麗にしたくて!」
 
 小百合さんが笑った。

 「もう! じゃあ後で御菓子をあげる」
 「ほんとですかぁ!」

 その日、俺は初めて家の中に上げて頂き、座敷でお茶とクッキーを頂いた。

 「トラちゃんは音楽が好きなの?」
 「はい!」

 俺は静馬くんにクラシックの良さを教わり、小学校で本多先生にとても親切にしていただいた話をした。

 小百合さんは静馬くんの話に泣き、本田先生の愛情に感動してくれた。
 俺に良かったらと、ピアノを聴かせてくれた。

 それから毎週、掃除が終わるとお茶とお菓子をごちそうしてくれるようになった。
 小百合さんとは、いろんな話をした。

 

 「え! トラちゃんってギターが弾けるの!」
 
 俺は中学校の合奏団に選ばれた話をし、そこから後輩にギターを教えた話をした。

 「まあ、小学校からやってましたけど」
 「聴かせてよ!」
 「えー、はずかしーしー!」

 小百合さんはどうしても聴きたいと言い、翌週ギターを抱えて行った。
 掃除を終えて、小百合さんの前でギターを弾いた。

 「すごく上手いじゃない!」
 「やー、エヘヘヘ」
 「トラちゃん、本当にスゴイよ!」
 「そんなー」

 小百合さんはとても感動してくれ、晩にも来て欲しいと言われた。

 俺はまたギターを抱えて伺った。
 小百合さんのお父さんがいた。
 二人の前でまた弾いた。
 二人が大変喜んでくれた。
 夕飯を用意したと言われ、ありがたく頂いた。

 俺が中学三年の12月のことだ。
 豪華なすき焼きをご馳走になった。
 美味かった。


 「石神くん、これまで庭や窓の掃除を本当にありがとう」
 お父さんが言った。

 「いえ! 俺がやったことは絶対に許されないことです! これからも頑張ります!」
 「ううん、トラちゃん。もういいの。本当に綺麗にしてもらってた。お父さんも私も嬉しかった」
 「そんな! これからお庭の椿とか葉が落ちるし、2月くらいから雑草だって伸び始めるし」
 「ウフフフ、うちの庭のことをよく分かってるのね」

 小百合さんが笑った。

 「でもね、トラちゃん。本当にもういいの。来年はトラちゃんも高校生でしょ? それに今は受験勉強だって」
 「受験は大丈夫ですよ! 俺、学校でも模試でも一番だし!」
 「え! ああ」
 お二人が笑った。

 「今日はね、トラちゃんにお礼がしたくて呼んだの。だからこれでお仕舞。今までありがとうございました」
 「小百合さん……」

 小百合さんは、隣の部屋から大きな薄い袋を持って来た。

 「これはね、お父さんと私から。ショパンのレコードなんだ。トラちゃん、クラシックが好きだって言ってたから。私の大好きなホロビッツだよ」
 
 俺は中身を見て、大泣きした。
 俺が罪滅ぼしでやらせてもらっていただけなのに、お二人はこんなにも俺に優しくしてくれる。

 「トラちゃん、元気でね。勉強頑張ってね」
 「はい!」
 
 俺はレコードを抱きかかえてまた泣いた。

 「あの!」
 「なーに?」

 「俺、新品のレコードって初めてです」

 お二人が笑った。

 「大事にします!」
 「うん、そうして」

 俺はレコードを両手で持ち、最後に玄関に置いてある箒と塵取りに挨拶した。

 「元気でな! ホウタロウ! チリ子!」
 「え、名前つけてたの!」
 「はい! カワイイ相棒たちでしたから!」






 お二人が爆笑した。
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