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世界が、そして俺がお前を愛す

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 俺はサザンオールスターズの『夏をあきらめて』を歌った。
 響子がうっとりと聴いていた。

 「タカトラの歌が好き」
 「そうか」
 「優しい。それでカッコイイ」
 「ああ、確かに俺だな!」
 「アハハハハ!」

 響子が嬉しそうに笑った。

 「タカトラはなんで私にそんなに優しいの?」
 「なんだよ、さっきも言っただろう。俺が響子にメロメロだからだよ」
 響子が俺をじっと見ている。

 「うん」

 小さく前を見て笑った。




 三浦海岸に着いた。
 俺は車から毛布とトートバッグを出し、響子を抱えた。

 「タカトラ、歩けるよ」
 「ダメだ! お前の抜群のスタイルの身体を一杯触らせろ!」
 「アハハハハハ!」

 肩に毛布を担いだが、響子が俺の頭に毛布を巻こうとする。

 「やめろ。カッチョイイ髪型が乱れるだろう」
 「はーい」

 散歩に来ていたらしいカップルが、俺たちを見ていた。
 女性が彼氏に何かを頼んでいた。
 
 「無理だよ! あんなに強そうな身体じゃないんだ」
 「もう!」

 俺と響子が笑った。

 「世界最高カップルだな、俺たちは」
 「うん!」

 前に来た、水色の海岸の店に着いた。
 ポケットから鍵を出し、中へ入った。
 ソファの白いカバーを取り、響子を座らせる。
 そのまま担いで、響子を窓辺に移動させた。

 「強い彼氏ね!」
 「な!」

 二人で笑った。

 広い窓から、海が見える。
 響子を寝かせると、もう俺の座るスペースは無かった。
 響子も成長したのだ。

 俺は魔法瓶から紅茶をカップに注いで、響子に渡した。

 「飲んだら少し寝ろよ」
 「うん」
  
 響子はゆっくりとカップの紅茶を飲んだ。

 「こないだタカトラがバイクに乗せてくれた」
 「ああ、ハーレー・響子スペシャルな」
 「アハハハ。あの後でね、六花が言ったの」
 「ああ」
 「「これでまた私たちの夢が一歩進みましたね」って」
 「そうだな」
 「「石神先生は、本当に素晴らしいのです」って」
 「そうか」

 響子が俺を見た。

 「でもね。それ以上は無理。私は死ぬまでバイクに乗れない」
 
 悲しそうな顔でそう言った。
 俺はしゃがんで響子の額を撫でた。

 「無理な戦いを諦めない女がいた」
 「!」
 「諦めるな、響子。俺たちは向かい続ける。それでいい」
 「……」

 「到達できるかどうかはどうでもいい。俺たちは向かい続けるぞ」
 「うん!」

 響子が涙を滲ませた。

 「今な。蓮花の研究所で自動操縦の研究をしている。ヘッドマウントディスプレイで車や機械を操縦する技術だ。蓮花は趣味で動物走行ロボットなんか作ってるけどな。本来は自動人形の専門家なんだ。他にもいろいろ専門はあるけどな」
 「そうなんだ」

 デュール・ゲリエに関しては、いずれ機械工学を専攻したレイにも手伝って貰おうと思っていた。
 今はその話はしない。

 「今回三輪のバイクを買った。それで、足で自立させないでもいいマシンがあると分かった。大きな成果だ」
 「それって!」
 「公道を走れるようになるには、技術的な面もそうだけど、法律的な面で乗り越えなければならない壁もある。でもな、俺たちは諦めない」
 「タカトラ……」

 「響子、お前がここで俺たちにくれた夢だ。六花は泣きながら言っていた。「いつか本当にそんな日が」と。俺はあいつの涙のためにもやるぞ。絶対に諦めない!」
 「うん、私も」

 響子が涙を流した。

 「お前がセグウェイに乗ってさ。俺のマシンに次に乗った。そしてハーレーにも乗った。少しずつだけど、俺たちは夢に近づいている」
 「うん!」

 「さあ、少し眠れ」
 「タカトラ、ここに座って」
 「狭いだろう」
 「平気」
 「そうか」

 俺は響子の頭を持ち上げて、俺の腿に乗せた。
 大分姿勢は厳しい。

 「タカトラの匂いがする」
 「オチンチンの匂いだろう」
 「もう!」
 腿をはたかれた。

 そのうちに響子が眠った。
 今日は大分多く食べた。
 消化のための休息を身体が欲している。

 俺はそっとソファを抜け出し、響子の頭にタオルを巻いた枕替わりのものを挿し込んだ。
 そっと前髪を上げると、響子が微笑んだ。
 
 ソファの傍に椅子を持って来て、座った。
 響子の寝顔は可愛らしいが、段々と、美しさが勝って来た。
 「女」になっていく。
 俺は静かに響子と海を見ていた。

 波の音が幽かに響いて来る。
 世界は絶え間なく動いている。
 世界は死ぬことはない。
 だが、その中で常に死にゆく者がある。
 
 それが世界だ。

 響きとは、死と生のことだ。
 波はうねり、形を変えながらやがて消える。
 そして次の波がまたうねり始め、それも終わる。

 俺がどんなに響子を求めても、いつか響子は終わる。
 俺も終わる。

 世界は響子と俺の死を内包しながら、永遠に生きる。

 俺たちの生は、永遠の世界の中でほんの一瞬だ。
 いずれ誰の記憶からも消え、俺たちは本当に消え去る。

 だから響子。
 俺たちは笑おう。
 消え去る運命の中で笑おう。
 俺たちは一瞬の生の中で笑って生きるのだ。

 

 《されど汝は生まれせし。清澄なるその日のために… ( Doch du, du bist zum klaren Tag geboren.) 》
 フリードリッヒ・ヘルダーリン『エンペドクレスの死』より



 死が、俺たちを永遠に誘う。
 だから、響子。
 今を笑おう。
 そしていつか、永遠を生きよう。
 その中で、笑った日々を思い出そう。
 二人で。



 響子がモゾモゾし始めた。
 カワイイ。
 目を開け、俺が枕元にいないことに気付く。

 「あー」
 「目が覚めたか?」
 「なんでタカトラがいないのー!」
 「ウンコしたくて」
 「もう!」
 「お前の顔の前でやって良かったのかよ」
 「いいよ」

 俺は笑ってウェットティッシュで響子の顔を拭った。
 響子は自分で柔らかなタオルで顔を拭く。
 髪を梳いてやり、響子にまた紅茶を注ぐ。

 「気分はどうだ?」
 「うん、大丈夫」

 二人でソファに座り、海を眺めた。

 「さっき水玉のゾウが通ったぞ」
 「ウフフフ」
 「響子をじっと見てた」
 「今度は起こして」
 「分かった」
 「ウフフフ」

 俺は響子のカップを椅子に置き、響子の肩を抱き寄せた。
 響子と波を見ていた。

 「シオリは赤ちゃんが生まれるね」
 「ああ、来年の2月の予定だ」
 「じゃあ、もうタカトラは大丈夫ね」
 「何がだ?」
 「もう、赤ちゃんがいるもの」

 俺は響子の額にキスをした。

 「お前がいればな」
 「タカトラ……」
 「お前がいなきゃダメだ。俺はお前を愛している」
 「……」
 「響子、いつか結婚しよう。俺が結婚するのはお前だけだ」
 「!」
 「そして、子どもを沢山作ろう。きっと俺たちの子は最高にカワイイぞ」
 「タカトラ……」

 俺は響子にキスをした。

 「タカトラ」
 「なんだ」
 「死にたくないよー」

 響子が俺に抱き着いた。
 響子がいつも抱えている最大の不安。
 いつ死ぬかもわからない弱り切った身体。
 口には出さないが、響子は常にその影に怯えている。

 「響子、俺も六花も必死に頑張っている」
 「うん、知ってる」

 響子が俺の胸に顔を埋めて言った。

 「お前も頑張っている。俺の子どもたちも、栞も鷹も院長も他のみんなも、全員お前に死んで欲しくはない」
 「うん」
 「だからお前も諦めるな。俺も絶対に諦めない」

 「うん、分かった、タカトラ」

 俺たちは長いキスをした。




 帰りの車の中で、響子が語った。

 「さっきね、夢を見たの」
 「そうか」
 「広い道をね。タカトラと六花と私で走ってるの」
 「いつか必ずな!」
 「うん。でもね、六花が泣いてた」
 「そうか。きっと嬉しくてしょうがなかったんだろう」
 「そうだね」

 「俺たちの夢の一つだ」
 「うん、でも一番の夢は?」

 「もちろん、響子と子どもたちと幸せに暮らすことだ」

 響子が泣き出した。

 「なんだよ、響子はそうじゃないのか?」
 「そうだよー!」

 俺は左手で響子の頭を撫でた。




 病院では六花が待っていた。
 今日は遠くまで出掛けたので、特別な許可を得て一晩響子の傍にいることになっている。
 響子は六花と一緒にいられるのが嬉しいようだった。

 「ただいまー!」
 「お帰り、響子。楽しかった?」
 「うん!」

 響子はシャワーを浴びに行った。

 「六花、後は頼むな」
 「はい! 響子は変わりないですか?」
 「ああ。ちょっと昼を一杯食べたけどな」
 「楽しかったんでしょうね」
 「そうだな」

 六花は響子の寝間着を用意した。

 「響子が、俺たち三人でバイクで走る夢をまた見たようだ」
 「!」
 
 六花が俺を見詰めている。

 「響子の予知夢でしょうか?」
 「分からんさ。響子が眠る前にバイクの話もしたしな」
 「そうですか」
 「お前が泣いていたってさ」
 「え?」
 「嬉しくて泣いていたんだろうと言っておいた」
 「そうですか。でも、本当に泣いちゃうでしょうね」
 「そうか」

 響子が出てきた。
 裸のままだ。
 六花が笑ってバスタオルで拭いて行く。

 「じゃあな、響子。俺はそろそろ帰るよ」
 「うん! タカトラ、今日はありがとう!」
 「ああ、また行こうな。今度はバイクで、もうちょっと近くへな」
 「うん! 楽しみ!」

 俺は笑って響子と六花にキスをした。





 また今度、いつの日か。
 人は、そう思って生きている。
 俺たちはそこへ向かい続けるしかない。




 いつか、その幸せな夢が終わるとしても。
 それを知っても、尚。

 俺たちは向かい続ける。 
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