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クチナシの花

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 キャンプから戻った土曜日の夕方。
 栞が遊びに来て、みんなで夕飯を食べた。
 散々肉を喰ったので、海鮮ピラフとラザニアにした。
 それと湯豆腐。
 肉食獣たちの薬味はステーキだ。
 だから、比較的普通のご家庭の夕食の雰囲気になった。
 俺たちも成長している。
 ステーキは薬味だ。
 別々に喰ってはいるが。


 「亜蘭ちゃん、ヘンな笑い方してたね」

 ハーが言った。
 亜蘭は結局目を覚まさなかった。
 リュックから鍵を取り出し、ベッドに運んでそのまま寝かせた。
 ルーとハーが亜蘭の頬にチューをした。

 「亜蘭ちゃん、がんばったね!」
 「ぐっすり寝てね!」

 「ニョーホホホホホ! にゃほふー」」

 「さー! 帰ろう!」

 俺が呆然とする双子を担ぐようにして部屋を出た。
 鍵を掛け、新聞受けに落した。

 
 「まあ、疲れている時には、よくああいう笑い方をするもんだ」
 「そーなんだー!」

 ハーが驚いて納得した。

 「俺は外科医だからな。ああいうのはよく見てる」
 「へぇー!」

 初めて見た。




 栞と一緒に風呂に入った。

 「少しお腹が目立って来たか」
 「うん。順調だね」
 「まだ気を付けろよな」
 「分かってるよ」

 栞が幸せそうに笑った。

 「オッパイが出たら飲ませてあげるね!」
 「い、いらねぇ!」

 ちょっと想像した。
 石動のコレクションで、そういうのがあった。
 楽しみだ。

 風呂から上がり、今日はウッドデッキで飲んだ。
 亜紀ちゃんと柳も急いで風呂から上がって来て合流した。
 栞はミルクセーキを飲む。
 常温だ。

 俺と亜紀ちゃんはワイルドターキーをロックで飲み、柳は六花が好きなハイネケンを飲んだ。
 まあ、幾らでも置いてあるので大丈夫だ。

 ひとしきりキャンプの話を栞にする。
 全員が毛皮だったと言うと笑っていた。

 「私もまた行きたいなー」
 「マジかよ!」
 「うん。楽しいよ?」
 「士王は俺が預かるからな」
 「えー!」
 
 亜紀ちゃんがジェイたちのキャンプの話をした。

 「マンモスの角をオチンチンに付けたんですよ!」
 「エェー! でもよくマンモスの角なんかあったね?」
 「はい。隣の庭で温泉を作って。その時に掘ってたら出てきたんです」
 「え、聞いてないよ!」

 栞がちょっと怒った。

 「いろいろ出てきたんですよ? 小判とか」
 「へぇー! 私も掘りたかったな」
 
 小判を乾さんの土地から掘り出したことにしたと話したら、栞が爆笑した。

 「石神くんは、いつも楽しいよね!」

 みんなで笑った。




 「うちの庭も掘って見ましょうか?」
 亜紀ちゃんが言う。

 「よせ! もういろいろ大事なものを地上に置いてんだからな!」
 「あー。そう言えば、うちの庭って結構木とかが多いですよね?」
 「そうだ。俺が全部決めて植えたんだ」
 「季節の花も綺麗ですよね!」
 「そうだろう。俺の好きな植物を集めたからな」
 「一番は竜胆ですね」
 「そうだな」

 「私、初夏の頃のクチナシが好きです!」

 柳が言った。
 俺は近寄って頭を撫でてやる。

 「そうか、柳はあの匂いが好きか」
 「はい!」
 「私も好きですよ!」
 「わ、私も!」

 亜紀ちゃんが言い、栞が追従した。
 笑って二人の頭を撫でてやる。

 「あの香りはいいよなぁ。俺が一番好きな匂いなんだ」
 「そうなんですか!」

 亜紀ちゃんが俺を見ている。

 「じゃー、今日はそのお話で」
 「なんだよ!」
 「あるんでしょ?」
 「まーな」

 三人がニコニコ笑って俺を見ていた。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 俺は小学二年生の時に、突然の大病で死に掛けた。
 なんとか助かってから、毎月40度以上の熱を出すようになり、その後も何度か死にそうになった。

 小学三年生の5月頃か。
 また夕方から高熱を出し、お袋が細い身体で俺をおぶって病院へ行った。
 2キロ近くの距離だったと思う。
 まだ横浜の市営住宅に住んでいた頃だ。

 原因はいつも不明だが、解熱剤を処方され、熱は幾分引いた。
 お袋はまた俺をおぶろうとしたが、俺が大丈夫だと言った。
 
 「ゆっくり歩いて帰ろう」
 「大丈夫なの?」
 「大丈夫だよ!」

 フラついていたが、お袋の疲弊を見て、俺は堪らなかった。
 それに、お袋と手を繋いで歩けるのが嬉しかった。
 歩いていると息が上がる。
 だから、俺は立ち止まってお袋に話し掛け、悟られないように休んだ。

 「ちょっとここのお地蔵さんに挨拶するから待ってて!」
 「分かった」

 「あそこが柏木の家なんだ。実と仲が良くってさ」
 「へぇ」

 「ここの団地で遊んでたら怒られた。遊び場は、ここの団地の子のものなんだって」
 「そうなの」

 お袋は俺が立ち止まって話すことに、いちいち頷いて聞いてくれた。
 優しい人だった。
 俺が休んでいることも、きっと分かっていたに違いない。
 俺の心を汲んでくれていた。

 きつい上り坂があった。
 市営住宅は、その上にある。

 その手前で、俺は喉がかわいたので一休みしようと言った。
 夜の8時くらいで、もう誰も歩いていないような土地だった。
 俺は工事中の更地の中に入り、水道で喉を潤した。

 「高虎は、どこに何があるのかよく知ってるのね」
 「うん!」

 お袋に褒められたのが嬉しかった。
 お袋にもここの水は美味いのだと言って飲ませた。

 「あ、本当に美味しいね」

 ニッコリと笑ってくれた。

 広い道路があったが、途中に見るべきものもない。
 細い道路の方を選んで歩いた。
 途中にある、「刈谷」さんの家が、俺のお気に入りだった。
 平屋の洋風の家で、夜は特に雰囲気がある。
 門柱の上の大きな白いライトが幻想的で素敵だった。
 休みながら、俺はそこが好きなのだと言った。

 「素敵なお宅ね」
 「いつかお袋に住まわせてやるよ!」
 「ほんとう!」

 お袋が喜んだ。
 風が吹き、いい香りがした。

 「あ! なんだこれ?」
 「クチナシの匂いね」
 「クチナシって言うんだ!」
 「うん、ほらあそこの木」

 お袋が指さした。

 「私もこの香りが大好き」
 「そうだよな!」

 しばらく二人で匂いを味わった。

 「じゃあ、俺が庭にクチナシを植えるよ!」
 「楽しみね」




 その晩、一段と熱が上がり、解熱剤も効かなかった。
 お袋が俺の額に濡らしたタオルを置き、一晩中それを替えてくれた。
 氷枕があったが、氷は少量だけだった。
 うちの冷蔵庫はほとんど氷ができなかった。
 お袋は夜中に近所に頭を下げ、少しの氷を分けてもらって来た。
 それも、すぐに俺の高熱で溶けた。

 それ以上のことは何も出来なかった。



 朝方に、ようやく熱が少し下がった。
 お袋の看病のお陰だ。
 39度程度に下がり、一先ず峠を越えた。
 お袋が家を出て行ったのを、うとうとしながら感じた。


 次に目が覚めると、いい匂いがした。
 枕元のお袋を見た。
 疲れて座ったままで眠っていた。
 俺はお袋を起こさないようにそっと布団を抜け出し、トイレに行こうとした。
 俺の枕の上に、皿に浸されたクチナシの枝があった。

 「どうして?」

 思わず呟き、お袋が目を覚ました。

 「ああ、身体はどう?」
 「うん、大分いいよ」
 「夕べは高虎を歩かせちゃったからね」
 「そんなこと! お袋と一緒で楽しかったよ」

 お袋が優しく笑った。

 「これ、クチナシの花だろ?」
 「うん。高虎が好きだって言ってたから、刈谷さんのお宅に行って、譲ってもらったの」
 「そうなのか!」
 「刈谷さんのお宅が素敵で、高虎が大好きなんだって言ったら喜んでたよ」
 「そうかー!」
 「夕べ、クチナシの花の香りを二人でしばらく味わったって話したらね、譲ってくれたの」
 「へぇー!」
 「お前が熱を出してるって言ったらね。すぐに鋏で切ってくれて。いい方だったよ」
 「じゃあ、治ったらお礼に行くよ」
 「うん」

 俺はトイレに行き、また寝た。
 本当にいい匂いがして嬉しかった。

 「いい匂いだね」
 「うん!」

 その日、俺たちは何度もそう言い合った。



 クチナシは、開花中の剪定は木を傷める。
 お袋は無理を言って譲ってもらったのだろう。
 自分が俺を歩かせてしまったために、俺が高熱を出したと思った。
 そんなことはない。
 俺が弱かっただけだ。

 

 その後、俺は近所のクチナシのある場所を探し回った。
 3カ所しか見つからなかったが、順番にお袋を案内した。
 全て夜だ。

 お袋と手を繋いで、楽しく歩いた。
 俺が出来る、せめてものことだった。





 お袋は、幸せそうに笑ってくれた。
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