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諸見のスケッチ

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 乾さんの店に行った翌日。
 東雲から連絡が来た。

 「おう、昨日は御苦労だったな!」
 「いえ、とんでもありません」
 「話は付けたから、あとは宜しくな」
 「はい。埋めた百枚はすぐに掘り出します」

 埋めたのは100枚だけだ。
 面倒なんで、残りは最初から洗って木箱に詰めてある。
 東雲が適当に写真を撮りながら、掘り出したように見せかけるはずだ。
 数日後には、しかるべき場所に保管し、俺が手配した弁護士が宜しくやる。

 東雲たちには、乾さんの店の拡張を優先してもらい、うちは後回しにさせた。
 真面目でいい腕を持っていた連中だからだ。
 うちなんかはいつでもいい。

 「それで、ちょっとご相談があるんですが」
 「なんだ?」
 「諸見のことなんです」
 「諸見?」

 東雲は、諸見がレイの死を知ってから元気が無いのだと言った。
 口には出さなかったが、諸見はレイがいると、よく見詰めていた。
 惚れていたのかもしれない。

 「仕事はちゃんとやるんです。ですが、あいつ、いつも以上に無口になっちまって。レイさんが亡くなったことを聞いてからなんですよ」
 「そうか」
 「すいません。本来、自分が何とかしなきゃいけないんですが」
 「いいよ。お前には苦労ばっかりかけるな」
 「とんでもありません。でも、諸見が可哀そうで」
 「そうだな。分かった、俺が話してみるよ」
 「本当に申し訳ありません」

 電話を切った。
 レイの死は黙っていれば良かったのかもしれん。
 だが、俺は知ってもいい人間には全員に知らせた。
 俺たちの大事な人間が死んだのだ。
 みんな、祈りたいだろう。


 



 俺はすぐに改造シボレー・コルベットに乗り、東雲たちが仮住まいしている横浜のアパートへ向かった。
 連絡はしない。
 諸見は電話を持っていない。
 知り合いもいないので必要無いと言っていた。
 諸見は遊びに行かない。
 家にいるはずだ。

 チャイムを押すと、諸見が出て来た。
 短パンに下着の上を着て出て来た。
 
 「てめぇ! なんて格好で俺の前に出て来やがる!」
 「す、すいません!」

 俺は勝手に入った。
 二間の部屋だが、綺麗に片付いている。
 エアコンを入れてない。
 諸見は俺が与えた部屋だから綺麗に使い、俺が払うから電気代を節約しようとしている。
 まったくバカな男だ。

 俺はエアコンを入れた。
 着替えている諸見に言った。

 「諸見、命令だ」
 「はい!」
 「25度以上の時には、必ずエアコンを入れろ」
 「はい?」
 「お前の汗臭さが部屋にうつったらどうすんだぁ!」
 「すみません!」

 諸見は本を読んでいたようだ。
 俺が貸したカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』が丁寧にカバーを掛けて置いてあった。

 「おい、出掛けるぞ」
 「は、はい!」
 
 俺が外に出ると、エンジン音で気付いたか、東雲が出ていた。
 何も言わず、俺に頭を下げていた。





 「あの、どちらへ?」
 「メシだメシ! お前痩せちまってるじゃねぇか!」
 「いえ、そんな」
 「全然うちにいた頃と違うぞ! なんだ東雲にいじめられてんのか? じゃあ俺がとっちめてやる」
 「そうじゃありませんから! 自分がちょっと食欲がなくて」
 「ほら! やっぱりお前喰ってねぇじゃんかぁ!」
 「すいません」

 中華街の近くの駐車場に車を入れる。
 また陳さんの店だ。
 まあ、何度食べても美味い。

 「トラちゃん!」
 「エヘヘヘ、また来ちゃいました」
 「大歓迎よ! どうぞ中へ入って」
 
 俺たちは個室へ通された。
 俺はコースではなく、メニューを見て8品ほど注文した。
 順番は構わないから、どんどん持って来て欲しいと言う。

 諸見は喋らない男だ。
 俺が工事の様子などを聞きながら食事を勧めた。

 「本はどうだよ」
 「はい。とても感動しました。実は三回目を読んでるんです」
 「なんだ、そうなのか。じゃあ今度別なものを持って来てやるよ」
 「ありがとうございます」

 「そんなに感動したのか」
 「はい。自分はそんなに本を知らないのですが、最高の本だと思いました」
 「そうか」

 諸見は俺が喰えと言うと、大人しく食べた。
 言わなければ、そのままだった。

 「主人公はずっと片思いだったな」
 「はい」
 「お前はそれを可哀そうに思うか?」
 「いえ。立派な人だと」
 「そうか」

 諸見は俯いている。

 「お前、レイが好きだったか」

 諸見が俺を見た。

 「いいえ、自分なんかは」
 「お前が惚れたっていいだろう」
 「いえ、石神さんの女ですから」
 
 「ばかやろう! レイは誰のものでもねぇ! レイはレイだぁ!」

 諸見が驚いて立ち上がり、俺を見た。
 俺は笑って座れと言った。

 「レイは誰もが大好きになる、素晴らしい女だった。そうだろう」
 「はい」
 「諸見、誰かを愛するってことは、その人間だけのものだ。誰を好きになったっていいんだよ」
 「はい」
 「だから『わたしを離さないで』のキャシーは素晴らしいんだろうよ」
 「はい、そうですね」
 「手に入れることじゃねぇ。愛することそのものが大事なんだ」
 「はい」
 
 諸見が泣いた。

 俺は諸見に、レイの最後を詳しく話した。
 卑劣な連中に拉致され、逆らえない洗脳を受け俺を撃った。
 だから自分で身体を爆発させて死んだ。
 諸見は俺をじっと見つめ、その言葉を必死に自分の中へ入れようとしていた。

 「最後の力で、俺を愛していると言ってくれた。俺は最高の愛をもらった」
 「はい」
 「俺はレイには届かないが、ずっと死ぬまでレイに愛を捧げたい。そう思っている」
 「!」
 「レイはもういない。でも、それがどうした?」
 「石神さん……」

 「いなくなったって、愛は終わらない。奈津江も、レイも、ずっと俺は愛を捧げて行く」
 「はい!」

 「それしかできねぇ。そうだろうよ」
 「はい……」

 俺がどんどん喰えと言うと、諸見は涙を流しながら我武者羅に食べた。
 俺もガンガン食べた。




 店を出て、諸見を送った。
 諸見が部屋へ寄って欲しいと言った。

 「あの、これを」

 スケッチブックだった。
 俺はその場で中を見た。
 
 俺の家のスケッチだった。
 全体や様々な場所。
 そして諸見が考えていたのか、壁の意匠が何種類もあった。
 また俺の姿や顔が何枚もあり、子どもたちの顔も幾つかあった。
 
 レイの姿もあった。

 「すみません。勝手に描いてました」
 「いいさ。素晴らしいな」
 「これを、お持ち下さい」
 「お前の大事なものなんだろう?」
 「いえ、いつか石神さんにお渡ししようと思ってました。恥ずかしくてなかなか言い出せなくて」
 「そうなのかよ」
 「はい。宜しければ是非。つまらないものなんですが」
 「いや、素晴らしいよ。感動した。でも、お前が持っていた方がいいんじゃないか?」
 
 「自分の中に全部ありますから」

 諸見がそう言った。

 「そうか」




 俺は諸見のスケッチブックを持ち帰り、子どもたちに見せた。
 レイの部屋のデスクに置いた。

 レイのスケッチを額装しようと双子が言った。
 素晴らしい絵だと。
 
 「それもいいかもしれないけどな。でも、この家と俺たちと一緒の方がいいんじゃないか?」

 俺がそう言うと、みんなが泣いた。




 スケッチブックは、そのままレイのデスクに置いた。




 Darling.
   Hold me.
   Hold me.
   Hold meeeee.

   And never (never),
   Never (never),
   Never (never),
   Let me gooooo.




 俺たちは、お前を決して離さない。 
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