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前島さん

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 「え、タカさんって、暴れる以外のこともやってたんですか!」

 亜紀ちゃんが大げさに驚いた振りをする。

 「てめぇ!」

 みんなが笑った。



 「お前がよ、俺たちに日頃世話になってるからって」

 乾さんが言った。

 「ほら、山下公園で缶ジュース奢ってくれたろ?」
 「ああ! バイト代が上がったんで、嬉しくて」
 「あれなぁ、みんなきつかったんだよ」

 乾さんたち全員が頷く。

 「お前に金を出させるなんてなぁ。何しろ服だって制服と特攻服だけだったろ?」
 「ちゃんと体操着もありましたよ!」

 爆笑された。

 「いくら貧乏ったって、そこまでの奴はなかなかいねぇ。だからお前に奢られると、瀕死の病人の布団を剥ぐみたいなさ」
 「そこまでですか!」

 あのジュースは不味かったとみんなが言った。


 「お前はそれなのに、絶対に金や物を受け取ろうとしない。みんな困ってたんだよ」
 「それは、なんかすみません」
 「俺たちに金の余裕があるのは知ってたのにな」
 「まあ、みなさんお金持ちでしたよね」
 「だったらなんで」

 「みなさんからは十分にいろいろよくしてもらってましたから。食事だっていいものをいつもご馳走してくれてましたし」
 「そういえば、どうして飯だけは喜んで奢られたんだ?」

 みんなが、そうだそうだと言っている。

 「あの、空腹だけはどうしても我慢が」
 「アハハハハハハ!」

 みんなが笑った。

 「でも、それ以上は幾ら何でも。それに小遣いまで貰ったら、もう奴隷じゃないですか」
 「だからだったのか」
 「いえ、俺みたいな奴はどうでもいいんですが。みなさんが奴隷になった俺は嫌なんじゃないかって」
 「お前はバカだな!」
 「アハハハハハ!」

 乾さんが寿司を取ると言った。
 俺は断ったが、ふざけんなと頭をはたかれた。

 「亜紀ちゃん、バナナを一杯買って来い」
 「えぇー!」
 「こいつ、寿司屋に連れてったら二百貫喰うんですよ!」
 「!」

 じゃあ用意すると言う乾さんを必死に止めて、なんとか亜紀ちゃん用に巻物を余分に取ってもらうことにした。
 
 「まったく、トラの娘だなぁ」
 「すいません」

 みんなが笑って一杯喰えと言ってくれた。
 恥ずかしい。

 「じゃあ、寿司が来るまで俺の話をするかな」

 前島さんが言った。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 俺は聖の家に遊びに行き、山下公園で運動がてら喧嘩をしていた。
 その日は俺の飛び回し蹴りが聖の頭に綺麗に入って、俺は上機嫌だった。

 「今日は完璧に俺の勝ちだったな!」
 「ふざけんな。あんなのなんともねぇ」

 聖は憤然とした顔をしていた。
 数秒だが、地面に倒れて気を喪っていた。
 
 「おい、大丈夫か? 何しろ俺の蹴りが入っちゃったんだ。無事じゃすまないだろう?」
 「トラ、てめぇ」

 話しながら、何となくマリンタワーの方へ歩いていた。
 何か飲みたかった。
 9月頃のことだ。
 まだまだ暑かった。

 山下橋の方で大きな声が聞こえる。

 俺と聖が歩いて行くと、タンクローリーが事故を起こしていた。
 横転したタンクに亀裂が入り、ガソリンが漏れている。
 その前方で、タンクローリーに潰されたミニクーパーがあった。

 誰かが大声で叫んでいる。
 ガソリンが漏れているので、みんな離れるようにと叫んでいた。
 
 「トラ、ヤバいな」
 「ああ」

 俺と聖も離れようとした。
 だが、俺は潰された空色のミニクーパーに見覚えがあった。

 「聖、先に行ってくれ!」
 「トラ!」
 
 俺が駆け出すと、聖もついてきた。
 そういう奴だった。



 ミニクーパーにはまだ人が乗っていた。
 叫んでいた男が俺たちに言った。
 どうやら、タンクローリーの運転手のようだった。

 「おい! 急いで離れろ! いつ爆発するかわからんぞ!」
 「あんたも! 俺はあの人たちを助ける!」
 「もう間に合わない!」

 俺と聖はミニクーパーに駆け寄った。
 やはりそうだった。
 前島さんだ。
 助手席に奥さんと小さな娘さんも乗っていた。
 三人とも気を喪っていた。

 《トラ、どうだよ、綺麗な色だろう?》

 前に乾さんの店で、前島さんが俺に見せてくれたことがある。
 明るい空色に塗装したミニクーパーだった。

 ドアを引いても、ひしゃげて開かない。
 俺たちが足で蹴ったりしていると、運転席の前島さんが目を覚ました。
 俺に気付く。
 ウインドウを下げようとしたが、それも出来なかった。
 俺は手で合図し、奥さんたちに覆いかぶされと言った。
 ブロウでサイドウィンドウを割る。

 「トラ!」
 「前島さん、時間がねぇ! 急いでこっちへ!」

 俺が前島さんを引っ張り出した。
 足を骨折していた。

 「聖! 頼む、担いで離れてくれ!」
 「おう!」

 聖は軽々と前島さんを担いだ。
 頼りになる男だ。

 「トラは?」
 「俺は奥さんと子どもを助ける!」
 「分かった! 絶対生きて戻れよ!」
 「もちろんだぁ!」

 「トラ! お前も早く逃げろ!」
 「前島さんの大事な人なんでしょ! 俺が絶対に助けるから!」
 「トラぁ!」
 「聖! 行け!」
 「おう!」

 聖は駆け出した。





 シートベルトが外れない。
 俺はなんとかベルトを伸ばし、奥さんを潜らせようとした。
 思わず胸に触ってしまったところで、奥さんの目が覚めた。

 「!」
 「いやいやいやいや! 違うんですってぇー!」

 数秒後に、奥さんも事態を把握してくれた。

 「お願いします! 子どもを抱いて逃げて下さい!」
 「ダメですよ! 前島さんに約束したんだからぁ!」

 言い合っている間に、やっと奥さんも抜け出せた。
 俺は渾身の力で運転席のドアを蹴る。
 何度目かで、ドアが吹っ飛んだ。
 奥さんと子どもを抱えて外に出た。

 ミニクーパーのボンネットが千切れ掛けていた。
 俺は咄嗟にそれを拾った。
 奥さんと子どもを肩に横担ぎにし、ボンネットで二人を覆うように持った。
 全力で走り始めた。

 その瞬間、タンクローリーが爆発した。
 走る俺の両脇を炎が抜け、俺たちもぶっ飛んだ。
 少し空中を舞ったが、何とか両足を踏ん張って着地し、そのまままた走った。

 「アチィーーーー!」

 聖から借りた化繊のジャージが燃えていた。
 爆発が終わったので、一度奥さんたちを降ろし、燃えている服を全部脱いだ。
 全裸になった。

 再び二人を抱えて走った。

 二度目の爆発があったが、もう、俺たちには届かなかった。




 俺たちに、聖と抱えられた前島さんが駆け寄って来た。

 「二人とも無事ですよ!」
 「トラぁ! ありがとう!」

 俺は笑って奥さんと子どもを降ろした。

 「おい、トラ。おっきくなってるぞ?」

 聖に言われて気付いた。

 「オッパイ、おっきいな」

 聖が言った。

 「おい!」
 
 前島さんがじっと俺を見ていた。

 「違いますってぇ! 俺、何にもしてないですよぉ!」

 前島さんが大笑いした。

 「冗談だよ、トラ! 本当にありがとう」

 娘さんが目を覚ました。
 大泣きするので、オチンチンを振り回してあやしてやった。

 「トラぁ!」
 今度は前島さんが怒った。




 奥さんは軽いむちうちで、娘さんは無傷だった。
 俺は尻と足の裏側と指先に火傷を負った程度だった。




 前島さんには、お宅で俺のリクエストの豪華なすき焼きをたらふく食べさせてもらった。

 「トラ、ステーキとかじゃなくてすき焼きが良かったのか?」

 前島さんに言われた。

 「あぁぁぁー! その発想が無かったぁ!」

 俺が叫ぶと、三人が大笑いした。
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