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最後のデッサン

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 亜紀ちゃんと佐藤家に散歩した翌日。
 朝食後に、双子に俺の美術コレクションを見せていた。
 時々、二人が見たがるので何点かずつ出してやっている。
 
 どうも、文学、音楽に関してはみんなそこそこ馴染んで来たのだが、美術品は双子しか興味が無い。
 リヴィングで拡げるので、レイと柳も見に来る。
 亜紀ちゃんは食糧品の在庫チェックの後、栞の家に遊びに行った。
 皇紀は部屋にこもって防衛システムや開発中の武装の検討やチンコいじりをしている。

 「これは安田靫彦だな。西行法師を描いたものだ」
 「「へー!」」

 掛け軸だ。
 リヴィングの天井の一部には、ピクチャーレールが据え付けてある。
 TAKIYAのものだ。

 「人間の目は横長の視界だ。しかし掛け軸は縦長だよな」
 「そうだね」
 「西洋絵画は人間の視界に合わせて横に長い。だからモティーフの収まりもいい」
 「うん」

 「掛け軸はそれに反しているんだ。だからモティーフを収めると、天地に膨大な空白が出来る」
 「なるほど」
 「実はな。その「空白」がいいんだ。何も無い空間が掛け軸の芸術性になっている」
 「「?」」
 
 双子は分からない顔をしている。

 「芸術は間接表現だ。つまり、「隠す」「描かない」「別なものにする」ということで、直接の表現をしないんだな」
 「どういうことですか?」
 「夏目漱石が親友を亡くした時の和歌がある」

 《あるだけの 菊投げ入れよ 棺の中》

 「親友が突然に死んで悲しいし、悔しい。でも、そんな言葉は一つも無い」
 「ああ!」
 「しかし間接的に「ありったけの菊だ」と言っている。棺花だよな。最期の別れに棺の中の御遺体の周りに入れる。それを更に「投げ入れろ」と言っている。そこに漱石の悲しみと怒り、悔しさが表現されている、ということだ」
 「「分かりました!」」

 「掛け軸の天地の空間もそうなんだ」

 靫彦の『西行法師』は西行の姿の他にほとんど描かれていない。

 「よく見てみろ。西行の足元に桜の花びらが散っている」
 「ああ!」
 「それで「地面」を表現しているんだな。土は描いてない」
 「「うん!」」
 「そして天には「月」だ。しかし、地の紙の色であって、僅かに黒でほんのりと円を浮き出させているだけだろう? つまり、描かれていない「月」なんだよ」
 「「うんうん!」」
 
 「それと、こっちに来て良く見てみろ。角度によって、花びらが空中に三枚だけ描かれているのが見える」
 「ほんとだぁ!」
 「見える!」

 「たったこれだけなんだ」
 「すごいね!」
 「なんか分かった!」

 俺は二人の頭を撫でてやる。

 レイと柳も寄って来て、靫彦の絵を見た。

 「石神さんの説明で観てみると、よく分かります」
 柳が言った。

 「お前の家にもいろいろあるだろう」
 「はぁ、でもあまり興味がなくて」
 「お前はダメダメだよなぁ」
 「すいません」

 熱心に観ているレイに声を掛けた。

 「どうだよ、レイ?」
 「はい。美しい絵だと思います」
 
 俺はリャドの絵や鴨井玲の作品を見せた。

 「鴨井玲はいいよなぁ」
 
 俺は鴨井玲が何度も自殺未遂を繰り返した話をした。

 「絶望の自殺じゃないんだ。そこで死んだら人生が輝くと考えたんだな」
 「悲しい人ですね」

 レイが言った。

 「そうだな。でもな、人間はそれでもいいんだよ。自分がいつ死ぬのかを決められる。それが人間の本当の自由だ」

 みんな、押し黙っていた。


 俺は今日出して来た最後の作品を見せた。
 幅240センチに及ぶ、細長い日本画の作品だ。
 リヴィングのテーブルの上に拡げた。
 夜の闇の中で洋装の女性の背中から細長い紐のようなものが伸び、その終端で炎が燃え、蛾が数匹舞っている。

 《『逃れ得ぬ炎』》

 それが作品名だ。
 
 「竹ノ内晴美という女性の作家だ。芸大の日本画科を出て、こういう暗い絵を描いていた」
 
 俺は話し出した。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 俺は三十代になって、多少資産に余裕が出て来た。
 銀座の画廊に立ち寄り、気に入った絵画や美術品を買い始めた頃だ。
 E堂という画廊で、日本画家の展示会をしていた。
 ウインドウの作品に興味を持ち、中へ入った。

 竹ノ内晴美という若い日本画家の作品展だった。

 どの作品も暗い。
 人間の悲しみと闇が抉り出されるようなものが多かった。

 俺は2枚、気に入ったので購入した。
 金を支払っていると、丁度作家の竹ノ内晴美が入って来た。
 痩せて浅黒い肌だった。
 長い髪を後ろで束ねている。
 夏場だったので、Tシャツにブルーのサマーカーディガンを羽織っている。
 下は白の綿のパンツだった。

 美しい顔立ちをしているが、陰がある。

 画廊主が俺が購入したことを告げた。

 「お買い上げ、ありがとうございます」

 頭を下げて、竹ノ内が言った。

 「いや、気に入りました。凄絶な闇と悲しみの美しさがある」

 竹ノ内が頭を上げ、驚いたように俺を見ていた。

 「今後も拝見するようにしますよ」

 俺が言ったが返事が無い。
 じっと俺を見ていた。

 「あの」
 「はい?」
 「モデルになっていただけませんか?」
 「俺が?」
 「はい。是非お願いします」

 画廊主が失礼なことを言わないようにと言った。
 俺は笑った。

 「俺なんか描いてもしょうがないですよ」
 「いいえ! あなたを是非描きたい!」

 俺は当然断った。
 買った絵は、展示会の後で画廊主が届けてくれると言った。




 二週間後、画廊主が絵を家に持って来た。
 俺は確認し、受け取った。

 「石神さん。申し訳ないのですが、竹ノ内が是非一度アトリエに来てくれないかと」
 「え?」

 「あの日も言ってましたが、石神さんをモデルにしたいんだと、それはもう頑固にね。それで石神さんの都合がいい時に来て欲しいんだと」
 「困りましたね」
 「はい。お断りなさっても結構です。私はとにかく伝えて欲しいということで頼まれまして」

 芸術家には常識は通用しないことも多い。
 俺はとにかく連絡してみると約束した。



 「石神です」
 「はい! 竹ノ内です! 本当にご連絡いただけるとは!」
 「モデルの件だけど」
 「お願いします! 御都合は全て石神さんに合わせますから!」
 「でもねぇ」
 「お願いします!」

 あまりにも熱心に言われるので、俺は一度アトリエに行くと言った。


 竹ノ内晴美のアトリエは埼玉の草加市にあった。
 俺は当時乗っていたポルシェで向かった。

 竹ノ内は広い倉庫を借りていた。
 俺が行くと喜んで出迎えてくれた。
 絵の具のついた胸元まである綿のオーバーオール。
 下着を着けておらず、胸の膨らみがはみ出していた。
 冷房などない。
 扇風機が回っているが、熱風をかき混ぜているだけだ。
 

 竹ノ内は小さなテーブルに俺を座らせ、冷蔵庫から冷えたミルクを俺に注いだ。
 
 「すみません、私、こんなものしか飲まなくて」

 俺は笑って頂いた。

 「あの、モデルの件ですけど」
 「ああ。まず、どうして俺を描きたいのか教えてもらえるかな?」

 竹ノ内は俺をまたじっと見ていた。

 「石神さん、何度も死に掛けてますよね?」
 「なんだって?」
 「私、分かるんです。自分がそうだったから」

 竹ノ内は何度も自殺未遂を繰り返したと話した。

 「私、自分以上に死に接した人を見たことがなくて。でも、石神さんを見て圧倒されました」

 竹ノ内はオーバーオールを脱いだ。
 全裸だった。
 そして、自分のことを俺に告げた。

 腹部に大きな切り傷があった。
 説明されなくても分かる。
 「切腹」したのだ。

 「石神さんも、見せて頂けませんか?」

 俺も服を脱いだ。
 全身を見せてやった。

 「やっぱり!」

 竹ノ内は俺の周囲を回り、丹念に俺を見た。
 俺の身体に触れ、傷の手触りを確かめた。

 「10分、いえ、5分でいいのでそのままでいらして下さい!」
 
 竹ノ内はデッサンを始めた。
 粗いタッチだが、急いで三枚も描いた。
 10分、俺はそのまま立っていた。

 「ありがとうございました」

 竹ノ内が俺が服を着るのを手伝ってくれた。

 「満足したか?」
 「はい。本当にありがとうございました」

 竹ノ内は笑っていた。



 竹ノ内晴美は末期がんだと言った。
 余命はあと1年。
 すでに末期がんの激痛が始まっている。
 転移も多く、じきに動けなくなる。
 俺は「頑張れ」と言って、アトリエの倉庫を出た。



 半年後。
 E堂から「竹ノ内晴美展」の案内を受け取った。

 画廊の壁に一際大きな作品が掛けられていた。

 竹ノ内晴美は自分をモデルとしてずっと描いていた。
 しかし、その大型作品は、初めて自分以外の人物を描いていた。
 男性だ。
 それが絶筆だった。

 絹本の地に赤く燃え上がる柱。
 その中に立つ逞しい男。
 そしてその男から離れて跪く女。
 闇の中での情景であり、しかし空には明るい蓮の池が描かれていた。


 E堂の画廊主が俺に気付いて近づいて来た。

 「石神さん。竹ノ内晴美が石神様さんに大変感謝しておりました」
 「そうですか」
 「最後に、このような満足できる作品が出来たと」
 「素晴らしいですね」

 俺たちはしばらく作品を眺めた。

 「竹ノ内さんは?」
 「今は八ヶ岳の〇〇病院にいます」
 「ああ」

 ホスピスとして有名な病院だ。
 画廊主は一度離れ、俺に手紙を持って来た。

 「石神さんがいらしたら渡して欲しいと」
 「俺に?」




 家に帰り、手紙を開いた。
 そこには、竹ノ内晴美の半生と俺に対する感謝が綴られていた。
 竹ノ内はある有名な人物の妾の子であり、養育費は受け取っていたものの、認知はされなかった。
 鬱屈した生活の中で、絵を描くことで自分を保っていたこと。

 「でも、私は苦しみの中で、絵を描くということだけに邁進できました。これは幸せなことではないでしょうか」

 そう書かれていた。
 そして、そのことは、俺の身体を見た時に初めて分かったと書いてあった。
 あの日のデッサンは、最後まで手元に残すこと、そして自分の死後に俺に送ることも書かれていた。

 絶筆となった作品は、ある県立美術館の所蔵となった。
 俺はその美術館に三枚のデッサンを送り、竹ノ内晴美の最後の作品の一つとして所蔵するように頼んだ。




 最後のデッサンの一枚は、日本刀を咥えた虎が描かれていた。
 竹ノ内晴美が、俺の中に何を観たのかは分からない。
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