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乾さん Ⅴ

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 情ないことに、俺はどうにもならなかった。
 20分も泣き続け、店に客が入って来たので大森が俺を外に運び、RZと引き離されたくなくて暴れると亜紀ちゃんに殴られ、外で双子とロボに慰められ、栞と鷹が両脇から抱き、六花がおチンチンを撫で、響子が俺の顔を抱き締め、一江が少し離れて写真を撮って笑っていた。

 ようやく少し落ち着き、店の中へ入った。
 乾さんは俺をソファにまた座らせてくれた。

 「大丈夫か、トラ」
 「すいませんでした」
 「まったく、いい年になってなぁ」
 「すいません」

 「お前は全然変わらないな」
 「すいません」

 乾さんは目を潤ませて俺を見ていた。
 乾さんも何も変わってはいなかった。

 「おい、俺も会いたかったぞ!」
 「俺も!」
 「じゃあ、なんで会いに来てくれなかったんだ」
 「会わせる顔が無かったんです」
 「なんだと?」
 「だって、乾さん、あん時あんだけ俺のことを必死に止めようとしてくれたのに、俺は無視して言いたいことを言って飛び出してしまった」
 「何を言ってるんだ」
 「俺、乾さんがどんなに心配で、どんなに悔しかったかって分かりますよ。自分がどうにかしたいと思ってるのに、俺が拒絶してしまった、酷いやり方で」
 「トラ、お前」

 「だから、もう二度と会わないと思った。RZを俺の代わりに大事にしてくれることは分かってた。申し訳ないと思ったけど、それしか出来なかった」

 「ばかやろう!」

 乾さんが怒鳴った。

 「お前は本当にバカだ。お前なら俺が会いたがってるのを分かってただろう!」
 「はい! 俺も乾さんに会いたかった!」
 「このバカが!」

 俺はまた泣き出した。
 何とか一江を呼び、みんなに帰ってもらうように頼んだ。

 「私は残りますよ」
 亜紀ちゃんが言った。
 俺は帰るように言ったが、頑として言うことを聞かなかった。

 「トラ、お嬢さんと一緒に泊まれよ」
 乾さんがそう言ってくれた。

 「タカさん、今日は運転は無理ですよ」
 俺は黙って頷いた。
 俺たちは、店の三階の住居スペースに案内された。



 夕飯に、乾さんは寿司をとってくれた。
 俺は亜紀ちゃんに自分の分をやり、黙っていた。
 そんな俺を、乾さんと亜紀ちゃんが見ていた。

 「すいません。大泣きするとは思ったんですが、こんなになっちゃうとは」
 「いいよ。トラにとっては特別なものだ。無理もない」
 「乾さんもです。タカさんには本当に大事な人だったみたいですから」

 「うるせぇ」

 俺が呟くと、二人が笑った。
 
 「おい、調子が出て来たじゃねぇかぁ」
 亜紀ちゃんが言うので引っぱたこうとしてやめた。

 「そうだな。そうじゃなくちゃな」
 「タカさん!

 

 風呂を頂いた。
 風呂から上がり、俺は乾さんに屋上へ誘われた。
 缶ビールを持っている。

 「お前、飲めるんだろ?」
 「はい」

 屋上には白いテーブルと椅子が2脚あった。
 恐らく、乾さんの特別な場所だろうと思った。
 俺たちは小さなテーブルを挟んで並んで海の方を向いた。

 「海が見えるんですね」
 「そうだ。ここに来ないと見えないけどな」

 いい眺めだった。

 「お前の子どもたち、いい子だな」
 「いえ、やんちゃで俺の言うことを聞かなくて、どうにも困ってます」
 「友達のお子さんだったそうじゃないか」
 「はい。親友だった奴が奥さんと事故で急に。施設にバラバラに預けられるって聞いて、俺が引き取ることにしたんです。まあ、俺みたいなバカでいい加減な人間に引き取られて、可哀相な連中ですよ」

 「まったくだな」
 「アハハハハ!」

 「でも、お前は変わらないな。お前は人が困ってると後先考えずに行動する。棚田が困ってると聞いた瞬間に、お前は吹っ飛んでいったよなぁ」
 「北京ダック、棚田さんが最初に食わせてくれました」
 「アハハハハハ!」

 「前島も、榎田もお前に助けられた」
 「とんでもありません」
 「俺だってな」
 「何を言ってんですか!」

 俺たちはビールを飲みながら、海を見詰めた。

 「でも、懐かしいよな」
 「まったくです」

 波の音は離れていて聴こえない。
 でも、何かが、俺たちに届いているような気がした。

 「最初はな、お前が貧乏なんだって言うんで、面倒みたくなったんだ」
 「そうですか」

 「俺が惚れた女の話をしたのを覚えているか?」
 「はい。結核で亡くなったと」
 「俺が不甲斐なかったからだ」
 「乾さんは貧乏が憎いと仰いました」
 「そうだ。だから、お前が困ってるなら、とな」
 「ありがとうございます」

 「でも、お前は貧乏なのは確かだったけど、何にも負けなかった。俺は時々飯を食わせたけど、お前はそれ以上のものを俺たちにくれた」
 「そんな。俺はお世話になってばかりで何も出来ませんでしたよ」
 「いや、俺たちはお前が笑って元気に生きているのを見て、本当に嬉しかったんだ。お前が来るのを、みんな楽しみに待ってた。普段の嫌なことを全部忘れて、お前と楽しんだ。まあ、お前の勉強の邪魔になってるのは分かっていたけどな」
 「いえ、俺の方こそ、楽しくて楽しくて」

 「みんな、お前が大好きだったんだよ」
 「ありがとうございます」

 俺たちは、夜が明けるまでいろいろなことを話した。
 途中で酒を取りに行き、俺が腹が減ったのでつまみを作らせてもらい、それを乾さんが絶賛して食べてくれた。

 大学のこと、奈津江のこと、医者になったこと、子どもたちのこと、響子や愛する女たちのこと、院長や部下たちのこと。
 そして乾さんもここまで店を大きくするのに苦労した話、あの時の乾さんの友達のその後、相変わらず女性と縁が無いという話を話してくれた。
 
 酒は途中で辞めた。
 水や炭酸に氷を入れて飲んだ。

 俺たちはそれで最高に楽しく話した。
 乾さんは俺や子どもたちのハチャメチャな話に大笑いしてくれた。
 俺は乾さんと仲間の方達の話を聞けて嬉しかった。

 日曜は乾さんの店は営業だ。
 俺は寝かさずに話したことを詫びた。

 「何言ってんだ。俺は社長だぞ? 好きなだけ寝てていいんだ」
 「そうかぁ!」

 俺たちは大笑いした。



 俺は寝ていた亜紀ちゃんを蹴飛ばして起こし、帰ると言った。
 朝の5時だ。

 見送りに来た乾さんに、RZは後日取りに伺うと言った。

 「今度は泣くなよ?」
 「アハハハハハ!」

 俺は亜紀ちゃんをアヴェンタドールに乗せて帰った。

 途中に公園を見つけ、亜紀ちゃんを降ろして入った。
 早朝なので誰もいない。

 「てめぇ! 今回は好き勝手やってくれたなぁ!」
 「はい」
 「覚悟しろ。「奈落」を使う」
 「はい」

 亜紀ちゃんは覚悟したように、緊張して目を閉じた。
 亜紀ちゃんは一度、聖に「奈落」を喰らっている。
 大分軽くやられたのだが、翌日は身体が動かせないほどのダメージを喰らった。

 「気張って耐えろよ!」
 「はい!」




 俺は亜紀ちゃんを抱き締めた。

 「ありがとう、ありがとう、ありがとう、本当にありがとう!」
 「タカさん」

 「ばかやろう。お前は今「奈落」を喰らってるんだ。声なんか出すな」
 「……」

 「まさか、乾さんにまた会って話が出来るなんて。まさかあのRZを再び観れるなんて。まるで夢のようだ。全部、亜紀ちゃんのお陰だ」

 「俺は絶対に忘れない。ありがとう、亜紀ちゃん」
 「……」

 俺は亜紀ちゃんを抱きかかえた。

 「俺の「奈落」を喰らったんだ。帰るまでは話もできねぇだろう。仕方ねぇ、運んでやる」




 亜紀ちゃんは、家に帰るまで黙っていてくれた。
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