上 下
801 / 2,840

青い火

しおりを挟む
 響子が花火をしている。

 6月初旬の金曜の7時。
 病院の屋上で、俺と六花とで響子を連れて花火をした。
 5月のゴールデンウィークに別荘に行った時、少し持ち帰った。
 響子のためだ。
 別荘には花火が沢山ある。

 響子は六花と一緒に綺麗な花火の炎に興じている。
 六花も、嬉しそうに響子と一緒にやっていた。
 響子のストレス発散のためだが、楽しそうで良かった。

 「タカトラー! 青い火のはある?」
 
 俺はその言葉に驚いた。

 「あ? 分かんねぇ!」
 「そーかー」

 響子は別な花火を持って、六花に火を点けてもらった。

 俺は子どもの頃の苦い記憶を思い出していた。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 小学5年生の夏休みだった。
 俺の家に、突然小さな女の子が来た。
 お袋が隣の子を連れて来たのだ。

 「しばらく、うちに一緒にいるからね」
 「そうなのか」
 「お隣の〇〇さんの家ね、離婚されたそうなの」
 「え!」

 新興の分譲住宅地であり、丘の上に建つ家が数十もある。
 うちもその中の一つで、小学校の登校は集団で行くので、隣の家の子も知っている。
 「桃子」という名前で、まだ小学二年生だ。
 俺が高学年なので、時々手をつないだりする。
 同級生の女子の仁藤は気が強く、面倒を見ない。
 一人で先に行ったりするので、俺が主に5人程の集団を連れて行っていた。
 桃子は一番年下だった。

 

 「トラちゃん、手を繋いで」
 「おう!」

 俺たちはよく歌を歌いながら歩いた。
 俺は「モモ」と呼んで、隣の家だということもあり、仲良しだった。
 まあ、登校時の付き合いがほとんどだったが。
 俺は問題児であり、隣の家の親が俺を避けていた。



 「奥さんが出て行っちゃってね。旦那さんは遠くで働いているのよ」
 「じゃあ、モモはどうなるんだ?」
 「昨日気付いたの。誰もいない家で、モモちゃんは一人でいたのよ」
 「なんだよ、そりゃ!」

 「夜になっても真っ暗でね。おかしいと思って今朝、行ってみたのよ。そうしたらモモちゃんが一人でいて」
 「お父さんは?」
 「気付いてなかったみたい。電気も止められてね。水道は出たけど、ガスもダメみたい」
 「ひっどいなー!」
 「今、モモちゃんのお父さんに連絡したんだけど、しばらく仕事でどうしても帰れないんだって」
 「そっかー」
 
 お袋はモモのお父さんが来るまで、うちで預かることにしたようだ。
 うちも食費は厳しいが、お袋は放っておけなかった。
 夕飯を、モモはほとんど食べなかった。
 痩せている。
 ガリガリだった。
 
 お袋が一緒に風呂に入った。
 夜は俺と一緒のベッドで寝た。
 モモがそうしたがった。

 「トラちゃんと一緒がいい」
 「おう! じゃあ寝ようか!」

 俺が勉強をしていると、モモは俺のベッドでしばらく見ていた。
 そのうちに寝息をたてていた。

 

 モモは翌日もほとんど食べなかった。
 うちの食事は豪勢ではない。
 空腹が調味料と言えるほどだ。
 おまけに、お袋は料理があまり上手くなかった。
 俺はその夜に早めに勉強を切り上げ、ベッドで一緒に寝た。

 「モモ、あんまし食べないよな」
 「うん」
 「もうちょっと喰おうぜ」
 「うん」

 俺が脇をくすぐると、モモは初めて笑った。

 「何か好きな物はあるか?」
 
 俺が手に入れられるものなら、どうにかしようと思った。
 まあ、畑に落ちているものくらいだが。

 「花火がしたい」
 「え?」

 俺は食べ物を聞いたつもりだった。

 「ダメ?」
 「うーん。俺、小遣いがないからなー」
 「そうか」

 モモがまた黙り込んでしまった。

 「じゃあ、明日何とかしてみるよ」
 「ほんと?」
 「ああ、任せろ!」
 「うん!」

 

 翌朝、モモは昨日よりもちょっとだけ多く食べた。
 目玉焼きを一枚、全部食べ、ご飯も半分食べ、味噌汁を全部飲んだ。

 「体力ないと、花火できないもんな!」
 「うん!」

 今なら分かるが、モモはずっと食事をしなかったために、胃が恐ろしく小さくなっていたのだろう。
 また、母親を急に喪った不安やストレスも多大にあったと思う。

 俺は花火を売っている、同級生の大塚の店に行った。
 小学校の近くで、雑貨や野菜、缶詰類や多少の文具などが売られている。
 花火もあった。
 


 俺は大塚のお父さんに頼み込んだ。

 「少しでいいんです。花火を分けていただけないでしょうか」
 「石神くんかぁ。それは無理だよ。売り物だからね」
 「あの、お店の手伝いをさせてください! 俺、力はあるんで!」
 「ダメダメ、小学生を働かせるわけにいかないんだから」
 「そこをなんとかぁー!」

 俺は土下座して頼んだが、ダメだった。
 俺は裏の倉庫へ行った。
 よく学校の帰りに通り抜けさせてもらってる。
 勝手に箒を持ち出し、店の前を掃いた。

 「石神くん! 何やってんだ!」
 「いえ、勝手にやらせてもらってるだけなので!」
 「すぐに帰りなさい!」

 俺は無視して掃除した。
 終わると呼び込みをした。

 「最高の野菜ですよー」
 「この鍋! シチューが美味しくできますよー」
 「このバナナは、なんとフランス産!」
 「昨日、総理大臣が買い物に来ました!」


 通行人のみんなが笑っていた。
 大塚のお父さんも苦笑し、花火を三本だけくれた。

 「これを上げるから。もう困っちゃうよなぁ」
 「ありがとうございます!」

 俺はもう一度店の前を掃き、家に駆け戻った。



 「モモ! 花火をもらって来たぞ!」
 「ほんとに!」
 「ああ、ゴメン。三本だけなんだ」
 「いい! 嬉しい!」

 俺たちは夜になるのを楽しみに過ごした。
 昼食のインスタントラーメンを、モモは茶碗に一杯食べた。
 俺が作った。
 お袋は昼間は仕事でいない。
 モモが美味しそうに食べるので、俺も嬉しかった。

 お袋は昨日、一日中洗濯をしていた。
 モモの服は全部汚れていた。
 そして、モモは俺のベッドでほとんど寝ていた。
 夏なので当然暑い。
 俺の家には冷房などなかった。
 ただ、高台の家だったので、風がよく通った。
 俺は窓を開け、時々団扇でモモを扇いでやった。

 

 お袋がモモのために、小さなハンバーグを作った。
 ひき肉とタマネギを入れて練っただけの、お世辞にも美味いものではない。
 しかし、モモは喜んだ。
 その日は茶碗のご飯を全部食べた。
 俺は焼いたアジだった。
 きっとモモは食べられなかっただろう。

 暗くなり、俺はモモと一緒に近所の広場に行った。
 まだ造成中の土地だった。
 蝋燭と親父のライターを借り、出掛けた。

 「青い火が出るかなー?」
 「え、分かんないな。貰って来たものだからな」
 「青い火だったらいいね!」
 「おう! そうだな!」
 
 俺はあまり考えずに、蝋燭に火を灯し、モモに最初の一本をやらせた。

 赤い火だった。

 それでも、モモは楽しそうに、少し揺らしながら最後まで見ていた。
 他の二本も、青い火ではなかった。
 しかし、モモは喜んでいた。

 俺は火を消し、ゴミを持ってモモと帰った。
 暗くて怖がるといけないと思い、二人で手をつないで歌を歌いながら帰った。
 ドヴォルザークの『遠き山に日は落ちて』だった。
 俺が大好きな歌なんだと言った。

 「前にね、青い花火だったの」
 「そうなのか」
 「うん。すごくきれいだった」
 「いつかまたやろうな」
 「うん!」
 「今度は青いの探してさ」
 「うん! でも、トラちゃんと一緒ならなんでもいいよ」
 「そうかぁー!」

 


 一週間もモモと一緒にいたと思う。
 ある日、突然モモのお父さんが帰って来た。
 もう夜の8時になっていた。

 お袋が応対し、俺はモモと離れて見ていた。
 髪がボサボサで顔色の悪い人だと思った。
 目が虚ろだ。
 
 モモはお父さんに連れられ、隣に帰ることになった。
 モモが泣き出した。

 「トラちゃんと一緒じゃなきゃイヤァー!」

 お父さんが困っていた。
 モモは大泣きして俺に駆け寄って来る。
 俺もどうしていいのか分からなかった。

 「高虎、今日はモモちゃんの家で一緒に寝てあげて」

 お袋が言った。

 「高虎くん、お願いできるかな」
 「分かりました」

 モモのお父さんは物凄く臭かった。
 俺は隣の家に行った。
 灯は点かない。
 真っ暗な家の中で、布団が敷かれ、俺とモモは一緒に寝た。
 
 気味の悪い家だった。
 こんな家でモモはまた暮らすのだろうか。
 俺はしばらく寝付けないでいた。
 うとうとし始めた時、物凄い悪臭で目が覚めた。
 モモのお父さんがいた。

 俺とモモの頭の上に座っていた。
 俺は眠っているふりをしていた。

 「桃子、高虎くんも連れて行こうな」
 
 「一緒に遊ぶといい」

 俺は急激に起きた圧力に、瞬時に起きてかわした。
 包丁が、俺が寝ていた場所に突き刺さった。

 「おとなしくしろぉー!」

 モモのお父さんが絶叫し、包丁で薙いだ。
 俺はモモを連れ出そうとしていた。
 左のわき腹が抉られた。
 激痛が走った。
 
 モモを抱えて部屋の隅に転がった。
 左腿に温かいものが流れている。
 激痛よりも、苦しさが増して来た。

 「お前ぇ! モモと一緒に死ねぇ!」
 
 俺は必死で包丁を避け、腕を蹴り上げた。
 いつもの力が出ない。
 左腿を叩く感じがした。
 見ると、腸が零れて来ていた。
 段々と身体がだるくなる。

 「俺はもう終わりなんだ」

 お父さんが呟いた。
 もうあまり包丁をかわす力はない。
 モモは俺の後ろで震えていた。
 泣くこともできないほどに脅えている。

 「モモ! 逃げろ! 俺が喰い止める!」

 俺は自分が刺されている間にモモを逃がそうと思った。
 もうそれしか出来ないほどに、身体が言うことを聞かない。
 
 「あんたは終わったのかもしれない! でもモモは全然、何も終わってないだろう!」

 俺は叫んだ。




 「そうか。そうだな」




 モモのお父さんはそう言って、自分の首を思い切り切った。
 激しく血が噴き出し、俺たちに降りかかった。
 俺は布団をモモにかけ、それを見せまいとした。
 そこで意識が途切れた。




 気が付くと病院のベッドにいた。
 お袋と、顔なじみの刑事がいた。

 「高虎!」
 
 お袋が叫んだが、俺は答えられなかった。
 軽く手を動かし、それを返事とした。
 水を数杯飲んで、やっと声が出た。

 「お前、また死ぬところだったぞ」
 「佐野さん……」
 「なんでこの町の大事件に、いつもお前がいるんだ?」
 「……」

 いつもの軽口は叩けなかった。

 「モモは?」
 「ああ、警察で預かってる。無事だから安心しろ」
 「そうですか」

 「高虎は何も考えないで寝てなさい」

 お袋が言った。

 「モモはお母さんと一緒に暮らすのかな」

 お袋と佐野さんが顔を見合わせた。

 「それはない。母親は殺されていた。床下から見つかったよ」
 「え!」

 俺は頭が真っ白になった。

 「刑事さん、どうか高虎には」
 「いや、お母さん。こいつは知るべきだ。命を懸けてあの子を守ったんですよ。全部知っておいた方がいい」

 佐野さんが俺に事件のことを話してくれた。
 現場に入ると、畳をはがした跡があり、めくってみると半分骨になった遺体が出て来たそうだ。
 モモのお父さんはギャンブルで多額の借金を作り、家の抵当も取られ、数日前に仕事もクビになっていた。
 恐らく借金のことで揉めて、モモのお母さんを殺したのだろう、と。

 「モモはどうなるんですか?」
 「多分、どこかの施設に入るだろうな。探しちゃいるが、親戚とは縁を切っていたようだ。誰も引き取らないだろうよ」
 「そんな……」

 佐野さんが俺の頭に手を置いた。

 「おい! ガキが何を偉そうに心配しやがる! お前なんかが出る幕じゃねぇ! もうこのことは忘れろ!」
 
 佐野さんの優しさが分かった。
 俺はもちろん、佐野さんや他の誰も、モモを助けることは出来ない。

 「トラ、お前はそんなになってまであの子のためにしてやったんだ。もういい。後は大人に任せろ」
 「はい」
 「よくやったな。でももうあんな無茶はするな。お袋さんが悲しむぞ」
 「分かりました」



 俺の傷は幸い内臓には届いておらず、はみ出た腸を戻し、肉を縫合するとすぐにくっついた。
 またいつもの高熱が出たが翌週には退院し、痛みは多少あるが普通の生活に戻った。





 その後、花火をいろいろ調べていって、青い色の花火がほとんどないことを知った。
 本当に青い火を出すには、複雑な化学配合が必要なためだ。
 だから安価に楽しむ花火では、作られない。

 モモはどこで見たのだろうか。
 モモはあれから、再び青い火をみることが出来ただろうか。



 あの日の僅か三本だけの花火。
 俺はずっと忘れられないでいる。






 あんなことしか出来なかった俺を許してくれ、モモ。
しおりを挟む
感想 56

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

NPO法人マヨヒガ! ~CGモデラーって難しいんですか?~

みつまめ つぼみ
キャラ文芸
 ハードワークと職業適性不一致に悩み、毎日をつらく感じている香澄(かすみ)。  彼女は帰り道、不思議な喫茶店を見つけて足を踏み入れる。  そこで出会った青年マスター晴臣(はるおみ)は、なんと『ぬらりひょん』!  彼は香澄を『マヨヒガ』へと誘い、彼女の保護を約束する。  離職した香澄は、新しいステージである『3DCGモデラー』で才能を開花させる。  香澄の手が、デジタル空間でキャラクターに命を吹き込む――。

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

人形の中の人の憂鬱

ジャン・幸田
キャラ文芸
 等身大人形が動く時、中の人がいるはずだ! でも、いないとされる。いうだけ野暮であるから。そんな中の人に関するオムニバス物語である。 【アルバイト】昭和時代末期、それほど知られていなかった美少女着ぐるみヒロインショーをめぐる物語。 【少女人形店員】父親の思い付きで着ぐるみ美少女マスクを着けて営業させられる少女の運命は?

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

処理中です...