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あの日、あの時: 亜紀の思い出

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 小学六年生の夏。
 初潮が来た。
 朝に気付いて、慌ててお母さんに言った。

 「あらまあ! 亜紀ちゃん、おめでとう」
 「これ、おめでたいの?」
 「そうよ! 亜紀が立派に女性になったってことだから」
 「そうかなぁー」

 お母さんは喜んでくれたけど、自分では恥ずかしいし何とも言えない気分だった。
 お母さんが処置をしてくれ、そのまま少し遅れて学校へ行った。
 友達にも誰にも話せない。
 下着がヘンな感じがする。
 ちょっと身体が重い。

 家に帰ると、お母さんが今日は赤飯だと言った。
 ますます恥ずかしくなった。
 お父さんや弟たちには何と言うんだろう。
 少なくとも、お父さんにはきっと話されるに違いない。
 笑うのだろうか。
 喜ぶのだろうか。
 どちらにしても、恥ずかしくて嫌だった。

 


 夕飯には、お父さんもいた。
 私の顔を時々見る。
 あー、やっぱり聞いてるんだ。
 私はずっと下を向いていた。

 「今日は、亜紀ちゃんが大人になったお祝いなのよ!」

 お母さんが明るく言った。
 それ以上は説明されない。
 皇紀も意味は分かっていないようだ。
 お父さんは真っ赤な顔をしている。
 目を大きく開いて、コップのビールを持っている。

 「じゃあ、みんなでね。おめでとう、亜紀ちゃん!」
 「「「「おめでとう!」」」」

 みんなで乾杯した。
 お父さんはビールを飲み干した。
 その瞬間に、お父さんは泣き出した。
 びっくりした。

 「亜紀! 本当におめでとう!」
 「あ、ありがとう、お父さん」
 「俺は、俺は、おれは……」

 お母さんが笑って背中をさすっていた。
 その光景を見て、私は初めて嬉しくなった。
 お父さんが泣くほどに喜んでくれている。
 それが嬉しかった。



 夕飯が終わって、みんながお風呂に順番に入る。
 お父さんが私に話してくれた。


 
 「亜紀が生まれて来てくれてな」
 「うん」
 「俺もお母さんも物凄く喜んだんだ」
 「うん、聞いてる」

 「嬉しくてなぁ。なあ、子どもって愛の結晶とか言うじゃないか」
 「うん、ちょっと恥ずかしいかな」
 「ごめんごめん、そうじゃないんだ。亜紀の顔を見た瞬間にな。俺はこの子を大事に育てなきゃいけないって。それしか考えられなかった」
 「お父さん……」
 「お前が可愛くてなぁ。ちっちゃくて。だからな、絶対に大事に育てるぞって思った。今も全然その気持ちに変わりはないよ」
 「ありがとう、お父さん」
 「もちろん、皇紀も瑠璃も玻璃もな。同じように思ってる。だけど、一番上の亜紀ちゃんが、ここまで元気に育ってくれた。俺は今日は最高に嬉しいよ」
 「ありがとう」

 お父さんはまた涙ぐんだ。



 「あんまり可愛くてな。石神にはしばらく見せられなかった」
 「なんで?」
 「あいつはなぁ。女に関しては病気なんだよ」
 「どういうこと!」
 「女はみんなあいつを好きになってしまう。俺が大好きだったあの、あ、なんでもない」
 「えー!」
 「可愛い亜紀が石神を好きになっちゃうと思うとな。なんだか寂しくて。それが怖かったからな」
 「お父さん、ヘンだよ」
 「ワハハハハ!」

 お父さんは珍しく、まだビールを飲んでいた。
 お母さんが、今日は特別にしているようだ。
 もう真っ赤な顔をしていた。

 「でもな。石神を初めてここに呼んだ時にな。あいつ、お前のことを本当に可愛がってくれて。自分のことのように喜んでくれてな。美味しい肉なんかも勝手に買って来て。あいつをもっと早くに呼んでおけば良かったと思ったよ」
 「そうなんだ!」

 「亜紀が石神を好きになってもいいと思った。しょうがないよな、あいつは本当にいい奴だから」
 「そうだよね!」
 「俺なんかと違ってカッコイイし。背も高いし顔もいい。優しいし。頭もいいしな」
 「石神さんはお父さんの方が頭がいいんだって言ってたよ?」
 「ほんとか!」

 「うん。だから血液学をやってるんだって。血液学って、一握りの頭のいい人しかできないんだって言ってた」
 「あいつ、そんなこと言ってたか!」
 「でも私は石神さんの方が好きかな」
 「えー、あきちゃーん!」
 「うそうそ! お父さんの方が好きだって!」
 「ありがとー!」

 お父さんが泣きそうになるので面白かった。




 「でも石神は本当にいい奴なんだ」
 「そうだよね」
 「亜紀、もしもお前が困ったら。その時に俺やお母さんに頼れなかったら。そうしたら石神を頼れ」
 「えー、やだよそんなの。お父さんとお母さんはずっと元気でいて」

 「もちろんだ! でもな、万一の場合だ。そういう時には石神に頼るんだぞ」
 「うん、分かったけど」
 「あいつはな、絶対にお前を助けてくれる。あいつはそういう奴なんだ」
 「うん」

 「石神は、俺が本当に困るといつでも助けてくれた。俺はいくら感謝しても足りない。あいつはいい奴なんだ」
 「分かったよ、お父さん」
 「石神はなー! いつも言うんだよ。「よし、俺に任せろ!」ってな。あいつがそう言うと、絶対に大丈夫なんだ。それは俺が保証する!」
 「アハハハハハ!」

 お父さんは本当に嬉しそうだった。

 「あいつな、体中に物凄い傷があるんだよ。数えきれない。随分と大きな傷も多いんだ」
 「そうなの?」
 「前にあいつと一緒に風呂に入ったんだよな。そうしたら「俺の身体、気持ち悪いだろ」って。俺が全然そんなことはないって言っても、あいつはずっとすまなそうにしてるんだ」
 「へー、なんでだろう?」
 「子どもの頃にな。自分の傷が周りの人に随分と気持ち悪がられたって言ってた。俺は全然そんなことはなかったのにな」
 「石神さん、可愛そう」
 「そうだよな。俺には分かるんだ。あいつは誰かを助けようとしてああいう傷がついたんだよ。そのまま死んでてもおかしくないような傷もある。でも、自分が死ねば悲しむ人がいる。だから頑張って生きたんだよな」
 「うん」

 「誰かを助けた傷も多いだろうよ。俺はあの石神の身体は美しいと思ったよ」
 「そうだよね!」

 「亜紀、石神はな、どんなに自分が傷ついても、自分がどんなになっても、大事な人間を助けようとする奴なんだ。だからな、もしもあいつの傷を見ても、嫌がらないでやってくれ」
 「うん! 分かった!」

 お父さんは酔いつぶれてしまった。
 石神さんがいい奴なんだと、繰り返し呟いていた。
 幸せそうな顔をしていた。




 「あら、お父さん寝ちゃったのね」

 お母さんが笑って言った。

 「石神さんと一緒の時じゃないと、酔いつぶれるまで飲まないのに」
 「さっきね、石神さんのお話をずっとしてたの」
 「あー、だからだ」

 お母さんが嬉しそうに笑った。

 「もう、石神さんのことが大好きなんだから」
 「そうなのね」
 「昔からね。石神さんには絶対に会うなって言ってたの。でもね、気付くと石神さんのことを褒めてるの」
 「アハハハハハ!」
 「あいつはとんでもないんだって話をしててもね、最後にはいつも「あいつはいい奴なんだよ」って言って終わるの」
 「アハハハハハ!」

 「なんだかねー。いつも嬉しそうに話すんだ」
 「そうなんだ!」
 「亜紀も石神さんが好き?」
 「うん!」

 「やっぱりね」
 「お母さんは?」
 「私はお父さんよ。でもね、お父さんをこんなに幸せにしてくれる石神さんも好き」
 「そうね!」

 二人でお父さんを運んだ。
 お母さんが服を脱がせて着替えさせた。
 私も手伝った。
 お父さんの裸は、傷が無かった。
 でも、私はそんなお父さんも大好きだった。
 石神さんと違って、ちょっと太ってるお父さん。
 優しい顔で、いつも家族のことばかり考えてるお父さん。
 傷は無いけど、ちょっと髪の毛が薄くなってる。
 きっと、それがお父さんの優しい傷なんだ。
 
 お母さんが布団に寝かせて、胸をポンポンと叩いた。
 私も真似をしてポンポンした。

 「やめろよ、石神!」
 
 お父さんが寝言を言った。
 




 二人で声を抑えて笑った。
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