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あの日、あの時: ミユキ

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 五月の下旬。
 蓮花から電話が来た。

 「新たなブランが目覚めました」
 「そうか。ではまた行こう」
 「宜しくお願いいたします」

 「ミユキたちは元気か?」
 「はい。ミユキは一段と強くなりました。前鬼も後鬼も。石神様が来て下されば喜ぶでしょう」
 「そうか。デュール・ゲリエ(Dur Guerrier:硬戦士)はどうだ?」

 俺たちが開発したアンドロイドだ。

 「そちらも順調に。幾つか「花岡」の技を覚えました」
 「そうか!」

 デュール・ゲリエが実戦で使えれば、大きな戦力になる。
 俺たちは「数」で劣っている。
 戦術に於いて「数」の要素は大きい。
 一対一で向き合えば、双子はジェヴォーダンを容易く仕留めたはずだ。
 しかし、それが14体になったら、もうダメだった。
 戦闘力で圧倒的に上回る亜紀ちゃんがいたから勝てたのだ。

 「それで、一つお願いがあるのですが」
 「なんだ?」
 「今回は亜紀様を御連れ頂くことは出来ますでしょうか」
 「亜紀ちゃんを?」
 「はい。石神様を除き、我々の最大戦力の亜紀様に、ミユキたちをお相手いただければと」
 「六花では不足か」
 「そういうわけでも。でも、もっと圧倒的な差を見せてやることで、ミユキたちも奮起するのではないかと愚考致します」
 「なるほどな」

 何のことはない。
 俺が子どもたちにやらせている勉強法と同じだ。
 遥かな高みを見せることで、現状を乗り越えて飛躍する。

 「分かった。亜紀ちゃんを連れて行こう」
 「ありがとうございます」

 



 五月最後の金曜日。
 俺は仕事を早めに終え、亜紀ちゃんとシボレー・コルベットで3時ごろに出発した。

 「蓮花さんの研究所、楽しみです!」
 「そうかよ。まあ、楽しんで欲しいけどな。ミユキたちに会うのも初めてだよな」
 「はい! 写真や動画は見てますけど、綺麗な方ですよね」
 「ああ」

 亜紀ちゃんはウキウキしている。
 俺と一緒に出掛けるということもある。

 「タカさん」
 「なんだ?」
 「「ミユキ」というのは、本当の名前では無いんですよね?」
 「ああ、そうだ」
 「タカさんが名付けたんですか?」
 「そうだよ」
 「何か理由があるんでしょうか?」
 「まあな。俺の知っている人の名前でな。その人のようになって欲しいという願いを込めた」

 亜紀ちゃんが俺の腕を掴んだ。

 「教えて下さい!」

 俺は笑った。

 「いいじゃないか」
 「よくないです!」
 
 亜紀ちゃんは腕を離さない。
 俺は苦笑して話してやった。





 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 俺が小学校の六年生の時。
 7月の初旬だ。
 プールの授業があった。
 
 体育の小倉先生の他、大学で水泳部だった猪俣先生と、監視員として二組の担任の安田先生が授業に入る。
 安田先生は少し遅れるとのことだった。
 俺は昨年は入院中で、プールの授業は初めてだった。
 泳ぎは得意だ。
 友達と川で遊んだり、横浜の金沢文庫にいた祖母は海辺の造船所の寮にいた。
 寮母をしていたので、遊びに行くとよく海で遊んだ。
 俺は水着に着替えてクラスのみんなと一緒にプールへ行った。
 小学生なので、男女は一緒だ。

 全員で準備体操をしていると、猪俣が俺を呼んだ。

 「石神! お前のその身体はなんだ!」
 「はい?」
 「その気持ち悪い身体だよ! 他の生徒が気味悪がってるだろう! ふざけんな!」
 
 俺は平手で殴られた。

 「お前はすぐに体操着を着ろ! バカモノ!」

 俺の身体は既に傷だらけだった。
 喧嘩のものもあるし、それ以前の手術や何百回も注射されて爛れた部分もある。

 「猪又先生!」

 小倉先生が猪俣に抗議しようとした。

 「なんです? 俺に意見しようって?」

 学年主任であり先輩、年長の猪俣先生に、小倉先生はそれ以上言えなかった。
 俺は体操服の上を着て、プールサイドの隅に座らされた。
 隣には「ミユキ」がいた。

 ミユキは幼い頃に大量の酸を浴びたせいで、顔の左半分、頬から下に酷い火傷を負っていた。
 また左首、肩、腕、そして胸から腹にかけても酷い火傷の爛れと引き攣れがある。
 ミユキは本人の希望で肌を出すのを拒否し、最初から体操着を着ている。
 ミユキはその見た目で、他のクラスメイトから虐められることもあった。
 仲の良い友達もいなかった。

 「おう! 俺も見学だ。一緒に宜しくな!」

 俺が声を掛けると、ミユキは驚いていた。

 「石神くん、可愛そう」
 「いいよ。だけど身体の傷なんてなー! どうでもいいよな?」
 「え!」
 「ミユキは女の子だから辛いかもだけど。まあ、しょーがねーや」
 「うん」

 俺たちはみんなが楽しく泳いでいるのを見ながら、話をした。
 ミユキは自分の火傷のことを話してくれた。
 幼稚園の時に、母親に連れられて、父親のメッキ工場に行ったそうだ。
 そこで運悪く塩酸のタンクが破れ、母親と一緒に大量に浴びてしまった。
 咄嗟に母親がミユキの上に覆いかぶさって、ミユキは奇跡的に助かった。
 母親が覆い切れなかった左半分に浴びたが、生命に別条は無かった。
 母親はその事故で亡くなってしまった。

 俺は聞きながら泣いた。

 「お前、辛かったな!」
 「うん。だけどもう随分前のことだし」
 「そうじゃねぇよ! そんなの一生かかっても昔にならない!」
 
 ミユキも泣いた。
 
 「お母さんのこともそうだけど。みんなが私を気持ち悪いって言うのが一番辛いかな」
 「おう! じゃあ俺が絶対に守ってやるよ!」
 「え?」
 「だって、お前の身体は全然気持ち悪くないよ! お母さんが守ってくれたんだろ?」
 「そうだけど」
 「だったら、俺は全然気持ち悪くなんかない!」
 「ありがとう、石神くん」
 
 ミユキが笑った。

 「石神くんは前から私を避けなかったよね?」
 「当たり前じゃん!」
 「いじめられてると、助けてくれた」
 「当たり前だろう」
 「嬉しかったんだ」
 「なんでもねぇよ」
 「石神くんだけだった」

 「エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』って戯曲があるんだ」
 「なにそれ?」

 俺は内容を話した。
 醜い顔の男が堂々と騎士道を発揮する話だ。

 「見た目なんかじゃないんだ、人間は」
 「じゃあ、なんなの?」
 「人間はよ、魂よ!」
 「アハハハハハ!」

 ミユキが明るく笑った。
 俺たちはいろんなことを話した。
 戯曲の本をくれた、静馬くんの話をすると、ミユキが泣いた。

 次第にミユキが辛そうになった。
 無理もない。
 炎天下のプールサイドでじっと座っているのだ。
 熱中症になりかけている。
 
 俺は矢田や五十嵐など、仲のいい連中やファンクラブの女子たちに声を掛け、ミユキに水を掛けてもらった。

 「あ、気持ちいい」
 「ミユキちゃん、大丈夫?」

 杉本が声をかけてくれる。

 「うん、杉本さん、ありがとう」

 でもミユキはまだ辛そうだった。
 俺は日陰になっている場所にミユキを連れて行った。
 後ろから蹴られ、俺はプールサイドに突っ伏した。

 「石神! 何勝手に移動してんだぁ!」
 「すみません!横倉(ミユキ)さんが辛そうだったんで」
 「戻れ!」
 「お願いします!」

 何度も殴られた。
 俺は耐えた。
 俺が殴られている間、ミユキは休める。





 「猪又先生!」

 遅れて今来たらしい安田先生が叫んだ。

 「何やってるんですか!」
 「石神がまた逆らうんですよ」

 杉本が安田先生に説明した。

 「猪又先生! あなたって人は!」

 激怒していた。
 猪俣先生も気圧されて、指導に戻った。

 「石神くん、大丈夫!」
 「平気です。俺よりもミユキが」

 安田先生はミユキを保健室へ連れて行った。
 俺にも一緒に来るように言われた。
 ミユキはベッドに寝かされ、濡らしたタオルを頭に置かれた。

 「おう、ミユキ。大丈夫か?」
 「うん、石神くん、ありがとう」
 「ほら、石神くんも手当しないと」

 安田先生が殴られたところを見てくれた。

 「何で石神くんは泳いで無かったの?」
 「あー、俺の身体って気持ち悪いじゃないですか。だから」
 
 安田先生が立ち上がった。

 「そういう風に猪俣先生に言われたの?」
 「え、あー、そういう」
 「そうです、安田先生!」

 横になっていたミユキが言った。

 「絶対許さない!」

 安田先生はまたカンカンだった。

 「いいんですよ! 一緒にいたお陰でミユキが助かった。それに一杯いろんな話もできた!」
 「石神くん!」
 「俺なんかは本当に生意気で、嫌われて怒られるのは当然です。でもミユキは違いますからね!」
 「あなた……」

 安田先生は職員室から冷たいジュースを持って来てくれた。
 俺とミユキに飲ませてくれた。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 「また猪俣ですかぁーーーーー!!!!」

 亜紀ちゃんが激怒りだった。

 「アハハハハハ!」
 「笑い事じゃないですよ!」
 「まあ、昔のことだよ。今なら大問題で逮捕案件だけどな。昔はそんなものだった。特に俺みたいな悪ガキはな」
 「私、絶対に許せません! 子どもタカちゃんをそんなにいじめるなんてぇ!」
 「おいおい」
 「猪又が行った島を教えてください! 私、ちょっと吹っ飛ばしてきますから!」
 「他の住民もいるんだ、よせよせ」
 「嫌です!」
 「まったくなぁ」






 俺は笑って、ミユキの話の続きをした。 
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