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青の虎
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別荘へ出発の前日。
亜紀ちゃんは朝食後に柳と顕さんの家に行った。
今日は簡単な掃除と、今後の掃除のスケジュールを組むと言っていた。
皇紀と双子は防衛システムとその他の打ち合わせをしている。
レイは仕事だ。
誰も俺の相手をしてくれない。
ロボがじっと俺を見ていた。
大きく尾を揺らしている。
二人で散歩に出た。
近所ならロボも付いて来る。
俺の前を走ったり、何か匂いを嗅いだり、俺を先に行かせて突進して来たり。
非常にカワイイ。
ロボのためのミルクの入った水筒と焼いたササミ、小皿を持っている。
「ピクニックだな!」
「にゃう!」
双子と寄る公園まで来た。
ベンチに座り、ロボにササミをやり、ミルクを注いだ。
俺は暑いのでドクターペッパーを買って飲んだ。
ロボが匂いを嗅ぎたがるので鼻に近づけると嫌がった。
「石神さん!」
真夜がいた。
「おう!」
「どうしたんですか?」
「ああ、散歩だよ」
「ネコ、可愛いですね!」
「おう、ヤクザの娘もそんな感覚があるのか」
「え、勘弁して下さい!」
俺は笑って座れと言った。
近くの自販機でコーラを買って来てやる。
「すみません」
「じゃあ200円」
「え! お金取るんですか! しかも高い!」
笑って冗談だと言った。
ロボを撫でていいかと聞くので、噛まれる覚悟でやれと言った。
そっと真夜が撫でる。
ロボはうっとりと目を閉じた。
「おめでとう。ロボ検定二級合格だな」
「あ、ありがとうございます」
「俺は8段だけどな」
「そうなんですか」
「8段の技を見せてやろうか?」
「お願いします」
「おし! 特別だぞ」
俺はビル・ハーレイの『Rock Around the Clock』立って歌った。
♪One,Two,Three o'clock Four o'clock Rock♪
俺が踊り出すと、ロボがベンチを駆け下りて二本足で立ち、お尻を振り出す。
真夜が手を叩いて喜んだ。
通りかかる人が足を止め、ちょっとした輪が出来る。
みんな手を叩いてリズムを取り、何人かが一緒に踊った。
ロボもノリノリだ。
歌い終え、拍手を頂く。
手を振って、俺はベンチにロボと座った。
「凄いですね!」
「アハハハハハ!」
ロボにミルクをやった。
「どうだよ、新しい貧乏生活は慣れたか?」
「はい、本当にお陰様で!」
「アハハハハ!」
「亜紀ちゃんに嫌なことをされてないか?」
「はい、良くして頂いてます」
「そうか。まあ、何かあったら言えよ」
「え、そうしたらまた二人して来るんじゃないんですか?」
「アハハハハ!」
真夜も笑った。
いい笑顔だった。
「でも、本当に良かったんだと思ってます」
「お前、どっかおかしいんじゃねぇのか?」
「なんでですか!」
「だってよ。裸に剥かれて尻にスゴイの入れられて、家をぶっ飛ばされ、組は潰され、拉致られて奴隷だぞ?」
「アハハハハハ! でもお尻は止めてくれたじゃないですか」
「まあ、お前はヤクザじゃねぇしな」
「はぁ」
真夜はロボを見る。
「私は何も無かったんですよ」
「そうだな」
「全部奪われて、初めて分かりました」
「そうか」
「それと、持ってる人を見て、それが分かったんです」
「持ってる人?」
「亜紀さんですよ」
「そうか」
「亜紀さんは生きる芯を持ってました」
「うん」
「石神さんのために生きるんだって。そのために何でもするし、同時に全部がどうでもいいっていう」
「お前、頭いいな!」
「ありがとうございます!」
「人間はよ、お前の言う「芯」がなきゃダメなんだよ」
「はい」
「それが無い奴は、本当は「人間」って言わねぇのな」
「はい」
「要は自分じゃねぇ何かのために生きる、というな」
「分かります」
「学生時代にな、芸大生と知り合ったんだよ」
「はぁ?」
「誰が何と言おうと、死ぬまで同じ絵しか描かなかった奴なんだ」
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
御堂と根津美術館へ行った。
花見のシーズンだったので、上野の桜を見ながら帰ろうということになった。
ぎっしりとシートが敷かれ、花見客が大勢いた。
気のいい酔客が一杯飲んでいけと誘ってくれ、俺たちはあちこちでちょっとずつご馳走になりながら歩いた。
先で喧嘩をしているのが見える。
近づくと、若い男が蹲り、数人の男たちに蹴られている。
俺は走り寄って蹴散らした。
俺にかかって来る奴の顔をぶっ飛ばし、一瞬で血まみれにすると、男たちは駆け去って行った。
「おい、大丈夫か?」
若い男はイーゼルの絵を守っていたようだ。
桜を描いていたようだが、その色は青かった。
俺たちは移動し、道の脇のベンチに座った。
御堂が自動販売機でコーヒーを買って来た。
若い男に飲ませる。
「すいませんでした。助けて頂いてありがとうございました」
「いいよ。酷い目に遭ったなぁ」
「はい。僕が絵を描いていたら、オイルの匂いが臭いって」
「ああ、そうか」
男は速水健二と名乗った。
芸大の三年生らしい。
俺たちも自己紹介をする。
東大医学部の三年だと言うと、驚いていた。
「あんなに喧嘩が強いのに?」
「関係ねぇだろう!」
御堂と笑った。
「石神は特別だよ。他にはこんな人間はいないよ」
御堂が言うと、納得したようだ。
絵を見せてもらった。
太い幹の桜。
青い花びら。
背景は夜のようで黒く塗られている。
うっすらと淡い月が浮かんでいる。
「ピンクの桜が青になるようにどうにか表現しようとしたのか。それも昼に夜を描いてよ」
「分かるんですか!」
「だって、そう描いてるじゃないか」
速水は喜んでいた。
「昼は夜になります。ピンクの桜は、いつか青になる」
「なるほどな」
「それを見ようと思ったんですが、なかなか」
「まあ、ガンバレよ!」
印象に残る奴だった。
10年後。
俺は毎月購読している『芸術新潮』で「速水健二」の名前を偶然見つけた。
若い芸術家が集まっての展覧会をやるようだった。
懐かしくなり、出掛けた。
速水の絵はすぐに分かった。
青い光の中に浮かぶ花瓶、雪だるま、そして虎。
俺が眺めていると、後ろから声を掛けられた。
「石神さん!」
速水だった。
「俺を覚えていてくれたのか」
「もちろんです!」
嬉しかった。
俺は虎の絵は買えるのか聞いた。
「はい! もし気に入って下さったなら!」
「気に入ったよ。是非購入させて欲しい」
速水は喜んで手配し、俺の目の前で「売約済み」のシールを貼ってくれた。
30号のサイズで、50万円だと言われた。
俺はすぐに現金で渡した。
「ありがとうございました!」
「他の絵もいいじゃないか。あれからずっと「青」を追いかけているのか?」
「はい!」
それから、展覧会や個展をやるたびに連絡が来た。
気に入った絵があると、購入した。
一枚数十万円だった。
画家としては、まだまだ評価が低い。
7点ほどになった。
速水健二は徐々に名が売れ、そのうちにある画廊主が気に入って抱えるようになった。
個展をやる時に、よく速水が俺に絵を借りに来た。
俺はいつでも喜んで貸し出した。
毎回、その礼と一緒に同じ言葉を遺していった。
「石神さんが僕の絵を分かってくれて、だから今も描けるんです」
嬉しそうに笑って、そう言っていた。
しばらく、速水から連絡が無かった。
画廊からは展示会の案内は定期的に届く。
ある日、画廊主から電話が来て、是非来て欲しいのだと言われた。
久しぶりに、画廊へ出掛けた。
「最近、速水はどうしていますか?」
「はい、自殺しまして」
そう言って、50号の絵を出してきた。
丁寧に床に置く。
額装のされていない、キャンバスのままだった。
『青の虎』というタイトルだった。
昔俺が初めて買った絵と同じタイトルだ。
しかし、虎ではなかった。
森林を背にした草原に立つ背の高い、筋肉が多い、髪の長い半裸の逞しい男の絵だった。
周囲の空気が揺れて天の月に昇っている。
俺の顔だった。
「すい臓がんでしてね。余命宣告を受けてました。それで最後に描いた絵がこれなんです」
「そうでしたか」
「描き終えて私に連絡を寄越して。その後で自殺しました」
遺書があり、この絵を俺に渡して欲しいと書いてあったそうだ。
「速水は石神さんのことをいつも話してました。上野で助けてくれて、その上に自分がやろうとしていることを見事に言い当ててくれたんだって」
「そうですか」
「石神さんがお持ちの『青の虎』。あれは速水が石神さんを思って描いたらしいです。だから石神さんご本人が買って下さって、そりゃあ嬉しかったんだと」
「……」
「はっきり申し上げて、速水の絵は飽きられてました。最初は物珍しさもあったんですが、いつも青い絵ばかりですからね。でも彼はそれを曲げようとしなかった」
「そうですね」
「じゃあ、この絵はお持ちください」
「いや、こちらから買わせて下さい」
「え?」
「速水には妹さんがいたでしょう」
「は、はい!」
「1000万でいいですか?」
「!」
「他に速水健二の絵があったら、見せて下さい」
画廊主が4点出してきて、全部で2000万円で買った。
速水には、足の不自由な妹がいた。
後日、速水の妹がうちを訪ねて来た。
「生前は、兄を支えて下さってありがとうございました」
「いいえ、何もお力になれず」
俺の持っている速水健二の絵をすべて見せた。
「兄の絶筆」
「はい」
「石神さんの未来を観たいって言ってました」
「そうですか」
「石神さんは、きっと「青の世界」に辿り着く人なんだって」
「それは?」
「兄は「青の世界」があると言っていたんです。それは「赤の世界」が激しく燃え上がって、そうして「青の世界」になるんだと」
よくは分からなかったが、当の妹さんにも分からないようだった。
「私にも分からないんですが。でも石神さんはきっと分かると申していました」
「私もまだ分かりませんけどね」
「ウフフフ」
帰り際に俺が作品を買い上げた礼を言った。
「兄は、石神さんを見ると、燃えるような火柱が見えたそうです。そんな人は他にいないと」
「!」
「兄がこの世で何をやったのかは分かりません。でも、あれで良かったんだと思います」
「そうですね」
速水の妹は、専用の車に乗り込んで帰った。
絶筆『青の虎』の後ろには、「親友 石神高虎へ捧ぐ」とコバルトブルーの絵の具で鮮やかに描かれていた。
亜紀ちゃんは朝食後に柳と顕さんの家に行った。
今日は簡単な掃除と、今後の掃除のスケジュールを組むと言っていた。
皇紀と双子は防衛システムとその他の打ち合わせをしている。
レイは仕事だ。
誰も俺の相手をしてくれない。
ロボがじっと俺を見ていた。
大きく尾を揺らしている。
二人で散歩に出た。
近所ならロボも付いて来る。
俺の前を走ったり、何か匂いを嗅いだり、俺を先に行かせて突進して来たり。
非常にカワイイ。
ロボのためのミルクの入った水筒と焼いたササミ、小皿を持っている。
「ピクニックだな!」
「にゃう!」
双子と寄る公園まで来た。
ベンチに座り、ロボにササミをやり、ミルクを注いだ。
俺は暑いのでドクターペッパーを買って飲んだ。
ロボが匂いを嗅ぎたがるので鼻に近づけると嫌がった。
「石神さん!」
真夜がいた。
「おう!」
「どうしたんですか?」
「ああ、散歩だよ」
「ネコ、可愛いですね!」
「おう、ヤクザの娘もそんな感覚があるのか」
「え、勘弁して下さい!」
俺は笑って座れと言った。
近くの自販機でコーラを買って来てやる。
「すみません」
「じゃあ200円」
「え! お金取るんですか! しかも高い!」
笑って冗談だと言った。
ロボを撫でていいかと聞くので、噛まれる覚悟でやれと言った。
そっと真夜が撫でる。
ロボはうっとりと目を閉じた。
「おめでとう。ロボ検定二級合格だな」
「あ、ありがとうございます」
「俺は8段だけどな」
「そうなんですか」
「8段の技を見せてやろうか?」
「お願いします」
「おし! 特別だぞ」
俺はビル・ハーレイの『Rock Around the Clock』立って歌った。
♪One,Two,Three o'clock Four o'clock Rock♪
俺が踊り出すと、ロボがベンチを駆け下りて二本足で立ち、お尻を振り出す。
真夜が手を叩いて喜んだ。
通りかかる人が足を止め、ちょっとした輪が出来る。
みんな手を叩いてリズムを取り、何人かが一緒に踊った。
ロボもノリノリだ。
歌い終え、拍手を頂く。
手を振って、俺はベンチにロボと座った。
「凄いですね!」
「アハハハハハ!」
ロボにミルクをやった。
「どうだよ、新しい貧乏生活は慣れたか?」
「はい、本当にお陰様で!」
「アハハハハ!」
「亜紀ちゃんに嫌なことをされてないか?」
「はい、良くして頂いてます」
「そうか。まあ、何かあったら言えよ」
「え、そうしたらまた二人して来るんじゃないんですか?」
「アハハハハ!」
真夜も笑った。
いい笑顔だった。
「でも、本当に良かったんだと思ってます」
「お前、どっかおかしいんじゃねぇのか?」
「なんでですか!」
「だってよ。裸に剥かれて尻にスゴイの入れられて、家をぶっ飛ばされ、組は潰され、拉致られて奴隷だぞ?」
「アハハハハハ! でもお尻は止めてくれたじゃないですか」
「まあ、お前はヤクザじゃねぇしな」
「はぁ」
真夜はロボを見る。
「私は何も無かったんですよ」
「そうだな」
「全部奪われて、初めて分かりました」
「そうか」
「それと、持ってる人を見て、それが分かったんです」
「持ってる人?」
「亜紀さんですよ」
「そうか」
「亜紀さんは生きる芯を持ってました」
「うん」
「石神さんのために生きるんだって。そのために何でもするし、同時に全部がどうでもいいっていう」
「お前、頭いいな!」
「ありがとうございます!」
「人間はよ、お前の言う「芯」がなきゃダメなんだよ」
「はい」
「それが無い奴は、本当は「人間」って言わねぇのな」
「はい」
「要は自分じゃねぇ何かのために生きる、というな」
「分かります」
「学生時代にな、芸大生と知り合ったんだよ」
「はぁ?」
「誰が何と言おうと、死ぬまで同じ絵しか描かなかった奴なんだ」
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
御堂と根津美術館へ行った。
花見のシーズンだったので、上野の桜を見ながら帰ろうということになった。
ぎっしりとシートが敷かれ、花見客が大勢いた。
気のいい酔客が一杯飲んでいけと誘ってくれ、俺たちはあちこちでちょっとずつご馳走になりながら歩いた。
先で喧嘩をしているのが見える。
近づくと、若い男が蹲り、数人の男たちに蹴られている。
俺は走り寄って蹴散らした。
俺にかかって来る奴の顔をぶっ飛ばし、一瞬で血まみれにすると、男たちは駆け去って行った。
「おい、大丈夫か?」
若い男はイーゼルの絵を守っていたようだ。
桜を描いていたようだが、その色は青かった。
俺たちは移動し、道の脇のベンチに座った。
御堂が自動販売機でコーヒーを買って来た。
若い男に飲ませる。
「すいませんでした。助けて頂いてありがとうございました」
「いいよ。酷い目に遭ったなぁ」
「はい。僕が絵を描いていたら、オイルの匂いが臭いって」
「ああ、そうか」
男は速水健二と名乗った。
芸大の三年生らしい。
俺たちも自己紹介をする。
東大医学部の三年だと言うと、驚いていた。
「あんなに喧嘩が強いのに?」
「関係ねぇだろう!」
御堂と笑った。
「石神は特別だよ。他にはこんな人間はいないよ」
御堂が言うと、納得したようだ。
絵を見せてもらった。
太い幹の桜。
青い花びら。
背景は夜のようで黒く塗られている。
うっすらと淡い月が浮かんでいる。
「ピンクの桜が青になるようにどうにか表現しようとしたのか。それも昼に夜を描いてよ」
「分かるんですか!」
「だって、そう描いてるじゃないか」
速水は喜んでいた。
「昼は夜になります。ピンクの桜は、いつか青になる」
「なるほどな」
「それを見ようと思ったんですが、なかなか」
「まあ、ガンバレよ!」
印象に残る奴だった。
10年後。
俺は毎月購読している『芸術新潮』で「速水健二」の名前を偶然見つけた。
若い芸術家が集まっての展覧会をやるようだった。
懐かしくなり、出掛けた。
速水の絵はすぐに分かった。
青い光の中に浮かぶ花瓶、雪だるま、そして虎。
俺が眺めていると、後ろから声を掛けられた。
「石神さん!」
速水だった。
「俺を覚えていてくれたのか」
「もちろんです!」
嬉しかった。
俺は虎の絵は買えるのか聞いた。
「はい! もし気に入って下さったなら!」
「気に入ったよ。是非購入させて欲しい」
速水は喜んで手配し、俺の目の前で「売約済み」のシールを貼ってくれた。
30号のサイズで、50万円だと言われた。
俺はすぐに現金で渡した。
「ありがとうございました!」
「他の絵もいいじゃないか。あれからずっと「青」を追いかけているのか?」
「はい!」
それから、展覧会や個展をやるたびに連絡が来た。
気に入った絵があると、購入した。
一枚数十万円だった。
画家としては、まだまだ評価が低い。
7点ほどになった。
速水健二は徐々に名が売れ、そのうちにある画廊主が気に入って抱えるようになった。
個展をやる時に、よく速水が俺に絵を借りに来た。
俺はいつでも喜んで貸し出した。
毎回、その礼と一緒に同じ言葉を遺していった。
「石神さんが僕の絵を分かってくれて、だから今も描けるんです」
嬉しそうに笑って、そう言っていた。
しばらく、速水から連絡が無かった。
画廊からは展示会の案内は定期的に届く。
ある日、画廊主から電話が来て、是非来て欲しいのだと言われた。
久しぶりに、画廊へ出掛けた。
「最近、速水はどうしていますか?」
「はい、自殺しまして」
そう言って、50号の絵を出してきた。
丁寧に床に置く。
額装のされていない、キャンバスのままだった。
『青の虎』というタイトルだった。
昔俺が初めて買った絵と同じタイトルだ。
しかし、虎ではなかった。
森林を背にした草原に立つ背の高い、筋肉が多い、髪の長い半裸の逞しい男の絵だった。
周囲の空気が揺れて天の月に昇っている。
俺の顔だった。
「すい臓がんでしてね。余命宣告を受けてました。それで最後に描いた絵がこれなんです」
「そうでしたか」
「描き終えて私に連絡を寄越して。その後で自殺しました」
遺書があり、この絵を俺に渡して欲しいと書いてあったそうだ。
「速水は石神さんのことをいつも話してました。上野で助けてくれて、その上に自分がやろうとしていることを見事に言い当ててくれたんだって」
「そうですか」
「石神さんがお持ちの『青の虎』。あれは速水が石神さんを思って描いたらしいです。だから石神さんご本人が買って下さって、そりゃあ嬉しかったんだと」
「……」
「はっきり申し上げて、速水の絵は飽きられてました。最初は物珍しさもあったんですが、いつも青い絵ばかりですからね。でも彼はそれを曲げようとしなかった」
「そうですね」
「じゃあ、この絵はお持ちください」
「いや、こちらから買わせて下さい」
「え?」
「速水には妹さんがいたでしょう」
「は、はい!」
「1000万でいいですか?」
「!」
「他に速水健二の絵があったら、見せて下さい」
画廊主が4点出してきて、全部で2000万円で買った。
速水には、足の不自由な妹がいた。
後日、速水の妹がうちを訪ねて来た。
「生前は、兄を支えて下さってありがとうございました」
「いいえ、何もお力になれず」
俺の持っている速水健二の絵をすべて見せた。
「兄の絶筆」
「はい」
「石神さんの未来を観たいって言ってました」
「そうですか」
「石神さんは、きっと「青の世界」に辿り着く人なんだって」
「それは?」
「兄は「青の世界」があると言っていたんです。それは「赤の世界」が激しく燃え上がって、そうして「青の世界」になるんだと」
よくは分からなかったが、当の妹さんにも分からないようだった。
「私にも分からないんですが。でも石神さんはきっと分かると申していました」
「私もまだ分かりませんけどね」
「ウフフフ」
帰り際に俺が作品を買い上げた礼を言った。
「兄は、石神さんを見ると、燃えるような火柱が見えたそうです。そんな人は他にいないと」
「!」
「兄がこの世で何をやったのかは分かりません。でも、あれで良かったんだと思います」
「そうですね」
速水の妹は、専用の車に乗り込んで帰った。
絶筆『青の虎』の後ろには、「親友 石神高虎へ捧ぐ」とコバルトブルーの絵の具で鮮やかに描かれていた。
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