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忘れられない夜。

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 二月最後の日曜日。
 俺はベンツに乗って、顕さんの家に行った。
 亜紀ちゃんも一緒だ。

 「顕さん、お元気ですかね」
 「ああ、先週電話で話したよ。元気そうだった。仕事を頑張っているよ」
 「そうですか」

 顕さんの家に着き、玄関を開けて中へ入る。
 当たり前だが、薄暗い。

 俺は廊下の電灯を点けたが、一つ切れているようだった。
 亜紀ちゃんに、ストックから新しいものを出すように言った。
 誰もいない家だが、切れたままなのは、何か寂しい。
 俺たちは全部の窓を開けた。
 仏壇の花を変え、お茶を供えた。
 
 掃除を始めた。

 俺が掃除機をかけ、亜紀ちゃんが雑巾で拭いていく。
 掃除機をかけ終え、俺は風呂場とトイレの掃除をした。
 そろそろ終えようと亜紀ちゃんを探すといない。
 二階に上がると、亜紀ちゃんが奈津江の部屋のベッドに横になっていた。

 「こら」
 「エヘヘヘヘ」

 亜紀ちゃんが起きて、ベッドに腰かけた。

 「タカさんは奈津江さんの部屋にも来たんですか?」
 「ああ、二度だけな」
 「へー!」
 「なんだよ」
 「やっっちゃった?」
 「やってねぇよ!」
 やってない。

 「そうですよね。残念ですねー」
 「このやろう」

 亜紀ちゃんが一緒だと、何故か胸が痛まない。
 不思議だ。

 「じゃあ、来て何をしたんです?」
 「別に。普通に話をしただけだよ」
 「へー」





 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■





 学食で昼食を奈津江と食べていた。
 奈津江と一緒の選択科目の後だったので、御堂も栞もいない。

 「お兄ちゃんがね、高虎に泊りに来てもらえって」
 「え! ほんとに!」
 「うん。でもエッチなことはしないよ!」
 「えー」

 「やっぱダメ。やめる」
 「うそうそ! 行かせて下さいー!」
 「もーう!」
 
 二月の土曜日の午後だったと記憶している。
 バレンタインデーの後だから、覚えている。
 俺は奈津江に言われて、駅前の「コトブキ屋」でケーキを買った。
 値段はそれほどでもない店だ。
 金の無い俺に、奈津江が気を遣ってくれたのだ。
 ケーキの包みを持って待っていると、奈津江が迎えに来てくれた。

 「待った?」
 「うん」
 奈津江に腕を叩かれた。

 「こういう時は「ううん」って言うの!」
 「だってお前、45分も遅れて」

 また叩かれた。

 「はい、行くよ!」

 俺たちは歩き出した。
 奈津江が腕を組んでくる。
 寒さが苦手な女なので、また着ぶくれている。
 奈津江の感触が少ない。
 でも嬉しかった。




 「へぇー、大きな家だなぁ」
 「エヘヘヘ」

 奈津江が玄関を開くと、顕さんが出て来た。

 「やあ、石神くん。いらっしゃい」
 「今日はお世話になります!」

 俺は顕さんにケーキを渡した。

 「なんだよ、つまらない気を遣って!」
 「いや、お金がないんでこんなものですみません」
 「何言ってんだ! 君は学生だろう」
 顕さんは笑って、じゃあお茶を煎れようと言ってくれた。
 居間に案内され、三人でケーキを食べた。

 「あれ、一つ多いぞ?」
 「ああ、奈津江がいつも二つ食べるんで」
 奈津江に腕を叩かれた。

 「アハハハハ!」
 
 奈津江はイチゴのショートケーキとチョコレートケーキを食べた。
 顕さんに、ゆっくりしててくれと言われ、俺は奈津江の部屋へ二人で行った。

 「はい、ここ」
 奈津江がドアを開けて入れてくれる。
 6畳間の明るい部屋。
 ベッドと机があり、本棚が一つ。
 ウサギとネコの縫いぐるみがベッドにあった。
 カーテンは明るい白。
 南向きの部屋で、暖かかった。
 俺はベッドに座らされ、奈津江はデスクの椅子に座った。

 いい匂いがした。
 俺は思い切り息を吸い込んだ。

 「何やってんのよ」
 「お前の部屋の空気を全部吸うんだ」
 「ばか!」
 「アハハハハ!」

 二人で他愛もない話をした。
 俺は奈津江に頼んで、お母さんに線香を上げさせてもらった。
 般若心経を唱えていると、顕さんがやって来た。
 俺の隣に座り、一緒に手を合わせた。
 奈津江もそうした。

 「ありがとう、石神くん」
 「いいえ。俺もお会いしたかったです」



 俺は夕飯の準備をする顕さんを手伝った。

 「石神くんはゆっくりしててよ」
 「奈津江が作るんだったら、見てますけどね」
 「あー! 何を言う、そこ!」
 俺は顕さんと笑った。
 顕さんは、きりたんぽ鍋を作るつもりだったようだ。
 銀座の秋田料理の店で、きりたんぽや出汁を分けてもらって来たそうだ。

 「お袋が秋田の人でね」
 「じゃあ、だから奈津江は秋田美人なんですね!」
 「いいぞー、高虎!」

 奈津江はキッチンの椅子に座って応援していた。
 俺は顕さんに断って、豆腐サラダを作った。
 レタスやカイワレと刻んだワカメ、それに角切りの豆腐を入れ、紀州梅を刻んで撒いた。
 醤油と酢とオリーブオイルで作ったドレッシングをかける。
 顕さんは、鍋の汁の味見をさせてくれた。

 「美味しいですよ!」
 「あー、あたしもー!」
 


 三人で鍋を囲んだ。
 顕さんは焼酎のお湯割りを俺に出してくれた。
 二人で飲む。
 奈津江は飲まない。
 きりたんぽ鍋は初めて食べたが、本当に美味しかった。

 「専門店の出汁だからね」
 「いや、顕さんが上手いんですよ」
 「私の愛も入ってるしね」

 「「入ってねぇ!」」

 三人で笑った。

 「石神くんは料理が上手いね」
 「いえ、全然」
 「でも、このサラダなんかもスゴイじゃない」
 「まあ、前にそういう仕事で鍛えられましたしね」
 「へぇ」

 俺は親友の山中が財布を落とした話をした。

 「大学の池で食材を調達して。ザリガニだのバッタだの喰わせました」

 奈津江と顕さんが大爆笑した。

 「奈津江、貧乏でも食い物だけは大丈夫だからな」
 「やだ!」

 夕飯を片付け、俺は風呂を勧められた。
 遠慮して、最後でいいと言った。

 「高虎、ヘンなこと考えてるでしょ?」
 「え!」

 奈津江の後に入りたかった。
 奈津江の入った湯をちょっと飲みたかった。

 「アハハハハハ!」

 最初に入らされた。
 風呂から上がって、顕さんとまた少し飲んでいた。
 奈津江が上がって、無理矢理部屋へ連れ込まれた。
 お互い寝間着で、ちょっと緊張した。

 「今日は来てくれてありがとう」
 「いや、俺の方こそ楽しかったよ」
 「お礼に、ちょっとだけならヘンなことしてもいいよ」
 「ほんとか!」

 奈津江と一緒にベッドに座っていた。
 奈津江が目を閉じる。
 俺は肩を抱いて、そっとキスをした。
 奈津江が震えていた。

 「じゃあ、そろそろ寝るわ」
 「……うん、おやすみ」

 危なかった。
 あのままいれば、抑える自信はなかった。






 奈津江も、そうだったのかもしれない。

 俺と奈津江の、忘れられない夜。
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