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十三回忌
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コンサートの夜。
俺は橘弥生から電話をもらった。
「今日はありがとう」
「いいえ」
「何かうるさいわね?」
子どもたちがギターを鳴らしていた。
もちろんコードも何もない、無茶苦茶だ。
今日のコンサートで興奮しているらしい。
俺がその説明をした。
「下手くそね」
「まったく」
俺はそのままにさせた。
「騙すような誘い方で悪かったわ」
「いいえ。俺も楽しかったですよ」
「それに、あなたには」
「楽しかったですって。橘さんはいつも俺にそうしてくれました」
「……」
俺は明日の門土の十三回忌に呼ばれた。
もちろん、引き受けた。
時間と場所を教わる。
亜紀ちゃんと風呂に入った。
「今日は最高でしたね!」
「そうかよ」
亜紀ちゃんは浴槽で興奮して俺の前でギターの真似をする。
「やっぱりタカさんは凄いですよ!」
「よせよ。オッパイが見えてるぞ」
「よく見て下さい!」
俺は笑った。
「明日な、門土の十三回忌の法要に呼んで下さった」
「はい!」
「橘さんも、区切りを付けたかったんだろうな」
「そうですね。演目は門土さんを思ってのものですよね」
「そうだな。葬送曲などや、リストのたった一曲しか作られなかったピアノソナタなんてな」
「門土さんも一曲だけでしたもんね」
「リストはピアニストとしては最高峰の人間の一人だったんだ。でも後に作曲に専念するようになった」
「それって!」
「みんな門土に作曲家としての道を望んでいたんだよ。橘弥生もな」
「あぁ!」
「最後の「セッション」は、門土へ捧げるための曲だ。俺も橘弥生も、最初からそのつもりだった」
「素晴らしい演奏でした!」
「ありがとう。門土もそう思ってくれるといいな」
「はい!」
「あの、タカさん」
「なんだ?」
「最後に徳川先生がおっしゃってた」
「うん」
「橘さんが子育てをタカさんに押し付けたって」
「ああ。それは芸術をやる人間は鬼にならなきゃいけないからな」
「そうですか」
「ピアノのこと以外に気を取られちゃいけないんだ。当然のことだよ」
「はい」
「リストのピアノソナタな」
「はい?」
「ずっと同じ主題が流れ続けるんだ。最後までな」
「はい」
「橘弥生も、ずっと門土への愛情を持ち続けていたんだ。それを口にはしないでな」
「!」
「最後までそうだった」
「……」
翌朝。
俺は横浜へ向かった。
門土の十三回忌の寺だ。
よく晴れた日だった。
酒が出るだろうと思い、俺は電車で行った。
十三回忌は内輪でやることが多い。
親戚と、親しい人間だけの集まりだった。
法要が終わり、俺たちは近くの料理屋へ移動した。
俺は橘弥生の隣に座らされた。
「今でも思うわ。もしもあなたと門土をずっと一緒にしておいてやればと」
「そうしたら、あの門土の活躍はなかったですよ。橘さんは正しい選択をしたんです」
「そうね。そうだったと思うわ」
橘弥生が俺にビールを注いだ。
「でも、あなたは違う。あなたはギターをやるべきだった」
「そんなことないですよ」
「いいえ。西平貢の目は確かだったわ」
「メクラでしたよ?」
橘弥生が少し笑った。
「あなたが本格的にやっていれば、私以上の人間になれたかもしれない」
「いいですよ、そんなの。俺は今の生活に満足しています」
「門土もあなたにギタリストになって欲しかったと思っているわ」
「思ってませんよ」
「どうして?」
「だって、あいつ俺が医者になるって言ったら、喜んでガンバレって言ってくれましたもん」
橘弥生は黙り込んだ。
コップのビールを一口だけ飲んだ。
「私はいつも、何も分かってないのね」
「俺だってそうですよ。みんなそりゃそうだ」
「ねえ、門土と何を話したか教えて」
「ええ、いいですよ。まず門土の奴のせいで、散々貢さんに殴られました」
「え! どういうこと?」
「貢さんがうるさいこと言うんで、俺は黙って聞いてる振りをして、いつも目の前でオチンチンを出すんですよ」
「え?」
「顔の前まで近づけて、プルプル振ってやるんです」
「あなた……」
「そうすると、いつも門土が大笑いしやがって。お陰で貢さんにも分かって、あのすりこぎでぶん殴られたんです」
「アハハハハ!」
橘弥生が大きな声で笑った。
座敷のみんなが俺たちを見た。
「一度、門土の後ろに隠れたら、あいつがぶん殴られて。頭から血を流してました」
「ああ! 覚えているわ! あの子が頭に包帯を巻いて帰って来た。転んだんだって言ってたけど」
「あいつ、血を流しながら笑ってましたよ」
「そうなの」
「ねえ」
「はい!」
「もっと聞かせて」
「はい!」
俺は時間が来るまで門土のことを話した。
時々橘弥生が大きな声で笑い、他の人間が珍しそうに見ていた。
帰る前に、俺は紙筒をもらった。
「これはあの子が本当に最後に作っていたものなの」
中を開けると、一枚だけの譜面があった。
「最初だけなんだけどね。単音の曲なのよ」
全音で構成しようとしている。
「単音だけなら自分にも弾けるって。それで「これはトラのアイデアなんだ」って言ってたわ」
「そうですか」
「でも諦めたみたい。もう、あの子に作曲の情熱は無くなっていたのね」
「……」
俺は門土の死んだ後で、アルヴォ・ペルトの音楽を知った。
想像していた以上の美しい全音の音楽だった。
俺も門土も知らなかった。
ただ、俺たちの音楽は、今も尚鳴り響いている。
俺は橘弥生から電話をもらった。
「今日はありがとう」
「いいえ」
「何かうるさいわね?」
子どもたちがギターを鳴らしていた。
もちろんコードも何もない、無茶苦茶だ。
今日のコンサートで興奮しているらしい。
俺がその説明をした。
「下手くそね」
「まったく」
俺はそのままにさせた。
「騙すような誘い方で悪かったわ」
「いいえ。俺も楽しかったですよ」
「それに、あなたには」
「楽しかったですって。橘さんはいつも俺にそうしてくれました」
「……」
俺は明日の門土の十三回忌に呼ばれた。
もちろん、引き受けた。
時間と場所を教わる。
亜紀ちゃんと風呂に入った。
「今日は最高でしたね!」
「そうかよ」
亜紀ちゃんは浴槽で興奮して俺の前でギターの真似をする。
「やっぱりタカさんは凄いですよ!」
「よせよ。オッパイが見えてるぞ」
「よく見て下さい!」
俺は笑った。
「明日な、門土の十三回忌の法要に呼んで下さった」
「はい!」
「橘さんも、区切りを付けたかったんだろうな」
「そうですね。演目は門土さんを思ってのものですよね」
「そうだな。葬送曲などや、リストのたった一曲しか作られなかったピアノソナタなんてな」
「門土さんも一曲だけでしたもんね」
「リストはピアニストとしては最高峰の人間の一人だったんだ。でも後に作曲に専念するようになった」
「それって!」
「みんな門土に作曲家としての道を望んでいたんだよ。橘弥生もな」
「あぁ!」
「最後の「セッション」は、門土へ捧げるための曲だ。俺も橘弥生も、最初からそのつもりだった」
「素晴らしい演奏でした!」
「ありがとう。門土もそう思ってくれるといいな」
「はい!」
「あの、タカさん」
「なんだ?」
「最後に徳川先生がおっしゃってた」
「うん」
「橘さんが子育てをタカさんに押し付けたって」
「ああ。それは芸術をやる人間は鬼にならなきゃいけないからな」
「そうですか」
「ピアノのこと以外に気を取られちゃいけないんだ。当然のことだよ」
「はい」
「リストのピアノソナタな」
「はい?」
「ずっと同じ主題が流れ続けるんだ。最後までな」
「はい」
「橘弥生も、ずっと門土への愛情を持ち続けていたんだ。それを口にはしないでな」
「!」
「最後までそうだった」
「……」
翌朝。
俺は横浜へ向かった。
門土の十三回忌の寺だ。
よく晴れた日だった。
酒が出るだろうと思い、俺は電車で行った。
十三回忌は内輪でやることが多い。
親戚と、親しい人間だけの集まりだった。
法要が終わり、俺たちは近くの料理屋へ移動した。
俺は橘弥生の隣に座らされた。
「今でも思うわ。もしもあなたと門土をずっと一緒にしておいてやればと」
「そうしたら、あの門土の活躍はなかったですよ。橘さんは正しい選択をしたんです」
「そうね。そうだったと思うわ」
橘弥生が俺にビールを注いだ。
「でも、あなたは違う。あなたはギターをやるべきだった」
「そんなことないですよ」
「いいえ。西平貢の目は確かだったわ」
「メクラでしたよ?」
橘弥生が少し笑った。
「あなたが本格的にやっていれば、私以上の人間になれたかもしれない」
「いいですよ、そんなの。俺は今の生活に満足しています」
「門土もあなたにギタリストになって欲しかったと思っているわ」
「思ってませんよ」
「どうして?」
「だって、あいつ俺が医者になるって言ったら、喜んでガンバレって言ってくれましたもん」
橘弥生は黙り込んだ。
コップのビールを一口だけ飲んだ。
「私はいつも、何も分かってないのね」
「俺だってそうですよ。みんなそりゃそうだ」
「ねえ、門土と何を話したか教えて」
「ええ、いいですよ。まず門土の奴のせいで、散々貢さんに殴られました」
「え! どういうこと?」
「貢さんがうるさいこと言うんで、俺は黙って聞いてる振りをして、いつも目の前でオチンチンを出すんですよ」
「え?」
「顔の前まで近づけて、プルプル振ってやるんです」
「あなた……」
「そうすると、いつも門土が大笑いしやがって。お陰で貢さんにも分かって、あのすりこぎでぶん殴られたんです」
「アハハハハ!」
橘弥生が大きな声で笑った。
座敷のみんなが俺たちを見た。
「一度、門土の後ろに隠れたら、あいつがぶん殴られて。頭から血を流してました」
「ああ! 覚えているわ! あの子が頭に包帯を巻いて帰って来た。転んだんだって言ってたけど」
「あいつ、血を流しながら笑ってましたよ」
「そうなの」
「ねえ」
「はい!」
「もっと聞かせて」
「はい!」
俺は時間が来るまで門土のことを話した。
時々橘弥生が大きな声で笑い、他の人間が珍しそうに見ていた。
帰る前に、俺は紙筒をもらった。
「これはあの子が本当に最後に作っていたものなの」
中を開けると、一枚だけの譜面があった。
「最初だけなんだけどね。単音の曲なのよ」
全音で構成しようとしている。
「単音だけなら自分にも弾けるって。それで「これはトラのアイデアなんだ」って言ってたわ」
「そうですか」
「でも諦めたみたい。もう、あの子に作曲の情熱は無くなっていたのね」
「……」
俺は門土の死んだ後で、アルヴォ・ペルトの音楽を知った。
想像していた以上の美しい全音の音楽だった。
俺も門土も知らなかった。
ただ、俺たちの音楽は、今も尚鳴り響いている。
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