624 / 2,806
十三回忌
しおりを挟む
コンサートの夜。
俺は橘弥生から電話をもらった。
「今日はありがとう」
「いいえ」
「何かうるさいわね?」
子どもたちがギターを鳴らしていた。
もちろんコードも何もない、無茶苦茶だ。
今日のコンサートで興奮しているらしい。
俺がその説明をした。
「下手くそね」
「まったく」
俺はそのままにさせた。
「騙すような誘い方で悪かったわ」
「いいえ。俺も楽しかったですよ」
「それに、あなたには」
「楽しかったですって。橘さんはいつも俺にそうしてくれました」
「……」
俺は明日の門土の十三回忌に呼ばれた。
もちろん、引き受けた。
時間と場所を教わる。
亜紀ちゃんと風呂に入った。
「今日は最高でしたね!」
「そうかよ」
亜紀ちゃんは浴槽で興奮して俺の前でギターの真似をする。
「やっぱりタカさんは凄いですよ!」
「よせよ。オッパイが見えてるぞ」
「よく見て下さい!」
俺は笑った。
「明日な、門土の十三回忌の法要に呼んで下さった」
「はい!」
「橘さんも、区切りを付けたかったんだろうな」
「そうですね。演目は門土さんを思ってのものですよね」
「そうだな。葬送曲などや、リストのたった一曲しか作られなかったピアノソナタなんてな」
「門土さんも一曲だけでしたもんね」
「リストはピアニストとしては最高峰の人間の一人だったんだ。でも後に作曲に専念するようになった」
「それって!」
「みんな門土に作曲家としての道を望んでいたんだよ。橘弥生もな」
「あぁ!」
「最後の「セッション」は、門土へ捧げるための曲だ。俺も橘弥生も、最初からそのつもりだった」
「素晴らしい演奏でした!」
「ありがとう。門土もそう思ってくれるといいな」
「はい!」
「あの、タカさん」
「なんだ?」
「最後に徳川先生がおっしゃってた」
「うん」
「橘さんが子育てをタカさんに押し付けたって」
「ああ。それは芸術をやる人間は鬼にならなきゃいけないからな」
「そうですか」
「ピアノのこと以外に気を取られちゃいけないんだ。当然のことだよ」
「はい」
「リストのピアノソナタな」
「はい?」
「ずっと同じ主題が流れ続けるんだ。最後までな」
「はい」
「橘弥生も、ずっと門土への愛情を持ち続けていたんだ。それを口にはしないでな」
「!」
「最後までそうだった」
「……」
翌朝。
俺は横浜へ向かった。
門土の十三回忌の寺だ。
よく晴れた日だった。
酒が出るだろうと思い、俺は電車で行った。
十三回忌は内輪でやることが多い。
親戚と、親しい人間だけの集まりだった。
法要が終わり、俺たちは近くの料理屋へ移動した。
俺は橘弥生の隣に座らされた。
「今でも思うわ。もしもあなたと門土をずっと一緒にしておいてやればと」
「そうしたら、あの門土の活躍はなかったですよ。橘さんは正しい選択をしたんです」
「そうね。そうだったと思うわ」
橘弥生が俺にビールを注いだ。
「でも、あなたは違う。あなたはギターをやるべきだった」
「そんなことないですよ」
「いいえ。西平貢の目は確かだったわ」
「メクラでしたよ?」
橘弥生が少し笑った。
「あなたが本格的にやっていれば、私以上の人間になれたかもしれない」
「いいですよ、そんなの。俺は今の生活に満足しています」
「門土もあなたにギタリストになって欲しかったと思っているわ」
「思ってませんよ」
「どうして?」
「だって、あいつ俺が医者になるって言ったら、喜んでガンバレって言ってくれましたもん」
橘弥生は黙り込んだ。
コップのビールを一口だけ飲んだ。
「私はいつも、何も分かってないのね」
「俺だってそうですよ。みんなそりゃそうだ」
「ねえ、門土と何を話したか教えて」
「ええ、いいですよ。まず門土の奴のせいで、散々貢さんに殴られました」
「え! どういうこと?」
「貢さんがうるさいこと言うんで、俺は黙って聞いてる振りをして、いつも目の前でオチンチンを出すんですよ」
「え?」
「顔の前まで近づけて、プルプル振ってやるんです」
「あなた……」
「そうすると、いつも門土が大笑いしやがって。お陰で貢さんにも分かって、あのすりこぎでぶん殴られたんです」
「アハハハハ!」
橘弥生が大きな声で笑った。
座敷のみんなが俺たちを見た。
「一度、門土の後ろに隠れたら、あいつがぶん殴られて。頭から血を流してました」
「ああ! 覚えているわ! あの子が頭に包帯を巻いて帰って来た。転んだんだって言ってたけど」
「あいつ、血を流しながら笑ってましたよ」
「そうなの」
「ねえ」
「はい!」
「もっと聞かせて」
「はい!」
俺は時間が来るまで門土のことを話した。
時々橘弥生が大きな声で笑い、他の人間が珍しそうに見ていた。
帰る前に、俺は紙筒をもらった。
「これはあの子が本当に最後に作っていたものなの」
中を開けると、一枚だけの譜面があった。
「最初だけなんだけどね。単音の曲なのよ」
全音で構成しようとしている。
「単音だけなら自分にも弾けるって。それで「これはトラのアイデアなんだ」って言ってたわ」
「そうですか」
「でも諦めたみたい。もう、あの子に作曲の情熱は無くなっていたのね」
「……」
俺は門土の死んだ後で、アルヴォ・ペルトの音楽を知った。
想像していた以上の美しい全音の音楽だった。
俺も門土も知らなかった。
ただ、俺たちの音楽は、今も尚鳴り響いている。
俺は橘弥生から電話をもらった。
「今日はありがとう」
「いいえ」
「何かうるさいわね?」
子どもたちがギターを鳴らしていた。
もちろんコードも何もない、無茶苦茶だ。
今日のコンサートで興奮しているらしい。
俺がその説明をした。
「下手くそね」
「まったく」
俺はそのままにさせた。
「騙すような誘い方で悪かったわ」
「いいえ。俺も楽しかったですよ」
「それに、あなたには」
「楽しかったですって。橘さんはいつも俺にそうしてくれました」
「……」
俺は明日の門土の十三回忌に呼ばれた。
もちろん、引き受けた。
時間と場所を教わる。
亜紀ちゃんと風呂に入った。
「今日は最高でしたね!」
「そうかよ」
亜紀ちゃんは浴槽で興奮して俺の前でギターの真似をする。
「やっぱりタカさんは凄いですよ!」
「よせよ。オッパイが見えてるぞ」
「よく見て下さい!」
俺は笑った。
「明日な、門土の十三回忌の法要に呼んで下さった」
「はい!」
「橘さんも、区切りを付けたかったんだろうな」
「そうですね。演目は門土さんを思ってのものですよね」
「そうだな。葬送曲などや、リストのたった一曲しか作られなかったピアノソナタなんてな」
「門土さんも一曲だけでしたもんね」
「リストはピアニストとしては最高峰の人間の一人だったんだ。でも後に作曲に専念するようになった」
「それって!」
「みんな門土に作曲家としての道を望んでいたんだよ。橘弥生もな」
「あぁ!」
「最後の「セッション」は、門土へ捧げるための曲だ。俺も橘弥生も、最初からそのつもりだった」
「素晴らしい演奏でした!」
「ありがとう。門土もそう思ってくれるといいな」
「はい!」
「あの、タカさん」
「なんだ?」
「最後に徳川先生がおっしゃってた」
「うん」
「橘さんが子育てをタカさんに押し付けたって」
「ああ。それは芸術をやる人間は鬼にならなきゃいけないからな」
「そうですか」
「ピアノのこと以外に気を取られちゃいけないんだ。当然のことだよ」
「はい」
「リストのピアノソナタな」
「はい?」
「ずっと同じ主題が流れ続けるんだ。最後までな」
「はい」
「橘弥生も、ずっと門土への愛情を持ち続けていたんだ。それを口にはしないでな」
「!」
「最後までそうだった」
「……」
翌朝。
俺は横浜へ向かった。
門土の十三回忌の寺だ。
よく晴れた日だった。
酒が出るだろうと思い、俺は電車で行った。
十三回忌は内輪でやることが多い。
親戚と、親しい人間だけの集まりだった。
法要が終わり、俺たちは近くの料理屋へ移動した。
俺は橘弥生の隣に座らされた。
「今でも思うわ。もしもあなたと門土をずっと一緒にしておいてやればと」
「そうしたら、あの門土の活躍はなかったですよ。橘さんは正しい選択をしたんです」
「そうね。そうだったと思うわ」
橘弥生が俺にビールを注いだ。
「でも、あなたは違う。あなたはギターをやるべきだった」
「そんなことないですよ」
「いいえ。西平貢の目は確かだったわ」
「メクラでしたよ?」
橘弥生が少し笑った。
「あなたが本格的にやっていれば、私以上の人間になれたかもしれない」
「いいですよ、そんなの。俺は今の生活に満足しています」
「門土もあなたにギタリストになって欲しかったと思っているわ」
「思ってませんよ」
「どうして?」
「だって、あいつ俺が医者になるって言ったら、喜んでガンバレって言ってくれましたもん」
橘弥生は黙り込んだ。
コップのビールを一口だけ飲んだ。
「私はいつも、何も分かってないのね」
「俺だってそうですよ。みんなそりゃそうだ」
「ねえ、門土と何を話したか教えて」
「ええ、いいですよ。まず門土の奴のせいで、散々貢さんに殴られました」
「え! どういうこと?」
「貢さんがうるさいこと言うんで、俺は黙って聞いてる振りをして、いつも目の前でオチンチンを出すんですよ」
「え?」
「顔の前まで近づけて、プルプル振ってやるんです」
「あなた……」
「そうすると、いつも門土が大笑いしやがって。お陰で貢さんにも分かって、あのすりこぎでぶん殴られたんです」
「アハハハハ!」
橘弥生が大きな声で笑った。
座敷のみんなが俺たちを見た。
「一度、門土の後ろに隠れたら、あいつがぶん殴られて。頭から血を流してました」
「ああ! 覚えているわ! あの子が頭に包帯を巻いて帰って来た。転んだんだって言ってたけど」
「あいつ、血を流しながら笑ってましたよ」
「そうなの」
「ねえ」
「はい!」
「もっと聞かせて」
「はい!」
俺は時間が来るまで門土のことを話した。
時々橘弥生が大きな声で笑い、他の人間が珍しそうに見ていた。
帰る前に、俺は紙筒をもらった。
「これはあの子が本当に最後に作っていたものなの」
中を開けると、一枚だけの譜面があった。
「最初だけなんだけどね。単音の曲なのよ」
全音で構成しようとしている。
「単音だけなら自分にも弾けるって。それで「これはトラのアイデアなんだ」って言ってたわ」
「そうですか」
「でも諦めたみたい。もう、あの子に作曲の情熱は無くなっていたのね」
「……」
俺は門土の死んだ後で、アルヴォ・ペルトの音楽を知った。
想像していた以上の美しい全音の音楽だった。
俺も門土も知らなかった。
ただ、俺たちの音楽は、今も尚鳴り響いている。
0
お気に入りに追加
228
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
まさか、、お兄ちゃんが私の主治医なんて、、
ならくま。くん
キャラ文芸
おはこんばんにちは!どうも!私は女子中学生の泪川沙織(るいかわさおり)です!私こんなに元気そうに見えるけど実は貧血や喘息、、いっぱい持ってるんだ、、まあ私の主治医はさすがに知人だと思わなかったんだけどそしたら血のつながっていないお兄ちゃんだったんだ、、流石にちょっとこれはおかしいよね!?でもお兄ちゃんが医者なことは事実だし、、
私のおにいちゃんは↓
泪川亮(るいかわりょう)お兄ちゃん、イケメンだし高身長だしもう何もかも完璧って感じなの!お兄ちゃんとは一緒に住んでるんだけどなんでもてきぱきこなすんだよね、、そんな二人の日常をお送りします!
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?
すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。
病院で診てくれた医師は幼馴染みだった!
「こんなにかわいくなって・・・。」
10年ぶりに再会した私たち。
お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。
かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」
幼馴染『千秋』。
通称『ちーちゃん』。
きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。
千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」
自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。
ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」
かざねは悩む。
かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?)
※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。
想像の中だけでお楽しみください。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。
すずなり。
イケメン歯科医の日常
moa
キャラ文芸
堺 大雅(さかい たいが)28歳。
親の医院、堺歯科医院で歯科医として働いている。
イケメンで笑顔が素敵な歯科医として近所では有名。
しかし彼には裏の顔が…
歯科医のリアルな日常を超短編小説で書いてみました。
※治療の描写や痛い描写もあるので苦手な方はご遠慮頂きますようよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる