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『マーターズ』
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金曜の夜。
映画鑑賞会の日だ。
今回はパスカル・ロジェの『マーターズ』だ。
狂信的なカルト集団に攫われ、意味も分からず拷問を受ける少女たち。
その目的を明かされた時の衝撃。
残酷な描写も多いが、うちの子どもたちには大丈夫だろう。
鑑賞を終えた。
「死後の世界は明かされてはならない。そうだな?」
双子が大きく頷く。
「人間は死にたくはない。だから死んだ後の「生」を渇望する」
「しかし、それはどうでもいいことなんだよ」
「どういうことですか?」
皇紀が聞いて来た。
「死んで終わる。それでいいということだ。終わりがあるんだから、俺たちは懸命に生きることができる」
「はい」
「最後のシーンで、死後の有無があるのかを知った女が自殺するよな。「疑いなさい」と言う。つまり、その先を考えるべきではない、ということだ」
「はい」
「ただな、生きるっていうのは苦しく辛いことなんだ。その苦しみに負けると、自分の奥底にいる怪物に喰われる。そのことは忘れるな」
「「「「はい!」」」」
解散した。
俺は蓮華やその向こうにいる「業」のことを思っていた。
階段を上がると、皇紀が待っていた。
「どうした?」
「ちょっとお話が」
俺はリヴィングに連れて行き、梅酒ソーダを作ってやった。
自分の分はジン・ライムを作る。
皇紀は俺に言われ、ロボにカリカリを少し出した。
「ブランのことか?」
「はい、分かってましたか」
俺はジン・ライムを一口飲み、ジンを追加した。
「お前はまだまだ俺の想定内だからな」
「タカさんは越えられませんね」
「そんなことはないぞ。双子なんていつも「想定外」だからな!」
「アハハハハ!」
「大妖怪にぶん殴られて太平洋を渡るなんてなぁ。俺には理解できんよ」
「そうですね」
皇紀が梅酒ソーダを飲んだ。
美味しいですと言った。
「蓮花さんの所で、こないだまたブランたちを見たんです」
「ああ」
「前はショックでろくに見ることもできませんでした。でも今回はちゃんと見なきゃって」
「そうか」
「それで、ふと思ったんです」
「ほう」
「この人たちは何を観ているんだろうって」
皇紀が拳を握りしめた。
激しい怒りと戦っている。
誰よりも優しいこの少年は、その奥底に大きな感情を持っている。
だからこそ、皇紀は優しいのだ。
「何も観ていない。そうは思わないのか?」
「はい。だからこその「Blanc」だとは思っています。でも、それはあまりにも」
「そうだな」
「タカさんは、やっぱり何も観ていないと思いますか?」
「分からん」
「え?」
「俺にも分からんよ。でもな、俺もお前と同じだ」
「……」
「それが怒りなのか悲しみなのか、もっと別なものなのかは、な。でも俺も何かを観ているんだと思いたいよ」
「そうですか」
皇紀は拳を解いて、梅酒ソーダを飲んだ。
「蓮花からの報告に、ブランたちの思い出にあるだろうものを見せたというものがある」
「はい」
「少しだけだが、それを見つめる動作があったとのことだ」
「僕も読みました」
「幽かなものなのかもしれんがな。ブランの中にはまだ何かがあるのではないかとも思うぞ」
「そうだったらいいですね」
俺は小腹が空いたので、ウインナーを炒めた。
うちには常に大量に貯蔵されている。
もちろん、大食いの双子の好物だからだ。
子どもたちがうちに来た最初の朝、亜紀ちゃんがそう教えてくれた。
俺はその日から、ウインナーを絶やしたことはない。
皇紀にも喰えと勧めた。
「ミユキが記憶を取り戻しただろう?」
「はい!」
「全くの「無」になっていたら、俺はあれは無かったと考えている」
「そうですか!」
「もちろん大半が失われたのかもしれん。でもな、僅かでも残ったものが呼び水になったんじゃないか、ともな」
「なるほど!」
俺はシンギュラリティの話をした。
「特にリーマン球面の「解析接続可能(analytically continuable) 」の問題な。十分に近い点の関数同士は、互いに直接接続されるということだ」
「ああ、関数の要素が別な関数と繋がっていく!」
皇紀の頭を撫でてやった。
ウインナーを喰えと言った。
皇紀はバリバリとむさぼる。
「それでも、今のブランたちは反応がほとんどない。何かのきっかけが必要なんだな」
「はい! ミユキさんへの「セッティグ」は、元々はそういう意味もあったんですか?」
「まあ、僅かな望みだったけどな。蓮花はお前の涙のために何でもやると言ってたけどな」
「蓮花さん……」
「どうだ、スッキリしたか?」
「はい! あ、もう一つ、そのブランを見た時に……」」
俺は指を口に当てて話すなと言った。
ロボが俺の膝で毛を逆立てた。
「お前が何を話そうとしているのかは分らん。でも、今はそれは黙っておけ」
「え?」
「どうせ聞いても俺にも分らん。それよりも、今は黙っていることが重要だ」
「タカさん」
俺にもよくは分からなかった。
しかし、俺の中の何かが警報を出していた。
何度かこういうことはあった。
逆らったことはない。
でも、一つだけ分かったことがある。
皇紀は何かを抱えている。
そして、それは俺が十分に注意してやらなければならないことだ。
俺たちは少し他愛ない話をし、寝た。
《Martyrs》とは、「殉教者」という意味だ。
誰が何に殉ずるのかは知らない。
でも、俺たちは、既にそれを持っている。
映画鑑賞会の日だ。
今回はパスカル・ロジェの『マーターズ』だ。
狂信的なカルト集団に攫われ、意味も分からず拷問を受ける少女たち。
その目的を明かされた時の衝撃。
残酷な描写も多いが、うちの子どもたちには大丈夫だろう。
鑑賞を終えた。
「死後の世界は明かされてはならない。そうだな?」
双子が大きく頷く。
「人間は死にたくはない。だから死んだ後の「生」を渇望する」
「しかし、それはどうでもいいことなんだよ」
「どういうことですか?」
皇紀が聞いて来た。
「死んで終わる。それでいいということだ。終わりがあるんだから、俺たちは懸命に生きることができる」
「はい」
「最後のシーンで、死後の有無があるのかを知った女が自殺するよな。「疑いなさい」と言う。つまり、その先を考えるべきではない、ということだ」
「はい」
「ただな、生きるっていうのは苦しく辛いことなんだ。その苦しみに負けると、自分の奥底にいる怪物に喰われる。そのことは忘れるな」
「「「「はい!」」」」
解散した。
俺は蓮華やその向こうにいる「業」のことを思っていた。
階段を上がると、皇紀が待っていた。
「どうした?」
「ちょっとお話が」
俺はリヴィングに連れて行き、梅酒ソーダを作ってやった。
自分の分はジン・ライムを作る。
皇紀は俺に言われ、ロボにカリカリを少し出した。
「ブランのことか?」
「はい、分かってましたか」
俺はジン・ライムを一口飲み、ジンを追加した。
「お前はまだまだ俺の想定内だからな」
「タカさんは越えられませんね」
「そんなことはないぞ。双子なんていつも「想定外」だからな!」
「アハハハハ!」
「大妖怪にぶん殴られて太平洋を渡るなんてなぁ。俺には理解できんよ」
「そうですね」
皇紀が梅酒ソーダを飲んだ。
美味しいですと言った。
「蓮花さんの所で、こないだまたブランたちを見たんです」
「ああ」
「前はショックでろくに見ることもできませんでした。でも今回はちゃんと見なきゃって」
「そうか」
「それで、ふと思ったんです」
「ほう」
「この人たちは何を観ているんだろうって」
皇紀が拳を握りしめた。
激しい怒りと戦っている。
誰よりも優しいこの少年は、その奥底に大きな感情を持っている。
だからこそ、皇紀は優しいのだ。
「何も観ていない。そうは思わないのか?」
「はい。だからこその「Blanc」だとは思っています。でも、それはあまりにも」
「そうだな」
「タカさんは、やっぱり何も観ていないと思いますか?」
「分からん」
「え?」
「俺にも分からんよ。でもな、俺もお前と同じだ」
「……」
「それが怒りなのか悲しみなのか、もっと別なものなのかは、な。でも俺も何かを観ているんだと思いたいよ」
「そうですか」
皇紀は拳を解いて、梅酒ソーダを飲んだ。
「蓮花からの報告に、ブランたちの思い出にあるだろうものを見せたというものがある」
「はい」
「少しだけだが、それを見つめる動作があったとのことだ」
「僕も読みました」
「幽かなものなのかもしれんがな。ブランの中にはまだ何かがあるのではないかとも思うぞ」
「そうだったらいいですね」
俺は小腹が空いたので、ウインナーを炒めた。
うちには常に大量に貯蔵されている。
もちろん、大食いの双子の好物だからだ。
子どもたちがうちに来た最初の朝、亜紀ちゃんがそう教えてくれた。
俺はその日から、ウインナーを絶やしたことはない。
皇紀にも喰えと勧めた。
「ミユキが記憶を取り戻しただろう?」
「はい!」
「全くの「無」になっていたら、俺はあれは無かったと考えている」
「そうですか!」
「もちろん大半が失われたのかもしれん。でもな、僅かでも残ったものが呼び水になったんじゃないか、ともな」
「なるほど!」
俺はシンギュラリティの話をした。
「特にリーマン球面の「解析接続可能(analytically continuable) 」の問題な。十分に近い点の関数同士は、互いに直接接続されるということだ」
「ああ、関数の要素が別な関数と繋がっていく!」
皇紀の頭を撫でてやった。
ウインナーを喰えと言った。
皇紀はバリバリとむさぼる。
「それでも、今のブランたちは反応がほとんどない。何かのきっかけが必要なんだな」
「はい! ミユキさんへの「セッティグ」は、元々はそういう意味もあったんですか?」
「まあ、僅かな望みだったけどな。蓮花はお前の涙のために何でもやると言ってたけどな」
「蓮花さん……」
「どうだ、スッキリしたか?」
「はい! あ、もう一つ、そのブランを見た時に……」」
俺は指を口に当てて話すなと言った。
ロボが俺の膝で毛を逆立てた。
「お前が何を話そうとしているのかは分らん。でも、今はそれは黙っておけ」
「え?」
「どうせ聞いても俺にも分らん。それよりも、今は黙っていることが重要だ」
「タカさん」
俺にもよくは分からなかった。
しかし、俺の中の何かが警報を出していた。
何度かこういうことはあった。
逆らったことはない。
でも、一つだけ分かったことがある。
皇紀は何かを抱えている。
そして、それは俺が十分に注意してやらなければならないことだ。
俺たちは少し他愛ない話をし、寝た。
《Martyrs》とは、「殉教者」という意味だ。
誰が何に殉ずるのかは知らない。
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