富豪外科医は、モテモテだが結婚しない?

青夜

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貢さん Ⅲ

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 亜紀ちゃんがまた泣いていた。

 「やっぱりー! タカさんはまた傷だらけじゃないですかー!」
 「何を言ってやがる」
 亜紀ちゃんが抱き着いて来る。
 俺は背中を撫でてやった。

 「俺の親父の世代はさ、ハーモニカだったんだ」
 「?」
 「みんなポケットに忍ばせてな。空地の土管に座って吹いてたんだよ」
 「土管ってなんですか?」
 「あ? 知らないのかよ。下水のためのでっかいコンクリートの管だよ。1メートルくらいあったかなぁ」
 「なんでそれが空き地にあるんですか?
 「そ、そういうことになってたんだよ!」
 俺にも分らん。

 「とにかく、そういうのが必ずあったんだ」
 「分かりました」
 「ほんとうなんだよ! 『サザエさん』とか『ドラエモン』とか見てみろよ!」
 「はい、分かりました」
 「ああ、昔のやつな!」
 「だから、分かりましたって!」

 「俺が小学生の時に、音楽の授業のためにハーモニカを練習してたんだ。そうしたら親父がこっち来るんだよ。俺はまた殴られるのかと思った」
 「どうなったんですか?」
 「親父が「貸せ」って取り上げてな。吹いてみせて。それが物凄く上手いんだよ!」
 「へぇー」
 「別な時に叔父さんがハーモニカを吹いてくれてなぁ。それがまた親父以上に上手かった」
 「なんでなんですかね?」

 「あの時代の人は、みんなハーモニカをこっそり練習してたのな。だからみんな上手いんだよ。でも、それは独りで吹くんんだ。誰もいない土管なんかでな。要はロマンティシズムよ!」
 「ああ!」
 「夕暮れとか、夜に帰る途中とかな。誰もいない時に、そっと吹くんだ。または口笛な! みんな口笛も上手かったんだよ。こっちはほんとにタダだしな」
 「いいですねぇ」
 「みんな金が無い時代だから、安いハーモニカだったわけだ。それが高度経済成長期に入るとみんなお金が入って。そうしたら今度はギターになったわけ」
 「なるほどー」

 「でも、私たち、タカさんがギターが弾けるなんて誰も知りませんでしたね」
 「だから、それはロマンティシズムなんだよ。俺も独りで弾いてた、ということだな」
 「ああ!」
 「まあ、俺の場合は親父に「うるせぇ」って殴られたからな。その後はもっぱら山の中な」

 風呂を上がり、亜紀ちゃんが俺にジャンゴ・ラインハルトのレコードをせがんだ。
 二人で地下に降りる。
 アヴァンギャルドで鳴らしてやった。

 「貢さんが自分のレコードを「俺の魂」って言ってたじゃない」
 「はい」
 「それは貢さんにとっては、「楽譜」だったという意味がある」
 「ああ、そうですね」
 「自分に音楽、新しい曲、技法、解釈、そういったものを教えてくれる唯一の物だったということだよな」
 「はい!」
 「それに、今みたいにしょっちゅうコンサートもねぇ。あっても目が見えない貢さんはほとんど行けない」
 「だから本当にレコードがただ一つの手段だったんですね!」

 「そうなんだけど、俺には別な意味もあったと思っているんだ」
 「え?」
 
 俺は今聴かせたジャンゴ・ラインハルトのジャケットから、紙切れを取り出して見せた。
 
 《ケチジジィ!》

 そう書いてある。

 「これって?」
 「俺が書いた」
 亜紀ちゃんが笑った。

 「俺が大人になって、暗記していた貢さんのレコードを買い集めたって言ったよな」
 「はい!」
 「その中の一枚だったんだ。その当時はもうCDの時代になってて、レコードは全部中古しかなかった。だから集めるのも苦労してな。やっと手に入れたこれに、俺のメモがあった。要は、誰かが売ったんだよ」
 
 「そんな!」

 「俺はな、貢さんは奥さんのために残したいって気持ちもあったんじゃないかと思うよ」
 「!」
 「貢さんの家は結構金が無かった。俺の家ほどじゃないけどな。でも見りゃ分かる。山の中の安い家だ。出てくる菓子なんか見ても分かったよ」
 「世界的なギタリストだったんですよね?」
 「理由は分らん。でも、本当の芸術家にはよくある話だよな」
 「そうなんですか」

 「俺は一層苦労して高い金で集めたけど、貢さんが生きてた頃でも、結構な資産だったと思う。相当珍しい盤もあったしな」 
 「はい」
 「自分が死んだ後で、奥さんに残してやりたいと思ってたんじゃないかと思うよ」
 「……」
 「奥さんが売ったのか、誰が売ったのかは知らん。でも、俺のもとに貢さんのレコードが来てくれたっていうのは、感謝しかないな」
 「はい」



 

 地下を出て、そろそろ寝ろと言った。
 俺はしばらくロボと一緒にベッドに横になり、本を読んでいた。
 ノックがし、亜紀ちゃんが自分のノートPCを抱えて入って来た。

 「どうしたんだ?」
 「貢さんのことを知りたくて調べてたんです!」
 「そうか」

 亜紀ちゃんが俺のベッドに横になり、俺に画面を見せた。
 貢さんの生前に、雑誌のインタビューを受けた記事が掲載されていた。
 「愛しのサイヘー」という、貢さんを好きだった人のサイトのようだった。

 《『1985年『ミュージック・フレンズ』誌9月号掲載 》

 ――西平貢(にしひら みつぐ)さん、今日はよろしくお願いします。
 サイヘー:ああ、よろしく。
 ――今日はサイヘーさんと呼ばせていただきますが、サイヘーさんは目が見えないのに、ニューヨークやヨーロッパでも人気のギタリストですよね!
 サイヘー:人気なんてどうでもいいけどな。

 (中略)

 ――前からお聞きしたかったんですが、今までお弟子さんとかは?
 サイヘー:何人かいたけどなあ。でもみんな途中で辞めちまった。
 ――なんでなんですか?
 サイヘー:そりゃ、俺がメクラだからだよ。普通は譜面だろ? でも俺はそれができねえ。だから俺を見ろって言うと、みんな辞めちまうんだ。
 ――あははは。
 サイヘー:しょうがねんだよ。あと、俺がよく殴るしなあ。
 ――それはコワイですね。
 サイヘー:だってよ。殴らなきゃ体で覚えねえだろうよ。俺の体でしか教えられねんだから。
 ――じゃあ、サイヘーさんのギターは誰も継げないんですね。
 サイヘー:ああ、それがよ。ちょっと前から弟子ができた!
 ――ほんとですか! それは良かった!
 サイヘー:まあ、おもいっきりクソガキなんだけどな。
 ――へー。
 サイヘー:俺が縁側で弾いてたら勝手に聴いてやがって。それがな、俺がどうしてもやりたいことがあって練習してたんだ。それを見抜きやがってな!
 ――すごい人ですね!
 サイヘー:いや、ただの悪ガキなんだけどよ。でも、そいつが面白え! バカでクソガキのくせに、俺が何度殴ってもまた来るんだ。
 ――やっぱり殴る!
 サイヘー:そりゃそうだよ。それもな、指を痛めちゃいけない。だからスリコギで殴ってる!
 ――わはははは。
 サイヘー:何度か頭から血を吹いてな。それでも次の日にちゃんと来る。
 ――それはまたスゴイですね。
 サイヘー:血が出て俺があわてると、笑ってやがるんだ。
 ――ワハハハ。
 サイヘー:クソガキだから、俺に殴りかかる時もあるけどよ。でも絶対に俺の手は狙わねぇ。あいつも分かってる。
 ――いいお弟子さんですね。
 サイヘー:だからクソガキだって。
 ――そのクソガキくんは、サイヘーさんの跡を継げそうですか?
 サイヘー:おうよ! あいつはすげーんだ。いつか俺を超えるんじゃねえかと思ってる。
 ――そりゃすごい!
 サイヘー:でもな、あいつは医者になるんだってよ。
 ――それは絶対ダメですよ!
 サイヘー:お袋さんのためらしいよ。そんなこと聞いちゃなあ。
 ――だめだめ!
 サイヘー:そうだよな! そのうちギターに惚れ込ませてこっちを向かせてやらー!
 ――是非お願いします!



 「これって、タカさんのことですよね!」
 「……」

 「タカさん?」
 「……」

 「泣いてるんですか?」

 亜紀ちゃんが俺の頭を撫でた。

 「貢さんの最期の日。「それだ」って言ったんですよね? それって……」
 「全然違うよ、亜紀ちゃん」
 「だって」

 「俺はあの貢さんを超えることは絶対にない! 貢さんは最高のギタリストだったんだ」

 「タカさん……」

 「俺はいつまでも、貢さんのクソガキの弟子なんだ」





 「はい」




 「おやすみなさい、タカさん」
 亜紀ちゃんが、静かにドアを閉じて出て行った。
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