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挿話: 亜紀、その独白。

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 ロボが廊下に座っている。
 タカさんのお風呂を待っている。
 私はロボの隣にそっと座った。
 ロボが私を見ている。

 「一緒にね?」
 ロボは納得したのか、またお風呂場のドアを見つめている。

 「あ、タカさんが歌ってるよ!」
 いつもタカさんはお風呂で歌う。
 「お風呂場ソング1000」があるそうだ。
 私はタカさんの歌が大好きだ。
 隣を見ると、ロボも目を細めて聴いていた。



 

 あの日、必死に泣き叫んでタカさんを呼んだ。
 お父さんから、何か困ったことがあったら、自分たちに頼れない状況だったら。
 そうしたら迷わずにタカさんに頼れと言われていた。
 
 「あいつは必ず「任せろ」って言って、お前たちを助けてくれるから。そういう奴だから」
 お父さんは笑ってそう言っていた。
 本当にその通りだった。

 私たち四人兄弟は、みんなタカさんに引き取られた。
 「任せろ」と言われて、涙が出た。




 大きなお家だった。
 最初は心配だった。
 だって、タカさんは私たちのために、どんどんお金を使うから。
 一瞬も迷ったことは無い。
 部屋の家具などはもちろん、服だって食べ物だって、どんどん一杯与えてくれる。
 タカさんの作ってくれた食事は、毎回美味しかった。
 いつも、私たちが喜ぶように、一生懸命に作ってくれた。
 仕事が忙しいのに。

 勉強でトップを取れと言われた時は驚いた。
 そんなこと、自分にできるわけない。
 弟や妹たちも大変なことになる、と思った。
 でも、タカさんの言う通りにしていたら、すぐにそうなった。
 タカさんを疑った自分を恥ずかしく思った。

 「人生はな。「やる」と決めてやればいいだけなんだよ」
 二度とタカさんを疑わない。
 死ねと言われたら、その瞬間に死ぬ。
 そう決めた。
 
 私はタカさんのものになろう。
 そう決めた。





 タカさんは優しい。
 どうしてこんなに優しいのか。
 いつもそう思っていた。
 私たちのことを考えない日は無かった。
 その時は分からなくても、後から全部そうだったことに気付く。
 いろんなお話をしてくれる。
 感動する話、役に立つ話。
 しょっちゅう冗談を言うのも、私たちのためだ。
 拗ねたり怒ったりするのも、全部私たちのためだ。
 知らないところで、一杯タカさんは私たちのことを考えてやってくれる。
 涙が出るほど有難かった。


 その優しさの秘密を知った。
 タカさんの裸を見た。
 全身傷だらけだった。
 その時に、私は全部分かった。
 タカさんは、悲しみをあの傷の下に埋めてきたんだ。
 誰かが悲しまないように、自分がああやって傷ついて、溢れる血を捧げて、そうやってその悲しみを埋め込んだんだ。

 「俺の身体は気持ち悪いだろう?」
 
 タカさんは、そう言った。
 私は全力でそんなことはないと言った。
 あんなに綺麗な身体はない。
 傷ついて、痛みに苦しんで、そうやってタカさんは生きて来た。
 傷だらけなのは、優しい塊だからだ。
 タカさんの身体は悲しくて綺麗だ。



 でもある日、その最大の悲しみを知った。
 全部の傷が、タカさんにとっては苦しいものだったはずだが、その最大の傷は、タカさんにとって死ぬ以上の苦しみだった。
 タカさんの優しい魂まで壊してしまう。

 奈津江さんだ。

 タカさんの最大の弱点。
 その傷だけは、今も大きく開いて血を流し続けている。
 決して埋められない悲しみ。
 タカさんから聞いたいろいろなお話。
 どれも悲しい。
 そして、だから美しい。

 でも、奈津江さんだけはダメだ。
 そのことを思い知ったことがあった。

 

 奈津江さんのお話は、一緒に城ケ島に行った時に聞いた。

 「20年だ。それだけの年月が経って、ようやく話せた」

 去年、別荘でそう打ち明けてくれた。
 きっかけは奈津江さんの兄・顕さんとの再会だった。
 タカさんは、顕さんに奈津江さんの死がタカさんのせいじゃないと言って貰えた。
 どれだけタカさんは嬉しかっただろう。
 私も、顕さんには最大の感謝を抱いている。

 でも、まだタカさんの中では大きな傷が開いていた。



 ルーとハーが奈津江さんの絵を描いた。
 私も知らなかった。
 
 その絵を見た途端、タカさんは大泣きした。
 見たことも無い、タカさんの泣き方だった。
 わんわん泣いて、普段のタカさんでは決してなかった。
 壊れてしまったように、泣き崩れた。

 私は、タカさんが死んじゃうんじゃないかと心配で堪らなかった。
 タカさんの全身の傷は、やっとタカさんが抑え込んでいる。
 でも、奈津江さんの悲しみは大きすぎた。
 タカさんが抑え切れなくなって、全部の傷が開いちゃう。
 本当にそう思った。

 タカさんを抱き上げてお風呂に入れた。
 タカさんはお風呂が大好きだ。
 それしか思い浮かばなかった。
 私はバカだ。



 あの、タカさんが泣いた日。
 私は今でも怖い。



 タカさんが普段面白いのは、きっとあの多くの悲しみがあるからだ。
 ようやく、私はそのことに気付いた。
 明るくしてなければ、タカさんはあの悲しみの闇に呑まれてしまう。
 
 そしてタカさんは、私たち、他の人間の悲しみにも敏感だ。
 だから、ああやっていつだって周囲を明るくしようとしてくれる。
 みんなに、悲しみに負けるなと言ってくれている。

 どうして、そんなに優しい人なのか。

 自分なんて、どうなってもいいと思ってる人。



 だから私はタカさんを守る。
 タカさんが傷つかなくていいように、私が強くなる。
 でも、タカさんは今でも、傷を作っている。
 私が強くなろうとすると、そのことを悲しんでしまう。

 「お前たちをこんなにしてしまった」

 タカさんは、そう言う。
 どこまでも優しすぎる人。


 六花さんが、前に言っていた。

 「私は石神先生と共に生きて、石神先生と共に終わるのです」

 美しい人だと思った。
 魂が最高に美しい。

 私はどうだろうかと思った。
 私は違うのだろう。
 私はタカさんを愛し、タカさんの悲しみを少しでも背負って和らげたい。
 そのために生きたい。

 タカさんが死ぬなんて、考えられない。
 私はタカさんのために生きて死にたい。

 そうして私は強くなった。
 タカさんのために、そうならなければいけなかった。
 でも、タカさんはいつでも私よりも強い。
 私のことを天才だと言うタカさん。
 それでも、タカさんはずっと私よりも強い。

 タカさんが天才だから?
 そうじゃないと思う。

 私が強くなれば、その優しさで私を守れるくらいに強くなる。
 そういう人だった。

 



 タカさん、その優しさが私は悲しいです。
 だけど、そんな悲しいタカさんのことを、私は大好きです。





 タカさんがお風呂から出てきた。
 ロボが喜んでじゃれている。

 「お、おっきいネコがいるな」
 「にゃー」

 「アハハハハ!」

 タカさんが笑ってくれた。





 大好きです、タカさん。 
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