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あの日、あの時: 阿久津先輩
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中学に上がり、俺は陸上部に入った。
二つ上の先輩に、阿久津先輩がいた。
今でいうイケメンで、勉強もできた阿久津先輩は女子生徒にモテモテだった。
足の速かった俺は、すぐに先輩たちよりもタイムが出て、主力選手になった。
阿久津先輩も俺に期待し、可愛がってくれた。
俺は中学でも喧嘩ばかりで、ついには三年のツッパリ連中も抑え込んだ。
トイレでの乱闘事件はすぐに全校に広まった。
徐々に俺の周りに「ワル」が集まって来る。
俺はそいつらと一緒に、よく他校と喧嘩をしに行った。
楽しかった。
無茶苦茶なことをしながら、俺も女子生徒に人気だった。
成績優秀であることは、小学校よりも先生たちにウケが良かった。
やり過ぎて、警察のお世話になることもあったが、概ね俺は自由だった。
そんな俺は、ますます女子生徒に好かれ、そっち方面でも好き放題に遊んでいた。
近所の高校生や大学生、OLまで、俺のファンクラブにはいた。
彼女らのお陰で、問題集が山ほど集まり、食い物も集まった。
阿久津先輩は、中学生らしく女遊びはしなかった。
チヤホヤされるのは楽しいようだったが、特定の誰かと関係することはなかった。
俺と阿久津先輩は、陸上部のツートップだった。
俺が長距離で、阿久津先輩は短距離と陸上競技だ。
3メートル四方のでかい高跳びようのマットを一人で担ぐ俺を、阿久津先輩はいつも笑ってくれた。
「石神! お前は長距離なんだから、こんなものは運ばなくていいんだぞ」
「いえ、阿久津先輩のものは俺に用意させてください!」
阿久津先輩が大好きだった。
よく、阿久津先輩のお宅にも呼んでいただいた。
父親は会社員で、母親は時々健康食品を売っている。
お兄さんがいて、成人して勤めていた。
ちょっと母親が変わった人で、なんというか「自然人」だった。
ある時俺は呼ばれていくと、全身に泥を塗って裸だった。
「石神くん、人間は裸がいいのよ!」
よく分からなかった。
一緒にやろうと言うので付き合った。
阿久津先輩が帰って来て驚いた。
「お母さん! 何やってんの!」
俺は外のホースで泥を落とされた。
「石神、ごめんな! ちょっとおかしい人なんだ」
俺は笑って、楽しかったと言った。
面白い人なんで、お袋に話した。
お袋は引っ越して以来、あまり友達もいなかった。
田舎は人間関係が厳しい。
よそ者は距離が置かれた。
お袋と阿久津先輩の母親はすぐに仲良くなり、よく一緒に話すようになった。
お袋も、悩みや愚痴を言える相手を求めていた。
阿久津先輩とは、よく山を走った。
昔山頂に城があったと言われる小高い山に走って登り、足腰を鍛えた。
俺たち二人の訓練コースだった。
山頂で一休みし、いろんな話をした。
楽しかった。
中学で、徐々に俺の女子生徒のファンクラブが大きくなった。
阿久津先輩にくっついていた何人もが俺のファンクラブに乗り換えた。
また、陸上の成績も、断然俺の方が実績を出していった。
阿久津先輩は受験のためと言い、陸上部を去った。
俺も阿久津先輩のいない陸上部に興味を喪い、辞めた。
喧嘩と女三昧の日々になった。
阿久津先輩が行った進学校に俺も進んだ。
進学校の中でも、成績優秀者を集めた特別クラスに編入された。
一年一組だ。
俺は阿久津先輩に挨拶に行った。
三年三組に阿久津先輩はいた。
「ああ、石神。お前もここに入ったのか」
「はい! 阿久津先輩、これからよろしくお願いします!」
「よろしく。でも俺も忙しいからな」
「はい!」
俺も結構忙しかった。
高校になっても喧嘩三昧ではまずいだろうと思い、発散のために柔道部に入った。
まあ、暴走族にも入った。
そのために、免許獲得にまい進した。
金が無いから一発免許だ。
高校でも、俺はすぐに有名人になった。
成績トップ(すべてほぼ満点)。
暴走族の特攻隊長「赤虎」。
女の取り巻き。
一段と教師の評価が高くなった。
東大の合格率向上のため、俺は優遇されるようになった。
病気もしだいに治まった。
熱は毎月出るが、それもなんとも感じなくなった。
多少だるいだけだ。
阿久津先輩は、俺の顔を見ても、挨拶しても無視するようになった。
それが寂しかった。
ある日、学食で女生徒に囲まれて喰っていると、阿久津先輩が通りかかった。
俺を睨んでいる。
「ちょっと、あんた何よ!」
一人の女生徒が阿久津先輩に怒鳴った。
「やめろ! この方は俺が尊敬する先輩だぁ!」
怒鳴った女生徒は不満そうに座った。
「いいか! 俺が中学の時に散々世話になった方だ! お前らもそう接しろ!」
めいめいに分かったと言った。
阿久津先輩は辛そうな顔をして隅のテーブルで食べた。
その夏。
お袋から、阿久津先輩のご両親が離婚したと聞いた。
翌年の三月のある日の晩。
お袋が俺に言った。
「阿久津さんのお子さんね。家出したみたいなの」
「なんだって!」
「あの家さ、離婚したでしょ? お父さんの方にお兄さんが行って、お前の先輩の阿久津さんはお母さんについた。それでね、結構生活が厳しいのよ」
「どういうことだよ?」
「お子さんは大学に合格したけど、入学金が払えないんだって。どうしようもないのよ」
「!」
阿久津先輩のお母さんがお袋に電話してきたらしい。
二人はずっと友達のままだった。
俺はバイクに跨り、家を飛び出した。
阿久津先輩の家に向かった。
俺が玄関を開けると、お母さんが畳の上で項垂れていた。
酒を飲んでいた。
入って来た俺を見て、お母さんが言った。
「あの子ね、千葉大学の医学部に合格したの。でもね、明日までに入学金を入れないと不合格になるんだって」
「別れた旦那に頼み込んだって。でも断られて。さっきお兄ちゃんから電話が来たの。泣いて頼まれたけど、どうしようもないんだって。あの子、お酒を飲んでたらしいの。飲んだことないのにね」
そう言い終わって泣き始めた。
俺は背中をさすり、必ず連れ戻すと言った。
「俺に任せて下さい!」
俺はバイクで山の麓に行った。
ここしか宛はなかった。
いなければどこにでも探しに行く。
それしか考えられなかった。
スタンドを上げるのももどかしく、バイクを横倒しにして駆け上った。
自殺するかもしれない。
その恐怖だけがあった。
山頂で、阿久津先輩が座っていた。
カップ酒の容器が幾つか転がっていた。
手に、太いロープを持っていた。
俺は間に合ったことに感謝した。
「阿久津先輩!」
大声で怒鳴ると、阿久津先輩がこっちを向いた。
「探しましたよ! 良かった、見つかって」
「石神」
目がうつろだった。
俺は阿久津先輩の手からロープをひったくり、両手で千切ろうとした。
切れなかった。
俺が必死で頑張る様を見て、阿久津先輩が大きな声で笑った。
「いくら石神でも、そりゃ無理だろう」
俺も笑って、ロープを遠くへ放り投げた。
真っ暗な中、ロープはいずこへか消えた。
夜の10時だった。
俺は阿久津先輩の隣に腰かけた。
しばらく、二人で黙っていた。
「俺さ、もう生きていたくないよ」
「何言ってんですか!」
「石神はいいよな。勉強が出来て人気もあって。毎日楽しそうだ」
「やめてください」
「俺にはもう何もないよ」
「まだ終わってないですよ! 明日までに入学金を払えばいいんですよね? 俺、みんなに頼んでみますから。金のある奴もいます。きっと集めますから!」
「石神!」
阿久津先輩は泣き出した。
「お前、まだこんな俺のために」
「当たり前じゃないですか! 俺は阿久津先輩に散々お世話になって、一杯可愛がってもらって。こんな時に力になれないでどうします!」
俺は帰りましょうと言ったが、阿久津先輩は嫌だと言った。
母親に合わせる顔が無いと。
「じゃあ、しばらくいましょうか。ああ、火を起こしましょう。真っ暗ですからね。ちょっとおっかないや」
阿久津先輩は薄く笑った。
俺は先輩が見えなくならない範囲で、枯れ木を集めた。
抱えて阿久津先輩の近くに積む。
ライターで火を点けた。
煙草を吸うわけではなかったが、先輩の煙草に火を点けるために、いつも持ち歩いていた。
暴走族は上下関係が厳しい。
次第に大きくなった火を、俺たちは見つめた。
灯のない周囲は真っ暗で、火の周辺だけが明るい。
「なんか、俺たち地球最後の生き残りみたいですよね」
「お前は昔からヘンなことを言うよな」
「エヘヘヘ」
黙って火を見ていると、阿久津先輩が話し出した。
「両親の離婚な。お母さんが変わってるだろ、うち?」
「え、まあ、ちょっと」
「浮気したんだ。自由な人だからな。それで親父が怒って。兄貴もそっちについてった」
「そうだったんですか」
「俺はお母さんが可哀そうでな。一緒にいた」
「はい」
阿久津先輩らしい。
「親父にも兄貴にも散々誘われたんだけど。でも断った。カッコつけた挙句がこれだ」
「はい」
「石神、俺はもうダメだよ」
「え? 何言ってんですか」
「なんだよ」
「だって先輩、まだ生きてるじゃないですか。何言ってんですか。まだ何も終わってなんかないですよ」
「お前に俺の気持ちが分かるか!」
「分かるわけないですよ! 先輩だって俺の心なんか見えないでしょう? まったく何言ってんですか」
阿久津先輩が立ち上がった。
「アレ? やんですか? 俺は「ルート20」特攻隊長の赤虎ですよ? 何人も病院送りにしたキチガイです」
阿久津先輩が殴りかかって来た。
俺は殴られたままでいた。
「石神、お前」
「俺はこんなことしか出来ません。申し訳ありません!」
「阿久津先輩のでっかい悲しみなんて、俺なんかに分かるわけないじゃないですか。先輩、頭いい人でしょ?」
「悪かった!」
俺たちはまた炎を見つめた。
黙ったままで、いつまでも見ていられた。
美しいと共に、俺たちの何かを燃やして浄化してくれるような気がした。
「全部燃やしちゃいましょうよ」
「うん」
《わたしは片時も同じ位置にとどまらず 一瞬前のわたしはもう存在しないからだ わたしは燃えることによってつねに立ち去る》
「なんだ?」
「大岡信の『炎のうた』という詩の一節です」
「そうか。お前、やっぱり変わってるな」
阿久津先輩は薄く笑った。
「先輩、俺たちは常にいなくなるんです」
「そうなのか」
「人間が生きてるって、そういうことですよ。一瞬でなくなって、俺たちは俺たちで在り続ける」
「悪い、ちょっと分からん」
「俺たちは明日を知らない。そうでしょ? 明日幸せになるかもしれない。反対にまた一層苦しむのかもしれない。でも、俺たちが生きてるのって、そういう世界ですよ」
「あ、ああ」
「明日のことで悩むのはやめましょう。そんなものはどうでもいいです。目の前にあるもので、俺たちはすべてですよ」
「……」
「先輩、生きて下さい」
「やっぱりそうか」
「当たり前です。阿久津先輩は、お母さんのために残ったんでしょ? だったらそのまま行きましょうよ」
「そうか、そうだったな」
「さっき寄ったら泣いてましたよ。先輩が飲めない酒まで飲んでるんだって」
「ああ」
俺たちは夜明けまで話した。
俺はたびたび枯れ木を集め、そのうち阿久津先輩も拾って来た。
「先輩、なんで女に手を出さなかったんです?」
「だって、俺がそういうことで問題を起こしたら、お母さんが泣くじゃないか」
「ああ! そういう発想は無かったぁ!」
「石神、お前って面白いな」
阿久津先輩は大笑いした。
「俺はお前に嫉妬してた。悪かった」
「そんなこと! 俺なんか人から嫌われて当然の人間ですよ。阿久津先輩が俺なんかに優しくして下さったことは、一生忘れません!」
「石神、お前」
夜が明けて、俺たちは山を下りた。
「じゃあ、先輩。知り合いからお金を集めてきますから!」
「いや、石神。もういいよ。俺は自分で働いて稼いで、また受験するよ」
「遠慮しないでくださいよ! 俺に任せて下さい」
「本当にいいんだ。俺は生き返ったよ。ありがとう」
俺たちは麓で別れた。
阿久津先輩の笑顔を見て、俺はもう大丈夫だと思った。
その後、阿久津先輩はお兄さんの会社に就職した。
元気でやっていると、お袋経由で聞いた。
二つ上の先輩に、阿久津先輩がいた。
今でいうイケメンで、勉強もできた阿久津先輩は女子生徒にモテモテだった。
足の速かった俺は、すぐに先輩たちよりもタイムが出て、主力選手になった。
阿久津先輩も俺に期待し、可愛がってくれた。
俺は中学でも喧嘩ばかりで、ついには三年のツッパリ連中も抑え込んだ。
トイレでの乱闘事件はすぐに全校に広まった。
徐々に俺の周りに「ワル」が集まって来る。
俺はそいつらと一緒に、よく他校と喧嘩をしに行った。
楽しかった。
無茶苦茶なことをしながら、俺も女子生徒に人気だった。
成績優秀であることは、小学校よりも先生たちにウケが良かった。
やり過ぎて、警察のお世話になることもあったが、概ね俺は自由だった。
そんな俺は、ますます女子生徒に好かれ、そっち方面でも好き放題に遊んでいた。
近所の高校生や大学生、OLまで、俺のファンクラブにはいた。
彼女らのお陰で、問題集が山ほど集まり、食い物も集まった。
阿久津先輩は、中学生らしく女遊びはしなかった。
チヤホヤされるのは楽しいようだったが、特定の誰かと関係することはなかった。
俺と阿久津先輩は、陸上部のツートップだった。
俺が長距離で、阿久津先輩は短距離と陸上競技だ。
3メートル四方のでかい高跳びようのマットを一人で担ぐ俺を、阿久津先輩はいつも笑ってくれた。
「石神! お前は長距離なんだから、こんなものは運ばなくていいんだぞ」
「いえ、阿久津先輩のものは俺に用意させてください!」
阿久津先輩が大好きだった。
よく、阿久津先輩のお宅にも呼んでいただいた。
父親は会社員で、母親は時々健康食品を売っている。
お兄さんがいて、成人して勤めていた。
ちょっと母親が変わった人で、なんというか「自然人」だった。
ある時俺は呼ばれていくと、全身に泥を塗って裸だった。
「石神くん、人間は裸がいいのよ!」
よく分からなかった。
一緒にやろうと言うので付き合った。
阿久津先輩が帰って来て驚いた。
「お母さん! 何やってんの!」
俺は外のホースで泥を落とされた。
「石神、ごめんな! ちょっとおかしい人なんだ」
俺は笑って、楽しかったと言った。
面白い人なんで、お袋に話した。
お袋は引っ越して以来、あまり友達もいなかった。
田舎は人間関係が厳しい。
よそ者は距離が置かれた。
お袋と阿久津先輩の母親はすぐに仲良くなり、よく一緒に話すようになった。
お袋も、悩みや愚痴を言える相手を求めていた。
阿久津先輩とは、よく山を走った。
昔山頂に城があったと言われる小高い山に走って登り、足腰を鍛えた。
俺たち二人の訓練コースだった。
山頂で一休みし、いろんな話をした。
楽しかった。
中学で、徐々に俺の女子生徒のファンクラブが大きくなった。
阿久津先輩にくっついていた何人もが俺のファンクラブに乗り換えた。
また、陸上の成績も、断然俺の方が実績を出していった。
阿久津先輩は受験のためと言い、陸上部を去った。
俺も阿久津先輩のいない陸上部に興味を喪い、辞めた。
喧嘩と女三昧の日々になった。
阿久津先輩が行った進学校に俺も進んだ。
進学校の中でも、成績優秀者を集めた特別クラスに編入された。
一年一組だ。
俺は阿久津先輩に挨拶に行った。
三年三組に阿久津先輩はいた。
「ああ、石神。お前もここに入ったのか」
「はい! 阿久津先輩、これからよろしくお願いします!」
「よろしく。でも俺も忙しいからな」
「はい!」
俺も結構忙しかった。
高校になっても喧嘩三昧ではまずいだろうと思い、発散のために柔道部に入った。
まあ、暴走族にも入った。
そのために、免許獲得にまい進した。
金が無いから一発免許だ。
高校でも、俺はすぐに有名人になった。
成績トップ(すべてほぼ満点)。
暴走族の特攻隊長「赤虎」。
女の取り巻き。
一段と教師の評価が高くなった。
東大の合格率向上のため、俺は優遇されるようになった。
病気もしだいに治まった。
熱は毎月出るが、それもなんとも感じなくなった。
多少だるいだけだ。
阿久津先輩は、俺の顔を見ても、挨拶しても無視するようになった。
それが寂しかった。
ある日、学食で女生徒に囲まれて喰っていると、阿久津先輩が通りかかった。
俺を睨んでいる。
「ちょっと、あんた何よ!」
一人の女生徒が阿久津先輩に怒鳴った。
「やめろ! この方は俺が尊敬する先輩だぁ!」
怒鳴った女生徒は不満そうに座った。
「いいか! 俺が中学の時に散々世話になった方だ! お前らもそう接しろ!」
めいめいに分かったと言った。
阿久津先輩は辛そうな顔をして隅のテーブルで食べた。
その夏。
お袋から、阿久津先輩のご両親が離婚したと聞いた。
翌年の三月のある日の晩。
お袋が俺に言った。
「阿久津さんのお子さんね。家出したみたいなの」
「なんだって!」
「あの家さ、離婚したでしょ? お父さんの方にお兄さんが行って、お前の先輩の阿久津さんはお母さんについた。それでね、結構生活が厳しいのよ」
「どういうことだよ?」
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「!」
阿久津先輩のお母さんがお袋に電話してきたらしい。
二人はずっと友達のままだった。
俺はバイクに跨り、家を飛び出した。
阿久津先輩の家に向かった。
俺が玄関を開けると、お母さんが畳の上で項垂れていた。
酒を飲んでいた。
入って来た俺を見て、お母さんが言った。
「あの子ね、千葉大学の医学部に合格したの。でもね、明日までに入学金を入れないと不合格になるんだって」
「別れた旦那に頼み込んだって。でも断られて。さっきお兄ちゃんから電話が来たの。泣いて頼まれたけど、どうしようもないんだって。あの子、お酒を飲んでたらしいの。飲んだことないのにね」
そう言い終わって泣き始めた。
俺は背中をさすり、必ず連れ戻すと言った。
「俺に任せて下さい!」
俺はバイクで山の麓に行った。
ここしか宛はなかった。
いなければどこにでも探しに行く。
それしか考えられなかった。
スタンドを上げるのももどかしく、バイクを横倒しにして駆け上った。
自殺するかもしれない。
その恐怖だけがあった。
山頂で、阿久津先輩が座っていた。
カップ酒の容器が幾つか転がっていた。
手に、太いロープを持っていた。
俺は間に合ったことに感謝した。
「阿久津先輩!」
大声で怒鳴ると、阿久津先輩がこっちを向いた。
「探しましたよ! 良かった、見つかって」
「石神」
目がうつろだった。
俺は阿久津先輩の手からロープをひったくり、両手で千切ろうとした。
切れなかった。
俺が必死で頑張る様を見て、阿久津先輩が大きな声で笑った。
「いくら石神でも、そりゃ無理だろう」
俺も笑って、ロープを遠くへ放り投げた。
真っ暗な中、ロープはいずこへか消えた。
夜の10時だった。
俺は阿久津先輩の隣に腰かけた。
しばらく、二人で黙っていた。
「俺さ、もう生きていたくないよ」
「何言ってんですか!」
「石神はいいよな。勉強が出来て人気もあって。毎日楽しそうだ」
「やめてください」
「俺にはもう何もないよ」
「まだ終わってないですよ! 明日までに入学金を払えばいいんですよね? 俺、みんなに頼んでみますから。金のある奴もいます。きっと集めますから!」
「石神!」
阿久津先輩は泣き出した。
「お前、まだこんな俺のために」
「当たり前じゃないですか! 俺は阿久津先輩に散々お世話になって、一杯可愛がってもらって。こんな時に力になれないでどうします!」
俺は帰りましょうと言ったが、阿久津先輩は嫌だと言った。
母親に合わせる顔が無いと。
「じゃあ、しばらくいましょうか。ああ、火を起こしましょう。真っ暗ですからね。ちょっとおっかないや」
阿久津先輩は薄く笑った。
俺は先輩が見えなくならない範囲で、枯れ木を集めた。
抱えて阿久津先輩の近くに積む。
ライターで火を点けた。
煙草を吸うわけではなかったが、先輩の煙草に火を点けるために、いつも持ち歩いていた。
暴走族は上下関係が厳しい。
次第に大きくなった火を、俺たちは見つめた。
灯のない周囲は真っ暗で、火の周辺だけが明るい。
「なんか、俺たち地球最後の生き残りみたいですよね」
「お前は昔からヘンなことを言うよな」
「エヘヘヘ」
黙って火を見ていると、阿久津先輩が話し出した。
「両親の離婚な。お母さんが変わってるだろ、うち?」
「え、まあ、ちょっと」
「浮気したんだ。自由な人だからな。それで親父が怒って。兄貴もそっちについてった」
「そうだったんですか」
「俺はお母さんが可哀そうでな。一緒にいた」
「はい」
阿久津先輩らしい。
「親父にも兄貴にも散々誘われたんだけど。でも断った。カッコつけた挙句がこれだ」
「はい」
「石神、俺はもうダメだよ」
「え? 何言ってんですか」
「なんだよ」
「だって先輩、まだ生きてるじゃないですか。何言ってんですか。まだ何も終わってなんかないですよ」
「お前に俺の気持ちが分かるか!」
「分かるわけないですよ! 先輩だって俺の心なんか見えないでしょう? まったく何言ってんですか」
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俺は殴られたままでいた。
「石神、お前」
「俺はこんなことしか出来ません。申し訳ありません!」
「阿久津先輩のでっかい悲しみなんて、俺なんかに分かるわけないじゃないですか。先輩、頭いい人でしょ?」
「悪かった!」
俺たちはまた炎を見つめた。
黙ったままで、いつまでも見ていられた。
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「全部燃やしちゃいましょうよ」
「うん」
《わたしは片時も同じ位置にとどまらず 一瞬前のわたしはもう存在しないからだ わたしは燃えることによってつねに立ち去る》
「なんだ?」
「大岡信の『炎のうた』という詩の一節です」
「そうか。お前、やっぱり変わってるな」
阿久津先輩は薄く笑った。
「先輩、俺たちは常にいなくなるんです」
「そうなのか」
「人間が生きてるって、そういうことですよ。一瞬でなくなって、俺たちは俺たちで在り続ける」
「悪い、ちょっと分からん」
「俺たちは明日を知らない。そうでしょ? 明日幸せになるかもしれない。反対にまた一層苦しむのかもしれない。でも、俺たちが生きてるのって、そういう世界ですよ」
「あ、ああ」
「明日のことで悩むのはやめましょう。そんなものはどうでもいいです。目の前にあるもので、俺たちはすべてですよ」
「……」
「先輩、生きて下さい」
「やっぱりそうか」
「当たり前です。阿久津先輩は、お母さんのために残ったんでしょ? だったらそのまま行きましょうよ」
「そうか、そうだったな」
「さっき寄ったら泣いてましたよ。先輩が飲めない酒まで飲んでるんだって」
「ああ」
俺たちは夜明けまで話した。
俺はたびたび枯れ木を集め、そのうち阿久津先輩も拾って来た。
「先輩、なんで女に手を出さなかったんです?」
「だって、俺がそういうことで問題を起こしたら、お母さんが泣くじゃないか」
「ああ! そういう発想は無かったぁ!」
「石神、お前って面白いな」
阿久津先輩は大笑いした。
「俺はお前に嫉妬してた。悪かった」
「そんなこと! 俺なんか人から嫌われて当然の人間ですよ。阿久津先輩が俺なんかに優しくして下さったことは、一生忘れません!」
「石神、お前」
夜が明けて、俺たちは山を下りた。
「じゃあ、先輩。知り合いからお金を集めてきますから!」
「いや、石神。もういいよ。俺は自分で働いて稼いで、また受験するよ」
「遠慮しないでくださいよ! 俺に任せて下さい」
「本当にいいんだ。俺は生き返ったよ。ありがとう」
俺たちは麓で別れた。
阿久津先輩の笑顔を見て、俺はもう大丈夫だと思った。
その後、阿久津先輩はお兄さんの会社に就職した。
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