上 下
475 / 2,808

あの日、あの時: レイ

しおりを挟む
 俺が高校二年生の夏休みだった。
 俺たちの町に、サーカスが来た。
 俺や族の連中は大興奮で待っていた。
 あまり楽しみの無い田舎だった。
 
 サーカスがやって来た時には、仲間の中に興行に親が関わった奴がいて、族の幹部の連中が特別に設営現場に入らせてもらった。
 見たこともないものがたくさんあった。

 一角で、猛獣使いが練習をしていた。
 長い鞭でライオンや虎を動かしている。
 俺たちは珍しくて近くで眺めていた。

 猛獣使いの鞭が、誤って虎の顔を打った。
 虎は興奮し、猛獣使いを襲った。
 咄嗟に自分で檻に入ると、虎は檻にそのままぶつかる。
 物凄い音がした。
 虎が俺たちを見つけた。
 走って来る。

 「おい、トラ!」
 俺はみんなの前に立った。
 特攻隊長だからだ。

 「俺がぶっ込みます! みなさん逃げてください!」
 「お前! バカ言うな!」
 井上さんが叫ぶ。
 虎の巨体が目の前でジャンプした。



 俺は腹に蹴りを入れたが、勢いは衰えない。
 そのままのしかかられ、鋭い爪で胸を抉られた。
 身をよじって、深くは抉られずに済んだ。
 みんなは逃げ出してくれた。
 大声で人を呼ぶ。
 俺と虎は立って対峙した。

 「おい、落ち着け! お前、これ以上はやばいぞ」
 俺はしゃがんで、虎に向かって両腕を拡げた。

 「頭来たんなら、もうちょっと齧ってもいいからさ。落ち着けよ」
 虎が俺を見ている。
 呼吸が大分落ち着いてきている。

 「ほら、来いよ」
 虎が俺にゆっくりと近づいて来た。
 俺の顔を舐めた。

 「よかった。落ち着いてくれたかぁー!」
 サーカスの人が集まって来た。
 猛獣使いも檻から出てくる。

 「おい、君! 大丈夫か!」
 誰かが駆け寄り、猛獣使いが虎を檻に入れた。
 虎は大人しく従った。

 「血が出てるぞ!」
 「あー、さっき転んじゃって! 全然平気っす!」
 俺は井上さんたちの所へ走って行き、そのままみんなで逃げた。

 胸の傷は、自分で縫った。
 そういうことが出来るようになっていた。
 針と糸があれば、大丈夫だ。
 それほど酷い傷でもなかった。




 俺たちに、招待チケットが届いた。
 興行に関わった奴を通じて、俺たちのことが分かってしまったようだ。
 お詫びもしたいので、是非来て欲しいと手紙にあった。
 俺たちはウキウキでサーカスのショーを見に行った。

 「トラのお陰だよな!」
 井上さんも嬉しそうだった。

 《幾時代がありまして 茶色い戦争がありました》

 「またトラさんがヘンなこと言ってますよ」
 「トラ、お前何言ってんの?」
 「中原中也の『サーカス』です」

 《ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん》

 「みんな、トラのことは気にするな。頭がいいんだからよ」
 「オス!」




 俺たちはショーを楽しんだ。
 前列のいい席で、目の前でショーが繰り広げられた。
 猛獣使いのショーが始まった。
 メインイベントだ。

 「そこの大きいオトモダチ!」
 俺が呼ばれた。

 「トラー! お前食い殺されろ!」
 「テメェー! 死んで来い!」
 「トラを喰うんじゃねぇぞ!」

 ワルだった俺は、知ってる連中から酷いヤジを飛ばされた。
 俺のファンクラブの女の子たちからの声援もあった。
 会場が笑い、盛り上がる。
 俺は手を振って、ステージに立った。
 俺を功労者として、特別に扱ってくれたのだろう。

 「それでは、おっきなオトモダチには、そこに立ってていただきますね!」
 猛獣使いが、俺に立ち位置を示した。
 飛び越えさせるらしい。
 鞭が鳴り、ライオンが三頭俺の頭上を跳んでいく。
 虎の番だ。
 
 俺はニッコリと手を振った。

 鞭の合図で虎が走って来る。
 虎は飛ばずに俺にのしかかり、顔を舐め回す。

 「レイ!」

 猛獣使いが飛んでくる。

 「お前、レイっていうのかぁ! 綺麗な名前だな!」
 レイは俺に顔を摺り寄せてきた。
 俺はステージを降ろされ、何とかショーは続いた。
 演目が終わり、俺たちは団長に呼ばれた。
 部屋に入ると、何人かの人間と猛獣使いもいた。
 
 「君、こないだは本当に申し訳ない」
 俺が怪我をしたのは分かっていたが、俺が逃げ出したので問題を隠し、ショーを開いたらしい。
 大人の事情だ。
 どうでもよかった。
 金の入った封筒を渡されたが、俺は固辞した。

 「何もありませんでしたよ? それより、今日はショーを邪魔しちゃったようで、すいませんでした」
 「あれはこっちこそ! また怪我されたらと驚いたよ!」
 猛獣使いが言った。

 「レイは気難しいんだ。機嫌をそこねると僕まで危ない。あんなに誰かに懐いたのは初めてだよ」
 俺はちょっと嬉しかった。
 レイに会いたいというと、特別に檻に連れて行ってくれた。

 「レイ! さっきは楽しかったな!」
 レイが寄って来た。
 距離を離されていたので、触ることは出来なかった。

 「お前! 綺麗な動きだったよ! 感動した!」
 レイが小さく鳴いた。

 「じゃあ、これからも頑張れよ!」

 俺たちは楽しく帰った。





 その晩、井上さんから電話が来た。

 「トラ、レイが逃げ出したらしい」
 「なんですって!」
 エサをやり、そのまま鍵を閉め忘れたようだ。
 レイはサーカスのテントを抜け出して、行方が知れないらしい。

 「お前に大分懐いていたからな。もしものことがあると不味いんで、知らせておいてくれと言われた」
 「分かりました。ありがとうございます」
 俺は急いで外へ出た。
 レイを探し回っていると、警察が猛獣が逃げ出したので、外出を控えるようにとアナウンスしていた。
 俺は道路ではまずいと思い、山に入った。
 勘と、あとは俺が山が好きだったというだけだ。
 取り敢えず山頂を目指した。
 レイの名前を呼んだ。

 突然、近づいて来る足音がする。
 真っ暗だったが、その重そうな足音ですぐに分かった。

 「レイ!」
 レイが俺に掛け寄り、身体を摺り寄せてきた。

 「お前ぇー! 探したぞ」
 俺の顔を舐める。
 俺たちは山頂へ上った。

 「お前も、あんな檻じゃ嫌だよなぁ。ちょっとのんびりしてから帰るか!」
 レイが小さく吼えた。

 「あ、俺高虎って言うんだ。俺もトラな!」
 俺は一方的にいろいろな話をした。
 中原中也の『サーカス』も暗唱してやる。

 「いいよなぁ、中也。どうよ、お前」
 レイの頭を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じる。
 明け方まで話した。

 「じゃー、そろそろ帰るか! 大丈夫だ、一緒に怒られてやるよ。任せろ!」
 俺はレイを連れて山を下りた。
 道路を一緒に歩いていると、すぐに警察が来た。
 俺は大丈夫だと言い、レイに跨って見せる。
 レイがそのまま歩き出すので、しばらく乗せてもらった。

 警察署の留置場に入った。
 俺も一緒に入る。
 知り合いの刑事の佐野さんが許可してくれた。
 そういう時代だった。

 「トラは喰われても問題ねぇからな。いや、喰われろ。平和になる」
 「ありがとうございます!」

 「レイ、ここは俺も慣れてるから大丈夫だぞ」
 俺は頼んでレイと俺に水をもらった。
 しばらくして、刑事が俺に親子丼と、レイに鶏肉を持って来てくれた。
 一緒にガツガツと食べた。
 しばらくして、サーカスの人間が迎えに来た。
 猛獣使いもいる。

 檻のトラックが警察署の前に止まっていた。
 外に出て、俺は土下座してたのんだ。

 「レイを叱らないで下さい!」
 みんな呆然とした。
 刑事の佐野さんが大笑いし、俺の尻を蹴った。

 「うるせぇ! とっとと虎を檻に入れろ!」
 俺は笑ってレイを檻に導いた。



 今ならば大事件だが、当時はそんなに騒がれなかった。
 信じられないことに、サーカスはショーを続けた。
 猛獣ショーだけはなくなった。
 俺は毎日、レイに会いに行った。
 特別に出入りを自由にしてもらえ、レイの檻にも近づけた。
 流石に中には入れてもらえなかった。
 1時間ほど、毎日話した。
 レイは黙って聴いていた。



 巡業の予定が終わり、テントが仕舞われる。
 レイを乗せたトラックに向かった。
 俺は全裸になり、叫んだ。

 「レイ! 俺たちは一生親友だからなぁー!」






 レイが雄々しく吼えた。






 そのままトラックを追いかけ、俺は留置場へ入れられた。
 わいせつ物陳列罪。
 まー、いつものことだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

まさか、、お兄ちゃんが私の主治医なんて、、

ならくま。くん
キャラ文芸
おはこんばんにちは!どうも!私は女子中学生の泪川沙織(るいかわさおり)です!私こんなに元気そうに見えるけど実は貧血や喘息、、いっぱい持ってるんだ、、まあ私の主治医はさすがに知人だと思わなかったんだけどそしたら血のつながっていないお兄ちゃんだったんだ、、流石にちょっとこれはおかしいよね!?でもお兄ちゃんが医者なことは事実だし、、 私のおにいちゃんは↓ 泪川亮(るいかわりょう)お兄ちゃん、イケメンだし高身長だしもう何もかも完璧って感じなの!お兄ちゃんとは一緒に住んでるんだけどなんでもてきぱきこなすんだよね、、そんな二人の日常をお送りします!

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

処理中です...