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四度目の別荘 XXⅤ
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「野口英世の伝記はたくさん書かれている。まあ、あの帝国主義で西洋が絶対に上、という時代にアメリカで活躍した日本人だからな。また貧しい生まれの人間が、努力して欧米人が目を瞠るような成果を出したんだ。無理もない」
二人は黙って聴いていた。
「国内でも梅毒スピロヘータの培養に世界で最初に成功し、渡米してからも様々な最近の研究で成果を出した。東大の理学博士にして、ロックフェラー財団の医学研究所の研究員だ。アメリカ人女性と結婚もした。日本人としては快挙よな」
「柳は野口英世のことを何か知っているか?」
「あまり詳しくはありませんが、子どもの頃の火傷を後にある医者が治してくれて、それで感動して医学の道へ進んだと」
「ああ、多くの伝記ではそのように書かれている。しかしな、渡辺淳一の『遠き落日』ではまったく違う」
「そうなんですか」
「渡辺は、野口英世の真の姿を描いた。悪たれのガキで、借金を踏み倒しながら学問をし、野口英世の全ての研究成果がウソか失敗だったと明かした」
「「エェー!」」
「本当にそうなんだよ。貧しい家だったから、学問をしたくても出来ない。だから他人に金を借りて上の学校へ行ったり、医学の技術を学んだり、ドイツ語を習ったりしたんだ。それだけじゃない。遊びが大好きで、結構な金を手に入れると、すぐに放蕩で使い果たす」
「とんでもないですね」
「借金を断られると、その家の娘と婚約して金を引き出したりな。後に結婚したアメリカ人女性なんてほったらかしだし。少し前に、日本人の分子生物学者がロックフェラー医学研究所を訪問したんだ。野口の塑像があったんで、案内の人間に「野口英世を知っているか」と聞いた。そうしたら「それは研究所の単なる歴史だ」と言われた。彼らにしてみれば、研究成果がみんなウソだったことを嘆いているんだよ」
「「あぁー」」
「柳が言った通り、野口英世は子どもの頃に手に火傷をした。母親のシカが咄嗟に手拭いで手をくるんだ。それが悪かったんだな。指が癒着して開けなくなってしまった」
「カワイソウですね」
「「手ん棒」って子どもたちからバカにされてな。悔しかっただろう。シカはそれを悲しんで、毎日息子の手を握って泣いた。自分の無知がとんでもない不幸を呼んでしまったと思った。真冬に湖に入ってシジミを獲っては売って、なんとか生活していた。そのためシカの手は酷いアカギレだらけだった」
「野口英世の原点は、その辛い手にある。母がそこまでして自分を育ててくれることへの感謝だ。それだけで生きていたんだな」
「じゃあ、後の出世も」
「そうだ。すべて母のためだ。医者になったのも、次々と成果を見せたのも。アメリカ人女性と結婚したのだって、日本人としてはいなかったからな。母に喜んでもらうためだよ」
「だから籍は入れても相手にしなかったと」
「ああ。アメリカへ行って、母から手紙をもらった。その手紙が残っているんだ。字を書いたことが無いシカが、野口に会いたくて、一生懸命に書いた」
《はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみてありまする》
「その手紙を読んで、すぐに日本へ帰った。それが最後の再会になった。その後で野口英世はアフリカで黄熱病の研究中に自分も罹患して死ぬ」
「「……」」
「とんでもなく汚い男で、とんでもなく美しい男だった。柳、お前は綺麗に生きようとし過ぎているんだよ」
「そうですね」
「まあ、俺の家に来たら、思い切り汚いものを教えてやるからな!」
「ちょっと手加減してください」
「亜紀ちゃんなんか、俺のために何億人でも殺すからなぁ」
「ちょっとやってきましょうか?」
笑った。
本当にできるから怖い。
「スイカ喰うだけで百人いっちゃうじゃない」
「アハハハ」
「亜紀ちゃん、あんなに食べるのに全然太らないですね」
「え、そんな食べてます?」
「「……」」
俺たちは沈黙した。
「やだなぁ、冗談ですって」
「牛の怨霊が一瞬見えたぞ」
「ちょっと怖かったです」
「なんですよ、もう!」
「俺なんてなぁ。牛さんが可哀そうで、一度は出たウンコも食べてるからな」
「また汚い話を!」
「そのまま流すのがカワイソウだからな」
「アハハハハ!」
「時々、双子の後ってトイレが詰まるよな」
「もうやめてください!」
「アハハハハ!」
「便利屋にもらった、すごいパイプクリーナーがあるんだよ。御堂の家でも使ったぞ?」
「そうなんですか!」
「ああ、その後でオロチが出てきた」
「なんか、繋げないでください。おじいちゃんが悲しみますから」
みんなで笑った。
「明日の番はステーキだったな」
「はい!」
「お前ら、よく飽きないよなぁ」
「タカさんは別なものにします?」
「うーん。柳、どうだ?」
「私は何でも」
「そうか。亜紀ちゃん、まだアリゲーターはあったっけか?」
「やめてください!」
「お前はまだまだ人生に突っ込まないなぁ」
みんなで笑った。
「ウンコはダメ。ワニもダメってなぁ。お前、ワガママが過ぎるんじゃねぇの?」
「その二択なんですかぁ!」
柳が抗議した。
「ああ、鰻が喰いたいな」
「あ、いいですね!」
「なんだ、鰻も喰うのかよ」
「私も鰻で」
柳が小さな声で言った。
「ところで普通の鰻ですか?」
「なんだよ、それ」
「鰻のウンコとかじゃないですよね」
「お! お前なかなかできるようになったじゃないか!」
「いやですから、それ!」
「亜紀ちゃん、お前らも喰うとなると、スーパーで間に合うかな?」
「そうですね。遅いですからメールしときますね」
「頼むわ」
亜紀ちゃんが下へ降りていった。
店長のアドレスを聞いているので、送りに行ったのだ。
「柳、お前必ず大学に受かれよ」
「はい」
「待ってるからな」
「必ず」
亜紀ちゃんが戻って来た。
「じゃあ、もう遅いから寝るか」
「「はい」」
二人に響子の寝顔を見せてやる。
六花の隣で、スヤスヤと眠っている。
「かわいいですね」
「そうだよな」
「ほんとにカワイイ」
小声で話し、二人は出ていった。
俺はキッチンでワイルドターキーを出し、もう一度屋上へ行った。
ここはやはり一人になると違う。
グラスにストレートで注いで煽った。
「奈津江」
俺は誰もいない空間に向かって言った。
「俺は一体どこへ向かっているのかな」
「お前がいれば、お前がいなければ、どうでもいいことだ。どう思うよ、奈津江」
「お前がいたこの世界。お前のいなくなったこの世界。俺はお前さえいてくれればよかったのになぁ」
「俺はお前のいる場所へ行きたいよ。でもな、俺はこの世界、俺のそばにいたいって連中も好きだ。俺はこの場所が好きなんだ」
「奈津江」
「俺は……」
二人は黙って聴いていた。
「国内でも梅毒スピロヘータの培養に世界で最初に成功し、渡米してからも様々な最近の研究で成果を出した。東大の理学博士にして、ロックフェラー財団の医学研究所の研究員だ。アメリカ人女性と結婚もした。日本人としては快挙よな」
「柳は野口英世のことを何か知っているか?」
「あまり詳しくはありませんが、子どもの頃の火傷を後にある医者が治してくれて、それで感動して医学の道へ進んだと」
「ああ、多くの伝記ではそのように書かれている。しかしな、渡辺淳一の『遠き落日』ではまったく違う」
「そうなんですか」
「渡辺は、野口英世の真の姿を描いた。悪たれのガキで、借金を踏み倒しながら学問をし、野口英世の全ての研究成果がウソか失敗だったと明かした」
「「エェー!」」
「本当にそうなんだよ。貧しい家だったから、学問をしたくても出来ない。だから他人に金を借りて上の学校へ行ったり、医学の技術を学んだり、ドイツ語を習ったりしたんだ。それだけじゃない。遊びが大好きで、結構な金を手に入れると、すぐに放蕩で使い果たす」
「とんでもないですね」
「借金を断られると、その家の娘と婚約して金を引き出したりな。後に結婚したアメリカ人女性なんてほったらかしだし。少し前に、日本人の分子生物学者がロックフェラー医学研究所を訪問したんだ。野口の塑像があったんで、案内の人間に「野口英世を知っているか」と聞いた。そうしたら「それは研究所の単なる歴史だ」と言われた。彼らにしてみれば、研究成果がみんなウソだったことを嘆いているんだよ」
「「あぁー」」
「柳が言った通り、野口英世は子どもの頃に手に火傷をした。母親のシカが咄嗟に手拭いで手をくるんだ。それが悪かったんだな。指が癒着して開けなくなってしまった」
「カワイソウですね」
「「手ん棒」って子どもたちからバカにされてな。悔しかっただろう。シカはそれを悲しんで、毎日息子の手を握って泣いた。自分の無知がとんでもない不幸を呼んでしまったと思った。真冬に湖に入ってシジミを獲っては売って、なんとか生活していた。そのためシカの手は酷いアカギレだらけだった」
「野口英世の原点は、その辛い手にある。母がそこまでして自分を育ててくれることへの感謝だ。それだけで生きていたんだな」
「じゃあ、後の出世も」
「そうだ。すべて母のためだ。医者になったのも、次々と成果を見せたのも。アメリカ人女性と結婚したのだって、日本人としてはいなかったからな。母に喜んでもらうためだよ」
「だから籍は入れても相手にしなかったと」
「ああ。アメリカへ行って、母から手紙をもらった。その手紙が残っているんだ。字を書いたことが無いシカが、野口に会いたくて、一生懸命に書いた」
《はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみてありまする》
「その手紙を読んで、すぐに日本へ帰った。それが最後の再会になった。その後で野口英世はアフリカで黄熱病の研究中に自分も罹患して死ぬ」
「「……」」
「とんでもなく汚い男で、とんでもなく美しい男だった。柳、お前は綺麗に生きようとし過ぎているんだよ」
「そうですね」
「まあ、俺の家に来たら、思い切り汚いものを教えてやるからな!」
「ちょっと手加減してください」
「亜紀ちゃんなんか、俺のために何億人でも殺すからなぁ」
「ちょっとやってきましょうか?」
笑った。
本当にできるから怖い。
「スイカ喰うだけで百人いっちゃうじゃない」
「アハハハ」
「亜紀ちゃん、あんなに食べるのに全然太らないですね」
「え、そんな食べてます?」
「「……」」
俺たちは沈黙した。
「やだなぁ、冗談ですって」
「牛の怨霊が一瞬見えたぞ」
「ちょっと怖かったです」
「なんですよ、もう!」
「俺なんてなぁ。牛さんが可哀そうで、一度は出たウンコも食べてるからな」
「また汚い話を!」
「そのまま流すのがカワイソウだからな」
「アハハハハ!」
「時々、双子の後ってトイレが詰まるよな」
「もうやめてください!」
「アハハハハ!」
「便利屋にもらった、すごいパイプクリーナーがあるんだよ。御堂の家でも使ったぞ?」
「そうなんですか!」
「ああ、その後でオロチが出てきた」
「なんか、繋げないでください。おじいちゃんが悲しみますから」
みんなで笑った。
「明日の番はステーキだったな」
「はい!」
「お前ら、よく飽きないよなぁ」
「タカさんは別なものにします?」
「うーん。柳、どうだ?」
「私は何でも」
「そうか。亜紀ちゃん、まだアリゲーターはあったっけか?」
「やめてください!」
「お前はまだまだ人生に突っ込まないなぁ」
みんなで笑った。
「ウンコはダメ。ワニもダメってなぁ。お前、ワガママが過ぎるんじゃねぇの?」
「その二択なんですかぁ!」
柳が抗議した。
「ああ、鰻が喰いたいな」
「あ、いいですね!」
「なんだ、鰻も喰うのかよ」
「私も鰻で」
柳が小さな声で言った。
「ところで普通の鰻ですか?」
「なんだよ、それ」
「鰻のウンコとかじゃないですよね」
「お! お前なかなかできるようになったじゃないか!」
「いやですから、それ!」
「亜紀ちゃん、お前らも喰うとなると、スーパーで間に合うかな?」
「そうですね。遅いですからメールしときますね」
「頼むわ」
亜紀ちゃんが下へ降りていった。
店長のアドレスを聞いているので、送りに行ったのだ。
「柳、お前必ず大学に受かれよ」
「はい」
「待ってるからな」
「必ず」
亜紀ちゃんが戻って来た。
「じゃあ、もう遅いから寝るか」
「「はい」」
二人に響子の寝顔を見せてやる。
六花の隣で、スヤスヤと眠っている。
「かわいいですね」
「そうだよな」
「ほんとにカワイイ」
小声で話し、二人は出ていった。
俺はキッチンでワイルドターキーを出し、もう一度屋上へ行った。
ここはやはり一人になると違う。
グラスにストレートで注いで煽った。
「奈津江」
俺は誰もいない空間に向かって言った。
「俺は一体どこへ向かっているのかな」
「お前がいれば、お前がいなければ、どうでもいいことだ。どう思うよ、奈津江」
「お前がいたこの世界。お前のいなくなったこの世界。俺はお前さえいてくれればよかったのになぁ」
「俺はお前のいる場所へ行きたいよ。でもな、俺はこの世界、俺のそばにいたいって連中も好きだ。俺はこの場所が好きなんだ」
「奈津江」
「俺は……」
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