422 / 2,840
山岸、敢闘。
しおりを挟む
山岸に任せたオペは、午前11時から始まった。
腫瘍が原因の腸閉塞だった。
山岸が全員に説明を始める。
「患者は42歳女性。5年前に子宮筋腫のため卵巣摘出および放射線治療を続けています。今回は大腸ガンによる複雑性腸閉塞。範囲は小腸から大腸の広範囲であり、複数個所の癒着と壊死があると考えられます」
オペ室は鷹が作っている。
山岸は説明の後に開始した。
鷹が隣に控えた。
レーザーでマークはある。
しかし、メスを握った山岸は踏み切れないでいた。
「先生、お願いします」
鷹が促す。
山岸が腹部にメスを入れた。
「ケリーを下さい」
鷹が血管の太さを確認し、見合ったものを渡して言った。
「先生、私たちに気遣いは無用です。集中してください」
山岸は頷いて動脈を挟み、他のナースに押さえさせて縫合する。
昨日までは俺やみんなから怒鳴られ叱責され続けていた。
しかし今日は違う。
すべてのナースや麻酔や輸血などを担当するスタッフが山岸の下につく。
唯一の例外は俺だけだ。
腹部を開くと、レントゲンやCTなどである程度は予想していたが、大分ひどい。
山岸は惨状に蒼くなった。
それでも、最初に腫瘍を摘出し、癒着部分を剥がしていく。
そして壊死し、穿孔のある部分の切除、吻合を繰り返す。
俺は山岸を止めた。
執刀医の交代を宣言させる。
8時間後、オペは終了した。
一息つく間もなく、次のオペに取り掛かり、3つすべてが終了したのは午後8時だった。
俺は最後のオペの連中と、食堂で俺が用意した叙々苑の弁当を食べる。
山岸はずっと黙ったままだ。
弁当にも口を付けない。
「なんだ、また食欲がねぇのか?」
「はい、申し訳ありませんでした」
俺は山岸の弁当を開き、肉だけ持ち去る。
「これで軽くなったろう。喰え!」
山岸は薄っすらとタレの乗った飯を食べ始めた。
「部長、自分はまったくダメでした」
「ああ」
「本当に申し訳ありません」
俺は肉を一枚だけ乗せてやる。
「お前がダメだったのは、すべて俺の責任だ。お前のせいではない」
「部長!」
「俺が普段からいい加減で、お前に有用なことをしてやれなかった。申し訳ない」
俺は頭を下げた。
全員が見ている。
山岸が泣いている。
俺は全員にもう一つずつ弁当を持たせ、解散した。
金曜日。
今日は一つだけのオペだ。
午後1時から始める。
俺は山岸をオークラの山里へ誘った。
「どうだよ、今週いっぱい俺に付き合って」
「はい。大変に申し訳ないばかりでした。自分の力不足を痛感しています」
「まあ、おっしゃる通りですな!」
俺はヒラメの切り身を口に入れて言った。
「でも部長! 決して自分の力不足は部長のせいではありません! 自分が今日まで何もしてこなかったせいです」
「そうさせたのが、俺の力不足だ」
「いえ、部長はこれまで自分にたくさんのことをして下さいました。先日の腸閉塞だって、以前に部長から回された論文をちゃんと読んでいれば」
「だから、それをさせなかった俺の責任なんだよ!」
「……」
「いいか、山岸。お前は俺の部下だ。だからお前のことは全責任が俺にある。お前がどんなバカでもヘタレでも、俺はお前をちゃんとした医者にしなきゃならん。それができなきゃお前の上に立ってる意義がねぇ」
「……」
「俺は殴るし怒るし嫌がらせもする。だけど、いつだってお前のために何をすればいいのかって考えてるぞ」
「部長…」
「これからだってそうだ。お前が俺の部下でいる限り、ずっとそうする。お前がいくらヘタレでいたいと思っていても、だ」
「部長、これからは心を入れ替えて励みます!」
俺は笑った。
「まあ、口じゃなんとでも言えるけどな。でも、まあその言葉を聞いて嬉しいよ」
山岸が泣き出した。
「ばかやろー。泣いてる間に早く飯を喰って午後のオペの資料でも読め」
「はい、すみません」
山岸は猛然と食べ始めた。
今週最後のオペが終わった。
一江と鷹を呼んだ。
会議室で打ち合わせる。
「鷹、山岸はどうだった」
「はい。最初はあんなものかと思っていましたが、執刀以降は変わりましたね」
一江も言う。
「私の所へ、部長に交代した後のことを聞きに来ました。山岸は開腹した瞬間に何をすればいいのか分からなくなった、と。あの状態では到底回復は望めないと諦めたと言ってました」
「まあ、そうだったろうな」
「一応は手順通りのことを進めはしましたが、そのまま閉じるしかないと」
「ああ。それでお前は何と言ったんだよ?」
「はい。お前と石神部長との違いは、やるのかやらないのか、だと」
「ほう」
「できたらいいな、という気分ですからね」
「じゃあ、お前は山岸はどうすれば良かったか話してやったか?」
「いいえ、それは」
鷹が聞いてきた。
「どうすれば良かったんでしょうか?」
「俺に聞けば良かったんだよ」
「「あ!」」
「だって、目の前にいるじゃん。何で聞かないんだよ」
「その発想は…」
「なんでだよ! 一江もまだまだ頭が堅いと言うか、カッコマンだよなぁ」
「申し訳ありません」
「現代人ってそうよな! なんか責任を背負ってますみたいに言うんだけど、俺に言わせりゃただ自分が恥をかきたくねぇだけよな。全部自分の力でやって、自分が評価されたいだけよ」
「はい」
「俺なんかは、手術が上手くいくことしか考えてねぇ。それ以外の何があるんだ? 責任って、俺はそういうことだと思うけど、お前は違うのか、一江!」
「申し訳ありません!」
「お前なら上手く話してくれると思っていたけどなぁ。これも俺の力不足だぁ」
一江が項垂れている。
俺は一江の肩を叩いた。
「もうちょっとしっかりしてくれ。お前には期待してるんだからな」
「部長……」
「お前らには俺がいる。どんなことでも、お前らのために俺は何でもやる。だからもっと俺を頼れよ」
「はい」
「来週はまたいねぇけどな。遊び歩いて申し訳ないけど、頼むぞ!」
「はい!」
「まあ、山岸も最後までついてきたからな。なかなか根性あるぞ、あいつは」
「はぁ」
「なあ、鷹。ずっと小突かれてバカにされっぱなしだったよなぁ」
「はい、本当に」
鷹が笑って言った。
「ヘタレなのは確かだけど、文句は一言もなかった。そうだよな、鷹」
「はい」
「何度か愚痴を聞いてやろうと思ったけど、自分が至らないってことだけよな。あれだけバカにされて、それでもそのことへの文句も批判も言い訳もねぇ。大したもんだと俺は思ったぞ」
俺はもう一度一江の肩を叩いた。
「頼むぞ、右腕!」
「はい!」
「じゃー、響子の顔でも見に行くかぁ!」
「私もご一緒します!」
鷹が言った。
一江は深々と頭を下げて、見送ってくれた。
腫瘍が原因の腸閉塞だった。
山岸が全員に説明を始める。
「患者は42歳女性。5年前に子宮筋腫のため卵巣摘出および放射線治療を続けています。今回は大腸ガンによる複雑性腸閉塞。範囲は小腸から大腸の広範囲であり、複数個所の癒着と壊死があると考えられます」
オペ室は鷹が作っている。
山岸は説明の後に開始した。
鷹が隣に控えた。
レーザーでマークはある。
しかし、メスを握った山岸は踏み切れないでいた。
「先生、お願いします」
鷹が促す。
山岸が腹部にメスを入れた。
「ケリーを下さい」
鷹が血管の太さを確認し、見合ったものを渡して言った。
「先生、私たちに気遣いは無用です。集中してください」
山岸は頷いて動脈を挟み、他のナースに押さえさせて縫合する。
昨日までは俺やみんなから怒鳴られ叱責され続けていた。
しかし今日は違う。
すべてのナースや麻酔や輸血などを担当するスタッフが山岸の下につく。
唯一の例外は俺だけだ。
腹部を開くと、レントゲンやCTなどである程度は予想していたが、大分ひどい。
山岸は惨状に蒼くなった。
それでも、最初に腫瘍を摘出し、癒着部分を剥がしていく。
そして壊死し、穿孔のある部分の切除、吻合を繰り返す。
俺は山岸を止めた。
執刀医の交代を宣言させる。
8時間後、オペは終了した。
一息つく間もなく、次のオペに取り掛かり、3つすべてが終了したのは午後8時だった。
俺は最後のオペの連中と、食堂で俺が用意した叙々苑の弁当を食べる。
山岸はずっと黙ったままだ。
弁当にも口を付けない。
「なんだ、また食欲がねぇのか?」
「はい、申し訳ありませんでした」
俺は山岸の弁当を開き、肉だけ持ち去る。
「これで軽くなったろう。喰え!」
山岸は薄っすらとタレの乗った飯を食べ始めた。
「部長、自分はまったくダメでした」
「ああ」
「本当に申し訳ありません」
俺は肉を一枚だけ乗せてやる。
「お前がダメだったのは、すべて俺の責任だ。お前のせいではない」
「部長!」
「俺が普段からいい加減で、お前に有用なことをしてやれなかった。申し訳ない」
俺は頭を下げた。
全員が見ている。
山岸が泣いている。
俺は全員にもう一つずつ弁当を持たせ、解散した。
金曜日。
今日は一つだけのオペだ。
午後1時から始める。
俺は山岸をオークラの山里へ誘った。
「どうだよ、今週いっぱい俺に付き合って」
「はい。大変に申し訳ないばかりでした。自分の力不足を痛感しています」
「まあ、おっしゃる通りですな!」
俺はヒラメの切り身を口に入れて言った。
「でも部長! 決して自分の力不足は部長のせいではありません! 自分が今日まで何もしてこなかったせいです」
「そうさせたのが、俺の力不足だ」
「いえ、部長はこれまで自分にたくさんのことをして下さいました。先日の腸閉塞だって、以前に部長から回された論文をちゃんと読んでいれば」
「だから、それをさせなかった俺の責任なんだよ!」
「……」
「いいか、山岸。お前は俺の部下だ。だからお前のことは全責任が俺にある。お前がどんなバカでもヘタレでも、俺はお前をちゃんとした医者にしなきゃならん。それができなきゃお前の上に立ってる意義がねぇ」
「……」
「俺は殴るし怒るし嫌がらせもする。だけど、いつだってお前のために何をすればいいのかって考えてるぞ」
「部長…」
「これからだってそうだ。お前が俺の部下でいる限り、ずっとそうする。お前がいくらヘタレでいたいと思っていても、だ」
「部長、これからは心を入れ替えて励みます!」
俺は笑った。
「まあ、口じゃなんとでも言えるけどな。でも、まあその言葉を聞いて嬉しいよ」
山岸が泣き出した。
「ばかやろー。泣いてる間に早く飯を喰って午後のオペの資料でも読め」
「はい、すみません」
山岸は猛然と食べ始めた。
今週最後のオペが終わった。
一江と鷹を呼んだ。
会議室で打ち合わせる。
「鷹、山岸はどうだった」
「はい。最初はあんなものかと思っていましたが、執刀以降は変わりましたね」
一江も言う。
「私の所へ、部長に交代した後のことを聞きに来ました。山岸は開腹した瞬間に何をすればいいのか分からなくなった、と。あの状態では到底回復は望めないと諦めたと言ってました」
「まあ、そうだったろうな」
「一応は手順通りのことを進めはしましたが、そのまま閉じるしかないと」
「ああ。それでお前は何と言ったんだよ?」
「はい。お前と石神部長との違いは、やるのかやらないのか、だと」
「ほう」
「できたらいいな、という気分ですからね」
「じゃあ、お前は山岸はどうすれば良かったか話してやったか?」
「いいえ、それは」
鷹が聞いてきた。
「どうすれば良かったんでしょうか?」
「俺に聞けば良かったんだよ」
「「あ!」」
「だって、目の前にいるじゃん。何で聞かないんだよ」
「その発想は…」
「なんでだよ! 一江もまだまだ頭が堅いと言うか、カッコマンだよなぁ」
「申し訳ありません」
「現代人ってそうよな! なんか責任を背負ってますみたいに言うんだけど、俺に言わせりゃただ自分が恥をかきたくねぇだけよな。全部自分の力でやって、自分が評価されたいだけよ」
「はい」
「俺なんかは、手術が上手くいくことしか考えてねぇ。それ以外の何があるんだ? 責任って、俺はそういうことだと思うけど、お前は違うのか、一江!」
「申し訳ありません!」
「お前なら上手く話してくれると思っていたけどなぁ。これも俺の力不足だぁ」
一江が項垂れている。
俺は一江の肩を叩いた。
「もうちょっとしっかりしてくれ。お前には期待してるんだからな」
「部長……」
「お前らには俺がいる。どんなことでも、お前らのために俺は何でもやる。だからもっと俺を頼れよ」
「はい」
「来週はまたいねぇけどな。遊び歩いて申し訳ないけど、頼むぞ!」
「はい!」
「まあ、山岸も最後までついてきたからな。なかなか根性あるぞ、あいつは」
「はぁ」
「なあ、鷹。ずっと小突かれてバカにされっぱなしだったよなぁ」
「はい、本当に」
鷹が笑って言った。
「ヘタレなのは確かだけど、文句は一言もなかった。そうだよな、鷹」
「はい」
「何度か愚痴を聞いてやろうと思ったけど、自分が至らないってことだけよな。あれだけバカにされて、それでもそのことへの文句も批判も言い訳もねぇ。大したもんだと俺は思ったぞ」
俺はもう一度一江の肩を叩いた。
「頼むぞ、右腕!」
「はい!」
「じゃー、響子の顔でも見に行くかぁ!」
「私もご一緒します!」
鷹が言った。
一江は深々と頭を下げて、見送ってくれた。
0
お気に入りに追加
228
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
NPO法人マヨヒガ! ~CGモデラーって難しいんですか?~
みつまめ つぼみ
キャラ文芸
ハードワークと職業適性不一致に悩み、毎日をつらく感じている香澄(かすみ)。
彼女は帰り道、不思議な喫茶店を見つけて足を踏み入れる。
そこで出会った青年マスター晴臣(はるおみ)は、なんと『ぬらりひょん』!
彼は香澄を『マヨヒガ』へと誘い、彼女の保護を約束する。
離職した香澄は、新しいステージである『3DCGモデラー』で才能を開花させる。
香澄の手が、デジタル空間でキャラクターに命を吹き込む――。
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
人形の中の人の憂鬱
ジャン・幸田
キャラ文芸
等身大人形が動く時、中の人がいるはずだ! でも、いないとされる。いうだけ野暮であるから。そんな中の人に関するオムニバス物語である。
【アルバイト】昭和時代末期、それほど知られていなかった美少女着ぐるみヒロインショーをめぐる物語。
【少女人形店員】父親の思い付きで着ぐるみ美少女マスクを着けて営業させられる少女の運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる