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相合傘

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 七月最後の土曜日の午後。
 
 昼食を終え、子どもたちは一休みしていた。
 午前は掃除や洗濯などの家事、そして勉強。
 昼食を作って、午後は一休みしてまた勉強。
 三時にお茶。
 勉強。
 夕食の支度。
 夜は基本的に自由だが、勉強していることも多い。

 それが夏休みの子どもたちの過ごし方だ。
 
 亜紀ちゃんが、二階の普段は入らない部屋に入って行くのが見えた。
 そこは、山中家から持って来たものが収められている。
 思い出の品だろうからと、俺は亜紀ちゃんに鍵を預け、一度も入ったことはない。
 まあ、当然俺も鍵を持っているし、別に亜紀ちゃんから入るなと言われているわけでもない。

 「どうしたんだ?」
 「あ、タカさん」
 亜紀ちゃんが荷物を移動している。

 「ちょっと整理しようかと」
 「そうか。手伝おうか?」
 「いえ、大丈夫です。もう両親が亡くなって二年も経つので、そろそろ不要なものは捨てようかと思って」
 「おい、もったいないだろう。全部とっとけよ」
 俺がそう言うと、亜紀ちゃんが微笑んだ。

 「そういうわけにも」
 「でも、折角の思い出だろう」
 「タカさんもフェラーリを手放したじゃないですか」
 「あ、その話はマジでやめて」
 亜紀ちゃんは笑った。

 「いらないものも多いので、本当に処分しなきゃって。ほら、こんなビニール傘まで持ってきちゃって」
 「ああ、そういうのはそうだな」
 「ここへ来るのに、傘が必要だと思って、全部持って来たんです。この傘なんて、両親の寝室にあったんですよ。まったくどうしてか分かりませんが、まだ使えそうでしたので」
 亜紀ちゃんは、安いビニール傘を俺に見せながら言った。

 「あれ、この傘って」
 俺には見覚えがあった。
 白いプラスチックのハンドルに、黒いマジックで横線が等間隔に塗られている。

 「ちょっと貸してくれ」
 俺は亜紀ちゃんから傘を受け取り、開いた。
 バネには潤滑剤が塗られていたようで、スムーズに開く。

 「やっぱり! 亜紀ちゃん、見てみろよ」
 透明のビニールに、黒いマジックで相合傘が描いてある。

 「え、あ! お父さんとお母さんの名前!」
 「な! 俺が描いたんだよ」
 「えぇー!」

 「16年前の8月だな」
 「よく覚えてますね」
 「だって、亜紀ちゃんがもうすぐ16歳だろ?」
 「はい、そうですけど」

 「よく見ろよ。相合傘のデザインが違うだろう。それに、下に亜紀ちゃんの名前がある」
 「ほんとだー!」
 「俺がデザインした山中家相合傘なんだよ。上の三角が「山」。その下の四角が「中」だ。その下に「義男」と「美亜」の名前。棒の下に「亜紀」だ」
 「ああ、なるほど」



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 「なあ、そろそろお前の家に遊びに行ってもいいだろ?」
 「絶対ダメだ! 美亜さんがちゃんと子どもを産んでからだ!」
 「だって、生まれたらしばらくお邪魔できないだろう」
 「その意味もある!」

 俺と山中は久しぶりに居酒屋で飲んでいた。
 結婚式以来、俺は山中の新居に行きたくてしょうがなかった。
 二人の幸せな家が見たかった。
 だが、再三頼んでも、山中はダメだと言う。
 その日も断固、拒否されていた。

 「美亜さんがお前のことを好きになったらどうするんだ!」
 「そんなことあるわけないだろう。美亜さんはお前を」
 「美亜さんの名前を呼ぶなぁ!」
 山中はいつも本気で怒った。

 「じゃあ、「奥さん」な。奥さんは山中のことをほんとに好きじゃないか。なんだよ、結婚してまで心配か?」
 「俺はお前の異常なモテ方をよく知ってるからな!」
 「何言ってんだよ」
 「お前は俺が惚れ込んだ人だって、全部奪っていくんだ」
 「そんなことしてないだろう?」

 「いや、あのな。そうでもな。お前はな」
 「なんだよ、分かんねぇよ」

 「どうでもいい! お前はいい奴だが、女に関してはまったく信用できない!」
 「酷いこと言うなぁ」





 電話ではよく、「奥さん」と話していた。
 山中と話そうとして、先に奥さんが出た時など、よくいろいろなことを話した。
 また、奥さんから山中のことで相談されたりもした。
 相談は、別に悪いことではない。
 山中の好きな食べ物や、他の好みなどについて聞かれることが多かった。
 奥さんは、山中のことを大事にしてくれていた。

 「主人は石神さんのことを信頼しているので、石神さんに相談するのが一番いいかと」
 「そうですか? でも山中は絶対に家に呼んでくれないんですよ」
 奥さんはいつも笑った。
 「家に行きたいと言うと、毎回「絶対ダメだ」って言われるんですよ」
 「うふふ、私もそうです。石神さんをお呼びしましょうと言うと、いつも反対されて」
 「折角同じ都内にいるのに」
 「主人は、私が石神さんを好きになっちゃうからだって」
 奥さんが笑いながら言っていた。

 「そんなわけないのに」
 「ええ。でも主人は石神さんは悪気は無くてもダメなんだと言うんです。それでも、よく石神さんのお話を聞くんですよ」
 「え、そうなんですか?」
 「ええ。大親友で、何度も助けられたって。あいつがいなかったら、大学生活は真っ暗だったって」
 
 「そんなこと言うんですか。まったく」
 「本当に石神さんが好きなんです。それに心底信用してるって分かります。それに主人は石神さん以外には親しい人もいないみたいで。だからいつも石神さんのお話ばっかり」

 「それならねぇ」
 「そうなんですよね。いっそ、約束しないでいらしたら?」
 「そうも行きませんよ。あいつに「来い」と言ってもらいたいですからね」
 「ウフフフ」





 「そういえば、生まれるのは女の子だってな」
 俺は話題を変えた。

 「うん、そうだ! 来月末だ! きっと美亜さんに似て美人だぞー!」
 「半分はお前じゃねぇか」
 「いや、ダメだ。全部美亜さんだ!」
 「ダメだって、お前」

 「うるさい! うちの問題に口を出すな!」
 「無茶苦茶だな」
 「それでなー。名前をもう決めてるんだ」
 「教えてくれよ!」

 「美亜さんの「亜」をとってな。「亜紀」って名前だ」
 「お! いいじゃないか!」
 「そうだろう!」
 俺は笑った。

 「ちょっとトイレに行ってくる」
 「ああ」

 店の入り口に行った。
 「すいません、マジックってありますか?」
 「はい、これでいいですか?」
 俺は山中のビニール傘を取り出した。
 山中は昔から物を大事に使っていた。
 まだ使えるからと、ずっと同じビニール傘を使っている。

 外に出て、ハンドルに横線を引いた。
 「虎模様だぞー」

 傘を開いて、相合傘を書いた。
 二人の名前「義男ちゃん」と「美亜ちゃん」を書き、傘の線を伸ばして、その下に「亜紀ちゃん」と書いた。
 傘を戻し、マジックを返した。
 席に戻って、しばらく山中の惚気話を聞いた。
 幸せそうで、俺も嬉しくなった。



 「そろそろ帰ろうか」
 「ああ、美亜さんも待ってるしな!」

 俺は山中の傘と自分の傘を持った。
 もう、雨はとっくに止んでいる。
 
 「悪いな、自分で持つよ」
 山中が俺から傘を受け取った。

 「アァー!」

 ハンドルを見て叫んだ。

 「お前がやったのかぁー!」
 俺は笑って傘を奪い、開いてやった。

 「見ろよ! 俺の出産祝いだぁ!」
 山中は相合傘を見て、激怒した。

 「お前! もうこの傘は使えないじゃないか!」
 山中の蹴りを受けながら、俺は大笑いしていた。

 「取っ手は俺の「虎」模様だからな! 大事にしてくれ」
 「ふざけんなぁ!」




 翌日、奥さんから電話をもらった。
 笑っている。

 「夕べ、あの人から傘を見せられました」
 「ああ!」

 「石神さんが描いてくれたんだって、嬉しそうに」
 「え、あいつ怒ってましたけど」

 「いいえ! 喜んでましたよー、それはもう。子どものことまで描いてくれたんだぞって、自慢するみたいに」
 「じゃあ、今度家に行ってもいいかって聞いてください」

 「私もそう言ったんですけど、それはダメだって」
 二人で大笑いした。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 「あの時の傘だよ!」
 亜紀ちゃんが傘を握って泣いていた。

 「おい、どうした!」
 「だって……タカさん、ありがとうございました」
 涙を零しながら言う。

 「なんだよ、亜紀ちゃん、ほらお肉でも食べるか?」
 亜紀ちゃんは泣きながら笑顔を作った。
 俺に傘を抱いたまま泣きついて来る。

 「もう、タカさんは」
 俺は抱きしめてやる。

 「タカさん、ありがとうございました」
 「だから何だよ」
 「タカさんのお陰で、大事なものを捨てずに済みました」
 「そんなこと」

 「いつもいつも、本当にありがとうございます」
 「何言ってんだよ」

 「タカさん」

 「おう!」

 「大好きです」
 
 「おう!」

 亜紀ちゃんは、声を上げて泣いた。





 「この傘。両親の寝室に大事に置いてあったんです。ラップが巻かれてて。私、ラップ捨てちゃったぁー!」
 「そうか」

 亜紀ちゃんは、また泣いた。





 傘は、亜紀ちゃんの部屋に置かれた。
 亜紀ちゃんが、綺麗にラップを巻いた。
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