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バレンタインデーの出来事

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 院長室に呼ばれた。
 「石神、入ります!」

 今日は珍しく、最初からソファに座っていた。
 既に、俺の分のコーヒーが置いてある。

 「おう! 入れよ。わざわざすまんな」

 初めてのパターンだ。
 「わざわざすまん」だってぇ?

 「院長、どこかご病気ですか?」
 「何を言ってるんだ。石神はいつも面白いなぁ。アッハハハ!」
 「……」
 なんだ、こいつ。

 「うん、どころでね。アレなんだが」
 「なんですか」
 「いや、ほら、来月はバレンタインデーじゃないか」
 「そうですね」
 「ほら、コーヒーを飲みなさい」
 「何か入ってますか?」
 「いいから飲めぇ!」

 1分で崩壊した。
 俺に下手に出ても無駄だと分かったのだろう。

 「いいか、前の俺はどうかしてた」
 「だからなんですか!」
 「バレンタインデーを復活する!」
 「ちょっと、あれだけ約束したでしょう!」

 「うるさい! 黙れ!」
 お前が呼んだんだろう。

 「いいか、これは人間的な交流を妨げる悪法だった。俺はお前に騙されて間違った判断を下した! 間違ってるんだから、それは正さねばならん!」
 「何言ってんですか。人間的交流に不味いから辞めたんでしょう」
 「いや、好きな相手に気持ちを伝える、重要な行事だ」
 「数百ももらったら大変ですよ!」
 「去年までずっと、俺は妻からしかもらってない」
 「その一枚でいいでしょうが」
 「お前!」

 「他の女に好きだと言われたいってことですか!」
 「女はどうでもいい」
 「じゃあ一体何が」
 「俺はチョコレートが大好きなんだぁ!」
 言い切りやがった。

 「そんなもの、自分で幾らでも買えばいいじゃないですか」
 「女性からもらうのが好きなんだ!」
 「女はどうでもいいんじゃ?」

 院長の息が詰まる。
 肩で息をしている。
 そんなに頑張って言うことがこれか。

 「院長、どうせもらっても「勘違いしないで」とか「別に好きじゃありませんが」とかって書いてあるでしょう?」
 「どうしてお前がそれを知ってるんだ?」
 「だって俺が指示してますから」

 「お前がアレを書かせていたのかぁ!!!」

 「そうでもしないと、誰も院長にチョコを渡さないんですから。しょうがないでしょう!」
 「お前ぇー!」

 俺たちは掴み合いの寸前だった。


 「とにかく、バレンタインデーはやるからな!」
 「じゃあ、一つだけ条件を言わせていただきます」
 「なんだ」
 「俺宛のチョコレートはすべて院長室に持ってくるようにしてください」
 「どういうことだ?」
 「冗談じゃないですよ。全部院長が引き受けて下さい」

 「それだけでいいのか?」
 「結構です」

 「お、俺が貰ってもいいの?」
 「むしろ、こちらからお願いします」



 
 バレンタインデー当日。

 「はい! タカトラ、これもらってください!」

 今日の響子は、パジャマではない。
 可愛いサテンの上下に白いフリルのたくさんついた服を着ている。
 俺にかわいらしい包みをくれた。
 ゴディヴァだ。

 「響子、ありがとう。嬉しいよ」
 「エヘヘヘ」

 響子が笑っている。

 「すいません。私からもこれを」

 六花が響子よりも一回り小さなゴディヴァのチョコをくれた。
 きっと六花が響子の分も買ってきたのだろう。
 六花にとって、高級チョコレートといえば、ゴディヴァってことか。

 「ありがとうな」

 俺は響子と六花の頬にキスをした。

 栞からはピエールマルコリーニの綺麗なチョコレートをもらった。

 「わざわざ、すいません」
 「こういうのは大事だからね!」

 頬にキスをした。

 宅急便で大阪の風花から、また緑子からも届いた。
 どちらも電話でお礼を言う。
 二人とも元気そうだ。
 御堂の娘、柳からも届く。
 澪さんのものも一緒だった。
 手作りチョコだった。

 「柳! 久しぶりだな」
 「あ、石神さん!!!」
 「届いたぞ。悪いな、俺なんかにまで」
 「何言ってんですか! 石神さんだけですよ!」
 「御堂にだってやったんだろ?」

 「お父さんはチロルチョコです」
 「ほんとかよ」

 別途御堂にも電話した。
 たっぱり手作りチョコだったようだ。
 澪さんにも礼を言ってくれと頼んだ。

 「先週から、澪と二人で大騒ぎだったよ」
 御堂が笑って言っていた。
 まあ、本当に嬉しい。




 売店の前を通り過ぎようとして、ふと気になった。
 響子の部屋へ行く。
 響子は眠っている。

 「おい、響子は自分のチョコレートを買ってないか?」
 「ああ、石神先生と同じものを買って欲しいと言われましたので。あ、報告してませんでした。申し訳ありません」
 「いやいい。それよりも、売店に行って響子が買い物してないか確認してきてくれ」
 「は、はい。すぐに行きます!」

 すぐに六花が戻って来た。

 「石神先生のお考えの通りでした。先週にバレンタインデーで使うからって、また5箱も棒雨とかを買ってます」

 「……」




 俺たちは、あの倉庫へ行った。
 すぐに、響子の買った飴や甘い菓子が見つかった。

 「あいつ、段々悪知恵が働くようになったな」
 「まだ石神先生には全然かなわないから、大丈夫ですね」
 「お前、殴るぞ」
 「殴ってから言わないで下さい」
 六花が頭を押さえている。

 俺たちはバットとミットを用意した。
 一江がクラッカーを持っていたのでもらう。
 廊下にそれらを置き、病室には段ボールを開いて床に置いた。
 響子がモゾモゾし出した。

 「タカト……」

 青ざめる。

 「ちょっと来い!」
 俺は廊下へ六花を引っ張っていった。
 「お前! 二度も失敗しやがってぇ!」
 「ゴメンナサイ! ゴメンナサイ!」
 バットでミットを殴り、床を足と手で叩く」

 「私ももう我慢できません! 一緒に死んでください!」
 六花がクラッカーを鳴らした。

 「きょ、きょうこ! に、にげろ!」

 「りっかぁー! 殺すなら私もいっしょにー!」

 響子が飛び出して来る。
 俺と六花は肩を組んでニッコリと笑った。
 響子は大泣きだった。
 散々説教した。

 「いいか、俺と六花の信頼を喪ったら、お前は別な病院へ移すからな」

 さっきよりも大泣きする。

 「タカトラー、ごめんなさいー!」






 院長から呼ばれた。
 「石神、俺が間違ってた」

 院長室には十以上もダンボールが積み上がっていた。
 「だから言ったじゃないですか」
 「すまん」
 「これ喰ったら、来年はもう院長はいませんね」
 「だから、すまんと」

 響子の大量買いに、院長室の大量のチョコレート。
 うちのピラニアたちに喰わせてもいいが、さすがに身体を壊す。

 五箱を「紅六花」のタケ宛に送った。
 斬のじじぃにも五箱。
 嫌がらせだ。
 岡庭くんに一箱。
 女子プロの連中が喰うだろう。
 俺と院長が一箱ずつ。
 便利屋に一箱。
 あいつなら一人で喰っても大丈夫だろう。

 大体裁けそうだが、仕訳が大変だった。
 カードや手紙は丁寧に抜いていく。
 もちろん、院長にも手伝って貰う。
 顔中に汗をかいて、一生懸命にやる姿が、ちょっとだけ痛々しかった。









 院長宛のものは、一つも無かった。
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