177 / 2,808
虎と龍 Ⅱ
しおりを挟む
「どうだったよ、映画は」
柳はまだボウッとしている。
「よく分からないけど、美しい映画だったと思います」
「「美しい」と感じれば、それでいいんだよ」
「お前も美しいけどな!」
「あ、くどいてくれてるんですか?」
「バカを言うな」
俺は笑って言う。柳が少し元気を取り戻した。
「本当に美しいものは、悲しいんだよ」
「そうなんですね」
「まあ、悲しいから美しい、とも言えるんだけどな」
「でも、ただ悲惨、ということもあるんじゃないですか」
「悲惨、というのは、巨大な悲しみだ。だから後から誰かが必ず何とかしようとする。つまり、悲しみが美を産む、ということなんだな」
「なるほど」
「すべての「美」は、悲しみが根底にある。だから、楽しいだけのものが美を生み出すことはねぇんだよ」
「難しいですね」
「お前、そうやってうっちゃってると、いつまでも「美」をものにできねぇぞ!」
「アハハハ」
「お前の家は素晴らしい家だ。正巳さんも菊子さんもそりゃ立派な方々だし、御堂も澪さんも素晴らしい。だからお前たちは悲しみを感ずる間もなかなかねぇだろう」
「そうかもしれませんね」
「幸せだからこそ、弱点にもなる。人生というのは深いんだぞ」
「はぁー」
「そして、世界は泥である《 E fango e il mondo. 》。ジャコモ・レオパルディの詩集『カンティ』の中の言葉だよ」
「人間が人間でなければ、この世界には何の価値もねぇ。世界が泥であることに気付いた人間が、何かをやるんだよな」
「石神さんって、スゴイ人ですよね」
「どうだ! スゴイだろう!」
柳が笑う。
「それでも、君は生まれたのだ。清澄な日のために…《 Doch du, du bist zum klaren Tag geboren. 》」
「フリードリッヒ・ヘルダーリンの『エンペドクレスの死』の中の言葉だ。これもいいだろう!」
「ステキです」
「うん。この世は泥なわけだけど、俺たちはその中に生まれた。それは「清澄」を実現するためなんだよ。ドッホ・ドゥ、ドゥ・ビスト・ツム・クラーレン・タグ・ゲボーレン、というなぁ」
「石神さんはスゴイです」
「お前なぁ、それはもういいよ。もっと褒め称えられねぇのか?」
「語彙が少なくて」
「だからお前はダメなんだよ。ロマンティシズムがねぇ」
「またそれですかぁ」
「いいか、小3の双子だってなぁ。こないだもルーが「タカさんって、動物で言ったらライオンだよね!」って言うんだぞ。なんでだって聞くと「だって百獣の王だもん!」ってなぁ」
「アハハハ!」
「それでハーは「タカさんって、お寿司で言ったら大トロだよね!」って。なんでだって聞くと「一番高くて美味しいから!」ってなぁ。答えが分かってたって面白いよ」
柳は大笑いし
「負けました」
と言う。
ひとしきり笑い、ため息をつく。
「私は全然ダメですねぇ」
「お前、勉強はできるのかもしれねぇが、本を読んでねぇだろう」
「確かにそうですね。受験勉強ばかりで、余裕がありません」
「ばかやろー。読書っていうのは余裕があるからやるんじゃねぇ。人間に必須だから読むんだよ」
「そうなんですか」
俺は柳のこめかみをぐりぐりする。
いたい、いたいと言う。
「うちの子どもたちは全員、双子も含めて、相当な読書をしてるぞ?」
「そうなんですか!」
「双子なんて、カントの『純粋理性批判』なんかも読んだしなぁ」
「?」
俺はカントの話をしてやる。
「私は石神さんの隣には、到底立てませんねぇ」
「ばかやろう」
俺はまたぐりぐりする。
柳は痛がりながら喜ぶ。
「できねぇ、と言うのはいいけどな。なら諦めることだ。人間はそれでもいいんだよ。でも後で泣いたりするな、ということだ」
「……」
「お前、本当はドラゴンなんだろ?」
「母から聞きました」
「ちっちゃい龍だよなぁ。トカゲか?」
「もう!」
「今日の映画に、ちゃんと答えはあったろう」
「!」
「俺は待ってるぞ」
「ほんとですか!」
「まあ、あんまり待つと死んじゃうけどな」
「いやです!」
俺たちは笑った。
「まあ、待つっていうのは冗談だけどな」
「えぇー! 冗談なんですか?」
「お前が勝手に来るのはそれでいいんだよ。それはお前の人生だ」
「がんばります!」
「俺の「嫁」って言ってる女もいるからなぁ」
「えぇー!」
「明日会わせてやるよ」
「ほんとですか!」
「ああ。じゃあ、今日はもう寝ろ」
「はい」
「おい、俺の部屋に入ってくるなよな!」
「鍵は閉めないでください」
「このやろー!」
俺たちは三階に上がり、それぞれの部屋へ入った。
ガチャリ。
「アァッー!」
柳が叫び、亜紀ちゃんが何事かと顔を出した。
柳はまだボウッとしている。
「よく分からないけど、美しい映画だったと思います」
「「美しい」と感じれば、それでいいんだよ」
「お前も美しいけどな!」
「あ、くどいてくれてるんですか?」
「バカを言うな」
俺は笑って言う。柳が少し元気を取り戻した。
「本当に美しいものは、悲しいんだよ」
「そうなんですね」
「まあ、悲しいから美しい、とも言えるんだけどな」
「でも、ただ悲惨、ということもあるんじゃないですか」
「悲惨、というのは、巨大な悲しみだ。だから後から誰かが必ず何とかしようとする。つまり、悲しみが美を産む、ということなんだな」
「なるほど」
「すべての「美」は、悲しみが根底にある。だから、楽しいだけのものが美を生み出すことはねぇんだよ」
「難しいですね」
「お前、そうやってうっちゃってると、いつまでも「美」をものにできねぇぞ!」
「アハハハ」
「お前の家は素晴らしい家だ。正巳さんも菊子さんもそりゃ立派な方々だし、御堂も澪さんも素晴らしい。だからお前たちは悲しみを感ずる間もなかなかねぇだろう」
「そうかもしれませんね」
「幸せだからこそ、弱点にもなる。人生というのは深いんだぞ」
「はぁー」
「そして、世界は泥である《 E fango e il mondo. 》。ジャコモ・レオパルディの詩集『カンティ』の中の言葉だよ」
「人間が人間でなければ、この世界には何の価値もねぇ。世界が泥であることに気付いた人間が、何かをやるんだよな」
「石神さんって、スゴイ人ですよね」
「どうだ! スゴイだろう!」
柳が笑う。
「それでも、君は生まれたのだ。清澄な日のために…《 Doch du, du bist zum klaren Tag geboren. 》」
「フリードリッヒ・ヘルダーリンの『エンペドクレスの死』の中の言葉だ。これもいいだろう!」
「ステキです」
「うん。この世は泥なわけだけど、俺たちはその中に生まれた。それは「清澄」を実現するためなんだよ。ドッホ・ドゥ、ドゥ・ビスト・ツム・クラーレン・タグ・ゲボーレン、というなぁ」
「石神さんはスゴイです」
「お前なぁ、それはもういいよ。もっと褒め称えられねぇのか?」
「語彙が少なくて」
「だからお前はダメなんだよ。ロマンティシズムがねぇ」
「またそれですかぁ」
「いいか、小3の双子だってなぁ。こないだもルーが「タカさんって、動物で言ったらライオンだよね!」って言うんだぞ。なんでだって聞くと「だって百獣の王だもん!」ってなぁ」
「アハハハ!」
「それでハーは「タカさんって、お寿司で言ったら大トロだよね!」って。なんでだって聞くと「一番高くて美味しいから!」ってなぁ。答えが分かってたって面白いよ」
柳は大笑いし
「負けました」
と言う。
ひとしきり笑い、ため息をつく。
「私は全然ダメですねぇ」
「お前、勉強はできるのかもしれねぇが、本を読んでねぇだろう」
「確かにそうですね。受験勉強ばかりで、余裕がありません」
「ばかやろー。読書っていうのは余裕があるからやるんじゃねぇ。人間に必須だから読むんだよ」
「そうなんですか」
俺は柳のこめかみをぐりぐりする。
いたい、いたいと言う。
「うちの子どもたちは全員、双子も含めて、相当な読書をしてるぞ?」
「そうなんですか!」
「双子なんて、カントの『純粋理性批判』なんかも読んだしなぁ」
「?」
俺はカントの話をしてやる。
「私は石神さんの隣には、到底立てませんねぇ」
「ばかやろう」
俺はまたぐりぐりする。
柳は痛がりながら喜ぶ。
「できねぇ、と言うのはいいけどな。なら諦めることだ。人間はそれでもいいんだよ。でも後で泣いたりするな、ということだ」
「……」
「お前、本当はドラゴンなんだろ?」
「母から聞きました」
「ちっちゃい龍だよなぁ。トカゲか?」
「もう!」
「今日の映画に、ちゃんと答えはあったろう」
「!」
「俺は待ってるぞ」
「ほんとですか!」
「まあ、あんまり待つと死んじゃうけどな」
「いやです!」
俺たちは笑った。
「まあ、待つっていうのは冗談だけどな」
「えぇー! 冗談なんですか?」
「お前が勝手に来るのはそれでいいんだよ。それはお前の人生だ」
「がんばります!」
「俺の「嫁」って言ってる女もいるからなぁ」
「えぇー!」
「明日会わせてやるよ」
「ほんとですか!」
「ああ。じゃあ、今日はもう寝ろ」
「はい」
「おい、俺の部屋に入ってくるなよな!」
「鍵は閉めないでください」
「このやろー!」
俺たちは三階に上がり、それぞれの部屋へ入った。
ガチャリ。
「アァッー!」
柳が叫び、亜紀ちゃんが何事かと顔を出した。
0
お気に入りに追加
228
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
まさか、、お兄ちゃんが私の主治医なんて、、
ならくま。くん
キャラ文芸
おはこんばんにちは!どうも!私は女子中学生の泪川沙織(るいかわさおり)です!私こんなに元気そうに見えるけど実は貧血や喘息、、いっぱい持ってるんだ、、まあ私の主治医はさすがに知人だと思わなかったんだけどそしたら血のつながっていないお兄ちゃんだったんだ、、流石にちょっとこれはおかしいよね!?でもお兄ちゃんが医者なことは事実だし、、
私のおにいちゃんは↓
泪川亮(るいかわりょう)お兄ちゃん、イケメンだし高身長だしもう何もかも完璧って感じなの!お兄ちゃんとは一緒に住んでるんだけどなんでもてきぱきこなすんだよね、、そんな二人の日常をお送りします!
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる