65 / 2,840
六花の父
しおりを挟む
六花について、俺は特別な指示を受けていた。
「お前があいつの面倒をみろ」
それだけであるが。
「お前の部に入れれば一番なんだがなぁ」
「勘弁してください」
「お前、大分懐かれてるようだしなぁ」
院長は声を出して笑った。
笑い事じゃねぇ。
毎回抱いて欲しいなんて挨拶は、本当に冗談じゃねぇ。
まあ、流石に人前では控えてくれるようになったが。
10月中旬に六花の父親が亡くなった。
しばらく音信を絶っていたようだが、俺の勧めもあり、一ヶ月ほど前から電話で時々話すようになっていた。
酒で肝臓を壊し、六花が連絡するようになったときには、もう手が施せないほどのステージの肝臓ガンになっていた。
嫌っていたとはいえ、六花はやはりショックを受けたようだ。
十日前、六花から父親の危篤の報告を聞き、俺は無理矢理に彼女を故郷の栃木へ帰らせた。
余命一週間と聞いたからだ。
しかし、一週間後、まだ六花の父親は生きていた。
医師の判断は多少の個人差はあれど、末期ガンの場合、家族への危篤の報は意識を喪い食事を受け付けなくなったときになる。
要は、そのまま全身が衰弱し、間もなく死ぬ、ということだ。
遺族の状況によって、ある程度点滴などで延命させることもある。
その後は遺族の判断で、点滴を外す。
六花の父親の場合、最初から点滴は入れられなかった。
唯一の肉親である六花がすぐに向かったからだ。
しかし一週間が過ぎ、10日が過ぎても、父親の心肺は動いた。
医学的にはあり得ない。
病院を長期間休むことに困惑した六花は、俺に電話をしてきた。
俺は病院のことは何の心配もするなと言い、俺も一度そちらに行くと伝えた。
何度も恐縮して断られたが、俺は住所を聞いて、翌日向かうと言って電話を切った。
栃木駅で六花は近所の人に借りたという車で俺を出迎えに来ていた。
「石神先生、雨の中、ほんとうに申し訳ないです。先日はあんな大手術もありましたのに」
しきりに恐縮する六花をなだめた。
季節はずれの超大型台風が来ていた。
関東に上陸しそうだった。
車の中でも容態を聞いたが、今日で12日目。
まったくあり得ないことだった。
飲まず食わずで、人間が何日生きるのか。
そう考えて欲しい。
ガンに冒され新陳代謝が低下していると言っても、一週間が限度だ。
それを倍近く生きている。
俺が病院へ着いた日の夕方、雨が激しくなってきた。
台風は予想通り、関東を直撃し、栃木を通過するのは翌朝未明になるそうだ。
しばらくベッドの横に六花と一緒にいた。
また、特別に身分を明かした上で、カルテを拝見させてもらった。
血液検査の結果からも、ここの医師たちの判断が妥当であることが確認できた。
翌朝、俺が六花がとってくれたホテルで朝食をとっていると、六花が現われた。
「明け方に、父が逝きました」
そう言って、六花は涙を零した。
しばらく、彼女は自分が泣いていることに気付かなかった。
「あ、アレ?」
自分のことに驚いている六花を、俺は抱きしめてやる。
しばらく戸惑っていた六花は、やがて声を出して泣き始めた。
「すいませんでした。自分は父親のことを、恨んでばかりだったと思っていましたから」
「恨むってことは、その裏がちゃんとあるからだよ。まあ、これから葬儀もあるんだから、しっかりな」
「はい」
俺は気になったことがあったので、一江に電話をした。
恐らくこの後葬儀になるから、二、三日帰れないということ。
「それとな、今回の台風の発生場所を確認してくれ」
その後で便利屋へ連絡し、俺の家から喪服と葬儀のもの一式を運んで欲しいと頼んだ。
こちらで喪服などを借りようかとも思ったが、六花のために、ちゃんとしたものを、と考えた。
長距離の仕事で、便利屋にも金を渡せる。
亜紀ちゃんに連絡し、喪服などの場所を教え、便利屋に渡してもらうよう頼む。
俺が台風のことを一江に確認させたのは、六花の話が気になったからだ。
病室で一緒にいるとき。
「お父さんは、結構お年だよな」
「はい。実は私は父が50代半ばで出来た子どもなんです」
そうすると、お父さんは戦前の生まれか。
「他に親しい人なんかはいるのか?」
「いえ、うちがこんなですから、親戚付き合いもほとんど。父の飲み仲間なんかはいるのかもしれませんが、私には分からなくて」
「そうか」
しばらくの沈黙の後、六花は思い出したように言った。
「そういえば、子どもの頃に聞いたんですが、父には仲のよい年の離れた兄がいたそうです」
「……」
「本当に仲良しだったそうで、お兄さんの話をするときだけは、いつも父も上機嫌でした」
「そのお兄さんは今は?」
「戦時中、南洋の島で、たしかレイテって言ってました。輸送の船が沈められ、亡くなったそうです」
「そうか」
間もなく、一江から電話が来た。
やはり予想通り、今度の台風はフィリピン沖で発生したそうだ。
ホテルの食堂で、ようやく六花は落ち着いて来た。
俺は自分の考えを六花に話した。
「これはまったく俺の予想と言うか、俺の勝手な想像と思ってくれ」
「はい」
「なぜお父さんがあんなに頑張って生きていたのか。医学的にはあり得ないことは、お前でも分かるよな」
「はい」
「俺は、お兄さんが迎えに来るのを待っていたのだと思う」
「!!!」
「一江に調べてもらったが、10月の後半で、本当に季節はずれの台風だった。その発生場所は、レイテ戦の海域だったよ。緯度経度も調べて確認している」
六花はテーブルに握り締めた拳を置いて、小さく身体を震わせていた。
「お前にとって父親がどうだったかは分からんが、少なくともお兄さんへの思慕は死ぬまであったということだ。俺は良いお父さんだと思うぞ」
六花はテーブルに突っ伏してまた泣いた。
台風の中、ホテルの食堂には俺たちしかいなかった。
俺は好きなだけ泣かせてやった。
しばらくすると、六花は落ち着きを取り戻した。
そして、無理矢理笑顔を作って俺に向かって言った。
「先生、最後に父は、本当に嬉しそうに笑っていたんです」
「お前があいつの面倒をみろ」
それだけであるが。
「お前の部に入れれば一番なんだがなぁ」
「勘弁してください」
「お前、大分懐かれてるようだしなぁ」
院長は声を出して笑った。
笑い事じゃねぇ。
毎回抱いて欲しいなんて挨拶は、本当に冗談じゃねぇ。
まあ、流石に人前では控えてくれるようになったが。
10月中旬に六花の父親が亡くなった。
しばらく音信を絶っていたようだが、俺の勧めもあり、一ヶ月ほど前から電話で時々話すようになっていた。
酒で肝臓を壊し、六花が連絡するようになったときには、もう手が施せないほどのステージの肝臓ガンになっていた。
嫌っていたとはいえ、六花はやはりショックを受けたようだ。
十日前、六花から父親の危篤の報告を聞き、俺は無理矢理に彼女を故郷の栃木へ帰らせた。
余命一週間と聞いたからだ。
しかし、一週間後、まだ六花の父親は生きていた。
医師の判断は多少の個人差はあれど、末期ガンの場合、家族への危篤の報は意識を喪い食事を受け付けなくなったときになる。
要は、そのまま全身が衰弱し、間もなく死ぬ、ということだ。
遺族の状況によって、ある程度点滴などで延命させることもある。
その後は遺族の判断で、点滴を外す。
六花の父親の場合、最初から点滴は入れられなかった。
唯一の肉親である六花がすぐに向かったからだ。
しかし一週間が過ぎ、10日が過ぎても、父親の心肺は動いた。
医学的にはあり得ない。
病院を長期間休むことに困惑した六花は、俺に電話をしてきた。
俺は病院のことは何の心配もするなと言い、俺も一度そちらに行くと伝えた。
何度も恐縮して断られたが、俺は住所を聞いて、翌日向かうと言って電話を切った。
栃木駅で六花は近所の人に借りたという車で俺を出迎えに来ていた。
「石神先生、雨の中、ほんとうに申し訳ないです。先日はあんな大手術もありましたのに」
しきりに恐縮する六花をなだめた。
季節はずれの超大型台風が来ていた。
関東に上陸しそうだった。
車の中でも容態を聞いたが、今日で12日目。
まったくあり得ないことだった。
飲まず食わずで、人間が何日生きるのか。
そう考えて欲しい。
ガンに冒され新陳代謝が低下していると言っても、一週間が限度だ。
それを倍近く生きている。
俺が病院へ着いた日の夕方、雨が激しくなってきた。
台風は予想通り、関東を直撃し、栃木を通過するのは翌朝未明になるそうだ。
しばらくベッドの横に六花と一緒にいた。
また、特別に身分を明かした上で、カルテを拝見させてもらった。
血液検査の結果からも、ここの医師たちの判断が妥当であることが確認できた。
翌朝、俺が六花がとってくれたホテルで朝食をとっていると、六花が現われた。
「明け方に、父が逝きました」
そう言って、六花は涙を零した。
しばらく、彼女は自分が泣いていることに気付かなかった。
「あ、アレ?」
自分のことに驚いている六花を、俺は抱きしめてやる。
しばらく戸惑っていた六花は、やがて声を出して泣き始めた。
「すいませんでした。自分は父親のことを、恨んでばかりだったと思っていましたから」
「恨むってことは、その裏がちゃんとあるからだよ。まあ、これから葬儀もあるんだから、しっかりな」
「はい」
俺は気になったことがあったので、一江に電話をした。
恐らくこの後葬儀になるから、二、三日帰れないということ。
「それとな、今回の台風の発生場所を確認してくれ」
その後で便利屋へ連絡し、俺の家から喪服と葬儀のもの一式を運んで欲しいと頼んだ。
こちらで喪服などを借りようかとも思ったが、六花のために、ちゃんとしたものを、と考えた。
長距離の仕事で、便利屋にも金を渡せる。
亜紀ちゃんに連絡し、喪服などの場所を教え、便利屋に渡してもらうよう頼む。
俺が台風のことを一江に確認させたのは、六花の話が気になったからだ。
病室で一緒にいるとき。
「お父さんは、結構お年だよな」
「はい。実は私は父が50代半ばで出来た子どもなんです」
そうすると、お父さんは戦前の生まれか。
「他に親しい人なんかはいるのか?」
「いえ、うちがこんなですから、親戚付き合いもほとんど。父の飲み仲間なんかはいるのかもしれませんが、私には分からなくて」
「そうか」
しばらくの沈黙の後、六花は思い出したように言った。
「そういえば、子どもの頃に聞いたんですが、父には仲のよい年の離れた兄がいたそうです」
「……」
「本当に仲良しだったそうで、お兄さんの話をするときだけは、いつも父も上機嫌でした」
「そのお兄さんは今は?」
「戦時中、南洋の島で、たしかレイテって言ってました。輸送の船が沈められ、亡くなったそうです」
「そうか」
間もなく、一江から電話が来た。
やはり予想通り、今度の台風はフィリピン沖で発生したそうだ。
ホテルの食堂で、ようやく六花は落ち着いて来た。
俺は自分の考えを六花に話した。
「これはまったく俺の予想と言うか、俺の勝手な想像と思ってくれ」
「はい」
「なぜお父さんがあんなに頑張って生きていたのか。医学的にはあり得ないことは、お前でも分かるよな」
「はい」
「俺は、お兄さんが迎えに来るのを待っていたのだと思う」
「!!!」
「一江に調べてもらったが、10月の後半で、本当に季節はずれの台風だった。その発生場所は、レイテ戦の海域だったよ。緯度経度も調べて確認している」
六花はテーブルに握り締めた拳を置いて、小さく身体を震わせていた。
「お前にとって父親がどうだったかは分からんが、少なくともお兄さんへの思慕は死ぬまであったということだ。俺は良いお父さんだと思うぞ」
六花はテーブルに突っ伏してまた泣いた。
台風の中、ホテルの食堂には俺たちしかいなかった。
俺は好きなだけ泣かせてやった。
しばらくすると、六花は落ち着きを取り戻した。
そして、無理矢理笑顔を作って俺に向かって言った。
「先生、最後に父は、本当に嬉しそうに笑っていたんです」
1
お気に入りに追加
228
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
NPO法人マヨヒガ! ~CGモデラーって難しいんですか?~
みつまめ つぼみ
キャラ文芸
ハードワークと職業適性不一致に悩み、毎日をつらく感じている香澄(かすみ)。
彼女は帰り道、不思議な喫茶店を見つけて足を踏み入れる。
そこで出会った青年マスター晴臣(はるおみ)は、なんと『ぬらりひょん』!
彼は香澄を『マヨヒガ』へと誘い、彼女の保護を約束する。
離職した香澄は、新しいステージである『3DCGモデラー』で才能を開花させる。
香澄の手が、デジタル空間でキャラクターに命を吹き込む――。
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
人形の中の人の憂鬱
ジャン・幸田
キャラ文芸
等身大人形が動く時、中の人がいるはずだ! でも、いないとされる。いうだけ野暮であるから。そんな中の人に関するオムニバス物語である。
【アルバイト】昭和時代末期、それほど知られていなかった美少女着ぐるみヒロインショーをめぐる物語。
【少女人形店員】父親の思い付きで着ぐるみ美少女マスクを着けて営業させられる少女の運命は?
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる