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 「コラ! いい加減にしなさい!」

 「No! No! No!」

 「お前ぇ、あたしが英語がわからないからってぇ!」
 「いや、あんたでもこれくらい分かるでしょ」

 風呂に入れようとすると、毎回暴れる響子。
 それを諭そうとする、ショートの茶髪に異常に整った顔、身長175センチの長身長の美し過ぎる看護師。

 響子の専任看護師に任命された一色六花は、同僚の看護師に手伝ってもらい、激しいバトルを展開している。
 体力には自信がある六花だったが、どうにも相手が悪い。
 細身の上に、大手術を経て体力のない子ども。
 さらに言えば、着ている寝巻きさえ、自分の給料の半分を持っていかれる高級品で、破けばとんでもないことになる。
 さらにさらに言えば、世界最大の財閥の一つロックハート家の跡取りだった。
 まあ、最後は六花にはあまり関係なかったが。
 六花の忠誠は、ただ一人の医師にだけ捧げられていた。

 「おんなーとしてぇー、うまれーたーからはぁー! いつも綺麗にしてなきゃぇダメなんだよぅー!」
 突然変な宣誓式のような口調で怒鳴った六花は、小さな力で暴れる響子を押さえ込む。

 「ふぎゃぁ」

 六花がその気になれば、本当はいくらでも思い通りにできた。しかしそれを躊躇するのは、彼女なりの思いがあった。

 (こいつは、こんなガキのくせして、タマぁ奪られる恐怖に抗ってきた)
 (こいつは、最後に自分の命を惚れた男に捧げようとしやがった)
 (気に入ったぁ! こいつはあたしのすべてでなんとかしてやる!)
 (こいつは紛れもなく『漢』だぁ!)

 いえ、女の子です。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 俺は、食堂での騒ぎに何事かと足を速めた。
 食堂は、昼時ということもあり、大勢の人間がいる。
 その人間たちはテーブルにつくことなく、遠巻きの輪をつくっている。

 「おい、警備はまだか!」
 誰かが叫んでいた。

 俺は輪の中心に立っている一人の看護師と、その足下で倒れている数人の看護師を見た。
 俺はすぐに状況を察し、大声で言う。

 「あー、院長からの指示でここに来ましたー! もう終わりですから、みなさん解散してくださいぃー!
 駆けつけて輪の中に進もうとする警備の人間たちは、俺の声を聞いて止まった。

 「石神先生!」

 俺に敬礼して言う警備員。
 初老の彼は、警察官出身だ。

 「ご苦労様です。ここは俺が預かりますから、持ち場へ戻ってください」
 「はっ! 分かりました!」

 数人の医師や看護師たちが、床の看護師たちを担いでいった。
 幸い大きな怪我の人間はいないことを、俺は一瞬で観て悟っていた。


 「おい、あんた!」
 超絶と言ってもいい美人看護師が俺に怒鳴る。
 「どういうことか知んねぇけどなぁ! 俺の邪魔すんなら、てめぇも沈めっぞ!」

 俺を正面から睨む女の目は、薄い青と緑がかった灰色のオッドアイだった。
 完全に怒り心頭の看護師に俺は声をかける。

 「お前、神経内科の一色六花だな」

 俺はほぼ全員のスタッフの名前を覚えている。
 特に彼女のような特異な容貌の人間は忘れるわけがない。

 「どうせもうやっちまった! 暴れたりねぇ分はてめぇが相手になれ!」

 綺麗な顔で、つまらねぇことを言いやがる。
 六花は俺にいきなり駆け寄ってくる。
 いい動きだった。喧嘩慣れしている。
 六花が見事な右脚のハイキックを放った瞬間、俺は彼女の顔面に強烈なパンチを叩き込む。
 一瞬で女の鼻はへし折れた。
 軽い六花の身体はそのまま宙に浮き、椅子とテーブルを激しく横転させた。

 「そ、そん、な、ワン、パン」
 意識の朦朧としている六花に近づき、胸倉を掴んで、俺は平手で両頬を殴り始めた。
 バシン、バシンと大きな音が食堂に響く。
 呆気にとられていた、先ほどの遠巻きの誰かが後ろから俺を羽交い絞めにしようとした。
 「おう、なかなか勇気がある人だなぁ」
 俺がそう言うと、そいつは飛びのいた。


 「部長! それ以上はまずい! ひとまず止まってくださいぃ!」
 金切り声で俺に叫ぶ一江の言葉に従い、俺は六花を椅子に座らせた。

 「おい、聞こえるか?」

 顔が倍に膨れ上がった元美人は、とっくに意識を喪っていた。






 院長室に呼ばれた。

 「お前、前から言ってるけどやりすぎなんだよ!」
 机の前に正座させられ、俺は説教されていた。
 「幸い、見ていた人間は俺が説得できる奴らだったからいいようなものを。そうじゃなきゃお前は暴行傷害の犯罪者だぞ」
 「申し訳ございません」
 院長は俺の顔を下から覗き込んだ。

 「お前、全然反省してねぇだろう」
 「申し訳ございません」
 俺は立たされ、状況を説明させられた。

 「それで、一色はお前の顔見知りだったんだな?」
 「いいえ、名前を知っていただけで、話したこともありません」
 「そうか」


 「あの一色という看護師はなぁ」
 院長は語り始めた。




 六花の家庭環境は荒れていた。
 父親は土木作業員だったが、腰を悪くしてからは仕事を休みがちで、終日酒を飲んでは暴れて寝る。
 母親は六花が小学四年生の時に家を出て行ってしまった。
 外国人で綺麗な母親だったことだけ覚えている。
 それから六花は学校を時々さぼるようになり、中学に上がってからは半分も行かなかった。
 行くのは仲間に会うためだけだった。

 自分と同じはみだした仲間とつるみ、そのうちに地元の暴走族に関わるようになる。
 彼らの自由な生き方と筋を通す侠気に、六花は憧れ、自分たちもレディースのチームを作る。
 六花は初代総長となり、大きな身体と怖さを知らない度胸で、チームは地元最大の規模になった。
 六花が引退する時には、総勢80名ほどに膨れ上がっていた。

 そんな荒れた生活をしていた六花は、看護師を目指した。
 なぜなのかは、誰も知らない。

 中学卒業の資格はなんとか持っている。
 彼女は高校卒業の資格を得るために、必死で勉強した。
 5年の歳月で、彼女は見事に看護師試験に合格した。
 しかし、補導の経歴、成人してからの逮捕歴さえある彼女を雇う病院はなかった。

 一年間就職活動をし、地元の先輩の伝をたどり、なんとか面接させてもらえた唯一の病院。
 中途採用であったため、院長面接が行なわれたが一発で合格した喜び。


 「あいつは俺の判断で入れたんだ」
 「へー」
 俺は頭をはたかれた。
 「あいつに見えたんだよ、炎が」
 「……」
 「キレイな色だったなぁ。真っ青で本当に美しかった」
 いいことを言っているようだったが、ゴリラ顔で言われると、俺はちょっと気持ち悪かった。
 「申し訳ありません」
 「ん?」

 「事情は他の人間から聞いたが、陰険な虐めがあったようだな。それに我慢できずに一色が暴れたらしい。まあ本来は懲戒解雇なんだが、お前の意見を聞いておこうと思ってな」
 「真っ直ぐな人間だとは思いました。あの時はひねくれていましたからぶちのめしましたが、俺が威圧しても向かってくる奴は多くありません」
 「うん」

 「環境を少し整えてやれば、いい看護師になると思います」
 「そうか!」

 「じゃあ人事に言って、一色六花は異動にしよう。一色はお前が引き取れ」
 「それはちょっと……」

 「なんだ、文句があるのかよ」
 「いえ、ちょっと問題が」


 俺は処置室で意識を取り戻した六花に話しかけた。
 俺が処置したのだ。
 「石がみぶちょう」」
 口の中が切れて喋りにくそうだった。

 「あたしはタイマンで負けました。ぶちょうの女にしてください!」
 ベッドから降りて土下座で頼み込む六花。
 「いえ、このからだを好きなようにしてもらえば、それでいいです、おねがいします!」
 「お前、何言ってんの?」
 「あたしは喧嘩で負けたことはありません。しかもあんなワンパンで沈むなんて。ぶちょうに惚れました!」
 「……」






 辞令

 一色六花殿 ○○年○○月○○日をもって、小児科へ異動すべし。
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