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いま、この時
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「ほら、また来てる」
「カワイィー!!」
ロックハート響子は、今日も定位置である石神の膝の上で読書をしていた。
時間としては三十分からせいぜい一時間程度だが、少女が本を置き、身体を入れ替えて石神の首にしがみつく。
それが眠くなった合図であり、石神は少女を抱いて病室へ向かう。
「何の本を読んでるのかしら?」
「最近はモームの『月と6ペンス』よ」
一江が答える。
(まったく信じられない。まだ8歳の子どもよ? 絵本でしょう! 『百日で死ぬ』なんとかじゃないの?)
みんながカワイイと言う中で、一江は渋い顔をしていた。
(でも、こないだ部長の双子が読んでたのは『純粋理性批判』……なんなの、これ?)
最初は膝に乗っているだけだった。
そのうち、手持ち無沙汰だったのか、少女は石神の机に堆く積まれている研究論文を手に取った。
響子は日本語を話せるが、読めない。
だから英語論文を手にしたのだ。
石神がそれに気付くと、家から英語で書かれた洋書を持ってきた。
響子は喜んでそれを読むようになった。
「タカトラが私のためにしてくれた」
それだけが理由だった。
何でも読んだ。
『絶対の探求』(バルザック)
『ルーダンの悪魔』(ハクスリー)
『偉大なる王』(バイコフ)※フランス語
『幸福論』(アラン)
この数週間に響子が読破した作品だ。
(子ども、という概念がねぇ)
まあ、バイコフくらいか。
(まずいぞー。響子ちゃんと部長がますますラブラブになってるじゃないかぁ! これはもう、決戦兵器を使うしかないのかぁ!)
一江は悶々としている。
(あ、そういえばもう一人いるんだっけか。坪内緑子)
有名劇団のトップグループの女優だ。
(でもなぁ、相手は有名劇団の女優だし、私に接点ねぇからなぁ。はぁー、どうしたもんか。それにやっぱ栞に頑張って欲しいしなぁ)
一江は悶々としている。
下手を打てば、執行猶予中の彼女は死ぬ。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
響子は目の前のパフェを半分ほど食べて、スプーンを刺しては遊んでいる。
銀座の資生堂パーラーは平日の午後だったが、結構な客が座っていた。
「おい、もうお腹いっぱいか?」
「えぇ、まだ食べるし」
響子は口を尖らせて言う。
喰えないくせに。
「だって、食べないって言ったらタカトラはもうお店を出ちゃうでしょ?」
「当たり前だ」
「もーう!」
響子は足をバタバタさせたいようだが、筋力不足でできない。
一、二度、足が多少動いた程度だ。
前代未聞の長時間手術と、死を確実視されていた末期症状から響子は奇跡的に命を繋いだ。
しかし、その後遺症は、少女の身体を大きく蝕んでいた。
今日の響子は黒いベルベットのスカートに、フリルのついたブラウスを着ている。
ダッフルコートは俺が脱がせて隣のイスにかけていた。
まだ11月初旬だが、今日は結構寒かった。
「ねぇ、なんで今日はフェラーリじゃないの?」
車の名前をいつ覚えたのだろうか。
ああ、俺が自宅へ招いた時に自慢したか。
「冗談じゃねぇ。銀座に車で来る奴はアホウだよ。停める場所がねぇんだからな」
「なんで駐車場がないの?」
「世界有数の高い地価だからだよ。百万ドル出したって、犬小屋くらいしか買えねぇんだ」
「ふーん」
こいつ、全然興味ねぇことを聞きやがった。
「なあ、それ喰うのはいいけど、太るんじゃないか?」
そろそろ店を出なければ。響子はそろそろ辛くなってきているかもしれない。
「そんなこと言わないでぇ!」
大きな声を上げる。
「でも、デブになってもお前が好きだぞ」
響子は表情を蕩けさせた。
「私もタカトラを愛してる!」
「でも、デブになったら、もう膝の上に乗るのは勘弁してくれな」
「やだやだやだー! じゃあ絶対に太らない!」
響子は右手を挙げて宣誓した。
「じゃあ、またタカトラがこれ食べて!」
響子はスプーンにクリームを山盛りにすくって、俺に突き出す。
「おい、勘弁しろよ」
「いいじゃない、いつもどーりだよ!」
「ちょっと待て、こら!」
「はい、アーン」
「アーンって、やるか!」
「このスプーンには、私の口の味がついてます」
「じゃあ、いただきます! って冗談じゃねぇ!」
俺は店中の客がこっちを見ていることに気付いた。
スタイルのいい女性店員が足早に近づいてくる。
「あ、すいません。大きな声はもう出しませんから」
「いいえ、お客様。まったくご遠慮なく、大きなお声でお話下さいますように」
「はい?」
「他のお客様方が、大変にお喜びですので」
店の中で大きな拍手が沸いた。
響子は大満足で店を出た。
また来ようね、と嬉しそうに言う。
「ねえ、タカトラ。今日はどこへ行くの?」
「山野楽器だ」
「何のお店?」
「CDとかDVDの、日本で一番のお店だよ」
タワーレコードとかもあるけどな。
「へぇー」
響子は俺に右手で抱えられて、首に抱きついてくる。
少し寒いだろうか。足元は防寒されていない。
俺は左手でふくらはぎをマッサージしてやる。やはり少し冷たくなっていた。
「タカトラのエッチ」
「このやろう!」
山野楽器の1Fで、俺は取り置きしてもらっていた数枚のCDを買った。
一枚ずつ店員が俺に確認し、結構です、と言って金を支払って店を出る。
一緒に響子も見ていたが、日本語なので何を買ったのか知らない。
響子の手をつないで、店を出た。
「ねぇタカトラ、何のCDを買ったの?」
店の出口で響子が興味深げに聞いてきた。
俺はつないでいた手をほどき、響子に包みを渡す。
「お前のために買ったんだ」
響子の顔が一層明るくなる。
「えぇ、本当に? うれしい!」
響子は袋を開け、数枚のCDを取り出した。
「何のCD?」
「『百万ドルナイト』」
響子が目を大きく開いた。
「『LADY』………」
次々に俺が曲名を示してやると、響子が大粒の涙を次々と零す。
「タカトラぁ………」
「プレゼントしたくなってな。俺たちの思い出の曲だからな」
「タカトラ、I LOVE YOU!」
響子は俺に抱きついてきた。俺は小さな肩を抱き、頭を優しく撫でてやる。
山野楽器の隣では、常に観光客が真珠で有名な店のでかい飾り物の写真をとっている。
俺たちは一斉に向けられたカメラのフラッシュを浴びた。
いま、この時。
俺たちは確かにここにいる。
「カワイィー!!」
ロックハート響子は、今日も定位置である石神の膝の上で読書をしていた。
時間としては三十分からせいぜい一時間程度だが、少女が本を置き、身体を入れ替えて石神の首にしがみつく。
それが眠くなった合図であり、石神は少女を抱いて病室へ向かう。
「何の本を読んでるのかしら?」
「最近はモームの『月と6ペンス』よ」
一江が答える。
(まったく信じられない。まだ8歳の子どもよ? 絵本でしょう! 『百日で死ぬ』なんとかじゃないの?)
みんながカワイイと言う中で、一江は渋い顔をしていた。
(でも、こないだ部長の双子が読んでたのは『純粋理性批判』……なんなの、これ?)
最初は膝に乗っているだけだった。
そのうち、手持ち無沙汰だったのか、少女は石神の机に堆く積まれている研究論文を手に取った。
響子は日本語を話せるが、読めない。
だから英語論文を手にしたのだ。
石神がそれに気付くと、家から英語で書かれた洋書を持ってきた。
響子は喜んでそれを読むようになった。
「タカトラが私のためにしてくれた」
それだけが理由だった。
何でも読んだ。
『絶対の探求』(バルザック)
『ルーダンの悪魔』(ハクスリー)
『偉大なる王』(バイコフ)※フランス語
『幸福論』(アラン)
この数週間に響子が読破した作品だ。
(子ども、という概念がねぇ)
まあ、バイコフくらいか。
(まずいぞー。響子ちゃんと部長がますますラブラブになってるじゃないかぁ! これはもう、決戦兵器を使うしかないのかぁ!)
一江は悶々としている。
(あ、そういえばもう一人いるんだっけか。坪内緑子)
有名劇団のトップグループの女優だ。
(でもなぁ、相手は有名劇団の女優だし、私に接点ねぇからなぁ。はぁー、どうしたもんか。それにやっぱ栞に頑張って欲しいしなぁ)
一江は悶々としている。
下手を打てば、執行猶予中の彼女は死ぬ。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
響子は目の前のパフェを半分ほど食べて、スプーンを刺しては遊んでいる。
銀座の資生堂パーラーは平日の午後だったが、結構な客が座っていた。
「おい、もうお腹いっぱいか?」
「えぇ、まだ食べるし」
響子は口を尖らせて言う。
喰えないくせに。
「だって、食べないって言ったらタカトラはもうお店を出ちゃうでしょ?」
「当たり前だ」
「もーう!」
響子は足をバタバタさせたいようだが、筋力不足でできない。
一、二度、足が多少動いた程度だ。
前代未聞の長時間手術と、死を確実視されていた末期症状から響子は奇跡的に命を繋いだ。
しかし、その後遺症は、少女の身体を大きく蝕んでいた。
今日の響子は黒いベルベットのスカートに、フリルのついたブラウスを着ている。
ダッフルコートは俺が脱がせて隣のイスにかけていた。
まだ11月初旬だが、今日は結構寒かった。
「ねぇ、なんで今日はフェラーリじゃないの?」
車の名前をいつ覚えたのだろうか。
ああ、俺が自宅へ招いた時に自慢したか。
「冗談じゃねぇ。銀座に車で来る奴はアホウだよ。停める場所がねぇんだからな」
「なんで駐車場がないの?」
「世界有数の高い地価だからだよ。百万ドル出したって、犬小屋くらいしか買えねぇんだ」
「ふーん」
こいつ、全然興味ねぇことを聞きやがった。
「なあ、それ喰うのはいいけど、太るんじゃないか?」
そろそろ店を出なければ。響子はそろそろ辛くなってきているかもしれない。
「そんなこと言わないでぇ!」
大きな声を上げる。
「でも、デブになってもお前が好きだぞ」
響子は表情を蕩けさせた。
「私もタカトラを愛してる!」
「でも、デブになったら、もう膝の上に乗るのは勘弁してくれな」
「やだやだやだー! じゃあ絶対に太らない!」
響子は右手を挙げて宣誓した。
「じゃあ、またタカトラがこれ食べて!」
響子はスプーンにクリームを山盛りにすくって、俺に突き出す。
「おい、勘弁しろよ」
「いいじゃない、いつもどーりだよ!」
「ちょっと待て、こら!」
「はい、アーン」
「アーンって、やるか!」
「このスプーンには、私の口の味がついてます」
「じゃあ、いただきます! って冗談じゃねぇ!」
俺は店中の客がこっちを見ていることに気付いた。
スタイルのいい女性店員が足早に近づいてくる。
「あ、すいません。大きな声はもう出しませんから」
「いいえ、お客様。まったくご遠慮なく、大きなお声でお話下さいますように」
「はい?」
「他のお客様方が、大変にお喜びですので」
店の中で大きな拍手が沸いた。
響子は大満足で店を出た。
また来ようね、と嬉しそうに言う。
「ねえ、タカトラ。今日はどこへ行くの?」
「山野楽器だ」
「何のお店?」
「CDとかDVDの、日本で一番のお店だよ」
タワーレコードとかもあるけどな。
「へぇー」
響子は俺に右手で抱えられて、首に抱きついてくる。
少し寒いだろうか。足元は防寒されていない。
俺は左手でふくらはぎをマッサージしてやる。やはり少し冷たくなっていた。
「タカトラのエッチ」
「このやろう!」
山野楽器の1Fで、俺は取り置きしてもらっていた数枚のCDを買った。
一枚ずつ店員が俺に確認し、結構です、と言って金を支払って店を出る。
一緒に響子も見ていたが、日本語なので何を買ったのか知らない。
響子の手をつないで、店を出た。
「ねぇタカトラ、何のCDを買ったの?」
店の出口で響子が興味深げに聞いてきた。
俺はつないでいた手をほどき、響子に包みを渡す。
「お前のために買ったんだ」
響子の顔が一層明るくなる。
「えぇ、本当に? うれしい!」
響子は袋を開け、数枚のCDを取り出した。
「何のCD?」
「『百万ドルナイト』」
響子が目を大きく開いた。
「『LADY』………」
次々に俺が曲名を示してやると、響子が大粒の涙を次々と零す。
「タカトラぁ………」
「プレゼントしたくなってな。俺たちの思い出の曲だからな」
「タカトラ、I LOVE YOU!」
響子は俺に抱きついてきた。俺は小さな肩を抱き、頭を優しく撫でてやる。
山野楽器の隣では、常に観光客が真珠で有名な店のでかい飾り物の写真をとっている。
俺たちは一斉に向けられたカメラのフラッシュを浴びた。
いま、この時。
俺たちは確かにここにいる。
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