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蓼科文学 Ⅲ

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 ようやく、石神高虎を引き入れることができた。
 蓼科は、この男が何をするのか、これまでの人生で最も楽しみに感じていた。

 その予想通りだった。

 蓼科が院長に就任後、男は「注射部隊」を作った。

 「どいつもこいつもヘタクソです。こないだなんか、針を折ったバカもいますよ」
 それまで誰もそんなことは言い出さなかった。
 ただ、現実問題として「ある」という認識はあった。
 これまで各科の指導に任せていた注射を、石神は一つの場所に集中させた。
 実際の施術に先立って、講習会が開かれた。
 そこで新人、一定の技術に満たない者が、毎日数百から千を超える数の「注射修行」を強制された。
 
 その結果、この病院内では全ての資格者がベテラン以上の技術を持つことになった。
 患者側からも非常に好評だった。
 場所が分かりやすい、痛くない、失敗しない、待たない、安全、そうしたメリットが、病院経営に大きく寄与した。

 「というシステムを組みたいのです」
 石神が蓼科に頼んだとき、蓼科は幾つかの不安を抱いた。
 「花岡君を呼べ」

 「こいつがこういうことを言っているのだが、君は何か意見はあるか?」
 呼び出されて緊張の面持ちだった花岡は、石神の顔を見て、嬉しそうな表情になった。

 「まず、薬物混同の危険性です。多くの薬剤が集中するため、取り間違えのリスクが高まると思います」
 男はそのリスクに対して、明確な回答をもっていた。
 我々は納得するしかなかった。
 完璧なものだった。
 その後幾つもの不安や確認事項を二人で出すと、石神は即座に応答していった。


 先任者が莫大な予算を使って、院内のカルテ輸送システムを築いていた。
 天井に這うレールを、カルテを入れたボックスが指示する場所まで運行する、というものだった。
 他の病院にはない、異様なシステムが実用された。

 「あれ、バカみたいですよね」
 石神はレールを移動するボックスを見ながら、吐き捨てるようにそう言った。
 「そう言うなよ。あれでも、画期的なものなんだぞ」
 蓼科がたしなめるように言うと、石神は言った。
 「どうせ近いうちにパソコンでデータ共有するんですから、もう無用の長物以外の何ものでもありませんよ」

 石神の言うとおりになった。
 病院は前時代のシステムの撤去に、また大きな予算と労力を強いられた。
 バカの恥を大急ぎで隠すかのような作業だった。
 石神は天井のレール撤去痕に、案内の矢印線を取り付けた。
 バカの恥が、多少有効活用された。

 そして、石神の進言でいち早くデータ共有システムに取り組んだ結果、他の病院の模範となるシステム構築をどこよりも早く、また見事に達成した。
 後に、そのシステムを求めて、多くの病院から協力を求められ、非常に高い評価と讃辞を得た。
 各部科のデータが、所属長の承認さえあれば共有して使えるようになった。
 石神はそれを利用し、様々なデータを多変量解析し、その結果をまた共有し積極的に活用させていった。
 更に病院内に独自で貴重なデータが生まれて行った。


 新人研修での新たな試み。
 中堅医師の教育改革。
 英語論文読解の特別講習。
 ナース募集の雇用改革と大幅な待遇改善。
 思いも寄らない福利厚生の創出。
 各国大使館囲い込み、その他数多くの経営改革。
 そして石神が携わる全てのオペの成功……

 それと、バレンタインデーの廃止。

 「……」

 石神は次々と大小の改革を推し進め、病院は大きく飛躍した。
 それらのうち、多くの功績は、院長である蓼科文学に押し付けられた。
 蓼科は、感謝を述べることなく、石神を使い潰すと公言した。




 「あいつがロックハート響子の施術を申し出たとき、俺はやっと借りの一部が返せると思った」

 蓼科は回想する。

 「あれは絶対に失敗するはずのものだった。俺は全責任を引き受け、石神を守るつもりだった」

 「しかしあいつは成功させた。なぜだ? だから俺は思う。石神もまた、俺と同じことができるのではないか?」

 「あいつは隠しているのか? 俺のように」

 「それとも、気付いていないのか…………」

 蓼科文学は、夕暮れに染まる景色を、窓から眺めていた。




 「石神。お前はたくさんのチョコレートに困っていただろうがな」

 「石神、俺はチョコレートが大好きなんだ」

 蓼科文学の呟きは、誰も聞いていなかった。
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