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一歩の勇気

33.この絵に込めて

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 下絵が完成したのは、一週間後だった。始めに書いた構図に納得がいかず、先にキャンバスではなく画用紙に構図をまとめてから描いたので時間がかかってしまった。
 下絵が終わってからは、基本的に写真を見ながら部室でアクリル絵の具を塗ることにした。アクリル絵の具を塗っていると、木下先生が私の絵を見に来てくれる。

「川崎さん、もう描き始めたのね。上手……!でもここはもう少しこうした方が……」

 木下先生は美術の先生でもあるので、アドバイスをくれる。

「そういえば川崎さんはまだコンテストに出さないって言ってたわよね?」

 木下先生の言葉に私はすぐに返事が出来ない。隣の席に座っている美坂さんも話が聞こえたのか会話に入ってくる。

「え!こんなに上手なのに……!?あ、でも確かにそう言ってたよね。絵が久しぶりだと思えないくらい上手だったから忘れてた」

 美坂さんが残念そうにした後に、ハッとして「ごめん、無理強むりじいしてるんじゃなくて……!」と言ってくれる。私は美坂さんが気にしないように「全然大丈夫!」と笑顔で返した。
 木下先生が私の絵にもう一度目を向けた。

「まぁコンテストには締め切りだってあるものね。いつでも出したくなったら言って頂戴」

 木下先生はそう言って優しく微笑んで、次に美坂さんの絵を見に行ってしまう。美坂さんと木下先生が話している横で、私はもう一度自分の絵に目を向けた。
 まだほとんど色がついていない下絵のままのような絵。それでも、下絵にはサッカー部が運動場で試合をしている情景が描かれている。サッカーコートの半分くらいを描いていて、選手もたくさん描かれている。きっと完成した後に描かれている部員の顔を見ても、正直どの部員が誰かまでは分からないだろう。それでも、私の中では菅谷くんも草野くんもちゃんと描いている。
 下絵は何度も書き直しただけあって満足していた。これから色をつけていくのが楽しみなくらいで。それでも、まだコンテストに応募する勇気は湧かなかった。

 それからの毎日は半袖でも暑いくらいで、冷房の入っている部室から一歩外に出ればブワッと蒸し暑い空気が襲ってくる感じがした。
 サッカー部の絵を描くと決めて3週間、私の絵の進捗は半分に少しいかない位だった。隣の美坂さんが窓の外を見ながら、「今日、暑いから運動部大変そう」と呟いた。
 部室は運動場に面していないので、美坂さんの言葉に私はつい窓の外を見てしまう。窓の外では校舎の外周を野球部が走っていた。しかし、すぐに美術部の窓から見える場所からはすぎて行ってしまう。美坂さんは窓の外に向けていた視線を私に向けた。

「草野くんと菅谷くんも今日、暑いから大変だろうね」
「うん、絶対暑い」

 美坂さんは「冷房の効いた部屋で絵を描ける私たちは感謝しないと……!」と言って、いたずらっ子のようにクスッと笑った。
 窓の外は眩しいくらいの日差しで。下絵が完成してからはずっと部室で色塗りをしていたので、草野くんと菅谷くんにはほとんど会えていない。授業がないと教室で顔を合わせることもなくて。
 そのことを実感した瞬間、久しぶりに症状が出た感覚が襲ってきた。最近、思い返せば部活に慣れることに必死で症状が出ることも少なかった。私は症状がひどくなる前に、美坂さんに「久しぶりにサッカー部のところ見てくる。写真だけだと分かりにくいところもあるから」と言ってすぐに部室を出た。

「はぁ……!はぁ……!」

 症状が出て少しだけ荒くなった呼吸を抑えつつ、そのまま足は運動場の方へ向かってしまう。先ほど草野くんと菅谷くんに会えていないことを考えて症状が出たので、久しぶりに二人の顔を見れば、症状がおさまりやすいかと思った。
 運動場の方へ向かうとサッカー部は休憩中だったのか、菅谷くんと草野くんがすぐに私に気づいた。遠目から見るだけにしようと思っていたので、ドッと心臓が早くなって焦ったのが分かった。

「川崎さん!久しぶり!」

 草野くんが私に走って近寄ってきてくれる。菅谷くんも草野くんに少し遅れて、私の前まで歩いてきた。必死に症状を誤魔化そうと思っていたのに、何故かいつの間にか症状はおさまり始めていた。

「なんで……?」
「川崎さん?」
「あ、ごめん。なんでもない!草野くんたちは休憩中?」
「おう!まじで休憩なかったら倒れる!暑すぎて!」

 草野くんはこんなに暑い中でもいつも通り元気だった。その時、別のサッカー部員に「草野ー!」と呼ばれて、草野くんは戻っていく。菅谷くんは私に近づいて、小声で話しかけた。

「川崎さん、大丈夫?もしかして症状出てた?」
「あ……いや、出てたんだけど、なんかおさまってきたみたい。なんでだろ……」
「いつものぬいぐるみを握ったの?」
「ううん、今日はバッグから持ってこないまま部室を出ちゃって……」

 私がそう言うと、菅谷くんが少しだけ目を細めて笑った。

「じゃあ、成長してるじゃん」
「え……?」
「きっとちょっとは良くなってきてるんだよ」
「……なんか多分、草野くんと菅谷くんの顔を見たからかもしれない。久しぶりだったから、なんか安心したのかも」
「じゃあ、信頼してもらえてるってこと?」
「……?」
「だって川崎さん、両親といる時は症状が出にくいでしょ?だから、俺らのこともちょっとは信頼してくれてるのかなって」

 その時、サッカー部の顧問が「集合ー!」と部員を集め始めた。

「ごめん、もう行く」
「うん」

 私は菅谷くんと別れた後、部室に戻った。私が部室に戻ると、美坂さんが「おかえり!」と笑ってくれる。「ただいま」と返しながら、席に戻るともう症状は完全におさまっていた。

 それはきっと美坂さんの顔を見たからで。

 症状が最近出ていなかったのは、部活が忙しかったことと「美坂さんが隣にいて絵を描いていたから」なのだろうか。ずっと減らなかった症状が減り始めている。そのことを意識したら、胸の辺りからゆっくりと温かさが広がった気がした。

 「ちゃんと進んでいるよ」と心が教えてくれている感じがする。

 私は、目の前の絵にもう一度向き合った。
 ちゃんと描き切ろう。

 絵の中には菅谷くんと草野くんが描かれていて、絵を描いているのは私で、絵を描いている私の隣には美坂さんがいる。

 その記録を、この嬉しさを、この感動を、この絵に残そう。私は筆を持って、絵を描くのを再開した。
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