こわれて

九丸(ひさまる)

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第六章

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 この古いビルに入るのは、もう何度目になるだろう。
 男は女の許に通い続ける。
 そして肌を重ね続ける。
 もう自分でもどうすることもできない。
 ただあの眼に語りかけて欲しくて。
 淀んだ快楽に溺れる。
 息苦しいほどの悦楽と退廃を伴い。
 女は男に語り始める。自分のことを。
「私が産まれた街は、大昔は活気のあった港町だったのよ。もちろん私はその時生まれてないけど」
 女は無邪気に笑った。
「明治の頃は日本一の人口だったのよ。今じゃその影もないけどね」
 男は黙って聞いている。女の言葉を一言一句洩らさぬように。
「私は古い繁華街で育ったの。昔は花街で、今でもその名残があるのよ。学校の帰り、道でよく芸妓さんとすれ違ったわ」
「昔は芸妓さんも全国的に有名だったんだって。今じゃ廃れて、何とか復活に力入れてるみたいだけどね」
「今は駅前の方に人が流れて、昔ほどの活気はなくなって大変みたいだけど」
 女は少し遠い目で懐かしんでいるようだった。
「私は兄と二人兄妹で、三つ上の兄がよく面倒みてくれたわ」
「両親は小さい居酒屋をやってて、お父さんの腕が良かったのか人柄なのか、繁盛店だったのよ」
「だから私達兄妹はなに不自由なく、街の人達も皆優しかったし、楽しく暮らせてたわ」
「私ね、女子校だったの。うーん、ランクは中位かな。でも伝統ある学校で、おばあちゃん、お母さん、娘みたいにずっとその学校って子が何人もいるのよ。すごくない?」
「友達は多い方ではなかったけど、皆好きだったわ」
「彼氏はいなかったわ。これでも別の学校の男の子に告白されたこともあるのよ。好きな人いたから断ったけどね」
 女の好きな人という言葉に、男は反応する。昔話なのに、何だろう? この嫉妬にも似た気持ちは……。相変わらず眼に語られながらも、男は自身の感情に複雑な思いを抱く。
「その好きな人とは結ばれたけど、結局彼は私の願いを聞いてくれなかったの」
「あんなに愛しあっていたのに。彼は私から逃げたの」
 男は嫉妬に似たのではなく、はっきりと自分が嫉妬していることを認識した。
 決して綺麗ではない、どす黒い感情の炎が燃え上がる。
「俺なら逃げない」
 男は無意識に言葉にしていた。
「ありがとう。あなた優しいのね」
 女の眼が男に語りかける。
「お店じゃあなたに負担がかかるわ。連絡先教えて」
「今度は私の部屋に来てね」
「もっとあなたと一緒にいたいわ」
 眼が妖しい優しさで男を絡めとる。
 男は逃げられない。いや、逃げない。男がそれを望んでいるから……。
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