湖の民

影燈

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第六章





「眠れないのか?」
 どうして、起きているとわかったのだろう。

 灯りを消してから随分たつのに。隣の褥から半井が急に話しかけてきた。

「眠れないんじゃなくて、眠らないんです」

 令は、夜のうちに半井が行ってしまいはしないかと心配で、起きて半井を見張っていたのだ。

「どうしてぼくが起きてるってわかったんですか?」
 暗闇の中に、半井のくすりと笑う声が聞こえた。

「俺は、忍びだからな」
「ぼくは、」そんなこと、どうでもいいのに。気になった。

「先生が自分のことを俺っていうの、好きじゃないです」

「なに?」

「寺子屋では、先生は自分のこと、私、と言っていたから。俺っていうと、なんだか遠くの知らない人みたいで」

「そうか、すまん」
 半井は身を起こし、令と、務の額を撫でた。

「でも、私は私だよ。忍びには戻らないつもりだった。けど、仕方なかったんだ」

「火を、つけるのもですか」
 半井は、苦笑する。

「火付けなど、させない。私が、真名を助ける」

 先生――。

 嘘でもその言葉がうれしくて、令は起き上がって半井に抱き着いた。

「知ってます。先生は、先生です。いつも、ぼくたちを救ってくれる、先生です」

 半井から、いつもと違う匂いがした。
覚悟を決めた、そんな感じの匂いだった。

「帰ってきたら、きんぴらを作ってくれ」
 半井がそう言った。

「はい。待ってます」
 半井は、そうして夜の闇に消えていった。











 生暖かい風が吹いている。
 半助は忍び装束姿で、出羽図城の側に控えていた。

 風が強い日は、火付けにうってつけだ。

 丑三つ時までには時間がある。それまでに、事を済まさなければ。

 そのうち、木の上に立つ半助の耳まで、沼無の兵たちの寝息が聞こえてきた。

 裏門を見張る兵たちの飲む水に、眠り薬を仕込んでおいたのだ。

 半助は、手甲を締め直し、覆面をした。

 木から飛び降り、裏門をくぐって城へ侵入した。

 それだけで、息が苦しい。
 首の痣が熱を持っていた。

 まだ、完全には治っていないのだ。

 目を覚ますと、半助は見知らぬ医者の家で寝かされていた。

 側には、書置きがあった。

 首の痣が消えるまでは決して動くな。
動けばまた毒が回って死ぬ、と。

 紗和の字だった。
 けれど、そこに紗和の姿はなかった。

 どこへ行ってしまったのだろうか。

心配ではあったが、生きているとわかった。 

 生きていればきっとまたいつか会える。
 そう信じて、やるべきことはやろうと決めた。

 そのためにも、いつまでもそこに寝ているわけにはいかない。

令や務が心配だったし、早く顔が見たかった。
 そうして顔を見て、すごく安心した。
 子どもは、汚いものを、忘れさせてくれる。

 もう、斬った斬られただのという世界はこりごりだった。
二度と、人を斬りたくはない。
そんなことがあれば、己が死んだほうがましだ。
 まして、火付けなど。

 だが、令の言葉を聞いてはっとさせられた。
 自分が、先生として、やらなければならないことがあるんだと。
 大人が、子どもを守ってやらねばならないのだと。

 逃げてる場合じゃない。

 半助は、勝手口から建屋の中に入り込み、天井裏へ上がった。
 毒の残っている状態で、呼吸を詰めるのは苦しかった。
だが、少しでも息をすれば、敵に見つかってしまう。
 半助は、気配を消して、目的の場所を目指した。
 出羽図国王の居る部屋を――。


 見取り図は、手に入れていたし、傭兵として潜入していたときにある程度国王の部屋の場所は検討がついていた。
「ここだ」
 半助は、目的の部屋の上までくると、天井板に耳をつけた。

 規則正しい寝息が聞こえる。

 これが、わざとらしく唾をのみこんだりしていれば、狸寝入りだ。

 半助がそっと羽目板を外そうとしたそのとき、突然、胸に杭を打ち込まれたかのような痛みが走った。
「ぐっ」
 半助はたまらず呻き、息を漏らしてしまった。

 収まっていたはずの、発作が起きたのだ。
「むっ、曲者!」
 国王の側で警備をしていた兵が半助の気配に気づいた。

「で」あえ! と、仲間を呼ぼうとするその者に、半助は吹き矢を放ち、眠らせた。

 もう一人いた近衛兵が、槍で天井をついてくる。
 半助はそれを転がり避けながら、王の部屋に降り立った。

 近衛兵が刀を抜く。
だがそれより速く、半助の抜いた刀の峰が、兵の腕を叩いた。たまらず兵が刀を落とす。

腕は、折れたかもしれない。だがかまっている暇はなかった。
 半助はその隙に兵の後ろに回り込み、首根を手刀で打ち気絶させた。

 ここまで半助に一切の物音がない。
 発作も、あの一瞬だけでどうにか収まってくれたようだ。

 王は、すぐそばでこれだけの死闘が繰り広げられているのにも関わらず、まるで気づかず眠りこけていた。

 その様子は、丸まると太っていて、病を患っているようには見えない。

「おい」
 半助は忍び刀の切っ先を王の額につけた。

「いたっ」
 つつっと、王の額から血が滴る。

だが王がそれをぬぐうことはできない。
半助が王の両手を踏んでいるからだ。

「な、くっ。くせもの――」

 目を覚ました王は叫ぼうとするが、半助は素早くその口に手ぬぐいを突っ込んだ。

「鬼憑病を患っているという噂であったが」
 辺りを見回すと、薬草がたくさん入った壺がおいてあった。

「薬が効いているのか」
 王は、しきりにうなずいた。

 これだけの薬草があれば、ほかにも助かった人がいたかもしれないのに。

 令の、母親も――。
 この身勝手な男に、半助は心底腹が立った。

「なぜ女、子どもを逃がさない」

 出羽図がもごもご言うので、「騒いだら即殺す」と前置きをしてから、半助は出羽図の口に突っ込んだ手ぬぐいをひっぱりだした。

「そりゃ、一人で死ぬのが怖いからに決まっておる」
 半助はそれを聞いてあきれた。何を言っているんだ、こいつは。

「そこまで身勝手なんだ、きさまは。罪のない者を巻き込むな!」
「そんなのは儂も一緒だ。儂が何をしたというんだ」

 だめだ、こいつは。まるで分っていない。善悪の区別がつかぬのだ。

 こんな者が国を治めていたと思うと、ぞっとする。
「己の命は惜しいのか」

「惜しいに決まっておる。助けてくれ。

なんでもする。何が欲しいんだ。金か、地位か? それとも、薬草か?」
 半助は、刀を少しねじった。

「痛い痛い!」
「頭骨(とうこつ)を砕かれたくなかったら、開城しろ」

「なに。それはできん。そんなことしたら儂だけ殺されるじゃないか」
「さもなくば今死ぬか、どっちかだ」




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