湖の民

影燈

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「うあああっ」
発作が始まると、半助は叫び声をあげて苦しんだ。

手足を拘束しているが、その縄を引きちぎるほどに暴れまわる。

そのたび、蔵戸に取り押さえてもらわねばならなかった。

蔵戸は、勝手に半助を好敵手だと思っていたらしく、その自分を負かした相手の弱り切った姿に参っているようだった。

発作が収まると、荒い呼吸をしながら時折呻く。
意識は戻らない。

だが、確実に毒は少しずつ解毒されていっている。
紗和は、半助の首を撫でた。

そこに現れた痣が消えるまでは、絶対に動かしてはならない。

完全に解毒される前に動き出せば、再び体内で毒が増えはじめる。

出羽図の毒学者の作った毒はとても恐ろしいものだった。これが、鬼憑病の元となった。

「お頭様。そろそろ門が閉じてしまう」
 蔵戸は、空を見上げ、おろおろしながら言った。

 空が白んでいる。
こちらの夜明けが、門の閉じるときだと。

巫女がそう言っていた。
閉じればもう永遠に開くことはない。
あちらへ帰れない。

「私はここに残ります。あなたは先に行って」
「でも、また発作が起きたら、お頭様一人じゃ」
「何とかします」

「そいつはもう無理です。諦めていきましょう。お頭様まで命を落とすことになりますぞ」

「そんなことできるはずないでしょう!」
 紗和は思わず声を荒げた。

「この人は私の命を救ってくれた」

 きっと、これまで何度も、この人は私を助けてくれた
。そういう思いは、胸の中に残っているのに、よく覚えていない。
記憶がない。でも、大事な人だということだけはわかった。

ここに見捨てて置いていくなんて、絶対にできない。したくない。
「もう二度と、離れたくないの」

「お頭様――」
 蔵戸はなぜか目に涙を浮かべている。

「愛、ですな」
「なに妙なことを言っているの。いいから早く行きなさい」
「妙って」

 蔵戸は愕然として、だが紗和に強く命じられると、しぶしぶ湖のほうへ向かっていった。

 そこに飛び込めば、水神様の巣から出られる。

「では、先に行きます。必ず、お頭様も、戻ってきてくだされ!」
 蔵戸はそう言って、湖に飛び込んでいった。

 紗和は、苦しみ続ける半助の頬を撫で、口づけをした。
 もう、ここに残る人間は、半助と紗和の二人だけだった。
 そこに、静かに近づいてくる人の気配があった。
 振り返ると、燐であった。

「燐――」
 その気配が、なにかいつもと違う。
燐は、晴れやかな顔をしていた。

「あなた――」
燐は、にこりと笑った。
燐がそんな風に笑うなんて、とても珍しいこと、いや、燐と出会ってから初めてのことだった。

「大丈夫。心配しないで」
 燐はそれだけ言うと、すっとその場で姿を消した。
本当に、消えてしまったのだ。

 紗和は驚いたが、不思議とすんなり理解できた。

 ここは、あの世とこの世がつながる場所なのだ。
燐はすでに、肉体を失っていた少女だったのかもしれない。

「ありがとう、燐」
 燐は、解放されたのだと、紗和は思った。

 次の瞬間、突如、大地が揺れ始めた。
 いよいよだ。

 水神様が、門を閉じようとしているのだ。
 湖面が激しく揺れ、水が岸にあふれ出してきた。

 紗和は、半助にしがみついた。
 二人は水に飲まれた。

だが、なぜか息ができる。
むしろ、そこはとても心地よく、安心できる。

 紗和は。半助の手を握った――。

 その瞬間、様々な光景が、脳裏に飛び込んできた。
 紗和が忘れていた、記憶だった――。









記憶









「逃げましょう、二人で」
 言い出したのは、紗和だった。

「逃げるって、どこへ」
 半助はいつも傷ついていた。

 里に帰ってくるたび疲弊して、目つきも鋭くなっていった。

 紗和は、上忍の娘で、半助は紗和の家に仕える下忍だった。

 幼い頃は、そんな身分の差など関係なくよく一緒に遊んだ。

けれど、半助が独り立ちして里の外へ仕事に出るようになると、二人の関係は変わってしまった。

 紗和と半助が二人きりで会うことはおろか、謁見することも許されなくなり、半助は里に帰るたび、紗和の屋敷に忍び込んできてくれた。



トントン、トトン。
トントトトン。

あの合図を聞くと、胸が躍った。
そして紗和は、

トントトトン。
トントン、トトン。

 と、決まって返すのだった。




 そのやりとりが、できるだけでも幸せだった。

半助の存在を側に感じられることが。

 半助は、いつもお土産を買ってきてくれたけど、紗和がうれしいのはお土産ではなく、半助に会えることだった。
 
その日も、半助は紗和の屋敷に忍び込んできてくれて、でも、様子がおかしかった。

 二人で抜け出して、木の上で二人並んで月夜の下おしゃべりをした。

無理して笑っているが、目はずっと遠くを見ている。

「何があったの」
 紗和も忍びの娘だ。

 忍びが、自分の仕事のことを家族にも明かさないことは知っている。

けれど、聞かずにはいられなかった。あまりの半助の悲壮ぶりに。



「人を――殺した」
 と、半助は言った。



「何人も、斬らねばならなかった」

 忍びは、生きて情報を持ち帰るのが仕事だ。

正体がばれて襲われれば、相手を切ってでも生き延びねばならない。

 半助は間違ったことをしたわけではない。

国と国が政権を争っているこの世で、人を斬ることがあるのは珍しいことではない。

まして、半助は忍びだ。そういうための鍛錬を積んでいる。

 斬らねば、斬られるのだ。忍びが斬られることは、自分のためではない。

主人のために、あってはならない。
 だから半助は、斬ったのだ。
 それでいい。それが忍び。それが常識の世界だ。

 だが――半助は、優しすぎた。

忍びには……向いていない。

そのことに、紗和は昔から気づいていた。

けれど、それ以外で半助は優秀だった。

真面目で修行にもよく励み、剣術をはじめとした武術で半助の右に出る者はいなかったし、火器の知識も豊富で、扱いもうまかった。

頭がよく、兵法にも明るい。そんな人物を、上忍が使わぬ手はない。

半助の負担は日に日に増えていった。
 このままでは、いつか半助が死ぬ。

 と、紗和は思った。

 人を斬って思い悩むようでは忍びは務まらない。

斬った者の哀れを思うようでは、忍びとしては生きていけない。

 だから、
「逃げましょう、二人で」
と、紗和は言ったのだ。

 これ以上、半助に苦しんでほしくない。

 それよりなにより、紗和が半助とずっと一緒にいたかった。

 半助は、はじめは戸惑っていたが、
「もう、だれも殺さなくていいのよ」
 紗和のその言葉に、心の箍が外れたように泣き出し、覚悟を決めたのだ。

 そうして二人は、里を、抜け出した。



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