湖の民

影燈

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第二章




「じゃあ、行ってくる」

まだ八つになったばかりの弟は、目を潤ませて今にも泣き出しそうな顔をして令を見上げてくる。

それでも、懸命に泣くまいとしている姿を見ると、心が痛む。

「ごめんな、努。苦しむ母の姿を側で見ているのは辛いだろう」


令がそう言うと、努は意外にも首を振った。

少し前までなら、置いてかないで、僕も一緒にいくと駄々をこねていたのに。

お母さんを一人では置いていけないんだ。
だが、助かる可能性があるものを逃したくない。

お兄ちゃんは、お母さんが治るかもしれない薬草を取りに行く。
だから。努はお兄ちゃんが戻るまでお母さんの面倒を看るのが仕事だ。

令がそう言って聞かせたことを、努は小さい心と身体で精一杯務めあげようとしているのだ。

「お兄ちゃん、絶対に薬草を持って帰るからな。それまで、頼むぞ」

令が努の頭に手をのせて撫でると、努の目がいよいよ潤んで、だが袖でギュッとその涙を拭うと「ウン」と、元気よく答えてくれた。

それが、救いだった。
泣きじゃくって引き止められていたら、つらかった。

「ありがとう、努」
それから、令は側に立っている隣近所のおばちゃんに向き直って、深々と頭を下げた。

お妙さんは、令たちがここに越してきてから何かと世話を焼いてくれる人だった。

母が鬼憑病になってから、うちに上がりこそしないが、食事を持ってきてくれたりと、いつも気にしてくれている。

努一人では心許ないが、お妙さんがついていてくれればきっと大丈夫だ。

「すみません、留守中のこと、よろしくお願いします」

「いいのよ、令ちゃん。努くんとお母さんのことは、心配しないで。気をつけて行ってきてね」

「ありがとうございます」
 令はもう一度お妙さんに頭を下げ、その場を後にした。









 儺楼湖の里は、令たちの住んでいた城下の町から四十里ほど。
峠も越えねばならず、丸三日はかかる道のりだった。

 令は、峠にさしかかる街道沿いの茶屋で一休みしていた。
 良い天気で、青空に雲がゆったりと流れている。

 そんなのどかな風景を見ていると、自分の置かれた境遇など、悩みなど、ちっぽけなものに思えるから不思議だった。

 きっと何とかなる。最後まで希望を捨てるな。

 それは、寺子屋の先生がよく言っていたことだった。

 半井助彦先生は、とても優しくて、良い先生だった。

今でもたまに思い出す。
どうしているだろうか。

確か、先生は病には罹っていなかったから、令たちと同じように里を出ているはずだ。

里を出た者はみな散り散りに分かれたから、消息が分からない。
元気でいてくれるといいのだが。

 令が茶をすすり、ふと顔を上げたときだった。
 目の前の街道に馬車の一行が通りかかった。

 肩に出羽図の家紋を付けた、羽織はかまの男が二人、三台もの荷車を先導している。

荷台には、人足をそれぞれ三十人ほど乗せていた。
全部で百人近くの人足を連れている。

その荷車の後ろにも二人、別に並進する者が一人。
いずれも大小を差し、腕の立ちそうなお役人たちだった。

 金堀の一行であろう。

儺楼湖に病が出て、宝探師は廃業した。

それから病が絶えると、儺楼湖は出羽図国の天領となって、国から派遣された人足たちが独占的に金や宝を掘れることになっている。

 その宝を道中狙う者も多いから、警護には余念がないのだろう。

 そんなことを考えながら、何気なくその一行をやり過ごそうとしていた令は、ハッとして飛び上がるようにして立ち上がった。


 荷車に並進していた役人の男の横顔が見えたのだ。
「先生!」

間違いない。
「半井先生!」

 令は転がるようにして、街道へ飛び出した。

 馬にまたがる半井に駆け寄り、「先生」と何度も呼んだ。

 だが、半井はこちらを振り向きもしない。
うつむいて手綱を持ったまま何か書いているとうだった。

「先生! 忘れちゃったの? ぼくだよ。令だよ」


 令はとにかく半井に再会できたことがうれしくて、必死で馬を止めた。

 急に前に飛び出され、半井は慌てて手綱を引いた。

「この無礼者!」
 半井の厳しい怒号が辺りに響く。

 令は凍り付いた。

先生、ぼくのこと忘れてしまったのだろうか。

「儂はおぬしのような小童など知らぬ。人違いじゃ。立ち去れ!」

 半井は、いや、半井に似た侍は、令のことを突き飛ばし、さっさと行ってしまった。

 令は、あまりの落胆に、しばらく立ち上がることができなかった。

 半井に、顔も声も似ていたのに。

あんなの、全然半井先生じゃなかった。

 令が、涙をぬぐって立ち上がると、ひらひらと一枚の紙が地面に落ちた。

「あれ、なんだろう」
 土で汚れてはいるが、文字が読める。

「進むな。この先危険。湖賊、森の中在り」

 殴り書きではあるが、筆跡は見慣れた半井のきれいな字であった。

 それを見て、一気にほっとした。

「やっぱり、半井先生だったんだ。でも、どうして――」
 知らないフリなどしたのだろうか。

 そういえば、突き飛ばされたときも、痛くはなかった。

もしかしたら、周りに気づかれぬようにこの手紙を令に渡すため、仕方なくやったのかもしれない。
先生ならやりそうなことだ。

 理由はわからないが、令が半井を知っているとまずいのだろう。

 国のお役人の恰好をしていた。
お役人ともなれば、きっと色々あるのだ。

 令は、そう自分に言い聞かせるようにした。
いずれにしろ、半井が令のことを心配してくれたことには変わりない。

やっぱり、昔の半井先生だ。そのことが、令は、うれしかった。



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