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「えっ」

「お前を犯すのはやめる。そんなことをしても……つまらんからな」

 リオンに背を向け、ベッド脇に立つ魔王は、表情が見えない。

 つまらんって、そんな……と思う傍ら、それはそうだよな、とリオンは納得する。自分が魔王側だとしたら、ただベッドに座っているでかい男を犯したとて、面白くはない。

 ——でも、それって、俺の役目は無くなったってことか……?

 犯されない、よかった、なんて能天気な考えが一瞬頭をよぎり、すぐさま『あれ? じゃあこの後俺はどうなるんだ?』とハッとする。

 魔王軍側にとって、役目がない聖王国側の人間を生かしておく利点は……ない。あったとしても、聖王国側の情報を聞き出すために拷問にかけられるか、ボロ切れのように働かされるか……なんにせよ、今与えられた豪奢な部屋で犯されるよりは、酷い目に遭って死ぬ。

 リオンはさーっと血の気が引き、ベッドに両手をついた。

 ——どうする? かなりまずい。死にたくない……!!

「ではな」

 短く、冷たく、一方的に去ろうとする魔王の背中に、リオンは咄嗟に、

「ま、待ってくれ! 俺は……俺はつまらなくない!」

 と叫んだ。

 ——しまった……! 俺は何を言って……っ!

 そう後悔する前に、

「……どういう意味だ?」

 ぴたりと魔王の動きが止まり、肩越しに睨まれる。リオンは魔王の鋭い眼光を受けて、殺されないために必死に考えを巡らせた。

「その……け、経験が豊富だ! そこら辺の女子より、お前を楽しませれる!」

 どんな経験だとか、そこら辺とはどこら辺なのか、言ってる自分さえよくわからなかったが、勢いから出た発言は取り消せない。

「……なん、だと……?」

 魔王が、くるりと体ごと振り向いた。興味を持っているようだ。眉間に深い溝を作り、非常に難しい顔をしている。

「おい、それは嘘だろう?」
「……いいや、本当だ」

 リオンはごくりと喉を鳴らし、まっすぐ嘘を吐いた。

 こんな下品な嘘をついてしまうなんて、騎士としてあるまじき行為だ。本当に、自分で自分を軽蔑する。でも、死にたくない。怖い。そして悔しいことに、自分は昔から嘘をついてきた。弱い自分を隠し、強い騎士であろうと取り繕ってきた。

 今更嘘が一つ二つ増えようと、弱い自分へ絶望が増えようと、少し自己嫌悪の密度が増すだけだった。

「なっ……! おい! それはいつ、どこでだ!?」

「それは……」

 リオンが答えるより早く、魔王の追求が先を突く。

「近衛騎士は清廉潔白さを求められるはずだ……! 都の風俗店には迂闊には入れない。それに王宮内は監視が厳しい上に、不特定多数と関係を持ったら悪評は避けられないだろう……そんな、性的な経験を積むだなんて不可能だ!!」

 意外と近衛騎士の事情に詳しく、汗が滲む。リオンは逡巡し、

「……俺が経験を詰んだのは、勇者パーティーの戦士として任命されてからだ。王都だと顔が知れているが、地方都市の店なら服装と言動に気をつければ近衛騎士だとはばれない。察せられても、口止め料を払えば大きな問題にはならないしな」

 と口からでまかせがすらすら出てきて、自分自身で驚いた。だが思えば、今まで本当の自分を偽ってきたのだ。父の騎士道論に賛同できなくても頷き、本当は逃がした魔物の子どもを殺したと報告する。

 思ってもいないこと、実際にしていないことを話すのは、悲しいことに、リオンの隠れた特技になっていた。

「そ、そんな……! だが、身元が割れる危険性がありすぎる! 貴方がそんな危ない橋を渡るとは思えない!」

 ——貴方……?

 貴様呼びが、なぜか『貴方』に変わっている。違和感が頭の片隅に引っかかったが、指摘する余裕はない。

「……王都で溜まった欲を吐き出したかったんだ……男の体を持つなら、わかるだろう?」

 魔物と人の体の構造は違うのかもしれないが……顔をさっと赤らめた魔王の反応に、あながち間違いではなかったのだとほっとする。

「も、もしかして……あの生意気な王族の端くれ……ジークムントとも、体の関係を持ったのか……?」

 誰のことだ? と考えている間に、名前を言われ、本気で萎えた。しかも、ありありと情景を想像してしまい、寒気がする。

 でも『全く無い!』と告げるのは整合性に欠ける気がして、リオンは沈黙で答えた。

 すると、みるみるうちに魔王の顔が歪み、くしゃくしゃの紙のようになる。しまいには手で顔を覆い、「嘘だろ……」と呻いて両膝を床につけた。

 想像以上に衝撃を受けている。一度つまらないと判断した近衛騎士が、魅力的な技術を持っていると知ったのだ。犯すかどうか、真剣に悩んでいるのだろう。

 ——もうひと押し、何か話を捏造するか……?

 できればしたくないと思いながら、リオンは魔王の艶やかな白髪のつむじを見つめた。

 部屋を照らすランプの明かりが揺れる。光源は魔法の力らしく、かなり明るい。

 たまに、「そうか、そうなのか……もう、イオは他の誰かに……」と呟く魔王の声に反応するかのように、ぐらりと室内の光が波を打った。

 ——さすがに悩みすぎじゃ……

 リオンがあとひと押しするか……と決意したとき、ふっと部屋の明かりが消える。急な暗闇に目をしばかせた瞬間、

「では私の手で、今までの行為を忘れさせるしかないな」

 ぬっと黒い世界から、白い手が伸びてきた。
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