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 今いる場所が、ウィンザード帝国の帝城であるのは間違いない。

 案内された部屋にあった大きなベッドの上で、リオンはあぐらをかいて考える。窓の外を見ると、青白い満月が浮かんでいた。遠くには、ディスティア山脈と思しき黒い山並みが見える。

 部屋を案内される前、リオンはこの城の従者であろうゴブリンや、犬の耳がついた魔物たちに、湯浴みを促された。彼らは人語を話せないようだったが、しきりに下半身を洗うよう身振り手振りで伝えられ、リオンは仕方なく、自分自身で隅々まで綺麗にした。

 まるで、自分が食材になった気分だった。なんとなく、勇者パーティーで野営をした際に、川で丹念に芋を洗ったのを思い出した。

 従者から渡されたのは清潔な綿のシャツに、黒いズボン。それらを着ると、今いる部屋に案内された。案内される間、城の構造を把握しようとしたが、廊下を右に左に、階段も複雑に上り下りしたため、早々に断念した。

 ただ、廊下の窓から城下町らしき建物群の明かりが見えたので、ここがウィンザード帝国の帝城であるのは確信できた。

 ——もし父上だったら、今ここで舌を噛みちぎってるな……

 リオンはベッドの上で口元に手を当て、眉間に皺を寄せる。

 敵国に捕まった時点で気高い騎士なら自死を選ぶ。不浄の魔王に穢されるぐらいなら、己の純潔を守り、潔く死ぬのがエディノン聖王国の誉れある騎士だ。

 でも、リオンにはできない。したくてもできない。現に何度か舌に歯を当てたが、力がひゅるひゅると抜けて意味を為さなかった。

 ——なんて弱いんだ、俺は……

 己の精神的な弱さに心底幻滅する。でも、舌を噛みちぎったら痛い。痛みに苦しみながら死ぬのは怖い。弱いからこそ具体的な自死を想像し、勝手に怯えてしまう。

 現実から目を背けるように視線をうろうろと室内に彷徨わせると、薄い布地で作られた天蓋が目に入った。

 部屋には猫足のテーブルと二脚の椅子。浪費家の貴婦人でも使いきれなさそうな、大きい衣装棚もある。

 調度品はエディノン聖王国の王宮とそう変わりないが、帝国内の豊かな森林資源に加えて、魔物の毛糸が編み込まれ、質はこちらの方が良さそうだった。

 つい、リオンは『意外と悪くないな』と考えてしまい、首を振る。敵国の良いところを見つけてどうする。魔物の住む城なのに、悪しき場所と定めきれないなんて——再び自分の弱さを自覚し、はぁ、とやるせないため息が出た。

 だが、冷静に考えて、貞操と命だったら——貞操なんてなくていい。

 リオンは別に経験が豊富なわけでも、性的欲求が強いわけでもないが、死んだら何も残らないのはわかる。己の貞操も、騎士としての誉れも、守ったところで自分の命を救ってはくれない——

 そのとき、部屋の扉がノックされた。返事の代わりに喉仏が上下する。

「……いるなら返事をしてくれ」

 魔王が困った顔で入ってきて、リオンはどくっと鼓動が跳ねた。まさか、と声を出しそうになって、喉元に留める。

 リオンは二重、三重の意味で驚いていた。まず、扉の外から魔王の魔力の圧を感じられなかったのだ。広間で謁見したときは、息をするのも苦しいほどの圧力を感じたのに、今は何も感じない。

 ——もしかして、魔力の気配を操れるのか……?

 もう一つ驚いたのは、服装が軽装なことだ。黒の厳しい軍服はなく、胸元の開いたシャツに黒いスラックス。頭の角さえ無ければ、気安く話せてしまいそうな雰囲気があった。

 ——にしても、こんな顔だったか……?

 最初に会った広間は薄暗く、魔王を前に恐怖心が募っていたのもあるが、もっと冷たい顔だった気がする。作り物めいた、仮面に似ている顔だ。

 なのに今は、眉尻を下げ、口角も下げ、まるで、我がままな妹を前に困惑する兄のような表情だ。つい、実家の兄妹たちを想起され、温かみを感じてしまう。

 ——本当に、同じ魔王か……?

 リオンが疑いの目を向けている間に、魔王は長い足ですたすたと近づき、ベッドに腰かけた。マットレスが沈み込む。リオンのあぐらをかいた体が、魔王の方へ傾いた。

「随分、積極的だな」

 半身だけリオンの方に向けた魔王が、くすりと笑う。その笑みがびっくりするほど柔らかくて、目の奥がチカッとした。暗雲の中を駆け巡る雷と同じだ。怖いはずなのに、見惚れてしまう。

 先ほどの魔王と全く異なり、恐怖とは違う感情で体が固まった。

「そんなに恐れなくて良い…………というのも、難しいか」

 魔王はどこか悲しみを帯びた声でそう言うと、手を伸ばしてくる。リオンは緊張と、この先どうしていいかわからない戸惑いとで、強く目をつぶった。

 ぴた、と魔王の息遣いが止まる気配がする。けれどすぐに、頬に冷たい肌の感触がした。

 それがすりすりと優しく撫でるだけなので、リオンは訝しむように片目づつ開ける。

 視界に入った魔王は、手の甲でリオンの頬を撫でていた。それも、信じられないほど優しい、慈愛に満ちた目を向けて。

 ——なんで、そんな顔を……

 一気に全身に血が巡り、リオンは自然と止まっていた息を大きく吸う。瞬間、爽やかな草原の匂いに包まれ、なぜだか泣きそうになった。

 ——この匂い、あのときの白いローブの青年と同じだ。

 気づいた事実を深く考える前に、

「……興醒めだ」

 と言って、魔王が突如立ち上がったので、リオンはそっちに気を取られてしまった。
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