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第二章
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その日の夜。ロイは離宮の二階にある私室に、ジャックを呼んだ。
「ロイ様、ご用件は何でしょうか」
ジャックがロイの部屋に来るのは数年ぶりのことだった。ロイは滅多に私室へ人を入れない。機密書類が多くあるのもあったが、幼い頃の嫌な記憶もあって、私室に二人になることは避けたがった。ゆえに今日はよっぽどのことなのだろうと、ジャックは予想していた。
「もう知っていると思うが……イアンは聖闘技祭の後、近衛騎士を辞めるつもりだ」
「ええ……そのようですね」
ロイは窓を背にして立っている。光源はデスク上の黄水晶芒が入ったランプだけで、室内は薄暗い。けれどロイの顔が沈んでいるのは、そばに仕えて二十三年のジャックなら、声音だけでわかることだった。
「だから俺はイアンに真実を告げるつもりだ。運命の番はこの俺だと」
「左様ですか……」
ジャックは胸が痛んだ。二年前のあの日から、ロイが罪悪感で苦しんでいるのは知っている。だから真実を話すのに、相当な覚悟を決めているのは、容易に想像できた。
(誰も悪く無いのに……どうして運命というのは、こうも残酷なのでしょう)
初めから真実を話していればこうはならなかった……と言うだけなら簡単だ。オメガになり騎士職が断たれ、荒れたイアンの姿を前にしたら、本当のことを告げられる人間なんていない。
ロイは「俺がイアンのそばにいたいから、嘘をついた」と自分を責めるような言い方をよくする。しかしそれが本当だったら、ジャックは強く「真実を話すべきです」と言っていただろう。それができないほどに、当時のイアンは放心状態の日々だった。
だからといって、真実を隠していい理由にはならない。全てのことを知ったイアンが、ロイを軽蔑しても、ジャックは止めることができない。けれどそれと同時に、当時のロイの配慮は、妥当だったとも思っている。
どちらの考えもわかってしまうぶん、ジャックは心が苦しかった。
「それで、イアンと話をするときに、お前に頼みがあるんだ」
「頼みですか? 一体なんでしょう?」
ロイは基本命令しかしない。頼みという断る余地がある物言いは珍しく、ジャックは疑問に思う。
「その……イアンと話すときに、その場にお前もいてほしいいんだ」
「え、わ、私がですか?」
想像していなかった頼みに、ジャックは目を丸くする。
「そうだ。でもお前だけじゃない。オリヴァーも呼ぶ。その日にあったこと、あとイアンの性転換について……俺だけじゃなく、他の人の意見も入れて、ちゃんと話しがしたいんだ」
ロイは一呼吸おくと、何かを思い出すような素振りをして、また口を開いた。
「学長に言われたんだが……俺だけだと、偏った話になってしまうかもしれないだろう? だからイアンにとって一番真実に近い話をすることが……最も誠実な対応だと考えたんだ」
「そういうことだったんですね……」
学長が何を話したのか、ジャックの知るところではなかった。けれど、ロイの思い込みが激しい部分が、学長の言葉で変わったのは感じた。
ロイはアルファで優秀なぶん、自分の考えが絶対に正しいと思っている節がある。実際ロイが間違えてることは少ないのだが、自分を責めすぎて身を滅ぼさないかと、ジャックは不安に感じていた。
「きっとイアンは話を聞いてショックを受けるだろう……そのときは、お前がイアンを支えてやってくれ」
薄暗い部屋の中で、ルビーの虹彩がジャックを見つめる。ジャックは主人の思いを汲み取り、深々と頭を下げた。
「かしこまりました。もし何かあれば、私がイアンさんを支えます」
そうならないでほしい。ロイとジャックは同じことを思っていただろう。しかし真実を知ってどう判断するかは、イアン次第なのだ。
(どうか……イアンさんには、ロイ様を嫌わないでほしい……)
それはシャックの勝手な願望だ。だからこそ、二年前の話をするときは、慎重に言葉を選ばなければならない。ロイのためにも、イアンのためにも。
(今からどう話すか、考えなければなりませんね……)
ジャックはロイの後ろに映る月を見上げる。雲ひとつない快晴の夜に、ざわざわと木々を揺らす木枯らしの音が響いた。
「ロイ様、ご用件は何でしょうか」
ジャックがロイの部屋に来るのは数年ぶりのことだった。ロイは滅多に私室へ人を入れない。機密書類が多くあるのもあったが、幼い頃の嫌な記憶もあって、私室に二人になることは避けたがった。ゆえに今日はよっぽどのことなのだろうと、ジャックは予想していた。
「もう知っていると思うが……イアンは聖闘技祭の後、近衛騎士を辞めるつもりだ」
「ええ……そのようですね」
ロイは窓を背にして立っている。光源はデスク上の黄水晶芒が入ったランプだけで、室内は薄暗い。けれどロイの顔が沈んでいるのは、そばに仕えて二十三年のジャックなら、声音だけでわかることだった。
「だから俺はイアンに真実を告げるつもりだ。運命の番はこの俺だと」
「左様ですか……」
ジャックは胸が痛んだ。二年前のあの日から、ロイが罪悪感で苦しんでいるのは知っている。だから真実を話すのに、相当な覚悟を決めているのは、容易に想像できた。
(誰も悪く無いのに……どうして運命というのは、こうも残酷なのでしょう)
初めから真実を話していればこうはならなかった……と言うだけなら簡単だ。オメガになり騎士職が断たれ、荒れたイアンの姿を前にしたら、本当のことを告げられる人間なんていない。
ロイは「俺がイアンのそばにいたいから、嘘をついた」と自分を責めるような言い方をよくする。しかしそれが本当だったら、ジャックは強く「真実を話すべきです」と言っていただろう。それができないほどに、当時のイアンは放心状態の日々だった。
だからといって、真実を隠していい理由にはならない。全てのことを知ったイアンが、ロイを軽蔑しても、ジャックは止めることができない。けれどそれと同時に、当時のロイの配慮は、妥当だったとも思っている。
どちらの考えもわかってしまうぶん、ジャックは心が苦しかった。
「それで、イアンと話をするときに、お前に頼みがあるんだ」
「頼みですか? 一体なんでしょう?」
ロイは基本命令しかしない。頼みという断る余地がある物言いは珍しく、ジャックは疑問に思う。
「その……イアンと話すときに、その場にお前もいてほしいいんだ」
「え、わ、私がですか?」
想像していなかった頼みに、ジャックは目を丸くする。
「そうだ。でもお前だけじゃない。オリヴァーも呼ぶ。その日にあったこと、あとイアンの性転換について……俺だけじゃなく、他の人の意見も入れて、ちゃんと話しがしたいんだ」
ロイは一呼吸おくと、何かを思い出すような素振りをして、また口を開いた。
「学長に言われたんだが……俺だけだと、偏った話になってしまうかもしれないだろう? だからイアンにとって一番真実に近い話をすることが……最も誠実な対応だと考えたんだ」
「そういうことだったんですね……」
学長が何を話したのか、ジャックの知るところではなかった。けれど、ロイの思い込みが激しい部分が、学長の言葉で変わったのは感じた。
ロイはアルファで優秀なぶん、自分の考えが絶対に正しいと思っている節がある。実際ロイが間違えてることは少ないのだが、自分を責めすぎて身を滅ぼさないかと、ジャックは不安に感じていた。
「きっとイアンは話を聞いてショックを受けるだろう……そのときは、お前がイアンを支えてやってくれ」
薄暗い部屋の中で、ルビーの虹彩がジャックを見つめる。ジャックは主人の思いを汲み取り、深々と頭を下げた。
「かしこまりました。もし何かあれば、私がイアンさんを支えます」
そうならないでほしい。ロイとジャックは同じことを思っていただろう。しかし真実を知ってどう判断するかは、イアン次第なのだ。
(どうか……イアンさんには、ロイ様を嫌わないでほしい……)
それはシャックの勝手な願望だ。だからこそ、二年前の話をするときは、慎重に言葉を選ばなければならない。ロイのためにも、イアンのためにも。
(今からどう話すか、考えなければなりませんね……)
ジャックはロイの後ろに映る月を見上げる。雲ひとつない快晴の夜に、ざわざわと木々を揺らす木枯らしの音が響いた。
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