23 / 58
第一章
23
しおりを挟む
「……ねぇ、覚えてる? ロイが十四歳ぐらいのころかな。メイドのマディおばさんがさ、ベータなのにロイのフェロモンに当てられちゃったときのこと」
体の隅々に甘い紺瑠璃花の香りが巡ったあたりで、イアンは口を開いた。
決してボートは小さくなかったが、ロイの長い足が窮屈そうに収まっているのを見て、初めて乗ったときはそうでもなかったのに……と思ったのがきっかけだった。
「ああ覚えてるさ、お前と一緒にボートに乗って池まで逃げたな」
「そうそう。あのときは大変だったよね」
マティおばさんだけじゃない。十代の美少年を狙う使用人は多かった。十四歳のときは家庭教師に服を脱がされ、十五歳のときは庭師の青年に雑木林へ連れ込まれそうになっていた。
そういう下劣な考えを持つ悪人は、頭だけは回るため、ジャックのいない隙を狙ってやってくるのだ。
イアンも王室専属の使用人に剣を振るうわけにもいかず、ロイを連れて毎日逃げ回っていた。いまはもうロイが全員追い出したおかげで、そんなことは無くなったのだけれど。
「なんで……俺を守ってくれたんだ」
「え?」
「俺なんか守っても、お前に得は無かったはずだ。実際お前が来るまで、ジャック以外誰も守ってくれなかった」
オールを漕ぐロイの顔には疑心の色が浮かんでいて、イアンが初めて会ったときに絡っていた、刺々しさを彷彿とさせる。
ロイの言う通り、冷遇されている第三王子を真面目に守ったところで誰も評価はしてくれない。それよりも他の上級貴族へ媚を売って、御用を聞いた方が将来的にはいいだろう。
「うーん、そうだなぁ」
イアンは十五歳で騎士になった。その後すぐに第三王子の近衛騎士に配属にされ、当時は大変驚いた。普通、王室の近衛騎士には神聖位騎士か、アルファの優秀な騎士がつくものだから。
異例の大出世にイアンは喜んだが、周りの目は冷めたものだった。
『ベータの癖に、技能試験でアルファの騎士に勝ったからだ——』
まことしやかに囁かれた噂は、随分後になってから知った。出る杭は打たれるのが騎士団本部。成績は良く、爵位も申し分ないイアンの扱いに困った結果、第三王子の近衛騎士に落ち着いたのだろう。
しかし周囲の思惑など、イアンにはどうだって良かった。
どこへ行っても凛と美しく前を向く。騎士として恥じぬ生き方をしたい。
ただそれだけを信念に、ロイに付き従った。
「俺は近衛騎士としての職務をまっとうしたかっただけだよ。それに……君に必要とされていることが、嬉しかったんだと思う」
「嬉しかった?」
改めてロイに問われ、イアンは気恥ずかしくなる。
「ほら、ロイの護衛って俺一人しかいないし……いなくなったら大変かなと思って……」
助けて欲しいと直接言われたことはない。最初のうちは『やめろっ!』という叫び声を聞いて駆けつけていた。それがだんだんとイアンの名前を呼ぶようになり、側にいろと言われ、徐々に必要とされることが増えた。
主人との距離が近づく度に、近衛騎士としてもっと役に立ちたいと思うのは、当然の宿命だろう。
「ま、俺の勘違いだとは……」
「いや、お前は必要だ」
ロイの装飾のない言葉に、心臓がどきりとする。
「今も昔もこれからも……俺にはイアンが必要だ」
いつの間にかボートは動きを止め、ロイがイアンを見つめている。嘘偽りない真っ直ぐな物言いは、愛の告白のようにも聞こえて——
そういう意味で言ってるわけでない。イアンはわかっていたけれど、頬は否応なしに熱くなった。
「そ、そうはいっても、君を助けていたのは昔の話だ。今は役には立たない……俺を近衛騎士として側に置いてくれるのは嬉しいけれど、あのときの恩はもう十分返してもらったよ……」
勘違いしないように述べた戒めの言葉に、大きなため息が聞こえた。
「恩ってお前……俺がお前を近衛騎士に置いてるのをそんな風に思ってたのか?」
「え? 違うの?」
「んなわけあるかっ!」
まさかの事実に、イアンは驚く。ロイはその様子に、呆れているようだった。
「じゃ、じゃあ……なんで俺を側に置いてるの?」
「それは……」
イアンの返しが意外だったのか、ロイは満月が映り込む水面を見ながらしばらく考えこむ。ぽつりと返ってきたのは、
「……研究したいと思ったからだよ」
というなんともロイらしい答えだった。
「あ、そっか……」
イアンはすっかり忘れてた。ロイが研究にしか興味がないことを。その事実にどこか落胆していて、自分はなにを期待していたんだろう? という疑問が頭の中をよぎった。
体の隅々に甘い紺瑠璃花の香りが巡ったあたりで、イアンは口を開いた。
決してボートは小さくなかったが、ロイの長い足が窮屈そうに収まっているのを見て、初めて乗ったときはそうでもなかったのに……と思ったのがきっかけだった。
「ああ覚えてるさ、お前と一緒にボートに乗って池まで逃げたな」
「そうそう。あのときは大変だったよね」
マティおばさんだけじゃない。十代の美少年を狙う使用人は多かった。十四歳のときは家庭教師に服を脱がされ、十五歳のときは庭師の青年に雑木林へ連れ込まれそうになっていた。
そういう下劣な考えを持つ悪人は、頭だけは回るため、ジャックのいない隙を狙ってやってくるのだ。
イアンも王室専属の使用人に剣を振るうわけにもいかず、ロイを連れて毎日逃げ回っていた。いまはもうロイが全員追い出したおかげで、そんなことは無くなったのだけれど。
「なんで……俺を守ってくれたんだ」
「え?」
「俺なんか守っても、お前に得は無かったはずだ。実際お前が来るまで、ジャック以外誰も守ってくれなかった」
オールを漕ぐロイの顔には疑心の色が浮かんでいて、イアンが初めて会ったときに絡っていた、刺々しさを彷彿とさせる。
ロイの言う通り、冷遇されている第三王子を真面目に守ったところで誰も評価はしてくれない。それよりも他の上級貴族へ媚を売って、御用を聞いた方が将来的にはいいだろう。
「うーん、そうだなぁ」
イアンは十五歳で騎士になった。その後すぐに第三王子の近衛騎士に配属にされ、当時は大変驚いた。普通、王室の近衛騎士には神聖位騎士か、アルファの優秀な騎士がつくものだから。
異例の大出世にイアンは喜んだが、周りの目は冷めたものだった。
『ベータの癖に、技能試験でアルファの騎士に勝ったからだ——』
まことしやかに囁かれた噂は、随分後になってから知った。出る杭は打たれるのが騎士団本部。成績は良く、爵位も申し分ないイアンの扱いに困った結果、第三王子の近衛騎士に落ち着いたのだろう。
しかし周囲の思惑など、イアンにはどうだって良かった。
どこへ行っても凛と美しく前を向く。騎士として恥じぬ生き方をしたい。
ただそれだけを信念に、ロイに付き従った。
「俺は近衛騎士としての職務をまっとうしたかっただけだよ。それに……君に必要とされていることが、嬉しかったんだと思う」
「嬉しかった?」
改めてロイに問われ、イアンは気恥ずかしくなる。
「ほら、ロイの護衛って俺一人しかいないし……いなくなったら大変かなと思って……」
助けて欲しいと直接言われたことはない。最初のうちは『やめろっ!』という叫び声を聞いて駆けつけていた。それがだんだんとイアンの名前を呼ぶようになり、側にいろと言われ、徐々に必要とされることが増えた。
主人との距離が近づく度に、近衛騎士としてもっと役に立ちたいと思うのは、当然の宿命だろう。
「ま、俺の勘違いだとは……」
「いや、お前は必要だ」
ロイの装飾のない言葉に、心臓がどきりとする。
「今も昔もこれからも……俺にはイアンが必要だ」
いつの間にかボートは動きを止め、ロイがイアンを見つめている。嘘偽りない真っ直ぐな物言いは、愛の告白のようにも聞こえて——
そういう意味で言ってるわけでない。イアンはわかっていたけれど、頬は否応なしに熱くなった。
「そ、そうはいっても、君を助けていたのは昔の話だ。今は役には立たない……俺を近衛騎士として側に置いてくれるのは嬉しいけれど、あのときの恩はもう十分返してもらったよ……」
勘違いしないように述べた戒めの言葉に、大きなため息が聞こえた。
「恩ってお前……俺がお前を近衛騎士に置いてるのをそんな風に思ってたのか?」
「え? 違うの?」
「んなわけあるかっ!」
まさかの事実に、イアンは驚く。ロイはその様子に、呆れているようだった。
「じゃ、じゃあ……なんで俺を側に置いてるの?」
「それは……」
イアンの返しが意外だったのか、ロイは満月が映り込む水面を見ながらしばらく考えこむ。ぽつりと返ってきたのは、
「……研究したいと思ったからだよ」
というなんともロイらしい答えだった。
「あ、そっか……」
イアンはすっかり忘れてた。ロイが研究にしか興味がないことを。その事実にどこか落胆していて、自分はなにを期待していたんだろう? という疑問が頭の中をよぎった。
93
お気に入りに追加
1,465
あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
藤原ライラ
ファンタジー
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――
子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。
彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。
「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」
四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。
そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。
文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!?
じれじれ両片思いです。
※他サイトでも掲載しています。
イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)
王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?
いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、
たまたま付き人と、
「婚約者のことが好きなわけじゃないー
王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」
と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。
私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、
「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」
なんで執着するんてすか??
策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー
基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。

側近候補を外されて覚醒したら旦那ができた話をしよう。
とうや
BL
【6/10最終話です】
「お前を側近候補から外す。良くない噂がたっているし、正直鬱陶しいんだ」
王太子殿下のために10年捧げてきた生活だった。側近候補から外され、公爵家を除籍された。死のうと思った時に思い出したのは、ふわっとした前世の記憶。
あれ?俺ってあいつに尽くして尽くして、自分のための努力ってした事あったっけ?!
自分のために努力して、自分のために生きていく。そう決めたら友達がいっぱいできた。親友もできた。すぐ旦那になったけど。
***********************
ATTENTION
***********************
※オリジンシリーズ、魔王シリーズとは世界線が違います。単発の短い話です。『新居に旦那の幼馴染〜』と多分同じ世界線です。
※朝6時くらいに更新です。
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる