後天性オメガの近衛騎士は辞職したい

栄円ろく

文字の大きさ
上 下
11 / 58
第一章

11

しおりを挟む
 「はぁ……」

 「おや、どうされたんですか? 昨日の怪我が痛むのですか?」

 翌日の朝、宮廷の中にある離宮の食堂でイアンが朝食を口に運んでいたら、古びた水桶を持ったジャックが入ってきた。

 「いや、怪我は綺麗さっぱり治ってしまいました」

 イアンは、ははっと乾いた笑いと死んだ目で返す。せっかく身を削ってまで騎士を辞めようとしているのに、上手くいかない現状が嫌になった。

 「それはよかったではありませんか」

 ジャックは笑みを返して、片手で食堂の窓を開けようとする。

 昨日の夜雨よさめでまた離宮のどこかが雨漏りしたらしい。水桶に入っている水を捨てようとするが、建て付けが悪くなかなか片手では空かないので、イアンが代わりに開けてあげた。

 「すみません、ありがとうございます」

 「いえいえ。また雨漏りですか?」

 「はい、そうなんです。修繕はお願いしているのですが……」

 十五歳で騎士になった際、ロイの住む離宮に居を移して早九年。

 今のひどい住環境が改善されたことは一度もなかった。

 「相変わらず冷遇されてますね。うちのご主人様は」

 王室というのはわかりやすい。離宮に住まわせるというのは、そういう・・・・ことだ。
 離宮のある宮廷は、南から北に上がるにつれ、外廷から内廷へと建物が変わっていく。

 最南端の正門から入り、西に政務官が務める省庁本部。

 東に王国の軍部がある騎士団本部。

 目の前に王の謁見の間と執務室がある白詰草宮殿トリフォリウム・パレス

 その建物を越えた先には広大な庭園が広がり、王族が生活する薔薇宮殿ロイヤルローズが最後にあらわれる。

 しかし、離宮があるのは庭園を途中で西に曲がり、雑木林を抜け、小川を渡った先。

 元は流行病の者が出た時に隔離するために作られた、小ぢんまりとした屋敷だ。雨漏りがひどく、じめっとしているし、冬は寒くて凍えそうになる。

 その中でもいいところを探すとするならば、季節毎に景色を変える湖畔のある庭ぐらい。

 「ロイ様は、頑張っていらっしゃるのですが……」

 ジャックの瞳が悲しみを帯びる。

 「そうですね……」

 ロイの亡くなった母親の代から仕えているジャックの心境を思うと、イアンは何も言えなくなってしまう。

 ガーテリア王国には既に優秀な王子が二人いる。ロイより七個年上の、双子の兄たち。一人は文官として秀でた政策を進める王太子レオ。もう一人は武官として騎士団長の座につく第二王子ノア。

 ロイにはもう席が無い。しかも妾の子ならなおさらだ。

 生まれた子がアルファだから一応置いているが、いなくなってもかまわない。ロイは物心ついた時から、必要とされていなかった。

 「でも、ロイ様はご自身の境遇をあまり気にしてなさらないのが、唯一の救いです」

 ジャックが、悲嘆を紛らわすように微笑む。イアンもその意見には賛同だった。

 ロイは王室へ媚を売っても無駄だとわかると、魔花の研究に没頭し、公式行事もほとんど欠席。

 嫌いな使用人は全員辞めさせ、今ではイアンとジャック以外いないと言っても過言ではない。

 おかげでジャックは執事という肩書きがついているが、料理も庭の手入れも、屋敷のことは彼が全て行なっており、イアンも近衞騎士兼、従僕みたいな扱いになってしまっている。

 ロイに文句を言ったところで聞き入れてもらえるとは思えない。それに、三人での生活は快適だった。以前は薔薇宮殿で問題を起こした使用人が離宮に流されて働いていたので、かえって問題ばかりの日々だった。あの頃に比べれば、断然今のほうがいい。

 予算は回されなくなり、住居も改善されないが、居を移すのも簡単ではないので現在も離宮での生活は続いている。

 「俺は気にしなさすぎだと思いますけどね」

 イアンは笑って答える。

 ロイの逆境にめげず生きる姿は、憧れの花に似ている。我がままだけど、良くも悪くも周りからの評価を気にしない。孤高の狼のような威厳は、他の王族にはない美しさだ。

 「ふふっ、そうかもしれませんね……そういえば、イアン様は何かお悩みでも? 先ほどため息をつかれていらっしゃったので」

 「え? あ、ああ」

 ジャックの質問に、イアンは昨日の出来事を思い出す。

 「……ロイに近衞騎士を辞めたいって言ったんですけど、聞き入れてもらえなくて」

 「運命の番を探すという話ですか?」

 「ええ……でも、手がかりが何もないんですよね。二年前のあの日は定例会議と行軍演習が重なってて、他と予定が異なる近衛騎士以外は修練場にいなかっただろうし……」

 「……さようですか」

 イアンはあれから何度か騎士団本部へ行ったが、同じ匂いのアルファは出会えずじまいだった。相手が抑制剤を飲んでいたら匂いはしないかもしれないが、アルファで抑制剤を飲む人間はロイ以外聞いたことない。

 すぐにわかるだろうと思っていた運命の番探しは、意外と難航した。

 そのうち本部の団員たちに絡まれるのが嫌になり、イアンは騎士団本部へ行くのをやめてしまった。

 「なかなかどうも、うまく行かないですね」
 「そう、ですね……」

 二人は静かに、食堂の窓から外を見る。

 雑多な木々に囲まれた湖畔が、そよ風で波打っていた。





 「あれ? あの鳥って」

 しばらくぼーっと眺めていたら、遠くの空にミミズクらしき影が視界に入る。

 こげ茶の羽を羽ばたかせ、首に菫色のスカーフを巻いた鳥は、徐々に近づいてきた。足には荷物を掴んでおり、離宮の前で荷物を離すと、こちらには一べつもくれずに飛び去っていく。

 「たぶんミネルヴァ大学の梟便ですね」

 玄関に向かいながら、ジャックは不思議そうに言う。今日は物が届く予定がないのだろう。イアンもいぶかしみながら後をついていく。

 扉を開けた先に落ちていた荷物には、大きく『イアンへ』と書かれていた。

 「この字は……」

 イアンは嫌な予感がしつつも、袋を開ける。中には白い布と一枚の手紙が入っていた。

 《これを着てすぐに教授室に来い。あ、すぐじゃなくてもいい。なるべく早くきてくれ。ロイより》

 滑らかな字体で書かれた内容に、眉根を寄せる。

 「まったく。人使いが荒いなぁ」
 「これはきっと大学指定の白衣ですね」

 ジャックの指摘に布を広げてみると、胸と腕には見慣れた腕章が入っていた。

 「はぁ……」

 本日二度目のため息だ。近衛騎士のイアンには逆らう権限はないとしても、もう少し説明が欲しかった。

 (昨日の話の続きもしたかったし、早い時間から会えるのは良いことだ。そうだ、そう思おう)

 イアンはまた出そうになるため息を呑み込む。己の体格よりも少し大きめの白衣に袖を通しながら、大学へと向かった。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

もう遅いなんて言わせない

木葉茶々
BL
受けのことを蔑ろにしすぎて受けに出ていかれてから存在の大きさに気づき攻めが奮闘する話

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~

藤原ライラ
ファンタジー
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――  子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。  彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。 「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」  四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。  そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。  文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!? じれじれ両片思いです。 ※他サイトでも掲載しています。 イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。

側近候補を外されて覚醒したら旦那ができた話をしよう。

とうや
BL
【6/10最終話です】 「お前を側近候補から外す。良くない噂がたっているし、正直鬱陶しいんだ」 王太子殿下のために10年捧げてきた生活だった。側近候補から外され、公爵家を除籍された。死のうと思った時に思い出したのは、ふわっとした前世の記憶。 あれ?俺ってあいつに尽くして尽くして、自分のための努力ってした事あったっけ?! 自分のために努力して、自分のために生きていく。そう決めたら友達がいっぱいできた。親友もできた。すぐ旦那になったけど。 ***********************   ATTENTION *********************** ※オリジンシリーズ、魔王シリーズとは世界線が違います。単発の短い話です。『新居に旦那の幼馴染〜』と多分同じ世界線です。 ※朝6時くらいに更新です。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

処理中です...