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第一章

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 ロイは黙り、顎に手をやる。こんな状況でもロイの仕草は様になっていて、アルファはつくづく恵まれた性だなと、イアンは羨んだ。

 沈黙が落ちる。重い空気が部屋を支配したが、さっきよりも早く、静寂の空間は終わりを迎えた。

 「じゃあ俺が、運命の相手と番うより楽しいことを教えてやる」
 「……は?」

 一瞬、何を言っているのか、イアンにはわからなかった。

 ——運命の相手と番うより楽しいことを教えてやる? 

 (え? ロイが? 俺に?)

 なんの冗談だろう。だって、ロイがそこまでする理由が見当たらないのだ。

 困惑するイアンをよそに、美しく赤い虹彩がきらりと輝く。

 「だってそうだろう? お前は運命の番と生きることが幸せだと勘違いしている。でもそれより楽しいことがあれば、運命の番探しなんて必要なくなるし、近衛騎士をやめなくて済む」

 「いや、騎士をやめるのはオメガとして職務に無理があるからで!」 

 「そういうところがダメなんだ。お前は視野が狭すぎる。どうしてオメガだからって番わないといけない。どうして騎士を続けられないと決めつける」

 「そ、そんなの、こんな体で君を守れるわけないだろう!?」

 イアンはだんだんと、話がおかしな方向へ進んでいくのを感じた。自分は近衛騎士を辞めたいだけだったのに。なのになぜ、ロイから『視野が狭い』など言われないといけないのだ。

 「俺は認めないぞ! お前が近衛騎士を辞めるなんて!」

 「な、なんでよ! 別に辞めても問題ないでしょ!」

 「『運命の番を探すため』なんて理由で辞めさせられるか!」 

 「理由なんて、君に関係ないじゃん!」 

 ——ドンドンッ! ガチャッ! 

 ヒートアップしていく会話を中断させたのは、荒々しいノックとロイの許可を得る前に開けられた扉の音。

 「お取込み中失礼するね~ロイ急ぎの用件でさ」

 瓶底のような分厚いレンズのメガネをかけ、ブロンドヘアーを短く刈り込んだ大柄な青年が、ずかずかとロイのデスク前へやってくる。

 「おいオリヴァー、それじゃノックの意味がないだろ」

 オリヴァーと呼ばれた青年は、ロイの苛立った言葉を無視して「あれ? 今日はお迎え早いんだ」とイアンの隣に並んで言った。

 「あ、オリヴァーさん。今日は用事があって……」

 「そうなんだ! 奇遇だね。僕もロイに用事があって来たんだ」

 えへへと笑うオリヴァーに、イアンも釣られて笑顔を返す。

 オリヴァーについてイアンが知っているのは、ベータでありながら優秀な研究者で、ロイの「堅苦しい話し方は嫌いだ。敬語を使うな」という無茶な発言を有言実行できる神経の図太い人間だ、ということぐらいだ。

 彼は魔花のことにしか興味が無く、イアンのチョーカーを見ても「それどこの製品?」「抑制剤の配合割合は?」と終始一徹、憐れむような態度はしなかった。そういうところが、イアンは好きだった。

  「オリヴァー、話は後に」

 「ああー! いいのかなそんなこと言って! 緑柱茎ベリリウムヨウ生体実験結果が出たのに!」 

 「なにっ!? 本当か!」 

 イアンには何の実験か全くわからないが、ロイはオリヴァーから受け取った紙束を食い入るように読む。

 「イアン、さっきの話は明日する。今日は先に宮廷に帰れ」

 「えっ! ちょ、ちょっと!!」

 「今日は大学に泊まる。だから護衛は必要ない」

 王立ミネルヴァ大学は重要機密事項が多く、許可を得た者しか入れないように特別な結界が敷かれている。

 ロイが護衛なしで自由に過ごせる場所でもあり、イアンもロイが学内にいる間は仕事がなかった。

 「で、でも、話は途中だし!」 

 「だから明日話すって言っただろう。あ、あとそこに新しい抑制剤置いておいた。それを持って今日はさきに帰れ」

 ロイは山のような書類の上に置いてある紙袋をさして言う。

 お互いフェロモンの発生を抑える薬を飲み始めて二年だ。

 オメガは三ヶ月に一度『発情期』と呼ばれるフェロモンが活性化する時期がある。それを抑えるために、この国ではオメガ側が魔花加工品の抑制剤を飲むのが常識だ。

 しかし、アルファのロイは違う。普通のアルファは抑制剤なんて飲まずに済むのに、フェロモンの強いロイは、イアンとの接触事故を防ぐために毎日三回飲んでいる
 
 昔は『まずいから絶対に飲まない!』って言い張ってたのに、今はイアンのせいで無理して飲んでいる。そのことを知っている分、イアンは抑制剤に関して、わずかに罪悪感があった。

 「う、うう……絶対明日話の続きをするからね!」 

 話したくないという意思表示に加え、強く出れない話題を振られたら、深く追求する気持ちも削がれてしまった。

 イアンは明日の約束を取り付けると、大人しく紙袋を持って部屋から出て行った。
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