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第一章
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息を切らし、悪態をつきながら、やっと目的地である《特例学者事務室》と金のプレートがかけられた扉の前に立った。
ちょっと前までなら気軽にノックできたのに、今では回を追うごとに憂鬱になっている。
イアンは気が重いと思いながらも、コンコンと扉を叩いた。
「イアンです。中に入っても?」
「ああ」
無愛想な声はいつもと変わらない。
(特別機嫌が悪いわけじゃなくてよかった……)
イアンはズボンのポケットから封筒を取り出し、扉を開ける。
部屋は本や資料で埋め尽くされてひどく汚い。窓の桟には埃が厚くつもり、長らく掃除されていないことが伺える。イアンは紙を踏まないよう慎重に足を運びながら、部屋の主がいるデスクへと向かった。
「イアン、迎えにはまだだいぶ早いぞ」
よほど面白い内容なのか、ロイは書類から目を離さない。
イアンはわざと彼の言葉を無視して、デスク前の唯一床が見える場所に足を滑り込ませた。
「おい、お前……その頬どうした」
返事が無いのを不審に思ったロイが、やっと顔をあげる。
王族のくせに身だしなみより研究を選ぶせいで、せっかくの綺麗な黒髪は無造作に結ばれ、輝きのあった瞳は睡眠不足で濁っている。白衣もよれよれで、いつ洗ったのか不明だ。
そんな汚いなりでも世間一般より美男子なのは、ロイの生まれ持った遺伝子のせいか、普通の人より強いアルファの性がそうさせるのか。
なんにせよ、得な顔だなとイアンは思った。
「殿下。この度は大事なお話があり、予定より早くにお迎えに上がりました」
急に胸の前で敬礼し始めたイアンを、ロイはぽかんと口を開けて見つめる。
「一身上の都合により、今月末で……」
「やめろやめろ! なんだ、その堅苦しい話し方は! ここには俺とお前しかいないんだぞ!」
「しかし、殿下……」
「俺が敬語嫌いなの知ってるだろ! 今更そんな気持ち悪い話し方するな!」
せっかく丁寧な口調でお願いしようとしているのに、イアンは『気持ち悪い』という言葉に腹が立つ。
「それは、何回言っても……君が退団届を受け取ってくれないからだろう!?」
普段の口調に戻して、握りしめていた封筒を投げつける。
退団届は騎士を辞めるための書類であり、主人であるロイの署名が必要であったが、今まで中身を見てもらえたことはない。
イアンは力任せに、ロイの顔面に向けて封筒を投げたのに、体を鍛えていないはずのロイは軽々と封筒を掴んだ。そういう些細なところに能力差を感じて、イアンはむなしくなる。
「おい! だからって投げなくてもいいだろ!?」
「じゃあ受け取ってよ!」
「それは嫌だ!」
側に仕えて九年。相変わらずの暴君ぶりに呆れてしまう。ここ数週間毎日こんな感じだった。門前払いと怒鳴り合いの日々。これ以上長引かせて、関係が悪化するのは避けたかった。
「なんでそんなに嫌なんだよ……俺が辞めてもジャックさんがいるじゃないか!」
ジャックはロイの執事だが、騎士団から師範を頼まれるくらいには剣が立つ。
白髪混じりの長髪と、口髭を立派に生やした小柄な体躯は、騎士団員で知らない人間はいないだろう。
そもそも何で彼がいるのに、オメガの自分を近衛騎士として側に置き続けているのか、理解ができなかった。
「忘れたのか? お前は研究対象だ。いなくなったら困る」
「だから呼ばれたら来るよ! どんなことも協力する!」
「じゃあ、別に辞める必要は無いだろう!」
「でももう、近衛騎士は限界だ!」
心からの叫びに、ロイの目が見開く。
ちょっと前までなら気軽にノックできたのに、今では回を追うごとに憂鬱になっている。
イアンは気が重いと思いながらも、コンコンと扉を叩いた。
「イアンです。中に入っても?」
「ああ」
無愛想な声はいつもと変わらない。
(特別機嫌が悪いわけじゃなくてよかった……)
イアンはズボンのポケットから封筒を取り出し、扉を開ける。
部屋は本や資料で埋め尽くされてひどく汚い。窓の桟には埃が厚くつもり、長らく掃除されていないことが伺える。イアンは紙を踏まないよう慎重に足を運びながら、部屋の主がいるデスクへと向かった。
「イアン、迎えにはまだだいぶ早いぞ」
よほど面白い内容なのか、ロイは書類から目を離さない。
イアンはわざと彼の言葉を無視して、デスク前の唯一床が見える場所に足を滑り込ませた。
「おい、お前……その頬どうした」
返事が無いのを不審に思ったロイが、やっと顔をあげる。
王族のくせに身だしなみより研究を選ぶせいで、せっかくの綺麗な黒髪は無造作に結ばれ、輝きのあった瞳は睡眠不足で濁っている。白衣もよれよれで、いつ洗ったのか不明だ。
そんな汚いなりでも世間一般より美男子なのは、ロイの生まれ持った遺伝子のせいか、普通の人より強いアルファの性がそうさせるのか。
なんにせよ、得な顔だなとイアンは思った。
「殿下。この度は大事なお話があり、予定より早くにお迎えに上がりました」
急に胸の前で敬礼し始めたイアンを、ロイはぽかんと口を開けて見つめる。
「一身上の都合により、今月末で……」
「やめろやめろ! なんだ、その堅苦しい話し方は! ここには俺とお前しかいないんだぞ!」
「しかし、殿下……」
「俺が敬語嫌いなの知ってるだろ! 今更そんな気持ち悪い話し方するな!」
せっかく丁寧な口調でお願いしようとしているのに、イアンは『気持ち悪い』という言葉に腹が立つ。
「それは、何回言っても……君が退団届を受け取ってくれないからだろう!?」
普段の口調に戻して、握りしめていた封筒を投げつける。
退団届は騎士を辞めるための書類であり、主人であるロイの署名が必要であったが、今まで中身を見てもらえたことはない。
イアンは力任せに、ロイの顔面に向けて封筒を投げたのに、体を鍛えていないはずのロイは軽々と封筒を掴んだ。そういう些細なところに能力差を感じて、イアンはむなしくなる。
「おい! だからって投げなくてもいいだろ!?」
「じゃあ受け取ってよ!」
「それは嫌だ!」
側に仕えて九年。相変わらずの暴君ぶりに呆れてしまう。ここ数週間毎日こんな感じだった。門前払いと怒鳴り合いの日々。これ以上長引かせて、関係が悪化するのは避けたかった。
「なんでそんなに嫌なんだよ……俺が辞めてもジャックさんがいるじゃないか!」
ジャックはロイの執事だが、騎士団から師範を頼まれるくらいには剣が立つ。
白髪混じりの長髪と、口髭を立派に生やした小柄な体躯は、騎士団員で知らない人間はいないだろう。
そもそも何で彼がいるのに、オメガの自分を近衛騎士として側に置き続けているのか、理解ができなかった。
「忘れたのか? お前は研究対象だ。いなくなったら困る」
「だから呼ばれたら来るよ! どんなことも協力する!」
「じゃあ、別に辞める必要は無いだろう!」
「でももう、近衛騎士は限界だ!」
心からの叫びに、ロイの目が見開く。
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