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しおりを挟む羞恥でぷしゅー…と湯気を出す勢いで暑くなる僕に、サナギさんが微笑んで問い掛けてくる。
「パスタが食べたい?」
「……う…あ…その、高い…から…」
「好きなの食べていいんだよ、お金には余裕あるからね」
「………………え…?」
「うん?」
ただでさえ遅いのに、一拍どころじゃない間を空けて反応してしまった。けれどサナギさんはやっぱり苛立った様子も無く、にこやかに首を傾げる。
え、あれ…もしかしてサナギさん、本気で奢ってくれようとしてるのかな。さっきのは社交辞令みたいなものじゃなくて…?
困惑しながらも「……あのぅ…」と控えめに声を上げると、サナギさんは「なぁに?」と嬉しそうに返してくる。
「……ぼ…僕が…お支払い…しなくても…?」
「?もちろん、俺が払うけど…?」
お互いにはて?と首を傾げている状況。
サナギさんの言葉の意味を理解して、途端にあわあわと焦燥に襲われた。「……あの…あのっ…」とあたふたする僕を、サナギさんは急かすことなく待ってくれる。
優しい声で「なぁに?」と聞かれて、必死に言葉を紡いだ。
「……ぼ、僕が…お支払い…します…!…サナギさんには…い…いつも…おせわになって…いるので…っ!」
「俺はそれ以上の癒しをマオから与えて貰っているよ。今日はマオに日頃のお礼をしたくて誘っただけだから、気を遣わずに好きな料理を食べて欲しいな」
「……あう…で…でも…」
ゆっくりな動きで精一杯説得してみたが、隙の無いサナギさんに勝てるわけもなく。
結局サナギさんの誘導に釣られるがままに、一番高いパスタを頼んでしまった。申し訳ない…けど、メニューを見る限り本当においしそう…。
「……ぱすた…」
「ぐっ…パスタ楽しみ?」
「……楽しみ…です…」
「あー可愛い可愛すぎる…ッ!!」
おいしそうなパスタを今から想像して、思わずくふくふと笑う。
へらぁっと顔を緩ませる僕を見て、サナギさんが何やら錯乱しながらテーブルをパンッと軽く叩いた。
びっくりして、座ったままぴょんっと跳ねてしまった僕に、サナギさんはハッとしたように目を丸くして、「ごめんね…!びっくりしたよね…!!」と頭を下げてきた。
ぱちぱち、と瞬いてふるふると頭を振る。チカチカした視界が直ってきた頃に、「……大丈夫…です…!」としっかり頷いた。
「パスタ美味しかった?」
「……お…おいしかったです…!」
「うーん可愛い。そっかそっかぁ」
お店を出て、サナギさんから聞かれたそれにうんうんと何度も頷く。
ふにゃあ、と頬を緩めたサナギさんが僕をぎゅむっと抱きしめてきたから、思わず「……うあ…っ」と変な声を上げて固まってしまった。
突然の抱擁にあたふたする僕の頭をなでなでして、サナギさんは「ごめんね」と頬擦りしてくる。
「でも…マオが可愛すぎるのがいけないと思うなぁ…。こんなの俺じゃなかったらとっくに理性ぶっ壊れて…――」
「……りせい…?」
ぶつぶつ呟くサナギさんに首を傾げた。
僕の頭に顔を埋めているから、何を言っているのかはよく聞き取れない。聞き取れたとしても、言葉の意味はよく分からないだろうけれど…。
「お持ち帰りしたいなぁ…駄目だよなぁ…」
「……おもち…」
「…ん?マオ…?もしかして眠い…?」
「………おもち…」
サナギさんが何やら"おもち"がなんだと語った。あれ…よく聞こえないな…。たぶんおもちが何とかって言ってたと思う。
視界がふわふわ揺れてきた頃、何かに強く持ち上げられた。持ち上げられたというより、抱っこされた、というのが正しいかも。
背中と後頭部を交互にぽんぽん撫でられて、更に眠気が酷くなる。必死にぱちぱち瞬いてみるけど、一向に頭がすっきりする気配がない。
「そういえば…マオはナマケモノとコアラの獣性を持っていたんだったね…」
ナマケモノとコアラの獣性…何の話か分からないけど、その話でふと思い出した。
おばあちゃんに気をつけなさいって言われてたんだ。どっちもたくさん眠る獣性を持っているから、気を抜いたら眠くなっちゃうよって。
夜、いつもすとんと寝てしまうのはこの獣性が原因だ。本当はお昼から寝ていたいのだけれど、仕事があるからそれは出来なくて…。
夜ご飯を外で食べたのなんて久しぶりすぎて、気づかない内に眠気が溜まっていたらしい。
「……すぴー…」
「かわっ…、眠いねマオ。はやくお家に帰ろう、ね?」
「……やっ…」
「ん、なぁに?何が嫌…?」
「……はなれちゃ…や…」
近くで何やら、「ウグッ…!」と瀕死の呻き声が聞こえた。
なんだろう?とちょっとだけ不思議だったけど、すぐに興味がなくなって目の前の何かに抱きつく。
腕と足でぎゅーっと抱きつき、絶対に離さないようにしがみついた。目の前でいい香りを放つ何かに、思わずすんすんと顔を寄せる。
耳元では相変わらず苦しそうな声や吐息が聞こえていたけれど、それに構う暇も無かった。ただただ、自分を温かく包む何かが心地良くて、他のことを考えていられない。
「……くっついてて…?…ずっといっしょ…ね…?…」
「ッッ…!マオは…俺を殺したいの…ッ?」
むぎゅっと抱き締められて、心地良さは更に増した。
あんまり暖かかったものだから、思わずへらぁっと緩みきった笑みを零してしまう。それを見たサナギさんが更に真っ赤になって僕を抱く手を強めた。
「…こんなに無防備な姿晒して…襲って欲しいって言ってるようなものだよ?それともマオは…俺に襲って欲しいのかな」
「………ぅん…むにゃ…」
「今頷いた?」
「………ぅ…ん…」
「頷いたよね?」
ね?と耳元で問い掛けられたが、ボーッとした意識では質問の意味がよく分からず、眠い頭をこっくりこっくり揺らした。
見方によっては、頷いているようにも見えたかもしれない。
「――…じゃあ、いいよね」
熱の篭った呟きが聞こえる。
僕の背中を一定のリズムでぽんぽん撫でて、まるでわざと眠りに誘おうとしているみたいだ。
そう思いながらも案の定眠気には勝てなくて、辛うじて保っていた意識はサナギさんの腕の中で沈んでしまった。
* * *
「――……ぅ…ん…にゃっ…」
「んっ…にゃって…可愛い…かわいすぎ…」
首元にチクリとした痛みを感じて、思わず変な声を出しながら目覚めてしまった。
重い瞼をこじ開けると、初めに視界を支配したのは真っ白な光。暗闇に突然入ってきた光に瞬きを繰り返し、何度目かの開目でようやく視界が開けた。
状況が掴めずぼんやりしていると、突然視界いっぱいに綺麗な顔が現れる。いっそ恐ろしいくらいに整ったその顔が、ふにゃりと甘く蕩けた笑顔を作った。
「おはよう」
「………おは…よう…?…」
寝惚けた声。その声を聞いたサナギさんは更に笑みを蕩けさせて、僕の額に唇をくっつける。
柔らかい感触に、霞んだ思考が徐々に晴れた。状況を理解した時、一気に羞恥心が湧き上がって全身が真っ赤に染まる。
僕は何故か横になっていた。それも、初めて見る大きなベッドの上に。
慌てて起き上がろうとするけれど、体が思うように動かせない。不思議に思って視線を下ろし、ぎょっと目を見開いた。
仰向けに寝そべっている僕のお腹に跨るようにして、サナギさんが僕の体をがっちりと拘束していたのだ。
「………え…なん…っ…へ…?」
両手首が万歳の形で縫い止められている。覆い被さるサナギさんの姿だけがよく見えて、まるで今から捕食されてしまうかのような錯覚さえ受けた。
「マオ」
「………さなぎ…さん…?…」
短く僕の名前を呼んだサナギさんは、緩く首を傾げると甘く微笑む。
目を逸らせない。逸らしていけないという無言の支配力を感じて、僕は指一本動かすことが出来なかった。
甘く細められた瞳の奥には、言いようのない強い執着が宿っている。その凄絶な美しさとほんの微かさな冷酷さに、動かしてはいけない体が小さく震えた。
「マオ、触っていい?」
「………ぅ…あ……」
「…ごめんね、俺が怖い…?隠してたつもりなんだけど…バレちゃったかな」
そう言う間にも、サナギさんの大きな手は僕の体を撫でるように這っている。
頬から鎖骨、肩、腕…腰の辺りまで来て、その手は一度動きを止めた。指先だけがスリスリと動いてどこか擽ったい。
「ねぇマオ…」
チュッとわざとらしく響いた口付けの音。額と頬に続いたそれは、僅かに逡巡した様子を見せながらも、結局唇まで来ることは無かった。
「…愛してる。好きだよ、本当に愛してる」
「………サナギさん…?…」
「ん…ふふっ、マオに名前呼ばれるの…すごく嬉しい…」
そう語るサナギさんの表情は、確かにとても嬉しそうだ。見て直ぐに分かるくらい、その笑顔は喜びに満ちている。
そんな笑みを保ったまま、サナギさんは淡々と会話を続けた。
「可愛いマオ…俺がストーカーだってこと、知ってるくせに…簡単に絆されちゃうから、心配になるよ」
「………だ…って…」
「ん…?だって…なぁに?」
返す言葉は、こんな状況だというのにいつも通り遅い。それでも、サナギさんはやっぱり優しく待ってくれるのだ。僕が最後まで言葉を紡ぎ終えるまで。
「………だって…さなぎさんなら……いいの…。……絆されちゃっても…べつにいいかなって…」
「……」
ふにゃり。頬を緩めて答える。
「………サナギさん…こわくない…なにしても…いいよ……?」
「っ…!!」
でも、痛いのはちょっとだけ怖いかも。
サナギさんが僕に何をしようとしているのかは分からないけれど、それがサナギさんの為になるなら協力したいと思った。
いつもお世話になっているし、今日も美味しいもの食べさせてもらったし、恩返ししたい。
痛いのは怖いけれど、でもほんの少しなら我慢できる。
へにゃりと笑ってそう言うと、サナギさんは気が抜けたように脱力してしまった。僕の上に倒れ込んで、ぎゅーっと強く抱き締めてくる。
きょとんとしてしまったけど、僕もすぐに抱き締め返した。こうすればお互いあったかいし、心地いいはずだ。
くふくふと笑う僕を見下ろして、サナギさんはなぜか困ったように溜め息を吐いた。
「…マオは…自分で言ってて理解してないよね…」
「………うん…?…」
「あー…なんか悪いことしてる気分…いや、してるかぁ…」
ガクッと項垂れるサナギさん。
反省するように下がった眉と、むぎゅっと眉間に寄った皺が不思議だった。
きょとんとする僕をじっと見つめると、数秒躊躇い、やがて決心したように頷く。そして、綺麗な顔を近付けてきた。
ぼーっとする頭でわかったのは、僕の唇に、サナギさんの唇が触れているということだけ。
「………ぅ…んっ…」
あ…これは目を閉じなきゃいけないやつだ。
すぐ目の前にある、熱の篭ったギラついた瞳を見て。そう考えたのは一瞬のことだった。
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