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本編

22.欠陥品は完璧と言えるか(湊side)

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 生まれつき、権力も財力も持ち合わせていた。
 だからこそ周囲には表面だけを取り繕った人間ばかり集まって、外側が綺麗で、中身が空っぽだからこそ、退屈だった。何もかもが下らないと考えていた。

 初めの頃は笑顔を作ることに躊躇は無かったが、段々と面倒くさくなった。笑うのに飽きた、とも言うが。
 仮面を取り払うと、そこには何の感情も持ち合わせていないような無表情が現れて、楽だなと思った時には、周囲には誰も居なくなっていた。
 色の無い瞳、色の無い表情。それらが傍から見ると気味悪かったようで、あれだけ擦り寄ってきていた人間は気付けば全て消えていたのだ。
 あぁやっぱり、楽だな。浮かんだのはそれだけ。

 生きているはずなのに、実感としては死んでいた。生きている心地がしない。ただ、呼吸をして無機質に動いている感覚だけがある。本当に退屈だった。

 何をしても上手くいった。運動をすれば教育者を越すし、勉強をすれば教授を越した。周囲はそれを妬ましく感じたようだが、俺からすればお前達の方が妬ましい。
 何をしても簡単には上手くいかず、四苦八苦しているお前達が羨ましい。嫌味では無いが、という前置きを付け加えると倍にして噛み付かれるので言わない。だが、本当に嫌味では無い。
 だって本当に、退屈なのだ。何をしても上手くいくこの感覚を、俺を妬む奴らに一度味わって欲しいとさえ思う。

 初めは確かに楽しいだろう。或いは凡人である大多数の周囲を見下して、優越感にすら浸ってしまうことだろう。だがそれは一時のことだ。
 少しすれば、見下される側は自分の方だと気付く。勝ち組だとよく言われるが、全く大層なブーメランだと思う。退屈を娯楽にすることが出来る彼らこそが、勝ち組だと言うのに。
 生きることを確実に"生"として実感出来ている彼らの方が完璧なのだ。対してそれが出来ない俺は欠陥品。
 言うなれば、俺は生きたまま死んでいた。矛盾に感じるだろうが、事実それが一番分かりやすい例えだったのだ。



 ある時、見兼ねた父が俺を呼び出した。あれは確か…学生の頃の出来事だったと思う。
 父は困ったように笑ったかと思うと、「どうしてこんなことになってしまったのか…」と直後に苦笑を浮かべて呟いた。こんなこと、というのは、あまりにも欠陥が目立ち過ぎる俺について。
 父はそんな俺を心配してくれたらしい。全くもって余計なお世話だったが、それは言わないでおいた。後が面倒だ。
 無言で用件を促す俺に、父は引き出しからあるものを取り出して、それを渡してきた。開いて、珍しく呆然とした。

 渡されたそれは、何と釣書だった。
 望んでもいない、何なら本気で欲しくも無いものを渡してきた父に、気でも触れたのかとすら思った。
 だが父にとっては本当に善意によるものだったらしく、お前の為なんだと言う表情には疑い一つ無い。これによって俺が変わることを確信し、それ以外は考えもしていないかのような顔だった。

 直ぐに断ったが、返ってくるのは一度会うだけでもという答えだけ。父も、引くつもりは微塵も無かったらしい。
 こうなった父は本当に面倒だったので、仕方なくその要望を聞くことにした。ただ会うだけでいい。一度会って、後は無かったことにすればそれで。

 そんな悠長なことを考えていた自分を、今では心底殴ってやりたいと思っている。



 女は四宮華奈しのみやかなといった。
 東堂には及ばないが、四宮の会社も主に貿易系の事業を営む中々の大企業だ。父の魂胆が見え透いて思わず溜め息を吐いてしまうほど。
 どうせ俺は父の会社を継ぐだろうし、その時適当な女と結婚することも想定済みだ。だがまだ学生の内に…堅苦しいことに関わる歳ではない内にというのは不服だった。
 それに、四宮の令嬢と言えば傲慢と噂の最悪な女だ。大人しい女ならまだしも、そんな女と結婚など冗談では無い。

 予想通り…と言って満足して良いものでは無いが、本当に予想通り、四宮華奈は嫌いな部類の女だった。
 俺に拒絶されることなど想像もしていないとでも言うような、傲慢な欲に満ちた表情。俺を見る見慣れた視線も不愉快だった。
 また、表面にしか興味の無い顔だ。欲しいのは"俺"ではなく"東堂"なのだと、考えずとも悟った。


『私こそが湊さんの恋人に相応しい』


 それが女の口癖だった。
 名前を呼んでもいいと言った覚えは無いが、言っても聞かないので放置することにした。別に減るものでも無い。ただ不快なだけだ。
 婚約の件を断っても、会話で無言を貫いても、迷惑だとはっきり告げても、女は一歩も引かなかった。それほど東堂の地位が欲しいらしい。瞳に浮かぶのは強欲なそれだけで、この手の人間は簡単には終わらないと知っているが故に、不快な感情は益々増した。

 そんな日々は学生としての時期が終わり、社会人になっても続いた。女は未だ諦めず、行く先々に現れるようにすらなった。
 それはあの運命の日を迎えて、雲雀との幸福な日々を過ごしている時も変わらなかった。

 雲雀にこのことを言うつもりは無かった。この先、告げることも考えていなかった。
 雲雀との時間だけは、ただ穏やかな幸福であって欲しかった。気分を下げるだけの女の存在など、あの子との大切な時間に考えたくも無かったのだ。
 雲雀と出会ってからは、今までの退屈な人生がちっぽけなものに思えるくらい幸せで、だからきっと、俺は油断していたのだと思う。
 気が抜けていたのだろう。だから、何も気付くことが出来なかった。



 あれは確か、1ヶ月程前のことだったと記憶している。
 あの女が、焦ったのか強行的な方法に乗り出してきた最悪な出来事。


『いつになったら私と結婚してくれるの!?』


 あの日、女は様子がおかしかった。
 同僚に半ば無理やり連れられたbarから帰る途中。疲労で鈍くなった頭の所為で、反応も遅れてしまったのだ。

 繁華街に突如現れた四宮華奈は、相変わらず趣味の悪い派手なドレスに身を包んでそう叫んだ。いつものケバい化粧はボロボロになっていて、キツ過ぎる程の巻き髪にはいつもの覇気は無い。

 右手に持っている名刺がチラリと見えて、あぁそういうことかと納得する。そこに書かれていたのは、最近女がにしているというホストの名前だった。
 そのホストも女の財力目当てで近付いたのだろうが、流石にこの性格には付き合い切れなかったか。利口な判断だな。
 お気に入りに捨てられて最悪な気分の時に、偶然にも俺が現れたから八つ当たりをした、という所だろうが、何とも迷惑なものだ。


『湊さんの恋人に相応しいのは私だけっ…私だけなのよ!どうしてそれが分からないの!?』


 面倒だ。浮かぶのはそれだけだった。
 そろそろ本格的にこの女を切るべきだろうかと思案する。雲雀と出会った瞬間から、邪魔なこの女を処分するのは決めていたが、如何せん簡単なことでは無かったのだ。
 女は馬鹿で扱いやすいが、後ろ盾が面倒だ。この女を完全に処分するには"四宮ごと"潰すしか無い。

 そんなことを考えて黙り込んだ俺に、女は余程苛立ったのか半ば癇癪を起こすように近寄ってきた。
 今度は何だと顔を上げた瞬間、それは起こってしまった。


『……?』


 何も考えられなかった。いや、目の前の状況が信じられず、呆然としたというのが正しい。
 至近距離に写るのは愛らしい雲雀の顔などではなく、醜くも歪んだ笑みを浮かべる女の顔。
 状況を把握した瞬間、弾けたように女を押し退けた。未だ感触の残る唇が心底気味悪くて、切り取ってしまいたい程だった。

 今直ぐにでも殴り掛かってやりたかったが、相手は女だ。こんな繁華街のど真ん中でそんなことをしてしまえば、最悪な状況に追い込まれるのは此方の方だろう。
 その瞬間に何も出来ない自分が情けなくて仕方なかったが、同時に決意した。今まで簡単では無いから、面倒だからと先延ばしにしていたそれを、実行しなければならないと。

 女は一線を越えた。今まで許したつもりなど無かったが、確実に許容出来ない範囲に手を出してしまった。


 俺と雲雀の幸福な日々に、亀裂を入れる可能性のある存在。
 そんな下劣なものには消えて貰わなくては。

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