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本編

16.どうでもいい関係

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「え、お前その状況からどうやって生きて帰った?」

「湊さんと尼崎を残して走って逃げた」

「いや残された側気まずぅ…」


 卵焼きをぱくっと食べながら答える。
 弁当を忘れたらしく、コンビニで買ったクリームパンを豪快に食べながら、神楽はドン引いたような顔で返答してきた。

 最近お馴染みになってきた神楽との昼食。
 今日は尼崎が休みだったので、昼休みも平和に迎えることが出来たのだ。
 どうして休んだのかはちょっと考えれば明らか。湊さんにボコられた背中の怪我がまだ治っていないんだろう。
 結構強く踏まれてたし、暴力を振るわれ慣れてない奴には苦痛だったに違いない。俺だったら慣れてるからすぐ本調子に戻るけど、尼崎は暴力を振るう側だから慣れてなかったんだろう。可哀想に。
 ちょっとざまぁ、なんてことは考えていない。ちゃんと心配してる。心配だから二度と学校に来なくていいのに、と思うくらいは心配してる。


「彼氏どんな感じだった?お前のこと心配してたん?」


 次々と投げかけられる問いに答えながら、神楽のやつ素を隠さなくなったなぁ…なんてどうでもいいことを考えた。
 前までは、他の奴と話す時と同じようなやけに間延びした口調だったが、今はこの通りかなり流暢だ。俺と話す時だけこうなので、たぶんこっちが素なのだと思う。
 遠慮が要らない関係ってことだろうか。確かにお互い情もクソも無いし友達でも無いから、遠慮はまぁ要らないな。妥当な変化か。


「心配っていうかキレてた。俺如きが男遊びしてたのが気に入らなかったんだと思う」

「うわー修羅場じゃん…尼崎の奴やってくれたなぁ」

「ほんそれ。あれから湊さんと話すの怖くて、会うどころか既読も付けてない」

「マジ?重症じゃん草」

「笑うな」


 真顔で草を生やす神楽。笑ってないが、言葉が笑ってるのでピシッと言ってやった。

 湊さんからの通知はかなり溜まっているのだが、どうしても読むのが怖い。チラッと見えたものでは『会って話したい』とかそういう感じのことが書かれていた。
 たぶん俺の体が予想以上に穢れていたことを知って、流石に俺のことを捨てたいと思い始めたからだろう。もう会わないで欲しいとか、二度と視界に入るなとかそういうことを言われるんだと思う。
 だが俺としては今会えなくなるのは困るのだ。


「こうなったら仕方ない。というわけで神楽、誕生日プレゼントを一緒に選んでほしい」

「おいちょっと待て」


 脈絡が無い、話の前後を明らかにしろ。真剣な表情で返してきた神楽に「ふむ…」と頷いた。


「湊さんは恐らく、会って俺と別れ話がしたいのだと推測する」

「うん」

「けど俺としては、誕生日前に会えなくなるのは困る。計画が台無し」

「あぁ死ぬやつね。うん、それで?」

「誕生日まで湊さんを徹底的に避けて、当日プレゼントだけ押しつけに行くんだ」

「うーん脳筋」


 我ながら完璧な作戦、と自賛していたが、神楽からは不評だった。何故だ、脳筋とはどういうことだ。

 避けるとは言ったが、実際俺がすることはマンションに近付かないようにすることくらいだ。湊さんは俺の家なんか知らないし、俺がヘマをしなければ余裕で避けれる。

 素晴らしい策に満足して頷く俺を見て、神楽は何やら気まずそうに眉を下げた。
 どうしたの、と問うと返ってくる答え。


「当日プレゼント押しつけるって言うけどさぁ、そこ難関じゃね?だって普通誕生日って恋人と過ごすよな?当日は彼氏、本命と居るんじゃ…」

「…?あぁ、それは問題ない。湊さんは絶対俺を待ってくれる」

「え、何で言い切れんの?」


 無意識に頬が緩んだ。
 神楽が僅かに目を見開いたが、そんなことは気にせず答えた。


「"約束"したから」

「約束…?」

「絶対、俺の願いをひとつ叶えるって。湊さんは俺の願いを叶える為に、絶対に俺を待ってくれるはずなんだ」


 俺自身が嫌いになったとしても、湊さんはそこに私情を挟まない。
 優しい人なのだ、だから彼は"約束"だけは破れない。たとえ俺を利用してただけだとしても、たかが遊び相手の願いだったとしても、"約束"したからには叶えてくれる。
 今まで嘘を吐き通してくれた湊さんだからこそ、一度決めたことを破ったりしない。その確信があるから。


「…お前、浮気の不誠実さはすぐ受け入れたのに、変なとこの誠実さは信じるんだな」

「ていうかたぶん、湊さんは不誠実なんかじゃないから」

「は…?」


 浮気するヤツの何が不誠実じゃないって?と呆れ顔で問い掛けてくる神楽。
 確かに"浮気するヤツ"は不誠実だ。それなら、湊さんは不誠実じゃない。だって彼は初めからずっと、んだから。


「お前それ、どういう…」

「つまり、全部俺の勘違いだったってこと」

「勘違い…?」


 困惑を浮かべる神楽にこくりと頷いた。
 そう、全部勘違いだった。俺が勝手に傲慢な勘違いをしていて、湊さんに八つ当たりしてただけなんだ。

 俺は初めから、湊さんの

 あの日真冬の公園で、彼は俺を拾って助けてくれた。俺が彼に一目惚れして、互いに好きだと告白しあって、勝手に関係が結ばれたと勘違いしたんだ。
 本当に最初から何も無かった。浮気相手ですら無かった。ただの遊び相手、湊さんにとって俺は、取るに足らない遊び相手だったんだ。
 思えば、俺たちは一度もセックスをしなかったし、キスもしていない。そのことに湊さんが何も言わなかったのは、俺とする必要なんて無かったから。たまにあった"そういう雰囲気"も、全部俺の都合のいい錯覚。

 湊さんは誠実だから、恋人以外とセックスなんてしない。もちろん、浮気だって。
 俺に吐いていた「好き」や「愛してる」は、言わば社交辞令みたいなものだ。
 大人なら何とも思ってない相手にも、そういうことを言えるんだろう。俺はガキだから知らなかっただけで。


「最初から、恋人ごっこをしてたのは俺だけだったんだよ」


 何でもないことのように吐き捨てるつもりだったのに、意外にも声音は小さく震えていた。ただ、自分が惨めで、滑稽で。
 でもお似合いだから笑ってしまう。自分は最後まで馬鹿なガキだったんだなぁって、そう思ったらおかしくて。


「…雲雀、ほんとに彼氏のこと好きなんだなぁ」

「彼氏じゃ…」

「彼氏だよ、別にこれから誰かに迷惑するわけでも無いし、そう思っててもいいじゃん。好きって言って勘違いさせたそいつにも非はある」

「……」

「死ぬまで勘違いし続けていい。"湊さんの恋人"のまま死ねば、それなりに幸せに終われるんじゃないか?」


 優しい声がらしくなくて、変なとこで笑ってしまいそうになった。でもたぶん、泣き笑いになりそうだけど。


「…ほんとに好きなんだ」

「うん」

「…愛してるんだ。湊さんだけ、ほんとに」

「…うん」

「……でも、もう終わりにしないと」


 ちょうど食べ終わった弁当に蓋をして、飲みかけのペットボトルと共に脇に置く。静かにスマホを取り出すと、何も言わず画面を開いた。
 その瞬間現れる湊さんの笑顔。画面を長押しして、ホームに設定していたその写真を初期のものに変更した。

 次にフォトを開いて、保存していた写真を全て消去する。入っているのは湊さんの写真だけだから、わざわざ選別する必要も無い。
 何も無くなったフォルダを見て、一気に虚しさが押し寄せてきた。でもそれ以上に、なんとも言えない清々しさがある。

 一連の行動を全て静かに見守っていた神楽が、無言で俺の頭をぽんっと撫でた。


「…USBも捨てようかな」

「USBって?」

「ううん、こっちの話」


 神楽に任せようとしていた例のことも、たった今断念した。死んでも引き摺るのは、流石に滑稽過ぎる。

 湊さんの痕跡が何も無くなったスマホは、ただの無価値の機械になって、途端に興味も失せてしまった。雑にポケットの中に突っ込んでため息を吐く。
 俺が黙り込んでいると、座っていた神楽が突然立ち上がって、張るような声で言った。


「よしっ!放課後お前の教室に迎え行くから!彼氏が泣いて喜ぶくらいのプレゼント買ってやろうぜ」


 神楽のこんな自然な笑顔は初めて見た。驚きながらも、その言葉が嬉しくて大きく頷く。
 わざわざ教室に迎えに来ると言ったのも、俺が万が一相模たちに呼び止められても、神楽なら防ぐことが出来るからだろう。あいつらは神楽には手を出せないから、強く出ることも出来ない。
 神楽という存在にこんなにも頼りがいを感じたのは初めてだ。


「…ありがとう、神楽」

「何だよいきなり、らしくないなぁ」


 らしくないのはお互い様でしょ。
 そう言うと、神楽は「それもそうだな」と可笑しそうに笑った。

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