【本編完結】1ヶ月後に死ぬので、その前に思う存分恋人に甘えようと思う

上総啓

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本編

15.歪の渦中

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「湊さん…なんで…」


 呆然と呟く俺の問いには答えず、俺に背を向ける湊さんは尼崎の背に乗せていた足を離し、今度は胸倉を掴んで無理やり立ち上がらせた。
 立ち上がらせた、というより持ち上げたと言った方が正しいだろうか。襟が首にくい込んで苦しそうだ。


「…んだよてめぇっ…離せ、くそッ…」


 掠れた声で言う尼崎。だが湊さんはその言葉に耳を貸す様子も無く、ただ尼崎を見下ろし続けている。
 徐々に尼崎の顔が青ざめていくもんだから、一体湊さんはどんな表情をしているのかと気になった。放心状態のまま固まる俺に、ハッと視線を移した尼崎が叫ぶ。


「おい雲雀ィ…っ!何してんだ、さっさと何とかしろ…ッ!!」

「ぁ…」


 ビクッと肩を揺らす。
 命令されたら従う、という単純な癖が発動して、慌てて立ち上がり二人の傍に駆け寄った。


「み、湊さんっ…苦しそうだよ、早く離して…――」

「どうして?」

「……え…」

「どうして苦しめちゃ駄目なの?雲雀はコイツに首を絞められて、苦しめられてたように見えたけど。俺の見間違い?」


 いつもの湊さんじゃない。直感的にそう思った。
 横から覗き込んだ彼の顔は無表情で、優しい笑顔はどこにも無い。いつも纏っている穏やかな雰囲気もそこには無くて、代わりに緊迫した冷たい空気が彼を包んでいる。

 数秒息を飲んで固まっていると、尼崎の呼吸が浅くなっていることに気付いた。とにかくまずは二人を離さなくてはと我に返る。
 胸倉を掴む湊さんの手にそっと自分の手を重ねると、彼はハッとしたように目を見開いて尼崎を離した。
 地面に伏せて咳を繰り返す尼崎を見向きもせず、湊さんは俺の方を振り返り心配そうに眉を下げる。


「雲雀…っ、無事で良かった…!!」

「あ、あの…」

「っ…雲雀の首赤くなってる…!!こんなっ…苦しかったよね、直ぐに来れなくてごめんね…っ!!」

「みなとさ…」

「もう大丈夫だからね…!」


 ぎゅーっと俺を抱き締める湊さんの腕が震えている。もう大丈夫だからね、って俺が湊さんに言ってあげたいくらいだ。
 俺は最初から大丈夫なので、大丈夫じゃなさそうな湊さんを宥めるために背中をぽんぽん撫でてやる。そうすると彼は顔を上げて、安堵したように微笑んだ。

 落ち着きを取り戻した湊さんが改めて視線を移して、未だ苦しそうに息を整える尼崎の方を振り返る。
 また何かされるのかと思ったのか、ビクッと身構える尼崎。俺を背に隠すように立った湊さんが問いかけてきた。


「…雲雀、彼は知り合い?名前を知ってるみたいだけど」

「あ…うん。クラスメイトだよ」


 ふぅん…と納得してなさそうな声を上げる湊さんだったが、下手なことを言わないようにとそれ以上は何も答えなかった。
 この状況、どうすればいいんだ…とおろおろする俺を見上げて、尼崎がふいに口角を上げた。


、だろ?いつも一緒に昼飯まで食ってるじゃねぇか、知り合いなんて傷付くなァ…」

「ご…ごめん、そうだった。友達だね」


 正しくは一緒に昼飯なんかしたことないが、まぁ昼を一緒に過ごしてるのは本当なので頷いた。友達…かどうかは分からないが、尼崎が言うならそうなんだろう。
 それにしても、まさかの高校での友達一号が尼崎とは。


「…雲雀、彼は本当に友達?」

「え、う、うん。友達…」

「本当に?まさかとは思うけど…イジメとか、されてないよね?」


 イジメ、という言葉に尼崎が顔を歪めたのが見えた。
 心外だと言わんばかりの表情だ。なるほど、尼崎にとって俺にしてることはイジメじゃないのか。

 イジメ…そういえばイジメなのか、これって。ずっとイジメだとは思ってたけど、尼崎にとっては違うみたいだし、何よりよく考えたら俺は尼崎の行動を全て受け入れている。
 セックスだってヤる時は俺もそれなりに楽しんでるし、多少の暴力も慣れてるから特別困ったことは無い。あれ、これってイジメじゃなくないか。だって俺、困ってないし。
 それに、たとえこれがイジメだったとして、それを湊さんに言ってどうなる?改善出来るものでも無いしすべきものでも無い。
 俺にお似合いのこの状況を、どうにかしようとすること自体間違いだ。


「…、イジメじゃないよ、尼崎はほんとに友達。紛らわしいことしてごめん。湊さん、びっくりしたよね」

「…雲雀」


 困ったように眉を下げる湊さん。
 そんな顔しなくても、全部本当のことだから安心してくれていいのに。


「そういえば湊さん、戻らなくていいの?」

「え…?」


 ここから動く気配の無い湊さん。
 さっきまで彼女さんと居たはずだが、今こんなところに居て良いんだろうか。相当待たせてしまっているんじゃ…。
 俺はこれから尼崎との用があるし、湊さんも彼女さんのところに戻った方がいいと思うのだが。

 それにしても、彼女さんを置いて俺を追いかけるなんて、湊さんは一体何を考えているんだろう。普通は俺なんか無視するよなぁ…。
 やっぱりあれか、俺についに見られてしまったから釈明、とか。そんなことしなくても俺はたかが浮気相手だし、何なら全部知ってるから気を遣わなくていいのに。
 でもまぁ確かに、優しい湊さんならそんなこと出来ないか。俺みたいなのでも、表面上だけでも救いあげてくれるのが湊さんだし。


「早く戻った方がいいよ。待たせてるんでしょ?さっきの人」

「さっきの人…?…ま、待って。まさかだけど、誤解してないよね雲雀?違うからねっ…?」

「…?うん、誤解なんかしてないよ?でもほら、待たせるのはマズいよねって」

「そ、そっか。誤解してないなら良いんだけど…」


 誤解なんてしてない。
 ちゃんと分かってるよ。あの綺麗な人が、湊さんの本当に愛する彼女さんだって。
 ちゃんと分かってるから、安心して彼女さんのところに戻ってよ。俺のことなんか、もう気にしないでさ。

 理解してることをしっかり示して頷いた俺に、湊さんはほっと息を吐いて「けど…」と呟いた。
 静かに尼崎を見据えると、疑念の残った視線を向けたまま語る。


「…やっぱり心配だからさ、今日は家に帰ろう?」

「あ…でも…」


 尼崎からの呼び出しが、とは言えず途中で口を閉ざした。何をするのかと聞かれても答えられないし。
 何と答えればいいか分からず「ぁ…えと…」と視線を彷徨わせる俺に、湊さんは「家まで送るよ」と言って微笑んだ。

 彼の優しさなのは分かるけど、家まで来られるのは更にマズい。
 無駄にデカい家を見られて何か勘ぐられるのも嫌だし、万が一にも義父に会わせたくない。
 ここは諦めて、とりあえず家に帰った方がいいだろうか。尼崎にはその後で連絡すれば…。
 あぁでも…そしたら次の呼び出しは尼崎、すごい荒れるだろうなぁ…。けどこんな心配してる場合じゃないし、とにかく今は目の前のピンチを何とかしないと。


「…うん、分かった。でも一人で帰れるから」


 言いながら湊さんの傍から離れて、そっと尼崎の所へ歩み寄る。背後から「雲雀…っ」と制止するような声が聞こえたが、聞こえないフリをしてしゃがみ込んだ。
 ずっと地面に座り込んで俯いていた尼崎。何も言わず動くことも無いその様子が少し不気味で、恐る恐る顔を覗き込む。
 何の感情も映してないみたいな、無機質な瞳と視線があった。


「…。…尼崎、大丈夫?ごめん、俺のせいで…えと、立てる?」

「……」

「あの…尼崎…、…っ!?」


 数回名前を呼んで肩に手を触れると、突然その手をグイッと引っ張られた。
 強い力に逆らえず、その勢いのまま尼崎の上に倒れ込む。気付けば目の前に尼崎の顔があって、避ける暇も無く唇が重なった。

 夜の静寂が広がる路地に、チュッ…とわざとらしいリップ音が響く。
 その後聞こえたのは緊迫したように息を飲む音と、俺にしか聞こえないくらい小さな、尼崎の笑い声。
 数秒口付けが続いて、はっと我に返ると慌てて顔を離した。けど背中に回った腕が邪魔をして、体を離すことが出来ない。


「お前…ッ!!」


 怒りを含んだ湊さんの声が背後からかかった。
 いつも穏やかな彼の声が怒りに染まっている、その事実が怖くて振り返ることが出来なかった。あぁ完全に嫌われた、と落胆すらしてしまった。
 湊さんは潔癖で、たとえ浮気相手だとしても俺が他の男と触れ合うのを嫌う。なのに俺は今、湊さんの目の前で尼崎と…。

 俺の瞳が絶望で染まったのを、目の前に居る尼崎だけが気付いた。にやりと口角を上げた尼崎が、湊さんにも聞こえるくらいの声で言い放つ。
 その言葉に、呆然と目を見開くことしか出来なかった。


「雲雀、お前その汚い体で彼氏ともヤってんのか?」


「は…?」という低い声は、たぶん俺じゃなく湊さんの声だ。頭が真っ白になっていたから、自分がどんな反応をしたかなんて分からなかった。

 歪んだ笑みを浮かべる尼崎の先に、いつも尼崎達や義父に組み敷かれている自分が見えたような気がした。
 悲鳴なんか上げてなくて、もちろん抵抗もしていない。時折素直に快感を拾って、大人しく抱かれる自分の姿。
 脳裏に湊さんの存在を思い出して、突如その光景を気持ち悪いと感じた。喘ぐその姿が、とんでもなく汚いもののように思えた。

 そうだ、俺は汚い。
 汚いんだ。


「ぁ……――」


 背後から湊さんの声が聞こえたが、意識が朦朧として何と言っているのかは分からなかった。
 ただ、目の前にいる尼崎だけが酷く愉快そうな表情で笑っている。

 常に頭の中にあった、湊さんの優しい笑顔。
 俺の中で唯一綺麗に残っていた湊さんの姿、記憶。
 その部分すら真っ黒く塗り潰されていくような、そんな嫌な感覚だけが確かにあった。

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