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本編

4.甘えるの定義

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 突然だが、俺は今湊さんのマンションの前に居る。

 すごく迷ったし後悔もしたが、でも神楽の言葉を思い出して必死に足を進めここまで来た。
 現在の時刻は夜の8時。さすがにこの時間なら、湊さんは確実に家にいるはず。なんならもう寛いでる時間のはずだ。
 学校が終わってから色んなところで時間を潰し、ようやく8時になったので来てみた次第。

 湊さんに迷惑をかけてしまうことは忍びないが、"最後くらい"という甘い言葉に堕ちてしまった。どれだけ無欲を演じても、人間やっぱり強欲な生き物である。
 まぁ帰れと言われたら帰ればいいだけだし、そんなに深く考えないようにしよう。とは言っても何の連絡もなしに会いに来るなんて初めてのことだから、湊さん相当驚くだろうな。
 うわーどうしよう、もし今湊さんと彼女さんが一緒にいて、何ならお楽しみ中だったら。インターホンを押す手が震える…。


「…行くしかない」


 ここまで来たんだから行かないと。ここで引き返すのは男が廃るってもんだぜ。もう大分廃れてるけど。
 彼女さんが居たら「あ、すいません湊さんの友人ですー」とか言って誤魔化して逃げよう。恋人に男でしかもガキの浮気相手が居るなんて思わないだろうし、何かあっても冷静に対処すれば誤魔化せる。
 というか、彼女さんはそもそも俺の存在を知ってるんだろうか。公認だったら面白いな。その時は挨拶でもするか?本命と浮気相手同士。いや気まず。


「――…雲雀?」


 ぐるぐる悩んでいたとき、後ろから驚いたような声がかかった。その声に体から力が抜ける。俺は彼の、この安堵を誘う声音が大好きなのだ。

 背負っていたリュックのベルトの部分を握り締め、ゆっくりと振り返った。
 その動作の合間に割とどうでもいいことを後悔する。しまった、制服のまま来てしまった。せめて私服に着替えてから来るのがマナーだろ、俺の馬鹿。
 なんて一人反省会を繰り広げながら、やがて湊さんと視線が交わった。数秒お互いに固まって、初めに動いたのは彼の方だった。
 黒いスーツ姿の湊さんは驚愕を浮かべていた表情を元に戻すと、次の瞬間ものすごく嬉しそうに笑った。まるで花が咲くみたいに、ぱあっと。

 少し離れていた距離を縮めるように駆け寄ってきた湊さんは、全身で喜びを表現するかのように情熱的な力で抱き締めてきた。


「わっ…」

「雲雀!どうしてここに!?雲雀から来てくれるなんて…、いや、とりあえず中に入ろう!ごめんね待たせちゃって」

「いや、俺が勝手に来ただけだから。別に謝んなくても」


 さぁ入って!とものすごい勢いで誘ってくる湊さん。絶対に帰さないという確固たる意思を感じる。

 おっと、今日も寂しい日か?これだけ好意的に受け止められるってことは、まだ彼女さんとは喧嘩中らしいな。
 今日来たのは正解だったかも。俺は湊さんに会いたくて、湊さんは空いた穴を埋めてくれる浮気相手が欲しかった。お互いハッピーでいいね。
 うんうんと満足気に頷きながら湊さんの後を追う。正確には、がっちり腰を抱かれてるから歩みは一緒なんだけど。
 エレベーターに乗り込んでからも、にっこにこ笑顔の湊さんの機嫌はとても良いままだった。
 相当良いことがあったようで何よりだ。




 最上階に着き、部屋に入って直ぐ。湊さんは俺をリビングのソファに座らせてココアをいれてきてくれた。
 ちびちび飲んでコップをテーブルに置くと、視線を感じて顔を上げる。隣にぴったりと寄り添うように座っていた湊さんは、やっぱりめちゃくちゃ嬉しそうな顔で俺を見つめていた。


「ココアありがとう。あと、急に来てごめん」

「どういたしまして。いいんだよ、寧ろ凄く嬉しい…とっても素敵なサプライズだね」

「サプライズって…大袈裟な」


 ただ無断で押し掛けて迷惑かけただけなのに、サプライズなんて粋なセリフ回しをしてくれる。
 思わず緩む表情筋を引き締めて、深く息を吸うとゆっくりと吐き出した。鼓動が落ち着いたのを確認して、改めて湊さんの方に体をひねり向き合う。
 俺の真剣な雰囲気に何かを感じ取ったのか、湊さんもやや緊張した面持ちで首を傾げた。


「ど、どうしたの?何かあった?困ったことがあるなら遠慮なく…」

「ぎゅって」

「……え?」

「ぎゅってして欲しくて来た。ぎゅってして、だめ?」


 ピタッと固まる湊さん。
 やっぱり駄目か…こんなふざけた理由で疲労が溜まった仕事終わりに押しかけられるとか俺ならキレる。甘えるとは言っても、相手がそれを受け入れて甘やかしてくれるかは別だ。

 出直そうかと立ち上がりかけたその時、視界を大きな影が覆って、かと思うと全身が暖かい感触に包まれた。


「……。」

「…なに、なんで今日こんなに可愛いの…。いつもあっさりしてるのに…可愛い、可愛すぎる…」

「…あったかい、ありがとう」

「ぐっ…天使…ッ」


 こんなに安心出来る空間があるなんて。
 家も学校も安心とは程遠いクソみたいな場所だから、安らぎを得られる湊さんの腕の中は本当に大好きだ。
 目を細めて凭れかかると、更に強く抱き締められる。ちょっと苦しいけど、この息苦しさが堪らない。死ぬ時は湊さんの腕の中で窒息死、なんて出来たら幸せに成仏出来る自信ある。
 でもそんなことしたら湊さんがお縄にかかってしまうので、その夢が叶うことは無い。俺は湊さんを愛しているので、今後も湊さんには真っ当で幸福な人生を歩んでもらわなくては困るのだ。

 抱き締められながら、俺がそんなことを考えているとは知りもしない湊さんが優しい笑顔で見下ろしてきた。
 その顔、好きだ。愛おしいものを見るような穏やかな笑み。
 いつも人形みたいに扱われる自分が、人間として見られていると確実に実感出来る瞬間。
 湊さんの隣にいると、まるで自分が清く美しい一人の人間になったかのような錯覚を受ける。実際はゴミみたいな汚いボロ人形だけど。


「湊さん、好き。この前はごめん、今日は湊さんと一緒に寝たい」

「っ…!俺もごめん…!気付かないうちに、雲雀に嫌な思いさせてたかも…。今日は絶対嫌な思いさせないから、安心して?愛してるよ、雲雀」

「…うん。俺も愛してる」


 中身の無い、空っぽの言葉だけど。それでも俺にとっては最上の言葉だ。
 中身なんて要らない。『愛してる』という言葉を、湊さんが俺に向けて発したという事実が重要なだけで。俺が欲しいのは形で、中身じゃない。

 俺は湊さんを愛していて、湊さんは俺を『愛してる』
 それでいいじゃないか。それ以上、何を望むことがある。


「ご飯はもう食べた?お腹空いてない?」

「大丈夫、外で食べてきた。シャワーだけ借りていい?」

「もちろんいいよ。…一緒に入る?」

「入らない」


 即答する俺に苦笑して「だよね」と答える湊さん。
 裸を見られるのだけは駄目だ。一緒に寝たいというのも、本当にただ寝るだけで、いかがわしい意図は含んでいない。
 今まで散々拒絶してきたので、湊さんだってそれを分かっているはず。この質問も冗談だろう。
 この前は相当溜まってたからダメもとで俺を呼んだんだろうが、生憎心底湊さんに惚れ込んでる俺でもそれだけは無理なのだ。役に立てなくて申し訳ない。
 今日は初めて自分の為だけに湊さんの元に来たので、遠慮せず彼を抱き枕にしてぐっすり眠ろうと思う。こんな贅沢なことして、やっぱり俺は死ぬ時バチが当たるだろうな。


 着替え用意しとくよ、という湊さんの言葉に頷いて脱衣所へ向かう。
 こまめに掃除してるのがよく分かる、ピカピカの大理石の床に恐る恐る裸足を乗せた。
 自分の体が汚いので、こういう所はいつ来ても緊張する。穢れを移してしまわないか不安なのだ。
 湊さんの気配がないことを確認して、素早く衣服を脱いだ。制服なので皺や折り目を軽く伸ばして、壁のフックにあるハンガーに掛けた。ちなみに千切れた釦は空き教室で回収して、その後神楽が高速で縫って直してくれた。
 神楽はこういう時本当に頼れる存在だ。今度飲み物でも奢ってやるかと静かに決意した。

 湊さんは着替えを用意しておくと言っていたので、鉢合わせて裸を見られる前にそそくさと浴室に入る。
 相変わらず一人暮らしにしてはだだっ広い浴室。シャワーの前まで来ると、迷わず冷水の蛇口を捻った。


「……冷た」


 やっぱりまずは冷水に限る。頭を冷やせるし何だか落ち着くのだ。
 初めの頃は翌日に風邪を引きまくっていたが、今は耐性がついたのか冷水を思い切り浴びても風邪を引かなくなった。
 髪を掻き上げると、鏡にはっきりと写る自分の顔。造形は整っているし、他人に綺麗だと言われるに相応しい作りだと思う。
 ブスだろうが美人だろうがどうでもいいが、湊さんが可愛いと言ってくれるので、興味のない自分の顔も一応気に入っている。
 改めて見ると、目死んでんなーとか表情筋も死んでんなーとか色々思うことがあった。と言っても、笑うって結構体力を使う動きだから直すのも面倒くさい。
 俺が笑っても似合わなくて気色悪いだけだし、今のままの方がいいな。うんうんと一人で納得した。


「…結構多くなってきたなぁ」


 肌に残る傷跡を触りながら呟く。最早肌の表面が見える部分の方が少ない。ほぼ全て傷で覆われている。
 あと1ヶ月。死ぬ時にはどんくらい傷が増えてるんだろうななんて、どうでもいいことを考えた。
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