奴隷上がりの公爵家次男は今日も溺愛に気付かない

上総啓

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本編

26.シリルとシュネー

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 諸々の騒動が落ち着き、冬も真っ只中という時期に近付いてきた頃。
 公爵家に戻ってからまだ二ヶ月も経っていないが、もう随分日が過ぎたような感覚に襲われる。そんな平穏な日常の中、今日はついにニコのお邸に訪れていた。
 お父様達の過保護が強化されたりと、訳あってあの日以来ニコには会えていなかったのだが、今日になりようやく会えるようになったのだ。

 あの日かけた迷惑についても謝罪したかったのだが、ニコは僕の顔を見るなり呆れ顔で手をシッシと振った。曰く「辛気臭い顔するな、気分が下がる」とのことだ。ニコらしくて笑ってしまった。
 お邸にお邪魔してからは伯爵夫妻に挨拶したりと穏やかに過ごし、今は二人でニコの自室に居た。


「結婚?おめでとー」

「興味なさげだなぁ…」


 チョコケーキを食べながら棒読みの声で言うニコ。
 今まで食べた甘味の中でもチョコは特に気に入っているようで、部屋に運ばれてくるのはチョコ菓子ばかりだ。僕もそのうちのチョコチップクッキーを食べながら、ニコの平坦な反応に苦笑した。


「だって当然のことじゃん?」


 あっさりと言い放つニコに首を傾げる。当然、とは一体何を指しているのだろうか。

 きょとんとする僕を呆れ顔で見たニコは、ひとつ浅い溜め息を吐いて姿勢を正した。ケーキを食べていた手も律儀に止めている。


「元から貴族だったんだろ。それなのに家族と引き離されて奴隷として生きて…こんだけ頑張ったんだ。それくらいの事が起きねーとおかしいだろ、普通に考えて」


「当然のことにこれ以上なんて言えばいいんだよ」と怪訝そうな顔をするニコ。
 その言葉を心の中で繰り返す度、温かい感覚がじわりと広がる。にまにま笑顔を浮かべるとニコの顔は変なものを見たみたいに引き攣った。 


「な、なんだよ」

「ううん。ニコのこと大好きだなぁって」

「はぁ!?ま…まぁ俺も普通に…好きだけど…。ロク…じゃねぇ、シュネーのこと」


 言い慣れない言葉を紡ぐかのように訂正したニコに僕もハッとした。
 そういえば、ここに来てからずっとニコと呼んでいた。ニコはもうシリルなのに。


「シ、シリルごめん…!ずっとニコって呼んでた…!」


 蒼白顔で慌ててそう言った僕に、ニコ…シリルはきょとんと目を丸くした。
 やがてフォークを置いて俯くと小さく肩を揺らしだす。急にどうしたんだろうと心配しかけた瞬間、シリルは突然おかしそうに笑い声を上げた。

 ビクッと震えて「え、え…なに…!?」と動揺する僕に、シリルは涙目で笑ったまま答えた。


「いや…っ悪い…お前に"シリル"って呼ばれんのめちゃくちゃ違和感あって…っ」


 確かにそうだ、と僕も感じた。言われてみれば、僕もシリルにシュネーと呼ばれるのは何だか擽ったい。
 元からシュネーである僕がこう思うのだから、新たにシリルになったニコにとってはこれ以上の強い違和感があるだろう。
 …何だかそう考えると、今の僕とシリルは少し似ている気がする。名前を二つ持つ者同士として。

 けれど、それだけでなく大きな違いがあるということもまた事実。
 元々シュネーだった僕とは違って、シリルはニコから生まれた存在だ。ニコは…シリルのことをどう思っているんだろう。


「…。…あ、あのさ、シリル…」

「うん?何だよ、急に暗い顔して」


 そう返すシリルの表情は明るくて、一緒に過ごした時と同じ頼りがいのある笑顔だった。
 奴隷としては僕の方が先輩のはずなのに、ニコはいつも皆のリーダーで、兄みたいな存在で…。奴隷とは思えないほど聡明なニコは、僕と同じで子供と言われる年齢のはずなのに、常に皆を引っ張る笑顔を崩さなかった。

 そんなニコを僕は尊敬していて、それは今も変わらない。陰でずっと苦労や努力を重ねてきたニコだからこそ、これからは心から幸せになってほしいと思っている。
 だから、僕はどうしても確かめなければいけないのだ。


「シリルは今、幸せ?伯爵夫妻は…邸の人達は優しい?誰かに虐められたりしてない?」


 眉を下げて質問攻めする僕を見て、シリルは目を丸くして固まった。
 邸に訪れてからそれとなく雰囲気を見ていたけど、特にシリルに嫌な視線を向ける人はいなかった。というか、寧ろほとんどが好意的で温かい視線だったと思う。
 伯爵夫妻も良い人だったし、事前にお父様から聞いたところ伯爵家には黒い噂も全く無いらしい。安心したはいいものの、肝心のシリルがどう思っているかで見方は大きく変わる。

 踏み入るような問いだから口にするのは躊躇いがあった。シリルが不快に思ってなければいいけど…とそわそわする僕に、シリルはふっと仕方なそうに微笑んだ。


「お前はほんと心配性だよな」

「シリルだからだよ!シリルが大好きだから、こんなに心配するんだ…」


 はいはい、と流しながらも嬉しそうな笑顔が隠しきれていないシリルに頬が緩む。
「そうだな…」と始まったシリルの答えは穏やかな表情に相応しいもので、思わず安堵の息を吐いた。


「俺も最初は疑ったよ、どうせまた奴隷としてこき使われるんだって。けど全然そんなこと無かった。伯爵…その、両親も優しいし…使用人も親切だ。ちゃんと伯爵家の子息として扱われてる」


 両親、と言い慣れない様子で呟くシリルの顔は、見ている側の心が温まるようなもので。本当に大切にしてもらっているんだなと声音からも伝わった。

 そっかと頷く僕を一瞥し、シリルは赤らんだ頬を隠すように俯いてケーキに手を伸ばす。照れ隠しのような反応にくすくすと笑いが零れた。
 シリルが年相応の…子供らしい動きをする光景に胸がぎゅっとなる。ニコの時は落ち着きがあって、一瞬でも隙を見せれば足をすくわれると言わんばかりだったから。肩の力を抜いても大丈夫だと思えるくらい、シリルはこの場所を信頼しているのだろう。
 そう思うと、シリルの現状に対して抱えていた不安が搔き消えた。


「シリルが幸せそうだと、僕も幸せな気持ちになるよ」

「お前はまた…いっつも真っ直ぐ言うよな、恥とか無いのか…」


 シリルの顔が更に真っ赤に染まる。
 恥ずかしいことなんて何もない。伝えたいことは伝えられる時にしっかり口にしないと。いつ状況が変わってしまうかなんて誰にも分からないんだから。
 大事な相手には尚更。そう言うと、シリルは「…確かにそうだな」と苦く笑う。チョコケーキの最後の一口を含むと、何かを決心するように顔を上げた。


「あー…俺も、その…シュネーのこと好きだからな。大事な仲間だし、家族だし…お前が幸せなら、俺はそれだけで嬉しい…って思う」

「シリル…!」

「っ……や、もうやめだ!終わり!この話終わりだ!」


「それよりも!」と無理やり話を逸らすシリルにくすくすと笑いを零す。
 シリルは元々遠回しに本音を伝えるタイプだし、こういう風に直球で気持ちを伝えるのは得意じゃなかった。
 これ以上の揶揄は拗ねてしまうだろうから、真っ赤な顔には言及しないことにする。


「お前、聖夜祭はどうすんだ。やっぱ婚約者と過ごすんだよな?」

「……聖夜祭?」


 何だそれは?と首を傾げる。
 聞いたことの無い言葉にハテナを浮かべる僕を見て、シリルは怪訝そうな顔から徐々に嘘だろ…?とでも言うような驚愕顔にフェードして絶句した。

 聖夜祭…言葉の響きからして何かのお祭りのことだろうか。シリルが当然のように口にするくらいだから、きっととても大きな祭りなのだと思うけど…。
 お兄様やお父様からも聞いたことない祭りだ。大事な祭りなら事前に説明してくれているはずだし、僕には関係ないのかも。なんて思ったけれど、シリルの顔を見る限り違うらしい。


「お前なぁ…聖夜祭は帝国の一大行事だろ。恋人とか婚約者が居るなら知ってて当然だぞ」

「え、そうなの…?」


 曰く、聖夜祭というのは冬の夜に催される大規模な祭りらしい。
 城下町に商人や劇団が集まり、出店や舞台が至る所で行われるようで、その日はお忍びの貴族も多く訪れるのだとシリルは語る。
 愛の日とも呼ばれる聖夜祭は、別名の通り恋人や伴侶と楽しむのが一般的で、何でも聖夜祭で相手に愛を伝えると永遠を共に過ごせるという言い伝えまであるのだとか。


「言われてみれば…冬にお父様達と大きな祭りに行ったような…」

「覚えてないのかよ」

「うーん…まぁ小さい時の話だし」


 三歳の冬はもう奴隷になっていたし、もし聖夜祭を経験していたならそれは二歳の冬か、それ以前ということになる。
 ただでさえ拉致前の記憶は朧気なのだ、そこまで詳しくは思い出せない。

 でも、そうなるとますます不思議だ。僕が聖夜祭を覚えていないことをお父様達は察していたはずなのに、どうして教えてくれなかったんだろう。
 ハル様はそもそも祭りに興味がなさそうだから兎も角。二人は教えてくれても良かったのに。
 首を傾げる僕を見て、シリルは遠い目で苦笑した。


「……まぁ…お前の父親と兄貴なら教えないだろうな…婚約者と過ごす祭りがあるなんて」

「え…どうして?」

「…さぁな。まぁとにかく、聖夜祭まであと一週間しか無いんだ。婚約者を誘うなら早い方が良いぞ」


 それと…と突然声を潜めたシリルに瞬く。内緒話をするみたいな仕草のシリルに耳を傾けると、釘を刺すような声音が小さく響いた。


「聖夜祭のこと、俺が教えたって身内には言うなよ」


 絶対だぞ!と念を押されコクコク頷く。湧き上がる疑問は「もしバレたら俺が殺されるからな」という重い言葉に遮られた。よく分からないが、それなら絶対に教えないようにしないと。

 言いたいことを全て吐き出してスッキリしたのか、シリルは困惑する僕を差し置いて二つ目のケーキを食べ始めた。
 ふとそういえばと思いクッキーを取ろうとした手を止める。


「シリルは聖夜祭にやけに詳しいけど、もしかして一緒に祭りに行く相手でもいるの?」


 ピタリと固まったシリルの顔は、前髪の影に隠れてよく見えない。顔を上げたと思えば、そこには疲労の滲んだ微笑が浮かんでいた。


「あー…内緒」

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