奴隷上がりの公爵家次男は今日も溺愛に気付かない

上総啓

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本編

24.贖罪(兄side)

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『…ハロルド』


 表情の抜け落ちたハロルドが、薔薇園の真ん中で立ち尽くしている。
 まるで消えたあの子の影を探すような、足跡を追うような、そんな力強い瞳だけがハロルドの正気を表していた。

 後悔の言葉を何度聞いただろう。自分の中、ハロルドから、そして父上からも。
 父上はあの日以来気丈な姿を取り繕っているが、自室へ戻ると酷く憔悴した様子で酒を呷っていることを私は知っている。

 未だシュネーの行方は分からないまま。
 主犯の貴族も実行犯の賊も既に捕らえたというのに、攫われたあの子の行方だけが一向に明かされない。容赦ない拷問の末吐き出させた証言も、シュネーの無事すら断言出来ない曖昧なものだった。
 名も身分も告げず奴隷商に売った。証言はそれだけで、その後のことは何も知らないと喚くばかり。
 無様な命乞いが怒りに支配された父上に通じる筈もなく、奴らの生死は表向きでは不明確なものになった。どんな末路を辿ったのか…表に出ないということは、そういうことなのだろう。


『ハロルド、今日も来てくれたんだね』


 シュネーが薔薇園の中で特に気に入っていたガゼボ。中に入るでもなく椅子に座るでもなく、ただじっとそこを見つめるハロルドに声をかけた。

 静かに振り返ったハロルドは、私を見るなり目を細める。シュネーと過ごす日々は明るくなっていたハロルドの表情は、あの日以来色の無いものに戻ってしまっていた。
 毎日のように薔薇園に訪れるハロルドだが、雨が降る今日も変わらず来てくれたらしい。このままでは濡れてしまうからとガゼボを指差すと、ハロルドは何も言わずにそこへ移動した。


『少し、休んではどうだ』


 椅子に座った途端向かいから届いた言葉にハッとする。
 誤魔化し笑いで『こっちのセリフだ』と流そうとしたが、やけに凛とした赤い瞳がそれを許してくれなかった。


『それ、は…』

『……』

『…そんなこと…っ』


 言葉を紡ぐ度、仮面は音を立てて崩れていく。
 その面の下から覗く顔はあまりに醜く、赤い瞳に映るそれは懺悔と自己嫌悪に塗れていた。


『休んでいられる訳が無いっ…!!』


 雨音が強くなる。まるで私の心情をそのまま表すかのように、曇天は濃く空は濁った。

 思い出すのは、シュネーが邸を発つ数日前のこと。
 一人で別荘へ向かうことが決まった後、シュネーは少し不安げだった。あと一歩で一人は嫌だと駄々を捏ねたであろうシュネーの背中を押したのは、間違いなく私だ。
『おにいさまといっしょがいい…』と、夜眠る前に零したシュネー。微睡んだ意識は本音を吐かせたはずなのに、私は深く考えずに笑ってしまった。
 シュネーは甘えん坊だなと、愛らしい呟きを流して。一言二言前向きな言葉を投げかけると、シュネーは決意を込めた瞳で頷いたのだ。

 どうしてあの時受け止めてあげられなかったのか。
『――大丈夫、シュネーに何かあればお兄様が守るから』なんて、良くも堂々と言えたものだ。約束も誓いも守れず、だから今こんなことになっている。

『私が、愚かだった…――』



 全ては愚かな私の所為だ。
 私の所為で、あの子はきっと今絶望の中に居る。シュネーの居る環境が最悪であればある程、私の罪は深く大きくなる。
 大切な弟一人守れず何が兄か。私のような人間は、あの子の兄を名乗ることさえ許されないかもしれない。

 私には義務があるのだ。
 贖罪をする義務。

 幾度の後悔をして、己への怒りに苛まれて。
 そんなことを繰り返す内に、もう直ぐあの日から十年という月日が経とうとしている。十年分の贖罪が私の中にある。
 もしシュネーが既にこの世界の何処にも居ないのなら、私はその絶望を背負って生き続ける。
 もしシュネーが戻って来てくれたなら、この身を悪魔に捧げてでも今度こそ守り抜く。
 そして、深く重いこの罪を後生抱えて誰にも触れさせない。

 あの子が戻っても、戻らなくても。
 償いだけが私の生きる理由で、死ぬ意味だ。




 * * *




「そんな…私は…」


 シュネーが発したその言葉に、自分の中の何かが決壊したような感覚に陥った。
 図星を突かれた、我に返った…表現するには全て何処かズレてしまう。ただ、それは酷く重たいものだ。
 形容出来ない罪悪感のような、後ろめたい何かが喉の奥に詰まるような。
 シュネーの真っ直ぐな瞳が今は辛くて、息を吞みながら俯いた。


「私は…ずっとシュネーのことを…」


 ずっとシュネーのことを探していた。シュネーと再会した今は人生で最も幸福で、私の一番はシュネーのはずだ。
 今のシュネーを守りたいと思っている。愛したいと思っている。それは本当だ。その想いが本心であることは自分が何より分かっている。
 だから、シュネーが寂しそうに語る言葉の意味が私は理解出来ない。
 理解出来ない…はずなのに――


「お兄様が今の僕を想ってくれていることはもちろん分かります。けど…それ以上に大事だと思っていることがお兄様にはあるでしょ?」


 儚く大人びた微笑を浮かべるシュネーの先に、十年前の無垢な笑顔が見えるのは何故なのか。


「お兄様は僕のこと愛してくれています。僕はそれだけで嬉しいんです」


 シュネーもロクも、どちらも愛おしい唯一無二の弟なのだと。
 ついさっき何となしに思考したその言葉の意味を、たった今漸く理解した。

 私の中では『二人』なのだ。シュネーではなく、シュネーとロクなのだ。
 そして私はどちらも愛している。どちらも守りたいと思っている。その想いに優劣は無く、ただ純粋に二人の弟へ向けている。
 どんな理論を目の前に並べられても、私にとってこの子は十年前のシュネーじゃない。けれど、この子がシュネーであることは紛れもない事実だ。
 この十年間の私が十年前のシュネーを愛しているように、今の私は今のシュネーを愛している。

 すとんと、何かが軽い音を立てて落ちたような。
 たった一つ残っていた足枷が外れたような、確かな感覚のあと。


「シュネー」

「はい」


 静かに名を呼ぶと、すかさず凛とした声が返る。
 優しく導くような声に苦笑した。これではどちらが兄か分からない。

 俯いていた顔を上げて膝をつくと、澄んだ碧い瞳に意識が吸い込まれた。まるで濁りが無い、十年前と同じ色の瞳だ。
 一瞬その碧がハロルドを一瞥すると、僅かに残っていた不安の一切が掻き消えた。その光景に目を見開いて、理解した途端微笑ましい感情と悔しさとが胸の内で争った。
 私が悩み込んで己を誤っていた間に、シュネーはとっくに吹っ切ったのだ。それも家族である父上や私の影響ではなく、飄々とした態度で立つこの男の影響で。

 小さな溜め息の後、無意識に頬が緩んだ。


「僕はもう大丈夫ですよ」


 良く見れば十年前と全く変わらない、その無垢な笑顔が背中を押してくれる。


「私の償いが無くても…?」

「お兄様の償いが無くても、僕は十分幸せです」


 今のシュネーが幸せならそれでいい。
 浮かんだ答えはたったそれだけ。

 たったそれだけということばかり、私はいつも見逃してしまう。考え過ぎるのも抱え込むのも悪い癖だと、周囲の人間には粗方言われていたというのに。
 それならもう良いかと、肩の力が抜けたような気がして。ただシュネーを愛していることと守りたいという意思を確かに認識していれば、もうそれでいいと思えた。


「愛してるよシュネー。十年前も今も変わらずに」

「…!僕も、お兄様のことが大好きです」


 十年前も今も変わらずに。なぞった言葉がやけに胸に響いて、靄が晴れたような感覚が心地良かった。

 堪らず小さな体をギュッと抱き締めると、細い腕が背に回されて頬が緩んだ。齟齬も認識も互いに理解出来たという安堵にほっと息を吐く。
 ここからまた、私とシュネーは兄弟になれるはずだ。ロクが私を変わらず主人と認識していても、それはそれで構わない。ただ待つだけで焦燥は必要無い。


「それから、あの…お兄様」

「うん?」


 シュネーと分かり合えた歓喜に浸っていると、腕の中の愛らしい存在が何やら照れくさそうに揺れた。
 可愛い。一体どうしたのだろうかと続きを促した私に、シュネーはひょこっと顔を出してふにゃりと微笑んだ。可愛い。


「その、実は僕…――」

「シュネーが一番愛しているのは俺だ」

「………は??」


 しまった。突然の理解不能な発言にらしくない声を発してしまった。
 歪んだ顔を見上げたシュネーがビクッと震えたので直ぐに笑顔を繕う。可愛らしい安堵の笑みに一瞬湧き上がった怒りが即座に消え失せた。


「黙って聞いていればミハエル。狡いぞ貴様」

「突然どうしたのハロルド。空気読め」


 頭上から降ってきた不遜な声に眉を顰めてしまったが、シュネーを怖がらせないよう笑顔を保ったまま言葉を返す。
 不服そうな表情を隠そうともせず、ハロルドは無礼にも私からシュネーを奪いながら語り出した。


「大体何だ、状況の理解に苦しむのだが。ミハエルお前、俺とシュネーの逢瀬を邪魔する程とは一体何があった」

「逢瀬とか聞き捨てならないんだけど?今のところお前ただの不審者だからね」


 一連の会話を聞いていたシュネーがハロルドの腕の中であわあわと焦り出す。困惑している姿も可愛い。


「ふ、二人とも落ち着いて…!ハル様、僕がお兄様に説明するからっ…」


 シュネーの言葉に首を傾げる。本当に私が来る間に何かあったというのだろうか。
 我が物顔でシュネーを抱き締めるハロルドが恨めしいが、今は可愛い弟の話だけを聞こう。

 そわそわと顔を赤く染めてたじろぐシュネーが可愛すぎる。良いことがあったのだろうと一目で分かる様子に頬が緩んだ。
 この場でハロルドに関わることと言えば…やはりその手に持っている金の薔薇についてだろうか。そんなことを考えながら続きの言葉を待った私に、シュネーが語ったそれは衝撃以外の何物でも無かった。


「僕っ…ハル様の求婚をお受けしました…!」


 林檎の如く真っ赤な顔。
 そんなシュネーとは裏腹に、私の顔は酷く青ざめた。


「うん。…え、……は???」


 直後に何を叫んだかは覚えていない。
 ただ、シュネーの背後で満足そうに頷くハロルドを見て、額に青筋が刻まれた記憶だけは確かに脳裏に残っている。

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